第95話 地獄帰りの女

※ 今回は戦争奴隷落ちした女子、富井多恵目線の話です。


 突然、男の相手をしなくて良いと言われた。

 鉄格子が無いだけで牢獄と変わらない部屋から、狭いけれども人が住むにレベルの部屋へと移され、新しい下着と服を与えられた。


 詳しい理由は聞かされなかったし、こちらから訊ねたりもしない。

 少しでも平穏な時を過ごすには、言われた通り、相手にとって好ましい行動をするしかない。


 まともな食事をして、体を洗い、髪をとかし、何者にも邪魔されず睡眠を貪る。

 たったそれだけの事でも、体の中から活力が湧き上がってくる。


 あたしの体には、まだ生きようという意思があるようだ。

 人間らしい生活に戻って三日ほど経った頃、領主だという男の前へと連れていかれた。


 あたしたちが戦争でどれほどの人を殺したのかとか、どれほどの憎まれているかとか、グダグダと聞かされたが半分も聞いていなかった。

 ただ、奴隷の証である『罪人の輪』が外された時には、不覚にも涙が零れた。


「キリカゼ卿に感謝するんだぞ」


 グダグダした話の大半を聞き流していたので、なぜクラスメイトの名前が出てきたのか理解出来なかったが、どうやら彼のおかげで助かったようだ。

 着替えの服と下着、それを入れる簡素な鞄、身分証と僅かな金を持たされて、屋敷から放り出された。


 こちらからすれば酷い仕打ちだが、向こうは本気で善行を施してやったと信じているようだったし、あたしも抗議の声を上げたり、暴れたりするつもりは無い。

 なぜなら、この世界では日本の常識や善悪の基準は通用しないからだ。


 それは、召喚された直後にクラスメイトの惨殺という形で教えられた。

 その後も、訓練の最中にクラスメイトが魔物に殺されたり、行方不明になったり、本物の戦争に駆り出されて自分が人の命を奪ったり……何度も何度も、体験させられた。


 それなのに、降伏すれば助かる、人として最低限の扱いは保証される……なんて日本の甘い常識に囚われて戦いを放棄してしまった。

 その後に待っていた戦争奴隷という境遇は、あたし達の甘ったれた考えを完全に打ち砕いだ。


 別の場所へと連れていかれた男子がどうなったかは知らないが、女子は全員凌辱された。

 魔法が使えない状態で、複数の男性が相手では抵抗など無意味だった。


 泣こうが、喚こうが、叫ぼうが、男達の性暴力が止むことはなかった。

 あたしは、自分の純潔が散らされた時に全てを諦めて抵抗をやめたが、それが結果的に正しい選択だった。


 暴れ続け、抵抗を続けた雪谷明日香は、殴られ、蹴られ、犯され、翌朝には冷たくなっていた。

 泣き喚き続けた入船瑞希も、手荒く犯され続け、長くは持たなかった。


 中西梢は、途中で頭が壊れてしまって、体が壊れるまで手荒く扱われた。

 あたしが生き残れたのは、淫乱女を演じてクソみたいな男どもを悦ばせ続けたからだろう。


 自分でも、なんでそこまで生にしがみついたのか分からないけど、性処理の道具として死んでいくのは我慢できなかった。

 道具として使われているのではなく、自分が弄び、絞り取っているのだと思い込むことで生き延びたような気がする。


「寒っ……」


 領主の屋敷を放り出された後、街道を東に向かって歩き始めた。

 どんよりと曇った寒空の下、行くあても無いし、やる事も無い。


 ただ、西には……ユーレフェルトには二度と行きたくなかった。

 王都の城まで辿り着ければ、もしかしたら海野や菊井と合流できるかもしれないが、ぬくぬくと暮らしている彼女達を見たら殺してしまいそうだ。


 勿論、彼女たちに罪は無いし、恨むなど筋違いだと分かっているが、それでも殺意を抑えられないと思う。


「霧風に礼でも言いに行くか……やりたいって言うなら好きなだけ……んなこと望まねぇか……」


 ふっと口をついた自虐ネタに、自分でも笑えなかった。

 街道の両側は、刈り取りを終えた田んぼのようで、冬枯れの地面がどこまでも続いている。


 農作業をする人の姿も無く、見えるのは落穂目当ての野鳥ぐらいだ。

 途中、立ち寄った村の食堂で麺料理を食べた。


 出汁も塩気も足りず、味は今いちだったが、店の女将にフルメリンタの貨幣について教えてもらったから、まぁ良しとしよう。

 領主にもらった金は、一週間程度しか暮らせない金額のようだ。


 昼食の後も東に向かって歩く。

 時折、馬車が追い抜いていくが、それ以外は殆ど人を見かけない。


 次の街や村まで、どのくらいの距離とか全く考えず、気の向くままに歩いていたら、日が暮れて、思いの外冷え込んできた。


「解放された日に凍死ってのもねぇ……」


 せめて風をしのげる場所が無いかと探していたら、街道から逸れた細い道の先に灯りが見えた。

 近付いてみると、小屋みたいな小さな家で、中から人の気配がする。


「すみませーん、旅のものなんですが、家の隅で構わないんで一晩泊めてもらえませんか」


 日本にいた頃には、こんなセリフは昔話の中だけだったし、まさか自分で口にするとは思ってもみなかった。

 それに、誰が暮らしているのかも分からない家に、若い女一人で押し掛けるとか、正常な神経ではあり得ない話だ。


 まぁ、あたしの場合は、もう無くすものなんて命ぐらいのものだし、それもいつ失ったところで惜しいとも思わない。

 言ってみれば無敵モードだから許される行為だろう。


 板戸を叩いて呼び掛けると、中から物音が聞こえた。

 ガタガタっと揺れた後で、板戸が細く引き開けられた。


「どうも……」


 隙間からギョロリとした目が品定めするように睨み付けてきた後、またガタガタと音を立てながら板戸が開かれた。

 中にいたのは痩せた小柄な爺さんで、中に入るように顎をしゃくってみせた。


「お邪魔します……」


 扉を潜ると、中は暖かかった。

 たとえ板壁一枚だろうと、火を焚いた室内と屋外とでは大違いだ。


 中は八畳ほどの広さで、暖炉のような竈と薪、水瓶、小さな箪笥、天井から吊るされたランプの他には、土間に藁が敷いてあるだけで、テーブルも椅子も無い。

 爺さんは、ガタガタと建付けの悪い板戸を閉めると、土間に敷いた藁に座って無言で夕食を再開した。


 何処に座れとも言わず、あたしにチラチラと視線を向けながら、鍋から掬った麦粥らしきものを啜っている。

 どうやら、あたしをもてなすつもりは皆無のようだ。


 室内の様子からして、爺さんの他には住んでいる者はいないらしい。

 家の外壁に農具が立てかけてあったから、畑か田んぼを耕しながら一人暮らしをしているのだろう。


 土間に敷かれた藁の片隅に腰を下ろし、鞄を枕に体を丸めて横になった。

 久しぶりに長い距離を歩いたので、ふくらはぎが少々痛む。


 そんなに急いで歩いたつもりはないのだが、それだけ体が鈍っているのだろう。

 麦粥を掻き込む爺さんの手が止まり、またジーっとこちらを品定めしてくる。


 こちらが視線を返しても、動揺する素振りすら見せずジーっとこちらを眺めた後で、ふっと視線を逸らすと食事を再開した。

 食事の後、爺さんはパイプに刻みタバコを詰め、魔道具で火を着けて紫煙をくゆらせた。


 タバコを吸い終えた爺さんは、暖炉に薪を足して、ランプを消した。

 爺さんが歩み寄ってきて、布団のように詰まれた藁の方へと無言で顎をしゃくり、服を脱ぎ始めた。


 言葉が無くとも、なにを要求されているのか分るし、別に拒絶するつもりもない。

 これまでの暮らしを思えば、その程度の対価など何とも思わない。


 戦争奴隷として慰み者になってから数日後、得体のしれない薬を体の奥に突っ込まれ、子供の出来ない体にされた。

 そうでもなければ、あれほど注ぎ込まれて妊娠しないはずがない。


 それに、拒絶して寒空に放り出されるよりは、よっぽどマシだ。

 まぁ、こんな枯れた爺さん程度、殺してしまうのは訳ないんだけどねぇ。


 爺さんも若い頃には逞しい体付きをしていたのだろうが、今は骨に弛んだ皮が張り付いているようだ。

 あたしが服を脱ぎ捨てると、爺さんは目を見開いて、ゴクリと喉を鳴らして唾を飲み込んだ。


 積まれた藁に横たわり、脚を大きく開いて手招きすると、爺さんは夢遊病者のように近付いてきたが、股間は項垂れたままだ。

 それでも爺さんは、あたしに覆いかぶさり、乳房にむしゃぶりついてきた。


 人間は年齢を重ねていくと子供に戻る……なんて聞くが、殆ど歯の抜けた口で乳首を吸うのは本能なのだろう。

 爺さんの股間に手を伸ばし、揉み、扱き、どうにか使いものになる硬さになったところで導き入れる。


 爺さんは、息を荒げながら、狂ったように腰を振った。

 戦争奴隷の頃に相手をさせられた牡どもが有り余る欲望を垂れ流すのとは違い、燃え尽きようとする蝋燭が最期の輝きを放つようだ。


「はぁ、はぁ、はぁ、はぁ……ふぐぁ!」


 突然、爺さんは左胸を押さえて動きを止めた。

 どうやら、本当に燃え尽きるらしい。


 爺さんは仰向けに倒れながら、あたしの中から出て行った。

 目の前で人が死に掛けているのに、自分でも呆れるほど落ち着いている。


 口をパクパクさせながら、震える右手を持ち上げた爺さんの頭をそっと撫でる。

 爺さんの右手がパタリと落ちて、強張っていた爺さんの表情が緩んでいく。


 きっと今、あたしは嘘くさい慈愛に満ちた表情を浮かべているんだろうな。

 強張っていた体からも力が抜け、爺さんは二度と動かなくなった。


 開いたままだった瞼を閉ざし、両腕を胸の上で組ませた爺さんの横で眠った。

 死体の横で眠るなんて、日本に居た頃には考えられなかったが、恐れも、気味悪さも感じず、すぐに眠りに落ちていった。



 翌朝は、寒さで目を覚ました。

 爺さんの体はすっかり冷たくなっている。


 まだ日が昇る前のようで、暗がりの中を手探りで魔道具をさがした。

 魔力を流して、束ねた藁を竈に突っ込んで火を着け、細い薪をくべて火を大きくしていく。


 服を着て、ランプに火を入れ、食糧を探した。

 見つけた麦、塩、干し肉で麦粥を作って腹に入れる。


 残った食糧は、見つけた鞄に詰めた。

 ナイフ、火の魔道具、外套、金もいただいていく。


 爺さんの遺体の上に藁を被せ、積んであった薪を載せ、建付けの悪い板戸を開けてから、土間に敷かれた藁に火を着けた。

 風属性の魔法を操り、火のついた藁に空気を送り込むと、ぼぉっと一気に炎が大きくなった。


「じゃあな、爺さん。最期に良い思いができたんだ、感謝しなよ」


 細道を辿って街道へ戻って振り返ると、朝靄の中で爺さんの小屋が炎に包まれていた。

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