第87話 蜘蛛の糸
※ 今回は戦争奴隷落ちしたクラスメイト、
「
俺の呼び掛けに、国崎は全く反応しない。
目は開いているが、天井を見上げる瞳には何も映っていないようで、半開きの口にはハエが出入りしてる。
胸は微動だにしていないし、頬に触れると体温が失われていた。
そして、国崎の左腕から銀色の輪が二つに割れて落ちている。
この銀色の腕輪は『罪人の輪』と呼ばれる魔道具で、鍵を持つ者に反逆しようとすると、体内の魔力を乱して魔法を使えなくする効果がある。
外すには、兵士が管理する鍵を使うか、腕を斬り落とすか、命が絶えるかのいずれかの方法しかない。
「どうした、新川」
日本にいた頃とは別人のように痩せた国崎の顔を見つめていたら、後から
「国崎が……」
「そうか、ここ何日か嫌な咳をしてたからな……埋めてやろう」
「あぁ……」
この収容所に連れて来られた時、七人いたクラスメイトは、これで俺と三森の二人になってしまった。
クラスメイトが死んだのに、俺も三森も驚いていないどころか、涙の一滴も湧いてこない。
ただ、来るべき時が来たという思いしかない。
ここは異世界だから、極楽浄土の蓮池から蜘蛛の糸を垂らしてくれる御釈迦様はいないのだ。
開いたままになっていた国崎の瞼を閉じてやって、三森と一緒に裏の林へと運ぶ。
平たい鉄板の先を研いだだけのスコップとも呼べない道具で土を掘り、国崎のための墓穴を作る。
途中で息が切れて何度も座り込みそうになるが、俺も三森も黙々と土を掘り進めた。
最初に高坂が死んだ時、この後誰が死んだとしても、残った者がせめて墓を掘って弔おうと全員で決めたのだ。
「新川、俺より先に逝くなよ……」
「それは俺のセリフだ……」
精一杯の軽口を叩いても、笑いも涙も、そして怒りも湧いてこない。
もう、そんな感情はとっくに失ってしまった。
そう言えば、いつからかあの言葉も口にしなくなった。
何でこんな事になっちまったのかな……。
全ての始まりは、ユーレフェルト王国に召喚された時から始まった。
漫画かアニメのような異世界召喚に心が躍ったのは、ほんの僅かな間だけで、目の前でクラスメイトが斬殺されてからは奴隷同然だった。
柔道部に所属していて体の丈夫さには自信があったが、素の力では魔物には太刀打ちできなかった。
手に入れた土属性魔法は戦いには不向きとされていたが、宿舎を追い出された霧風のミジメな姿をみていたので、戦闘職から外してほしいと言い出せなかった。
フルメリンタに攻め入った時も、言われるままに住人を殺した。
この世界では、戦争の相手は問答無用で殺すのだ、殺さなければ自分が殺されると言われれば、生きるために殺さなければならなかった。
自分達が騙されていたと気付いたのは、フルメリンタの兵士に投降を呼び掛けられた時だった。
ワイバーンに襲われて、ユーレフェルトの指揮命令系統はメチャクチャになっていて、そのまま戦いを継続しても死ぬだけだと、みんなで決めて投降した。
だが、投降した後の処分は、俺達の想像を超えていた。
地球では、戦争捕虜の人権を保障するジュネーブ条約があるが、こちらの世界には存在しない。
騙されたとはいえ、無差別に住民を殺した俺達は戦争奴隷として扱われることになってしまった。
男子と女子に分けられて、女子が何処に連れていかれたのか分からない。
俺達男子が連れて来られたのは、北の山岳地帯にある鉱山だった。
ここで俺達は、現地の人々でさえも二の足を踏むような危険な現場ばかりに放り込まれた。
最初に死んだ高坂は、崩れてきた岩に腹を潰されて死んだ。
右の脇腹がぐっちゃりと潰れてしまって、誰の目にも助からないと分かっていたのに、もうすぐ治癒士が来るからと励まし続けた。
死にたくない……日本に帰りたい……ボロボロと涙を零す高坂に、頑張れとしか言えない自分達の無力さに全員が打ちひしがれた。
その後も粗末な食事と過酷な労働、布団どころか藁すら与えられず、土間に直接寝転がって眠る日々が続き、一人、また一人と息を引き取っていった。
弱り切った体で墓穴を掘る作業は過酷だ。
一応、土属性魔法で柔らかくしてあるのだが、それでも土を掬って放り出す作業は楽ではない。
まだ朝の涼しい時間のはずだが、噴き出した汗が顎を伝ってポタポタと落ちる。
まともな食事を与えられていないから、体に全然力が入らない。
「新川、もういいんじゃねぇか?」
「いや、あんまり浅いと獣とか魔物とかに……」
「お前の魔法で固めてやれよ」
「そうだな……」
他人のために感情が動かなくても、少しでも自分が楽をしたいという欲求には抗えない。
三森がもういいと言った時も、反射的に返事をしただけで、本当は自分も墓掘りから解放されたかった。
国崎の遺体を穴の底に横たえて、形ばかりに手を合わせる。
「心配すんな、じきに俺らもそっちに行く……」
「だな……」
三森の言葉は冗談ではなくて、揺らぐことのない事実であり俺達の未来だ。
墓穴に土を入れ、半分ほど埋まったところで、土属性魔法を使って土を固める。
クラスメイトの遺体ではなく、命を守れる魔法だったらどれほど良かっただろう。
土を全部かぶせて、もう一度魔法で硬化させ、ただの丸太の墓標を立てて埋葬は終わった。
同じような丸太が、近くに四本立っている。
倒れそうになっていた一本を三森が直して、抜けないようにスコップで叩いて打ち込んだ。
「いこうぜ、三森」
「いや、ちょっと休んで行こうぜ」
三森は国崎の墓の横に、どっかりと胡坐をかいて座り込んだ。
「早く戻らないと飯が無くなるぞ」
「もう無いだろう。はぁ、夜まで持つかな……」
確かに、国崎の埋葬に随分と時間が掛かっているから、俺達の分の朝飯が残っている可能性は低い。
それでも、俺は僅かな可能性に賭けてみたいが、走って戻るほどの気力は残っていない。
はぁ、はぁ、っと三森は肩で息をしている。
この後、坑道に下りて一日中採掘作業を命じられる。
ここでの食事は朝夕の二回で、しかも働きが悪いと夕食を抜かれる。
夕食を抜かれたら、俺も三森も明日の朝には目を覚まさないかもしれない。
ただ、それでもいいか……と諦めている自分もいる。
もう十分頑張ったから、もう楽になってもいいだろうと言う自分がいる。
「戻ろう、三森」
「なんのために?」
「少しでも楽に死ぬため……かな」
重たい脚を引き摺るようにして宿舎に戻ると、見慣れない兵士が俺達を待っていた。
普段収容所で見かける兵士よりも、明らかに上質な制服を身に着けている。
そして、兵士は俺達に意外な質問をぶつけてきた。
「貴様ら、火薬なるものの作り方を知っているか?」
思わず視線を向けて目で訊ねると三森は首を横に振ったが、俺は目の前に蜘蛛の糸が現れた気がしていた。
「そうか、知らないか……ならば作業に……」
「待ってくれ! 知ってる……原始的な火薬の作り方なら知っている」
「本当か?」
「本当だが、知識として知っているだけで、実際に作ったことはない」
以前、戦国時代を描いた漫画で興味を持って、当時の火薬の作り方について調べたことがある。
実際に作った訳ではないが、純度と割合を試行錯誤すれば火薬と呼べる代物はできるはずだ。
「それでも構わん、話せ」
兵士は当然のような顔で要求してきたが、簡単に話す訳にはいかない。
火薬に関する知識は、俺にとって御釈迦様が極楽から垂らしてくれた蜘蛛の糸だ。
「ただでは話せない、俺と三森を奴隷から解放してくれ」
「ふん、ずいぶんと強気のようだが、無理やり口を割らせても構わないんだぞ」
身なりの良い兵士は精一杯凄んでみせたつもりだろうが、俺も三森もとっくに死ぬ覚悟はできている。
今更拷問された程度では、口を割ったりするものか。
「それなら話さない。火薬を量産できれば戦が変わる。魔法が使えない者でも、弓矢を遥かに上回る威力の攻撃ができるようになる。金属製の鎧すら貫き、城壁を一撃で粉砕できるようになるぞ」
「その話は本当なんだな?」
「俺達の住んでいた国には、火薬を用いた武器が国の勢力図を一変させた歴史がある。勿論、火薬を作るにも武器を作るにも技術が必要だが、先んじて準備を調えれば、ユーレフェルトを蹂躙できるぞ」
フルメリンタの工業技術がどの程度か知らないが、火縄銃と大砲があるだけでも戦況は一変するはずだ。
今回フルメリンタは、一度手に入れた領土を手放したようだが、奪い返すどころかユーレフェルト全体を支配下に置くことも夢ではないだろう。
しがない針売りの行商人だった猿のような小僧が天下人になったように、戦争奴隷から成り上がるという欲望の炎が、俺の胸の底で点った気がした。
「嘘ではないのだろうな?」
「原始的な火薬は黒色火薬と呼ばれるものから始まり、やがて褐色火薬と呼ばれるものに進化した。なぜだか分るか?」
「な、なぜだ!」
「知りたければ、俺と三森のこいつを外せ」
左手を挙げて、戦争奴隷の証である銀色の輪を示した。
「情報が先だ!」
「駄目だ、そんな余裕は無い。今朝も仲間が一人死んだ、俺達だって明日の朝には冷たくなっているかもしれないんだぞ」
「いいや、情報だ先だ」
「じゃあ、この話は無しだな……」
三森が不安そうな顔をしているが、ここは絶対に譲歩してはいけない。
こんな所まで情報を仕入れに来ているという事は、俺達以外に情報源が無い証拠だ。
「それなら、貴様の腕輪だけ外してやる。情報が本物なら、そいつの腕輪も外してやる」
「駄目だ。俺達には余裕は無いと言っただろう。ここで友達を見捨てるような事はしない。情報が欲しければ、二人とも解放しろ。人間らしい扱いをするなら、俺の持っている知識を全部くれてやる」
身なりの良い兵士は、苛立たしげに顔を歪めて俺を睨みつけてきたが、こっちも一歩も引くつもりは無い。
俺と三森が地獄から抜け出すには、この細い細い蜘蛛の糸を簡単に手放す訳にはいかない。
「ちっ……こいつらの腕輪を外して連れて来い。あぁ、体を洗って着替えさせろ、臭くてかなわんからな!」
身なりの良い兵士が背中を向けて歩き出した途端、膝から力が抜けて座り込んでしまった。
助かった……蓮の葉に辿り着いた……俺は、
「新川! ありがとう、新川……」
国崎が死んだ時も顔色一つ変えなかった三森が、ボロ泣きしながらしがみ付いてきた。
俺の視界も涙でグチャグチャに歪んでいる。
「生き残ったぞ、三森。助かったんだ」
「ありがとう……ありがとう……うぅぅぅ……」
俺と三森は、瘦せ細った互いの体を抱きしめ合い、ただただ涙を流し続けた。
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