第88話 平穏に見える日々
新しい屋敷での生活は、一見すると平穏そのものだ。
三日働いたら一日休む、三日働いたら一日休むの繰り返し。
宰相ユドの助言に従って、かなり高額な料金を請求しているのだが、施術を求める者は後を絶たない。
すでに三十人を超える人が順番を待っている状態で、最後の人に施術できるのは何時になるのかも分からない。
しかも、高額な料金を請求しているにもかかわらず、施術が完了した際には殆どの者が別途謝礼を置いていくのだ。
正直、儲けすぎじゃないかと思うほどだが、それは消費して世の中に還元することにしよう。
施術を求める者は、貴族の子息が殆どだ。
男性の場合は目立つ場所に大きな痣がある者が殆どで、おそらく小さな痣ならば問題にしていないのだろう。
だが、女性の場合には小さな痣でも施術を求めてくる。
その多くが嫁入り前であったり、結婚相手を探している者だ。
『蒼闇の呪い』とも呼ばれている痣は、他人には感染しないし遺伝もしないそうで、痣の有無によって他者を差別することは法律で禁じられている。
禁じられてはいるが、やはり結婚相手として選ぶ場合、同等の条件であれば痣の無い者の方が有利になってしまうようだ。
そんな痣を取り除けてしまう俺には、貴族の娘から結婚の申し込みが殺到して、断るのに苦労するのでは……なんて、ちょっとだけ思ったが全くの杞憂だった。
貴族の結婚とは家と家を結びつける戦略であり、打てる手数に限りがある以上、最良の一手を選択しなければならないそうだ。
例えば、ある地方では水の権利を巡って、自家に有利になるように上流にある家に娘を嫁がせたりするのだと、ハウスメイドのハラさんが教えてくれた。
「えっ、結婚しだいで水を減らされたりするの?」
「普段の話ではありませんよ。水が豊富にある時には問題ございませんが、干ばつになると話は変わってきます」
「水を流してもらえなくなる?」
「あからさまにではありませんが、やはり結びつきの強い家の方へ水を多く流したりするそうです」
「それは、死活問題だね」
「ですから、どこの家も婚姻に関しては真剣です」
「おかげで俺が儲かるという訳だ」
婚姻による関係構築が重要視されるからか、貴族の子供たちは国内外の情勢について熱心に情報を収集している。
集めた情報は、内容によっては秘匿するが、流布しても問題のないものについては情報交換の材料として使うそうだ。
一人で集められる情報には限りがあるので、信頼のおける者と情報の交換や擦り合わせをするらしい。
そうした問題のない情報は、施術の際に聞けたりするのだが、どうもキナ臭い話が増えている気がする。
ある貴族の息子は、自家の兵士の訓練を強化したと誇らしげに語っていた。
「キリカゼ卿もご存じの通り、ユーレフェルトとの間で久方ぶりに直接的な戦闘が行われました。最終的にフルメリンタが利を得た形で終結いたしましたが、ワイバーンの渡りに助けられたのも事実です。そのため、国王陛下より兵士の練度を上げるように指示が下ったのです」
フルメリンタの軍隊は、国王直属の騎士団と貴族の各家が出す兵士によって支えられているそうだ。
日本の戦国時代に近い形のようだ。
今回、フルメリンタが一度手にいれたユーレフェルトのエーベルヴァイン領の一部を手放したのは、兵士や兵站を維持できなかったからだ。
ユーレフェルトとは、あまり良好な関係ではなかったが、直接的な戦闘が行われなくなったために、出兵を命じられる機会が無くなり、多くの貴族が即応できなかったらしい。
「我が家は、今回は派兵を命じられませんでしたが、次の戦いが起こった際に対応できなければ所領を削られるかもしれません。逆に手柄を立てれば、領地が増えるかもしれませんから、どこの家も真剣に取り組んでいるようです」
つまり、多くの問題があったけど、最終的に黒字で終わったからオッケーではなく、次にやらかしたら容赦しないと釘を刺されたという訳だ。
「ユーレフェルトとの戦の最中、東の隣国カルマダーレで不穏な動きがあったという噂もあり、西側の諸家だけでなく、東側の諸家も体制の強化を急いでいるようです」
確か、東の隣国とは良好な関係を続けていると聞いていたのだが、情勢が変わったのだろうか。
「カルマダーレとの友好関係は続いておりますが、それはあくまでもフルメリンタがフルメリンタであればこその話です。戦に破れた国が、周囲の国々に食い荒らされるのは歴史を見れば明らかです」
「つまり、またユーレフェルトと戦になって、敗色濃厚となればカルマダーレが攻めてくるのですね?」
「その通りです。なので、西側の諸家だけでなく、東側の諸家も備える必要があるのです」
施術を受けた貴族の息子は、俺よりも五つぐらい下で、日本なら中学校にも上がっていないぐらいの歳だ。
話の殆どは父親からの受け売りなのだろうが、この歳の子供が戦争について当然のように語る姿をみると、やはり平和ボケした日本とは違うのだと思わされる。
もっとも、フルメリンタも少々平和ボケしていたようだから、日本がロシアか北朝鮮あたりから一時的に侵略されて、アメリカの力を借りて撃退した……みたいな状況なのだろう。
キナ臭い話は、別の貴族の娘からも伝わってきた。
相変わらず、ユーレフェルトの国内が安定していないらしい。
「当家は織物の生産が盛んで、ユーレフェルトにも出荷しておりましたが、戦が起こってからは思うような商いができておりません」
戦によって往来が途絶えた時期は勿論だが、往来が再開された後も商人たちが身の危険を感じてユーレフェルトへの行商を控えているらしい。
また戦になれば戻って来られなくなる可能性が高いのだから、領主も行けとは命じられないようだ。
それでも、そういう時期だからこそ商機だと捉えて、あえてユーレフェルトへ向かう商人もいるそうだが、そうした者たちは戻ってくると示し合わせたように治安の悪化を口にするそうだ。
「戦場となったエーベルヴァイン領は当然ですが、その西隣の旧ザレッティーノ伯爵領でも内乱が頻発しているそうです」
ビョルン・ザレッティーノのような馬鹿領主がいなくなれば、住民は諸手を挙げて喜ぶと思っていたのだが、実際はそうではないらしい。
何か理由があるのかもしれないが、後任のビホソス・シルブマルク伯爵は領民を掌握できていないようだ。
「街道での盗賊の出没も増えているようで、腕利きの護衛無しでのユーレフェルト入りは不可能だとされています」
こうした貴族の子女から俺の所にもたらされる情報は、貴族の間では当然のように語られる話なので、今やフルメリンタの上流階級の常識だと言っても過言ではない。
つまりは、国全体が危機感を持っているということだ。
ただし、聞こえてくる話の殆どは、ユーレフェルトやカルマダーレに対する備えについてで、どこかに攻め入るための準備ではないのが救いだ。
一番危険だと思っていた火薬に関する知識も、二度ほど追加の問い合わせが来ただけで、その後は何も聞かれなくなった。
雲をつかむような話よりも、実現可能な方法に舵を切ったのだろう。
もし、こちらの世界に火縄銃が生まれたら、戦の方法はガラリと変わるだろう。
火縄銃の弾丸でも音速を超えると聞いたことがある。
いくら超人的な動きをする人間であっても、発射音を聞く前には反応できないだろうし。
相手側の身体強化や武術スキルを用いる者を排除した後で、味方の超人たちを戦場に送り込めばどうなるかなど子供にでも分かる。
一方的に蹂躙すれば、その戦は早期の終結をみるかもしれないが、長い目で見れば相手も銃や大砲を手に入れるだろうし、泥沼化するのは目に見えている。
ワイバーンや魔物が存在する世界で、人間同士が争うなんて無意味だ。
ユーレフェルトには、さっさと次の国王を決めてもらい、フルメリンタとの均衡状態を維持してもらいたい。
友好条約を締結してくれれば、俺もユーレフェルトに行けるようになるかもしれないし、海野さんをこちらに引き取ることも可能になるだろう。
とはいえ、そこまでの道程は容易ではないはずだ。
海野さんには、こちらの状況を当たり障りのない言葉で記した手紙を送ったが、まだ返事は届いていない。
というか、届いていもいないかもしれない。
そもそも、フルメリンタの王都までは、馬車に揺られて二十日程度かかってしまう。
その上で検閲される可能性もあるし、もしかすれば握りつぶされるかもしれない。
フルメリンタの王都ファルジーニでの生活基盤は整いつつあるが、まだ本当の安寧を手に入れられた訳ではない。
戦争奴隷落ちしたクラスメイトの救出も、全く進んでいない。
これまで提案した地球の知識の功績によって、待遇改善は約束してもらえたが、その後どうなったのか全く分からないのだ。
宰相ユドに現状をたずねてみても、相変わらずです……詳しい話はお聞きにならない方が良いです……と、取り合ってもらえない感じだ。
火薬の情報を伝えられれば、もしかしたら解放されたかもしれないが、そもそも本当に知らないから伝えようがない。
なんとか救出したいと思う一方で、クラスメイトのことを思い出すことが減ってきている。
嫁をもらい、大きな家を手に入れ、使用人を雇い、施術で金を儲け、裕福な生活を送ることが当たり前のように感じてきてしまっている。
ここに至るまでの道程は決して平坦ではなかったし、命の危険を感じたのも一度や二度ではない。
アラセリやユドから、俺が罪悪感を感じる必要などないと何度も言われると、そうかもしれないと思ってしまうのだ。
それに、時間が経つにつれて、もう手遅れだろうという思いが強くなってきた。
強制労働をさせられている男子はまだしも、女子については救い出したとして、どう対処すれば良いのか分からない。
正直に言えば、戦争奴隷落ちした女子と顔を合わせるのが怖い。
彼女たちが、どんな扱いを受けたか想像すると、日本に居た頃と同じ目で見るなんて無理だろう。
別に感謝されたいなんて思っていないけど、もう剥き出しの敵意をぶつけられるのは嫌だ。
いっそ全部忘れてしまった方が良いのだろうか。
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