第84話 中洲の農民

 アフマドは農家の次男坊で、今年二十一歳になる。

 ユーレフェルトとフルメリンタが長年領有権を争っている中州で生まれ、外の世界は殆ど知らずに育った。


 アフマドが物心付く前には、何度か激しい戦があったらしいが覚えていない。

 覚えているのは、毎年稲刈りが終わった田んぼに再び水が張られた後、フルメリンタから散発的に撃ち込まれる火の攻撃魔法ぐらいのものだ。


 川の向こう岸からヒューっと飛んで来て、水の張られた田んぼに落ちてジュっと音を立てて消える。

 それ以上でもなく、それ以下でもなく、戦などと呼べるものではなかった。


 アフマドから見れば、街道を挟んで中州を分け合う形で戦を終わらせてしまえば良いと思うのだが、国の中央にはそれを良しとしない連中がいて、形式的な戦が続けられているのだ。

 中州から遠く離れた地で兵が集められ、遠征と称する行軍をして、形ばかりの攻撃をして戦っているように国民に見せているだけだ。


 中州から数えるほどしか出たことのないアフマドですら、その程度のことは知っていた。

 いったい何時まで、くだらない見世物が続くのかと思っていたら、その終わりは突然訪れた。


 まだ田んぼに青々と稲が茂り、これから実りの季節を迎える夏のある晩、遠くからドーン、ドーンという大きな音が響いて来てアフマドは目を覚ました。

 何が起こっているのか分からなかったが、街道の向こう側、フルメリンタが治める中州の空が赤く染まっているのが見えた。


「筏で川を渡る支度をしろ!」


 アフマドの祖父が、いつになく凄みのある声で言いつけた。

 アフマドは弟、妹も叩き起こして、兄夫婦らと着替えを麻袋に詰めて持ち出す支度を整える。


 父と兄、アフマドの三人で、納屋の壁に立て掛けておいた筏を担いで運び、いつでも川に逃げられるように準備した。

 街道の方から敵兵が攻め込んで来た場合、中州から出る道は無い。


 だから、万が一の時のために、アフマドの祖父は筏を作っておいたのだ。

 アフマドは、筏なんか使うことはないと高をくくっていたが、祖父や父は日頃から筏の点検を欠かさなかった。


 逃げ出す支度を整えた後、一家は息を殺し、まんじりともしないで一夜を明かした。


「取り戻したぞぉ! 中州は全てユーレフェルトのものだぁ!」


 知らせが届いたのは、夜が明けて少し経ってからだった。

 不気味な一夜を過ごした反動もあって、集落の男達は酒を持ち寄って朝から祝杯を挙げた。


 フルメリンタから土地を奪えば、ユーレフェルトの土地が増える。

 中州の土地は、殆どが稲作をする田んぼだから、上手くすれば農民は土地を分けてもらえるかもしれない。


 アフマドのような農家の次男坊や三男坊にとって、自分の土地を持ち、嫁を貰い、家族を持つのは大きな夢だ。

 それが突然叶うかもしれないのだから、お祭り騒ぎになったのも当然だろう。


 中には意中の娘に結婚の申し込みをする気の早い奴までいたが、それを咎める者はいなかった。

 降ってわいたような幸福に、集落に暮らす全ての者が酔いしれていたのだが、それは長くは続かなかった。


「ワイバーンだ! ワイバーンの渡りだ!」

「早く隠れろ! 物陰から出るな!」


 中州の全域をユーレフェルトが支配下に置いたと思った半日後、六頭のワイバーンが飛来し、兵士たちと戦いを始めた。

 集落に古くから伝わる言い伝えでは、ワイバーンが飛来した時には姿を隠し、息を殺して立ち去るのを待てとされている。


 ワイバーンは、新たな縄張りを探す途中で飛来するので、餌となるものがいなければ他の土地へと立ち去るらしい。

 だが今回は、ユーレフェルトの兵士達がワイバーンに戦いを挑んでしまった。


 兵士たちはワイバーンを追い払おうと戦いを挑んだようだが、ワイバーンからはからは餌が自分から寄って来るように見えたのかもしれない。

 アフマドは家族と共に家に閉じこもり、ひたすらワイバーンが立ち去るのを待ち続けた。


 一度、家の近くにワイバーンが飛来し、川の近くに運んでおいた筏をオモチャにして遊び始めた時は、生きた心地もしなかった。

 幸い、ワイバーンは戦いを挑んだ兵士を薙ぎ払い、腹に収めると移動していったが、筏はバラバラに壊されてしまった。


 その後もワイバーンは中州に留まったので、煮炊きもできず、水を汲みにいくのも命懸けの日々が十日以上も続いた。

 ワイバーンが立ち去ったという知らせがもたらされると、アフマドたちは無事を喜び合い、何日かぶりで飯を炊き始めたのだが、また街道の方向が騒がしくなった。


「フルメリンタだ! フルメリンタが攻めてきたぞ!」


 襲撃の知らせを聞いたら、荷物をまとめて逃げるべきなのだろうが、アフマドや家族は逃げる気力を失っていた。

 中州を囲む川の流れは速く、泳いで渡るのは難しい。


 頼みの綱の筏をワイバーンに壊され、まともな食事ができない日々が続いて体力も落ちている。

 こんな状態で川を渡ろうとするのは、自殺行為でしかないと判断し、それならば殺される前に飯を食おうと開き直ったのだ。


 戦で占領された土地の住民は、殺されるか捕らえられて奴隷として働かされる。

 アフマドたちはフルメリンタの兵士に集められ、男と女、子供で別々の宿舎へと収容された。


 男たちは、フルメリンタの兵士に監視されながら農作業、女たちは、兵士のための炊事や洗濯、子供の世話などの仕事をさせられた。

 女と子供を人質にされ、男たちはフルメリンタの命令に従うしかない。


 街道の上流と下流、これまでの倍の面積の田んぼの世話をするのだから楽ではなかったが、食事や寝床は与えられた。

 女性や子供とも柵越しには面会できて、凌辱されずにいると知り、男たちは無駄な抵抗を放棄した。


 結婚して日の浅い者などは不満を口にしていたが、アフマドのように結婚できる当てすらなかった次男坊、三男坊などにとっては、少々仕事がキツくなった以外は、それまでと余り変わらない生活だから、そもそも抵抗しようという気が無い。


「内地まで攻め込まれてるらしいぞ」

「領主様が戦死したらしい」


 聞こえてくる噂話はユーレフェルトにとって不利なものばかりで、アフマドはこのままフルメリンタの農奴として一生を終えるのだと思っていたが、稲が穂を実らせて黄金に色づき始めた頃に状況が変わり始める。


「ユーレフェルトが北から押し返しているようだぞ」

「南でも戦火が見えたらしい」


 そして、稲の刈り入れが終わって数日後、突然アフマドの農奴生活は終わりを告げた。

 宿舎からは解放され、家財などを取りに戻ることも許されたが、長年暮らした中州からは追い出されることになった。


 中州の全域がフルメリンタの領土であると認めることで講和が成立したらしいが、アフマドたちにとっては寝耳に水だ。

 家財を運ぶ荷車や、収穫した米も配分されたが、家も土地も手放さなければなならない。


「反乱を起こす可能性のある者を留めておくわけにはいかんのだ。戦の結果だから悪く思うな。文句があるなら、こんな無駄な戦を始めた奴らに言ってくれ」


 フルメリンタの兵士の言い分はもっともなのだが、家も土地も奪われる者にとっては、はいそうですかと納得できるものではない。

 ただ、ここでもアフマドのような次男坊、三男坊たちは住む場所を失うだけで、将来にたいする希望は変わらないか、もしくは自立するチャンスかもしれないので、家長や長男などに比べると強い反感は抱かなかった。


 アフマドたちは、橋を渡って内地と呼んでいたユーレフェルト側へと入った。

 中州の土地は、橋のこちら側と同じくエーベルヴァイン公爵が治めていたので、すぐに新しい土地が手配されるものだと思っていたのだが、フルメリンタの兵士たちが撤収した後も、どこへ住めば良いのか何の指示も無かった。


 役場に行っても役人の姿は無く、備品なども略奪されて荒れ果てている有様だった。

 とりあえず、雨風がしのげる場所を探して空き家に入り込んでいると、元の持ち主が戻ってきて争いになったり、野盗まがいの男どもにフルメリンタで配分された籾なども奪われてしまった。


 伝わってくる噂によれば、王位を巡る第一王子と第二王子の派閥争いの影響で、エーベルヴァイン公爵家が治めていた土地の領主を誰にするのか揉めているらしい。

 領主が決まらないから役人も派遣されず、土地の配分や住民の移転の手続きなどもできない状態が続いているらしい。


 中州の土地を追われた者たちは路頭に迷い、川原に掘っ立て小屋を建て、魚を捕ったり、物乞いをして食い繋ぐしかなかった。

 アフマドは、南の領地に移住できるという噂を聞いて足を運んでみたが、着いた時には移住を希望する者で領地境は溢れかえり、収拾のつかない状況に陥っていた。


 それならば北の領地はどうだと行ってみたが、一部の移住希望者が暴徒化したらしく、領地境に近づくことすらできなくなっていた。

 旧エーベルヴァイン領は、街道沿いと一部の宿場町を除いて、無法地帯のような状況になりかけていた。


 暫定的に、王家の預かりとなって役人が送り込まれてきたが、住民や土地の所有権に関する書類などが散逸し、いたるところで権利を巡る争いが起こった。

 出鱈目だろうと上手くすれば土地が手に入ると、それまで土地を持たなかった小作人たちが一斉に自分の土地だと主張し始めたのだ。


 そこに中州からの移住を求める者も加わり、仮設の役所に訴えを受け付けてもらうだけでも数日かかる有様だった。

 遅々として進まない手続きに、国に対する不満は高まり続け、暴動へと発展した。


 切っ掛けは噂話だった。

 その日のうちに手続きを終えないと、訴えを受け付けてくれなくなる。


 真偽のほども分からない話だが、前日から列を作っている者にとっては冗談では済まされない話だ。

 行列の中で起こった小競り合いから、我先にと列を追い越そうとする者が現れ、役場に殺到した住民を押し返そうと兵士が剣を抜き、流血沙汰から暴動へと発展していった。


 列に並んでいたアフマドも、何がどうなっているのかも分からなかったが、仮設の役場に向かっていった。


「住民を殺した兵士を許すな!」

「無能な役人を血祭りにあげろ!」


 溜まり溜まった不満が暴力への衝動となって、アフマドたちを突き動かした。

 自分達がこんな目に遭っているのは、王族や貴族、役人どものせいだ。


 殺した後どうするのか考えている者などいなかったが、集団心理が理性を駆逐し暴力が暴力を誘発した。

 街道の往来に影響が出ないように、仮設の役場は離れた場所に設置されたために、応援の兵士が駆け付けるのが遅れたことで事態は更に悪化。


 暴徒たちは復興途上の宿場街を襲って略奪を始めた。


「食い物を奪え! 兵士は皆殺しだ!」


 殺した兵士から奪った剣を掲げて叫ぶ男に扇動され、アフマドは他の暴徒たちと共に宿場町の店へ雪崩れ込んだ。

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