第93話 フルメリンタの貴族
※ マデレス・ペドロサ男爵の述懐
『蒼闇の呪い』とは良く言ったものだ。
実際には病の後に残る痣であって、痛みも痒みも無ければ、他人にうつったりもしないのだが、それが残る部分によっては呪いとしか思えない存在となる。
私も妻も、痣が残ったのは腕や足の目立たない場所だけだったので、それを呪いとはとらえていなかった。
だが、娘が生まれ、育ち、病を経て顔に大きな痣が残った時、その呪いの恐ろしさを初めて実感することになった。
長女イドスは、乗馬を楽しむほど快活な性格で、屋敷の中よりも外で過ごす時間を好んでいた。
次女ルアナも姉に引っ張られるように、さらに活発な性格に育っていたのだが、蒼闇の呪いが全てを変えてしまった。
イドスは右目の上辺りから頬にかけて、ルアナは頬骨の辺りから首筋にかけて、大きな痣が残ってしまった。
最初はイドスが、二年後にルアナが痣が残ったせいで屋敷に引きこもるようになってしまった。
フルメリンタの貴族の子女には、十歳からの五年間、王都の学院で学ぶ義務がある。
これは、民衆の模範たるべき貴族として、恥ずかしくない教養を身に着けるためで、重篤な病を除いて辞退することはできない。
蒼闇の呪いが顔に残った者も例外ではなく、顔に痣の残っている者は頭巾やベールの使用は認められているが、入学辞退は認められない。
国としては、十代の多感な頃を共に過ごし、貴族同士が絆を深め、国としての結びつきを強固にする狙いがあるようだが、それは蒼闇の呪いを持たない者の話だ。
いくら国の法律で差別が禁じられていても、痣の残った顔を晒して生活するのは難しい。
イドスがどのような扱いを受けたのか分からないが、学院に通うようになると、家の中でも頭巾をかぶったまま過ごすようになり、口数も極端に減っていった。
我が家は、魔物の討伐での功績を認められて貴族になったばかりの新興貴族だ。
貴族としての習慣や仕来たりに疎いこともあって、イドスは孤立しているのだろう。
このままでは、娘は蒼闇の呪いによって命を落とすことになると感じ始めていた時に、宰相ユド・ランジャール様からキリカゼ卿を紹介された。
隣国ユーレフェルトから、領土の返還を条件に招聘したワイバーン殺しの英雄、蒼闇の呪いを消せる男、そして異世界から召喚された者。
どれも俄かには信じられない肩書ばかりだが、我が家はその胡散臭い肩書にすがるしかなかった。
施術初日、私はイドスに同行してキリカゼ卿の屋敷を訪れた。
希望と不安が天秤の両端に載っているかのような気分は、キリカゼ卿がまだ十代の少年だと知って一気に不安へと傾いた。
キリカゼ卿は、私やイドスの不安を解きほぐすために、施術の内容について説明をしてくれた。
蒼闇の呪いとはどのような状態で、痣を消すために消すためにどのような施術を行うのか、万が一失敗した場合のリスクについても包み隠さず語った。
そして、奇跡が起こった。
一日の施術で消せたのは、親指と人差し指で作る輪ほどの範囲だったが、青黒い呪いが消えて白い肌が蘇った。
閉ざされていたイドスの心の扉が開かれ、差し込んだ希望の光は次女の心の扉までも開いてくれた。
屋敷を覆っていた黒く禍々しい雲が晴れて、眩い陽光が差し込んできたような気分だった。
施術の間、キリカゼ卿はイドスに、ユーレフェルトに召喚されてからフルメリンタの王都ファルジーニに居を構えるまでの出来事を話してくれたそうだ。
その壮絶な内容に、イドスは驚愕すると同時に勇気をもらったそうだ。
やはりイドスは、学院内で居場所を見つけられずにいたらしい。
蒼闇の呪いの痣が顔に残っていることや、家が新興貴族であることも孤立する要因ではあったようだが、一番の原因は一歩を踏み出す勇気が持てなかったからだと気付かされたそうだ。
イドスは二週間に渡る施術によって、染み一つ無い白い肌と共に快活な性格まで取り戻した。
さらに大きな痣のあるルアナも、学院に入学するまでには施術を受けられると分かり、イドスと同様に明るさを取り戻した。
イドスの施術が終わった後、キリカゼ卿に追加の謝礼を支払おうとしたが固辞されてしまった。
その代わりではないが、二つの懸念の解消に力を貸してもらえればありがたいと頼まれた。
一つは、戦争奴隷として捕えられている共に異世界から来た友人の早期解放。
もう一つは、ユーレフェルトにいる友人の招聘。
どちらも簡単ではないと分かっているので、頭の片隅にでも覚えていてくれたらありがたいと言われた。
確かに新興の一貴族がどうこう出来る話ではないが、我が家に奇跡をもたらしてくれたキリカゼ卿の頼みとあらば、微力であろうとも手助けをしたい。
私に何が出来るのか、どうすればキリカゼ卿の懸念を晴らせるのか、少し考えてみることにしよう。
※ ダリーオ・クルンボロ子爵の述懐
「クルンボロ子爵、ご無沙汰しております」
「おぉ、ペドロサ男爵、久しいな」
フルメリンタの貴族は、春と秋に王都を訪れて親交を深めるのが習わしとなっている。
冬を間近に控えて、この秋最後のパーティーで挨拶してきたのは、新興貴族のペドロサ男爵だった。
私は、魔物の討伐で功を上げて貴族となった自分の息子と同じ年頃の若者に、習慣、振る舞い、領地の経営など、貴族として必要な知識を分け与えてきた。
何故そのような手助けをするのかといえば、我が家も父の代に新興貴族として苦労を重ねてきたからだ。
新たに貴族として叙勲を受ける者があれば必ず手助けをせよ……というのが父の遺言に従って手を貸したのだが、マデレス・ペドロサという男は見どころのある若者だった。
他者からの助言を素直に受け入れ、常に感謝の気持ちを忘れない。
何故この若者が貴族になったのか……などという疑問を持つ者は殆どおらず、国王陛下の人を見る目の確かさを再認識させられた。
ペドロサ男爵は、持ち前の資質によって苦労はあれども順調に貴族としての生活を重ねていたのだが、近年は娘の蒼闇の呪いのせいで表情を暗くすることが増えていた。
「ふむ、今宵は晴れ晴れとした表情をしておるな」
「はい、奇跡のような出来事がございましたので」
「ほぅ、今宵はそれを話してくれるのじゃな」
「はい。ダリーオ様はキリカゼ卿をご存じですか?」
その名前を聞いた途端、私の胸の内がざわめいた。
「ユーレフェルトから招いたワイバーン殺しの英雄のことかな?」
「その通りです」
「して、その御仁がなにか?」
「娘の蒼闇の呪いを解いてくれました」
「なにぃ、それは真か?」
ペドロサ男爵は、実際に目にしたという痣を取り除く施術について語った。
その表情は、ここ数年の懸念が払拭された喜びに溢れていた。
うら若き女性の顔に青黒い痣が残されていることで多くの悲劇が生まれ、それが呪いと称される理由だと聞いている。
その痣が消えたのであれば、ペドロサ男爵の憂いが晴れるのも当然だろう。
「娘が、その施術の最中にワイバーン討伐の話を聞かせてもらってきました」
「そうか……」
「お聞かせいたしますか?」
たぶん、他の貴族であれば二つ返事で了承するのだろうが、私はすぐに決断を下せなかった。
今年の夏、私はワイバーンに息子を殺された。
ワイバーンが襲来したら、食糧となる人や家畜を隠し、居なくなるのを待つのが常識とされている。
餌が無ければワイバーンは別の土地を探して移動すると言われているからだが、私の領地からはなかなか飛び立とうとしなかった。
人も家畜も隠したが、湖で養殖している魚は隠しようがなかったからだ。
成長すると大人の女性ほどの大きさになるマロードという魚は、身も卵も美味で、領地の特産としてようやく養殖が軌道に乗り始めたところだった。
湖の畔に居座り、一つ、また一つと丹精込めて育てた生簀を食い荒らすワイバーンに業を煮やし、次男のエリゼオが領兵を率いて戦いを挑んだ。
結果は、ワイバーンどもに新たな餌を与えただけで終わった。
成す術なく食われた息子を持つ私に、何故ワイバーン殺しの英雄譚を聞かせるのか。
私はペドロサ男爵の意図を測りかねたが、聞くだけ聞いてみることにした。
ペドロサ男爵の語るユーレフェルトから来たワイバーン殺しは、英雄などではなく、恐怖に震え、多くの仲間を失い、何度も死の淵へと追いやられながらも、足掻き続けた一人の人間だった。
いや、そうではない。ワイバーンを討伐した後も運命に翻弄され、今も足掻いている人間だった。
「ユーレフェルトとは、なんとも腹立たしい国だな」
「おっしゃる通りだと思います」
「それで、ペドロサ男爵はどうされるのかな?」
「自分は新参者の貴族ゆえに、自分に何が出来るのか分かりません。なので、ダリーオ様のお知恵を拝借できませんか?」
「私に手を貸せというのではないのか?」
「そうしていただければ有難いですが、ダリーオ様がどうなさるかは、ダリーオ様ご自身が判断なさる事だと存じます。なので、自分に何が出来るか、何をなすべきかご教授いただけると有難いです」
「なるほど……」
他人に丸投げするのではなく、自分に出来る事を問うペドロサ男爵の態度は好ましい。
ペドロサ男爵の話通りであるならば、ユート・キリカゼという人物も好ましい。
ただし、キリカゼ卿の懸念を晴らすのは困難だ。
一つは国王陛下が決断する事案、もう一つは二つの国に跨る事案だ。
正直、私程度の小貴族では、どうこう出来る問題ではない。
ならば、出来る事は一つだけだろう。
「マデレス、残念ながら我らに出来る事は限られている」
「何をすればよろしいのでしょう?」
「多くの人に伝えるのだ。キリカゼ卿という人物はいかなる人物なのか、ユーレフェルトという国が異世界から招いた少年少女にどんな仕打ちをしてきたのか」
「伝えるだけ……ですか?」
「今は伝えるだけだ。今は……」
ペドロサ男爵は、ハッとした表情を浮かべると、私に向かって頭を下げた。
「ありがとうございます、おかげで進むべき道が見えた気がします」
笑みを浮かべたペドロサ男爵は、もう一度頭を下げると、早速知り合いの貴族を会場を巡り始めた。
さて、私も知り合いに挨拶をするついでに、息子の仇を討ってくれた男の話をしに行くとしよう。
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