第86話 友、来たる
宰相ユドから紹介された物件は、王都ファルジーニにある貴族の屋敷が集まるエリアの端にある小さな屋敷だった。
まぁ小さいと言っても、東京生まれの東京育ちの俺には豪邸にしか見えないのだが、一般的な貴族の屋敷としては小規模らしい。
この屋敷は、息子に家督を譲った貴族の当主が、いわゆる隠居所として使っていたそうだ。
屋敷の庭には小川や池が作られていて、風雅な造りになっている。
主寝室、客室、書斎、食堂、居間、応接間、使用人の部屋、風呂が三つ、トイレが五つ……やっぱ豪邸だろう、これ。
応接間を改装して、蒼闇の呪いの痣を除去する施術室として使うことにした。
屋敷の代金は、ユーレフェルトからフルメリンタに移り住んでくれた報酬だそうだ。
それ以外に、名誉侯爵なる地位が与えられ、毎年家禄が下賜されるらしい。
それでは、これまでの待遇と変わらないと言ったのだが、ユーレフェルトの貴族の身柄を要求しておいて、何の身分も待遇も与えなければフルメリンタの沽券に関わるそうだ。
それでも、建物は俺の所有となるので管理するのは俺の役目、使用人の給与なども俺が支払わなければならない。
高校生が異世界に召喚されて、嫁を貰って、家を持って、使用人を雇う……考えてみると結構凄いと思う。
あとは、この暮らしを維持していくために頑張るだけなのだが……施術を三日行ったら必ず一日は休むようにユドから言われてしまった。
フルメリンタの一週間は八日なので、完全週休二日にしろというお達しだ。
これは、屋敷に引きこもっていたら、俺がフルメリンタの現状を見れなくなり、日本の知識を活かして改善を進める妨げになるからだ。
召喚された直後のブラックどころか暗黒状態だった生活環境と比べると、光り輝くほどのホワイトな環境だ。
とにかくフルメリンタに生活基盤を作り、何とか海野さんを呼び寄せたいと思っている。
屋敷を引き渡してもらい、権利の手続きやら、使用人の選定やらを済ませ、施術院を始めるための準備に奔走していると、男性が俺を訪ねてきた。
「旦那様、お客様がおみえですよ」
書斎にいた俺に来客を知らせてくれたハラさんは、俺よりも横にも縦にも大きい女子プロレスラーみたい体格の女性だ。
宰相ユドから何人か紹介してもらった中の一人で年齢は三十八歳、昨年夫に病気で先立たれ子供はいないそうだ。
若い頃には貴族の屋敷で働いていた経験もあるそうで、住み込みで屋敷の管理全般を手伝ってもらう事にした。
というか、本人には言わないが、たぶんアラセリと同じような人生を歩んできた人だと思う。
これまでの応接室を施術用の部屋にしたので、来客用の応接室としても使うことにした居間へ行くと、見慣れない男性が待っていた。
服装はフルメリンタの役人のようだが、首には銀色のオモチャのラッパのようなものを下げている。
「ご無沙汰してます、キリカゼ卿」
ニッコリと微笑みかけてくる男性は、どこかで会ったような気がするのだが思い出せない。
ましてや、訪問を受けるほど親しくなった人の中に、こんな男性がいた記憶がない。
「申し訳ありません、どこでお会いしましたか?」
「はははは……キリカゼ卿、私です、ヤーセルです」
「えっ……あぁ、えぇぇぇぇぇ!」
「はっはっはっはっ……」
言われてみれば、確かにヤーセルだと分かったのだが、国境まで共に馬車に揺られていた頃は、名前負けだろうと思うほどパンパンに太っていたのに、今はシュっとしている。
ライ〇ップだって、こんな急激なダイエットは不可能だろうというレベルだ。
「ど、どうされたんですか?」
「見つかったんですよ」
「見つかったって……魔力を放出する方法ですか?」
「そうです、そうです。キリカゼ卿から助言をいただいて、あれから色々と試してみたのです」
一緒に馬車に乗っている時に、口づけで他者に魔力の譲渡ができないか……とか思いつきで話したのだが、ヤーセルは律儀にそれを実行したらしい。
といっても、口づけする相手がいなかったので、水を張った盥に顔を付けたり、地面に口づけしたりしたそうだ。
だが、普段からお茶やスープなどに口を付けるし、顔も洗う。
同じような状況は日常生活の中にいくらでも存在しているのだから、その程度では効果は無かったそうだ。
「でも、魔力の放出はできたんですよね?」
「はい、できました。触媒が必要だったんです」
「触媒……ですか?」
「はい、触媒です」
そう言うと、ヤーセルは首から下げている、銀色のオモチャのラッパのようなものを抓んでみせた。
「それが触媒なんですか?」
「はい、これはミスリルでできた管なんです」
ヤーセルが望遠鏡を覗くようにこちらに向けると、確かに円錐状の管になっている。
「私が魔力を放出するには、口とか鼻の奥とか、あとは尾籠な話になりますが尻の穴とか、体の内部に繋がる部分に、魔力の伝導性の高い触媒を触れさせる必要があったのです」
地面に口づけが失敗に終わった後も、ヤーセルは色んなものに口づけしてみたそうだ。
「最初はオーガの角でした。オーガはとても危険な魔物で、その角には魔除けの効果があるとされています。そのオーガの角を咥えて、魔力を通すように想像した途端……オーガの角が吹き飛んだのです」
ヤーセルが体の中に貯め込んでいた魔力を一度に放出するようにイメージしたため、膨大な魔力の奔流にオーガの角が耐えられなかったようだ。
「それから、色々な素材を試すと同時に、放出する魔力の量を調整する事を覚え、魔力を魔法に変換する事を覚えました」
「じゃあ、魔法が使えるようになったんですね?」
「はい、全部キリカゼ卿のおかげです、本当にありがとうございました」
「とんでもない、それはヤーセルさんが努力を重ねた賜物ですよ」
「いいえ、そうじゃないです。私はキリカゼ卿にお会いするまで諦めていました。自分の人生はこのままなんだ、他人と殆ど関わらず、なにか有事の際に敵と刺し違えるか、人里離れた場所で一人寂しく人生を終えるのだと」
他人よりも膨大な魔力を持ちながら、その放出方法を持たなかったヤーセルは、死ぬと魔力の暴発を起こす危険物とみなされていた。
そのため、近くに人の住んでいない場所で、古い資料の整理のような閑職を与えられ、有事の際の爆弾として国に飼われていたそうだ。
「ですが、キリカゼ卿に出会って、自分にもまだ何か手段が残されているかもしれない、まだ可能性が残っているかもしれないと思うようになり、こうして魔法が使えるようになりました」
「今は、どんな仕事をされてるんですか?」
「実は、騎士団の砲撃部隊に所属しています」
「えぇぇ……それはまた、これまでとは違った仕事ですね」
ヤーセルは一般的な人よりも遥かに高い魔力を保有できる。
簡単にいうと、魔力を蓄えておける器が大きいようだ。
それに加えて、魔力を放出した後の回復も早いそうで、平兵士の十倍以上の魔力を扱えるそうだ。
「触媒の強度などで制限が掛かりますが、私一人で集団魔法を超える火球を撃ち出せます」
「集団魔法というと、あの国境でユーレフェルトから撃ち込まれたやつですか?」
「そうです、あの火球よりも大きなものをもっと速く撃ち出せます」
魔法について話すヤーセルは、出会った頃のどことなく卑屈な感じがスッカリ消え去り、自信に満ち溢れているように見える。
「実は、騎士として国を守るのが子供の頃からの夢でして……その夢が叶って、今は天にも昇る気分で毎日を過ごしています」
「そうですか……それにしてもヤーセルさん、痩せすぎじゃないですか?」
「はははは……これはですね。騎士の基礎訓練が厳しいのと、これまで過剰にため込んでいた魔力を放出できたからみたいです」
運動不足で魔力太りしていたのが、持久走や筋トレに加えて魔力を放出したのだから、劇的に痩せるのも当然なんだとか。
「それでは、ヤーセルさんは王室付きの近衛騎士になるんですか?」
「いえ、まだまだ訓練中なので、どこに配属されるのかは分かっていません。ですが、国に貢献できるなら最前線にだって喜んで行きますよ」
「いやいや、命あっての物種ですから、無謀な突撃とか止めてくださいよ」
「はははは……そうですね、ちょっと浮付きすぎだと、隊長からも怒られています。でも、今まで役立たずだった自分が、国ために貢献できるんだって思うと、こう……じっとしていられないんですよ」
俺もこっちの世界に召喚されてすぐに、役立たずのレッテルを貼られて酷い目に遭わされたけど、どん底だったのは数週間だけだ。
でも、ヤーセルは俺よりも遥かに長い時間を普段は役に立たない危険物扱いされてきたのだ。
自分が役に立てるどころか、他の者よりも高い能力を有していると認められれば、気分が舞い上がるのは無理もない話だ。
「ヤーセルさん、俺もフルメリンタに骨を埋める覚悟を決めました」
「おぉ、では、ここがキリカゼ卿の城という訳ですね」
「はい、ここを拠点として、根を張って生きていこうと思っています。だから、十年経っても、二十年経っても、三十年経っても訪ねてきて下さい。互いの近況を伝え合いましょう」
「良いですね。それならば、何があっても生き残らないといけませんね」
「そうですよ。結婚したら、奥さんも一緒に連れて来て下さい」
「いやぁ、結婚なんて、まだまだ……」
結婚の話をした途端、それまで自信に溢れていたヤーセルが、出会った頃のヤーセルに逆戻りしたようにみえた。
体質が体質だっただけに、人との関わりが得意ではないのだろう。
「何言ってるんですか、もう魔力を抱え込む心配も無くなったんです。良い人を見つけて家族を持つべきです」
「そう、ですかねぇ」
「そうですよ」
「では、少し頑張ってみます」
宰相ユドに、誰か良い人いないか頼んでみようかとも思ったが、あまり外野が世話を焼くものでもない気もするから、今は静観することにしよう。
騎士団での暮らしについて嬉しそうに語り、またの再会を約束してヤーセルは帰っていった。
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