第81話 国王と宰相

「戻ったか、今度はどのような提案なのだ?」


 ユート・キリカゼとの面談を終えてユド・ランジャールが執務室に戻ると、国王レンテリオが満面の笑みを浮かべて待ち構えていた。


「本日は新しい算盤の提案でした」

「ほぅ、算盤か……」

「はい、こちらが模型になります」


 一本の軸に五つの楕円形のコマが通されたものが十五列、それを支える枠と、五つのコマを一つと四つに分ける枠で構成されている。

 分けられたコマは、それぞれが一コマ分だけ動かせる余裕を持たせてある。


「なるほど、盤上に玉を載せているものを枠の中に収めてあるのか」

「おっしゃる通りです。下側のコマが一、上側のコマが五を表します」

「ほうほう、一列で九まで数え、桁が上がると次の列に進むのだな。なるほど、よく出来ている」

「はい、これはキリカゼ卿が試作するために石を用いたそうですが、本来は木や竹などを使ってもっと軽く、桁数も多く作るそうです」


 ユドが持ち帰った模型は、全てが石で作られているのでズシリとした重量がある。

 その場に置いて使う分には問題は少ないが、持ち歩くには重すぎる。


「ユートの世界では、このような算盤を用いて複雑な計算もこなしているのだな」

「いいえ、この算盤はキリカゼ卿の世界では前時代の計算道具となっているそうで、今はもっと膨大な桁数の複雑な計算を自動で行う計算機が存在しているそうです」

「自動で計算だと?」

「はい、人間が行うのは、数値を入力し、どのような計算を行うのか指示するだけだそうです」

「それでは、まるで機械の方が人間よりも優れているようではないか」

「はい、キリカゼ卿が言うには、人の動きや能力を超える機械は珍しくないそうです」

「ふむ……上手く想像が出来ぬな」


 それまでは上機嫌に話をしていたレンテリオだったが、機械が人を超えていると聞かされると不機嫌そうな表情へと変わった。


「ユート達は、自分達が機械に支配される心配はしていなかったのか?」

「はい、それについて聞いてみましたが、作り話の中には、そのような未来を描いたものがあったそうですが、実際には機能が限定されているので、今の時点では心配は少ないそうです」

「今の時点というと、将来は分らないということなのか?」

「百年先、二百年先にはどうなっているか分からないとは言っておりました」

「何とも、名状しがたい世界だな」

「はい、我々からすると想像も難しい世界のようです」


 ユート・キリカゼは、隣国ユーレフェルトが異世界から召喚した者の一人だ。

 その出身地は現在のフルメリンタよりも遥かに文明が発展した世界であり、ユド達に提案しているものはユートの世界では前時代的なものが殆どだ。


 でなければ、文明差が大きすぎて実現することも叶わないようだ。


「陛下、キリカゼ卿一人でも、これ程までの進歩をもたらすのですから、他の者も重用した方が良かったのではありませんか?」

「ユートだけでも、これだけの成果を出せるのだから必要ない。それに、既に手遅れだろう。何人残っている?」


 レンテリオとユドが話題にしているのは、戦争奴隷になっているユートの仲間についてだ。


「男が三人、女は一人だけです」

「ほぅ、まだ生き残っている女がいるのか」

「生まれつきの淫婦だと言われておりますが、正気を保っているのかは怪しいようです」

「ならば、そのまま使い潰せ」

「よろしいのですか、キリカゼ卿には待遇を改善すると約束されたのでは?」

「食いもの、着るもの、寝床あたりでも今より良くしてやれば良い、やらせることは続けさせろ。そもそも、そんな状態の女を解放され、押し付けられても、ユートは扱いに困るだけだろう」

「確かにそうですね」


 キリカゼ夫妻の仲睦まじい様子は、ユドの下にも報告が届いている。

 夫人は、キリカゼ卿の護衛と身の回りの世話をするために配属された、ユーレフェルト第一王子の手駒だったようだが、共に困難を乗り越える中で固い絆で結ばれたらしい。


 外出する時も一緒、宿舎に戻ってからも殆どの時間を一緒に過ごし、毎晩求め合っているそうだ。

 そんな二人のところへ、戦争奴隷として前線に配属された兵士たちの鬱屈した欲望の捌け口とされ続けた女が放り込まれたら、波風が立たないはずがない。


「我は、ユートという男を気に入っている。この世界に生きるには少々人が良すぎるが、物事に対して誠実に取り組む姿勢は評価に値するし、現実にフルメリンタに多くの変革をもたらしてくれている。ならば、その功に報いるべきだろう、例えユート本人から恨まれることになったとしても」


 フルメリンタが客人として扱うキリカゼ卿と、戦争奴隷として酷使されている仲間とでは待遇が違いすぎる。

 キリカゼ卿本人は、それを分かった上でも解放を望んでいるが、レンテリオは解放してもキリカゼ卿にとって益が無いどころか、不利益をもたらすと判断しているから使い潰せと命じているのだ。


「では、男どもには新しい衣服を与えて、より危険な現場に配置するように伝えます」

「それで良い、我々がいくら気を配っていても、事故ではどうにもならぬからな」

「かしこまりました。女はいかがいたしますか?」

「男同様でかまわぬ」

「それでも生き残ったら、いかがいたしますか?」

「利用価値があるならば利用する、無ければ処分する、ユートには手遅れだったと伝えれば良い」

「かしこました」


 キリカゼ卿と同郷だった者たちは、戦争奴隷として利用価値がある限り使い続け、その価値が無くなれば処分するという方針をレンテリオは変える気は無いようだ。


「ユド、先程届いた報告だ……」


 報告は終わりだと判断して自分の執務机に戻ろうとしたユドに、レンテリオが紙束を差し出した。

 キリカゼ卿との面談の間に届いたものをレンテリオが先に目を通したらしい。


 ざっと目を通したユドは、ため息交じりに感想を口にした。


「やはり荒れるようですね」

「まぁ、当然であろうな」


 報告書の内容は、ユーレフェルトに潜入している者たちの情報をまとめたもので、内容の殆どが第一王子アルベリク派と第二王子ベルノルト派の派閥争いに関するものだ。

 フルメリンタ国内においても、隣国の後継者争いの話は一般庶民にも伝わっている。


 顔を見せない第一王子と女癖の悪い第二王子……先日の戦の影響もあって、フルメリンタ庶民の間では第二王子ベルノルトの評判は非常に悪い。

 無益な戦を仕掛けてくるような王子よりも、顔の見えない第一王子の方がまだマシという評価だ。


「焚き付けますか?」

「不自然にならぬようにな」

「心得ております」

「先の戦でユーレフェルトの国力の一端が測れた。川の向こう側を奪い、維持するには力が足りぬ」

「ならば、身内の力を高め、敵の力を削ぐ」

「そうだ、馬鹿王子同士で潰し合わせて、ユーレフェルトを大きく削り取る」


 フルメリンタの国王レンテリオは野心家である。

 野心家ではあるが、闇雲に侵略を試みるほど無謀ではない。


 いずれ他国の領土を切り取ることも視野には入れていたが、それには国内状況を整える必要があった。

 召喚した者たちの実績が足りないから、中州を分け合っているフルメリンタの領土を侵略しよう……などというユーレフェルトの杜撰な侵略計画は予想外で、その機に乗じた侵攻作戦も場当たり的なものだった。


 予想外に深く進攻できたものの、兵站を維持できずに撤退することになった。


「フルメリンタとユーレフェルトは国力においては互角だ。侵略し、それを維持するにはコルド川までを切り取る必要がある」

「現状では八つの貴族の領地ですね」

「それだけの土地を支配するには、兵も物資も足りぬ」


 勢いだけでのユーレフェルト侵攻では、エーベルヴァイン家の領地すら掌握できなかった。

 入念な準備を整えたとしても、川という輸送の障害がある以上、占領地域を維持するのは困難だ。


「だが、ユーレフェルト国内で内乱が起これば、我が国としては守りを固めねばならぬ……という理由の下に侵攻の準備が整えられられるし、あちらの国力は低下する」

「ユーレフェルトの王子二人には、思い切り踊ってもらいましょう」

「いいや、王子だけでは足りぬ。ユーレフェルト東側の貴族どもも踊らせねばならぬ」

「住民の離反を促すのですね」

「そうだ、ユーレフェルトであるよりも、フルメリンタの一部となった方が良いと思わせよ」


 ユーレフェルトの王位争いを裏から煽り、内乱を勃発させて国力を削り、民心を離反させ、侵攻の口実を作り、一気に領土を切り取る。

 レンテリオが、ユーレフェルト侵攻を企てるのには理由がある。


「今回の戦で中洲の領土は手に入れたが、王位継承争いが決着すれば、取り戻そうとユーレフェルトが画策するのは目に見えている。それはユーレフェルトがフルメリンタと互角の国力を持つからだ」

「コルド川まで切り取れば、ユーレフェルトの領土は三分の二に減り、逆に領土の増えたフルメリンタの半分ほどの国になる……という訳ですね」

「そうだ、国力が倍になれば、ユーレフェルトの連中も自分たちから攻め入ろうなどとは考えなくなるだろう」

「そのためには、次のユーレフェルト王は無能な方が有難いですね」

「決断力の乏しい善人と無能な愚者、どちらだろうと構わぬ」


 アルベリクとベルトルトのどちらが次代のユーレフェルト国王に指名されようと、レンテリオは構わないと思っている。

 どちらが指名されるかではなく、王位に就くまでにどれほどユーレフェルト国内が荒れるかが問題なのだ。


「いっそ古狸には消えてもらいますか?」

「いいや、それをやると第一王子派に天秤が傾きすぎる。日和見には日和見の役割があるから生かしておけ」


 次期国王の座を巡る争いばかりが注目され、派閥といえば第一王子派か第二王子派だと思われているが、ユーレフェルトには現国王とその実家であるジロンティーニ公爵家を中心とした、いわゆる中立派と呼ばれる派閥も存在している。

 全体から見れば数は少ないが、国王を暗殺した結果、どちらかの派閥に合流する事態となれば、勢力図に大きな影響を及ぼすことになる。


「では、古狸には生きたまま自分の国が切り取られる様を見せてあげましょう」

「ユド、急くなよ。此度はユーレフェルトを切り崩す良い機会ではあるが、無理をして大きな傷を負っては意味がない。準備はするが、利が無いと思えば引くことを躊躇うな」

「御意……」


 フルメリンタによるユーレフェルト侵略の計画は、今のところ国王レンテリオと宰相ユドの二人しか把握していない。

 そして、この計画にユートが何をもたらすのかは、本人すらも分かっていないだろう。

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