第80話 残った者
※ 今回は、海野和美目線の話です。
霧風君がフルメリンタに向かってから、既に一ヶ月以上が経過している。
その間、私達が何をしていたのかと言えば、それまでと同じように治癒魔法を使ったエステの施術を続けている。
ワイバーンという天災級の魔物討伐の立役者である霧風君が、紛争解決のための人質のようにフルメリンタに奪われたというのに、城の中は何一つ変わっていない気がする。
まるで、霧風優斗なんて人間は、元々存在していなかったかのようだ。
自分達だって、それまでと同じ生活を続けているのだから、不平を口にするなんて間違っているのかもしれないが、それでも苛立ちを感じてしまう。
それでも霧風君がフルメリンタに出発した後で、変わったことも無い訳ではない。
その一つとして、私達のエステサロンを統括する女性が加わった。
女性の名前は、リュディエーヌ・ファリアス。
以前は、霧風君が『蒼闇の呪い』と呼ばれている痣を除去する施術のバックアップを務めていたそうだ。
リュディエーヌ自身が治癒魔法の使い手で、第一王子派の貴族の夫人でもある。
「お疲れ様、カズミ。今日の予約は終わりよ、お茶にしましょう」
「ありがとうございます」
リュディエーヌがサロンの統括をするようになってから、一日に施術する人数が減らされて、私達の負担が軽くなった。
第二王子派で施術を行っていた頃は、僅かな休憩時間があるだけで、朝から夕方まで立ち通しだった。
霧風君がワイバーンを討伐したことで、第一王子派に保護される形になったのだが、その後も施術を断る訳にはいかないと、ペースは以前のままだったのだ。
それがリュディエーヌが加わった途端、休息時間はゆったりとれるようになった。
施術する人間が良い状態でなければ、良い施術など行えない……というのがリュディエーヌの主張だ。
まったくもって正しいのだが、召喚されて、逆らうことも許されずに働いているうちに、当り前のことすら考えられなくなっていたようだ。
私達では貴族からの要望を断るのは難しいが、貴族であるリュディエーヌであれば説明し、納得させることができる。
おかげで労働条件が大幅に改善されて、三人とも喜んでいる。
「無茶な要求はされなかった?」
「はい、特には……」
誰から……という指定はされなかったが、相手は今さっき施術を終えた第一王妃クラリッサ様だ。
第一王子派に身柄を移され、新たにサロンを開設した後からは、第一王子派、第二王子派双方からの客を受け入れるようになった。
第二王子派にいた頃には、第二王子派の貴族の婦人にしか施術を行わなかった。
これは、若返りの秘術ともいえる私達のエステを受ける権利を派閥争いに活用するためだった。
逆に第一王子派に移った後に第二王子派も受け入れているのは、度量の広さを示す狙いがあると聞いた。
だからと言って、まさか第二王子の母親であるクラリッサ様が第一王子派のサロンを訪れるとは思ってもみなかったが、美肌への欲望は派閥争いを軽々と超越するらしい。
もっとも、クラリッサ様は既に四十代だそうで、普通の手入れだけでは肌の衰えを止められないのだろう。
施術の最中、クラリッサ様は所属が変わったことも、霧風君のことも、派閥に関わる話はなにもしてこなかった。
もちろん、私の方からあれこれ聞き出すなど無理なので、当たり障りのない会話に終始していた。
ただ、本人は依然と同じように振舞っているつもりのようだが、付き合いの短い私の目にすら意気消沈している様子が窺えた。
だが、リュディエーヌには伝えない方が良い気がする。
「カズミ、何か困ったことがあれば、遠慮せずに相談しなさい」
「ありがとうございます、リュディエーヌ様。ですが、あちら様は私などに関わっている暇は無いのでは……」
「そうした見方が普通でしょうが、追い詰められた人間は突飛な行動に出るから警戒は必要よ」
「そうですね。気を付けておきます」
今、第二王子派は存亡の危機に瀕していると言われている。
フルメリンタとの戦争において、第二王子派は数々の失策を冒している。
最も大きなものは、国王陛下の許可も得ずに勝手に戦争を仕掛け、惨敗を喫したことだ。
なんとか講和に漕ぎつけたものの、長年両国で争ってきた土地の所有をフルメリンタに対して認める羽目になった。
この大きな失態の中心人物が第二王子派貴族の筆頭でもある、アンドレアス・エーベルヴァイン公爵で、戦争の最中にワイバーンに襲われて命を落とした。
ユーレフェルト王国には、三大公爵家と呼ばれている有力貴族が存在している。
財務を司るラコルデール公爵、法務を司るジロンティーニ公爵、そして軍務を司るエーベルヴァイン公爵。
つまり、これまで軍部の多くを第二王子派が掌握し、後ろ盾としていた状況が崩れてしまったのだ。
アンドレアス・エーベルヴァイン公爵には、世継ぎとなる息子がいて、家督相続の請願が出されているそうだが、戦争の責任を問われ、国から認められない状況が続いているらしい。
更には、エーベルヴァイン領に隣接する、同じく第二王子派のザレッティーノ伯爵が講和の条件に違反する行為を行ったらしい。
具体的に、どのような行為を行ったのか分からないが、伯爵から子爵に降格された上に、領地替えを命じられたらしい。
こうした、何処かの家の没落に関する噂は、貴族の女性達の大好物でもあるので、サロンでも度々耳にしている。
その中には、ザレッティーノ家の魔法使い達が放った集団魔法をワイバーン殺しの英雄が切り払ったというものもある。
集団魔法とは、攻城戦などで用いられる攻撃魔法で、代表的なものは巨大な火の玉らしい。
普通は何人もの魔法使いが一斉に風をぶつけて逸らしたり、水の魔法をぶつけて威力を落とすのが精一杯らしいのだが、今回は一瞬で消え去ってしまったらしい。
霧風君ならやりかねないと思ったが、それが本当だとしたら霧風君が攻撃されたことになる。
講和の条件として求められた人物を殺そうとするなんて、私からすれば正気の沙汰ではない。
しかも、攻撃した理由は霧風君に対する私怨だというのだから呆れかえる。
騒ぎを起こしたザレッティーノ伯爵は、北の山岳部の領地へと転封となったらしい。
古い鉱山しか無い辺鄙な領地で、これまでのように大きな街道に面した穀倉地帯と比べると天と地ほどの差がある場所だそうだ。
ザレッティーノ伯爵領は、第一王子派の貴族が代わって治めることになるらしい。
リュディエーヌの話によれば、今回の戦争の一番の戦犯であるエーベルヴァイン公爵の領地は没収し、その多くを霧風君に与える計画もあったらしい。
それが実現していれば、今頃私はキリカゼ侯爵の第二夫人に収まっていたかもしれなのだ。
霧風君にエーベルヴァイン公爵領を与える計画は、第二王子派に嗅ぎつけられ、それを阻止するためにフルメリンタへの引き渡しが計画されたという噂もある。
「カズミ……疲れているの?」
「い、いえ、ちょっと考えごとをしていただけです」
「ユートのことが心配?」
「はい……」
「今はまだ難しいけれど、あなたがフルメリンタに行きたいと思うなら、できる限りの協力をするわ」
「リュディエーヌ様……よろしいのですか?」
これは、予想していなかった申し出だ。
私はてっきり、このまま第一王子派に囲われて、政治の道具として使われるものだと思っていた。
「よろしいも、よろしくないも、本来あなた達を縛る権利は私たちには無いわ。状況が状況だけに利用する形になってしまっているのも申し訳ないと思っているわよ」
「本当に、フルメリンタに行けるのですか?」
「それには、解決すべき課題が多く残されているけれど、恋する乙女の邪魔をするのは無粋というものでしょ」
リュディエーヌは、分かっているわよと言わんばかりの笑みを浮かべてみせた。
だけど私は、乙女と呼ばれるほど純粋ではない。
私のお腹には、命が宿っているはずだ。
こっちの世界には検査薬なんてものは存在していないはずだから、ハッキリとは断言できないけれど妊娠しているはずだ。
勿論、霧風君としか経験していないのだから、彼が父親で間違いないのだが……知らせるべきか、知らせる術があるのかも分からない。
霧風君に関しての情報は、フルメリンタに入ってから途絶えてしまっている。
引き渡された状況が状況だけに、霧風君から手紙を出すのは難しいのだろう。
元気にしているのだろうか、酷い待遇を受けていないか心配だ。
霧風君の待遇が気になるのは、ある噂を耳にしたからだ。
それは、クラスメイト達がフルメリンタで戦争奴隷として扱われているというものだ。
講和が成立して街道の往来が再開され、フルメリンタを通り抜けてきた商人たちによってもたらされた噂で、その中には黒髪の少女がいたらしい。
こちらの世界にも黒髪の人はいるが、戦争に参加している兵士の中には少女はいないそうだ。
噂が本当であれば、必然的にクラスメイトの女子たちということになる。
そして戦争奴隷の少女が、どんな扱いをされるのか聞いた時には、ショックの余りその場に座り込んでしまったほどだ。
本当にクラスメイト達なのか、本当に戦争奴隷にされたのか、本当に噂のような酷い扱いをされているのか、
確かめる術は無いが、可能性は高い気がする。
もっと独自の魔法を作り出せるように協力していれば……なんて思ってしまったが、全てが後の祭りだ。
クラスメイト達に対して罪悪感を覚えると同時に、自分の境遇に不安を感じる。
あの霧風君ですら、フルメリンタへ送られてしまったのだ。
私たちが利用されない保証は無いのだ。
だからこそ、早く迎えに来てほしい。
それが無理なら、せめて近況を教えてほしい。
まさか、手紙を出すのを忘れているなんてことは無いと思いたい……というか、もし忘れていたらタダじゃおかないんだからね。
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