第91話 宰相からの依頼

 秋が深まり、朝晩は冬の到来を感じる季節になった。

 フルメリンタの王都ファルジーニには、日本に近い四季があるらしい。


 屋敷の庭では木々の葉が色づき、ドングリを求めてリスが姿を見せるようになった。

 東京の街中とは違って、王都といえども自然は手の届く場所にあるらしい。


 蒼闇の呪いと呼ばれる痣を取り除く施術は、何の問題も無く順調に進められている。

 ユーレフェルトで施術を行っている時には、万が一の時のために治癒士のリュディエーヌに待機してもらっていたが、その必要性も感じない。


 そもそも、色素を取り出す範囲は直径数ミリ、深さも二ミリ程度だから、失敗したところでちょっと血が滲む程度だ。

 実際、どんな状態になるのか自分の手や頬で試してみたが、蚊に刺されたところを掻きすぎて血が滲む程度のものだ。


 しかも、ユーレフェルトにいた頃から、何万回、何十万回と行って、ただの一度も失敗していない。

 慢心する訳ではないが、自信を持って施術を行えている。


 その施術に関して、フルメリンタの宰相ユド・ランジャールから依頼された件も順調に準備を進められられている。

 それは、フルメリンタの東の隣国カルマダーレから施術希望者を受け入れる件だ。


 施術の無い日に、城へと呼び出されて告げられた。


「キリカゼ卿、隣国カルマダーレからも施術の希望者を受け入れていただきたい」

「それは、隣国の貴族の方ですか?」

「そうです。現在順番を待っているフルメリンタの貴族の間に入れていただく形です」


 いきなり横入りを認めろと言われて、少々困惑してしまった。


「それはちょっと……もう三十人ぐらい待ってもらっているので……」

「勿論、それは私の方でも承知しております。なので、順番を待っている家には、こちらから説明をして納得してもらいます」

「そこまでしてでも、やらないといけない理由があるのですか?」

「その通りです。それをこれからご説明させていただきます」


 ユドの説明によれば、東の隣国カルマダーレとは良好な関係が続いているそうだ。

 今回の施術希望者の受け入れには、その友好的な関係を更に強化する目的があるらしい。


「キリカゼ卿も良くご存じの通り、西の隣国ユーレフェルトがとても不安定な状態にあります」

「例の内乱はまだ収まらないのですか?」

「王都周辺では問題は無さそうですが、特に東側、フルメリンタに近い地域での内乱が収まっていません」

「ザレッティーノ伯爵の後を継いだ貴族や、旧エーベルヴァイン領ですね?」

「その通りですが……その周辺の地域も怪しい状況にあります」

「えっ、収まるどころか広がっているんですか?」

「その気配があります」


 ユドは心底頭が痛いとばかりに、小さく首を振ってみせた。


「カルマダーレとの友好関係を深めるのは、ユーレフェルトへの備えなんですね?」

「おっしゃる通りです。いくらフルメリンタといえども、東西から挟み撃ちにされるような状況は避けたいと思っています」

「もし、もしですが、ユーレフェルト、カルマダーレの両方から攻められたら、フルメリンタは戦に負けますか?」

「キリカゼ卿、戦というものは机の上の計算だけで勝ち負けが決まるものではありません。ただし、予測としては相当厳しい状況に追い込まれるでしょう」


 俺がユーレフェルトを出た時に見た、撤退していくフルメリンタ軍の統率のとれた動きからみると、かなり練度は高いように思えたが、それでも両面作戦は厳しいのだろう。


「ユーレフェルト、カルマダーレから同時に攻められたとしても負けるつもりはありません。ありませんが、そのような状況になれば多くの者が傷付き、命を落とすことになるでしょう。キリカゼ卿、国を支えるのは民です。その民をいたずらに消耗するような事態は、なんとしても避けなければなりません」


 ユドの言葉には、国を守ろうとする者の強い決意が感じられた。


「カルマダーレからの施術希望者を受け入れたぐらいで、状況は変わるものなんですか?」

「勿論です、私は大きく変わると思っています。少し失礼な言い方になってしまいますが、キリカゼ卿の施術は変化のための切っ掛けにすぎません」

「切っ掛け……ですか?」

「はい、カルマダーレからの施術希望者を招く最大の目的は、フルメリンタという国を知ってもらうことにあります」


 ユドは、カルマダーレからの施術希望者受け入れ計画について語り始めた。


「キリカゼ卿、一人の施術を終えるのに、どの程度の日数が必要ですか?」

「それは痣の大きさや部位によって異なりますが、小さなものでも五日程度は掛かっています」

「カルマダーレから来られる方は、外国に行ってまで施術しようと考える方ですから痣も小さくはないでしょう。おそらく、平均の倍以上の時間が掛かるでしょう。そして、カルマダーレからファルジーニまでの道中にも時間が掛かります」

「なるほど、その滞在している時間にフルメリンタという国を知ってもらい、愛着を感じてもらおうというのですね?」

「その通りです!」


 ユドは満足そうに笑みを浮かべて頷いた。


「これまで、カルマダーレとは友好的な関係を続けてきましたが、往来するのは殆どが商人です。国境付近の貴族がお忍びで隣国を訪れることはあっても、直接的に往来するの両国の間で婚姻が結ばれるなどの大きな行事があった時に限られていました」

「では、カルマダーレの貴族がフルメリンタを訪れるのは、異例な事態なんですね?」

「はい、正式に往来するのは年に数えるほどしかありません。それでは、本当に友好な関係とは言えないでしょう。ですが、キリカゼ卿の施術を受けるためにフルメリンタに、ファルジーニに滞在してもらえれば、この国の良さを感じてもらえると信じています」

「実際にフルメリンタを訪れた貴族から、口伝てに話が広まっていけば良いと考えているのですね?」

「そうなんですが、もっと明け透けな言い方をさせてもらうなら、フルメリンタを訪れて、この国の良さを知ってくれた人ならば、戦に反対してくれるのではないかと睨んでいます」


 ユドの話によれば、多少の違いはあれどもフルメリンタも、ユーレフェルトも、カルマダーレも、国として戦を始める手順は同じらしい。

 先日のユーレフェルトからの侵略は例外中の例外らしく、本来は王家から各貴族に事前の打診があり、了承が得られた時点で開戦となるそうだ。


「つまり、その事前の打診に反対してもらうのが最終的な目的なんですね?」

「その通りです。一人でも多くのカルマダーレの貴族を迎えて、戦うよりも友好的な関係であり続けるべきだと思ってもらう。そのためにキリカゼ卿のお力を貸していただきたい」

「分かりました。私の方では、順番の調整、説得は難しいので、そこだけ解決していただければ何の問題もございません」

「おぉ、ありがとうございます。実際の受け入れには、まだ準備が必要ですが、キリカゼ卿には施術に専念していただけるように、私どもで支援をいたします。何かご要望があれば、何でも気軽におっしゃってください」

「そうですか……」

「何か、御懸念がございますか?」


 懸念といえば懸念なのだが、施術とは直接関係がないので少し迷ったが、このタイミングを逃すと何時になるのか分からないので話してみることにした。


「施術とは関係ないのですが、ユーレフェルトにはまだ三人私の友人が残っていまして、出来ればフルメリンタに呼び寄せられないかと思っています」

「その方々は、どのような状況に置かれているのですか?」

「三人は、独自の魔法の使い方を見つけて、戦闘ではなく美容の分野で腕を振るっています」

「ほう、美容……ですか?」


 俺も詳しい内容までは把握していないが、海野さん達のエステについて説明した。


「話を伺った限りでは、虐待される可能性は低いようですね?」

「はい、今のところは問題ないと思っていますが、第二王子派から第一王子派に鞍替えしたかたちになっているので、もし第二王子が次の国王となった場合には、どのような待遇を受けるか分かりません」

「なるほど……率直に申し上げて、呼び寄せるのは非常に困難です。フルメリンタは男性優位の国ですが、それほどまで王族、貴族の女性から支持されているとなると、国が手放すという決断には反対の声が上がるのは確実です」

「何とかなりませんか?」

「そうですねぇ……キリカゼ卿の場合には、エーベルヴァイン領からの撤退という大きな交換条件がございましたが、現在フルメリンタには切るべきカードがありません」


 領土として取り込んだ中洲の半分を返せば……と言いかけたが、俺にそんな要望をする権利はない。


「現状、困難なのは分かりました。ただ、なにか機会があれば、三人を呼び寄せられるられるように御助力をお願いします」

「勿論、我々にできることはお手伝いいたしましょう」

「ありがとうございます」


 一応、礼は言っておいたが、やはり……という気持ちの方が強い。

 海野さんとは、まだ手紙のやり取りすら出来ていないのだ。


 これまでに五通、内容を考えに考えて手紙を書いたが、全く返事が来ない。

 そもそも届いているかも怪しい。


 海野さんは王城内で暮しているはずだから、俺から手紙を出すにはフルメリンタ、ユーレフェルト両国の検閲を受けることになる。

 そこで当たり障りのない内容をこちらの文字で書き、署名だけ漢字にしているのだが、もしかすると途中で握りつぶされてしまっているかもしれない。


 それと手紙を書いていて思ったのだが、どうやれば俺からの手紙だと証明できるのか分からない。

 全文日本語でも出したが、こちらの人には読めないから内容を警戒されて届かない可能性が高い。


 こちらの文字で書いた場合、俺の筆跡なんて分るはずがないし、それは署名の漢字も同様だろう。

 霧風優斗の四文字だけならば、こちらの人が真似るのは難しくても不可能ではない。


 同様に、海野さんから返事が来たとして、それを本当に彼女が書いたかどうか判断する方法が俺には無いのだ。

 フルメリンタで落ち着いたら迎えに行くつもりでいたけど現実は甘くない、海野さんと再会する糸口すら見つけられずにいる。


「海野さんといえば……」


 フルメリンタに行った後、ユーレフェルトの貴族の施術も受け入れるようにすれば戦争にならない……なんて話をしていた。

 その時に海野さんが、ユーレフェルトの貴族を受け入れれば、滞在している間は人質みたいなものと言っていたのを思い出した。


 つまり、カルマダーレの施術希望者を受け入れるのは、フルメリンタにとって隣国の貴族を人質にとる行為という訳だが、それについてはユドは一言も触れなかった。

 ユドほどの切れ者が気付いていないとは思えないし、だとすれば俺の印象を操作しようとしたと考えるべきだろう。


 俺はまだ100パーセントは信頼されておらず、利用する道具と思われているのだろう。

 この先、道具として使われ続けるのか、それとも対等とはいかなくても信頼されるブレインになれるか、立ち振る舞いを考えた方が良さそうだ。

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