第77話 第一歩

 宿舎で昼食を済ませた後、アラセリとファルジーニの街へ出た。

 今日は、案内人のハイファは連れずに二人だけで歩く。


 色々と説明してもらえるのは有難いが、その場で納得してしまうよりも、とにかく目についた物や気になった物を記憶したいと考えたからだ。

 何か欲しい物があれば、街の人に店の場所を聞いて訪ねてみるつもりだ。


「やっぱり王都だけあって人が多いね」

「はい、ユーレフェルトの王都よりも賑わっているように感じます」


 アラセリやタリクと遊びにいったユーレフェルトの街も十分に賑わっていたが、ファルジーニは更に上をいっている。

 人の流れだけでなく、多くの荷車や馬車も荷物を満載して動き回っていた。


「すみません、この辺りに紙やペンを扱っている店はありませんか?」

「あぁ、それならば……この先の二つ目の十字路を右に曲がって、少し行った左手にあるよ」

「ありがとうございます」


 鞄屋の店主らしき男性は、愛想よく店を教えてくれた。


「ユート、紙やペンならばフルメリンタで用意してくれるのでは?」

「うん、そうだと思うけど、一般の人達がどんな物を使っているのか見てみたいんだ」

「なるほど、それが最初の目的なのですね」


 街の文房具屋……みたいな感じの店を想像していたのだが、鞄屋の男性が教えてくれた場所には立派な外観の店しか無かった。


「ここ……なのか?」

「そのようですね」


 羽ペンを描いた看板が掲げられているから、目的の店に間違いはないらしい。

 重厚な扉を開けて店に入ると、紙とインクの匂いがした。


 店はこじんまりとした作りで、扉を入った左右に四人掛けのテーブルがあり、正面奥にカウンターが設えてある。

 文房具屋というよりも、カフェみたいな雰囲気だ。


 カウンターの中には、ビシっと服装を整えた四十代ぐらいの細身の男性がいて、その奥の壁一面が引き出しになっている。


「いらっしゃいませ、本日はどのような品をお探しですか?」

「ファルジーニで一般的に使われている紙やペンを見てみたいのですが……」

「かしこまりました」


 店員の男性は、紙を三種類、羽ペンと金属製のペンを三種類ずつ、それに四種類のインクをカウンターに並べた。

 紙は産地や漉き方が違うらしく、厚さや手触りも異なっていた。


 日本にいた頃に良く使っていた普通紙とは違い、肌理が荒く、半紙とか和紙に近い感じがする。

 羽ペンは素材となる鳥の種類が違うそうで、軸のしなりや硬さが違うらしい。


 金属製のペンは、硬さや太さが違うそうだ。

 インクは、滲み度合い、色合い、日焼けの耐性などに違いがあるらしい。


「万年筆やガラスペンは無いか……」

「それは、どのような品物でございますか?」

「万年筆は、ペンの軸にインクを入れておく筒が取り付けられていて、ペン先に染み出すように作られた物です。インクを付ける必要がなく、筒の中のインクが切れるまで書き続けられます」

「そ、そのような品物があるのですか?」

「私の故郷の話なので、まだフルメリンタでは作られていないのでしょう」

「マンネンヒツですか……初めて聞きました。あの、ガラスペンというのは?」

「ペン先がガラスで作られたものです。細い溝が幾つも刻まれていて、普通のペン先よりも長く書き続けられます」

「なるほど、ガラスのペンですか……」

「ガラスペンのもう一つの特徴は、ペン先が透明なので、色インクを使うととても綺麗です」

「おぉ、それは貴族のご婦人に喜ばれそうですね。失礼ですが、どのような形なのか教えていただけませんか?」

「構いませんよ」


 万年筆やガラスペンについて話す中で、俺達の素性を明かして、フルメリンタの筆記用具について話を聞かせてもらった。


「それでは、紙やペン、インクなどは贅沢品というほど高価ではないものの、識字率が高くないので、貴族や金持ち向けの付加価値の高い品物を扱っている……という訳ですね?」

「おっしゃる通りです」

「一般的な庶民の識字率は、どの程度なんですか?」

「正確には分かりませんが、読み書きができる者が半分程度、その半分は、自分の名前と簡単な言葉を読める程度かと……」

「筆記具はペンだけですか? 筆とか鉛筆とかは?」

「筆は色を塗ったり、絵を描いたりするもので、文字を書くとしても看板ぐらいでしょう。エンピツというものは聞いたことがございません」


 鉛筆について説明をしたのだが、どうやらこちらの世界には存在していないらしい。

 結局、何も買わずに話だけ聞いて、更にはお茶までご馳走になってしまったが、万年筆やガラスペンのアイデアを貰えたと感謝されてしまった。


「ユート、何か思いつきましたか?」

「うん、ちょっとね。あとでハイファさんにフルメリンタの教育制度について聞いてから提案しようと思ってる。そういえば、ユーレフェルトの教育ってどうなってるの?」

「読み書きは計算は親が教え、専門的な知識などは家庭教師が教えるのが一般的です」

「子供を集めて教育するような場所は無いんだ?」

「国の役人などになるための試験に受かるための私塾はありますが、月謝がそれなりに高価なので通えるのは裕福な家庭の子供に限られます」


 フルメリンタの教育事情も同じならば、教育格差が経済格差になっていそうだ。

 それが、社会的な問題として表面化していないのは、世の中全体が発展途上で、貧しい者達もそれなりに暮らしが良くなっているからだろう。


「どいた、どいた、荷車が通るぜ! ぶつからないように避けてくれよ!」


 アラセリと肩を並べて歩いていると、後から威勢の良い声が聞こえてきた。

 ふり返ると、麻袋を山のように積んだ荷車を屈強な男性が引いて近づいてきていた。


「ありがとよ、お二人さん!」


 壁際に寄って道を開けると、男はにこやかに礼を言って通り過ぎていった。


「街中では、馬車よりも荷車の方が使いやすいのかな?」

「そうですね、十分に躾られた馬を使うとはいっても、人間のように完全な意思疎通はできませんから、人が多い場所では荷車の方が安全です」

「なるほどねぇ……」


 道端でアラセリと話している間にも、荷物を満載した荷車が車輪を軋ませながら通り過ぎていった。

 季節は秋に入ったとはいえ、まだ日差しは強く、荷車を引く男性は汗を滴らせている。


「軽トラとかあったら楽なんだろうけど……」

「ケイトラ? それは何ですか?」

「揮発性の高い燃料を燃やして動力を得る機械があって、それを使って荷物を運ぶ道具だよ。馬の代わりに、その機械が車を動かすんだ」

「ユート、その機械ならば恩赦を得られるのでは?」

「あー……実現できればね。構造が複雑だし、細かい仕組みまでは分からないんだ」

「でも、基本的な考えを伝えれば、専門家が作ってくれるのでは?」

「んー……どうだろう、簡単じゃないと思うよ」


 エンジンを一から作れと言われても、ただの高校生だった俺には知識がない。

 インターネットでも使えるならば、理論や構造を調べられるが、現状では燃料を混ぜた気体を圧縮して着火すると大きなエネルギーを得られる……ぐらいしか分からない。


 蒸気機関とかでも、大きな力は得られそうだが、こちらも詳しい構造が分からない。

 にわか知識で手を出せば、ボイラーが爆発するとかヤバいトラブルになりそうだ。


 何かもっと簡単で、それでいて大きな利益を生みそうな物が無いか考えながら歩いていると、前方から悲鳴と怒号が聞こえてきた。


「きゃぁぁぁぁ……」

「車軸が折れた、逃げろ! 倒れるぞ!」


 何事かと目を向けると、道の真ん中で幌馬車が横倒しになるのが見えた。


「下敷きになったぞ! 手を貸せ、早く馬車を起こせ!」

「先に荷を下ろさないと無理だ!」

「誰でもいい、早く荷を下ろせ!」


 どうやら横倒しになった馬車の下敷きになった人がいるらしく、周りにいた人々が砂糖にたかる蟻のように集まって荷物を下ろし始めた。

 俺も手伝おうと思ったのだが、野次馬の人垣に阻まれて近付けない。


 ニ十分ほどして馬車が引き起こされたが、下敷きになった人は助からなかったようだ。

 駆け付けて来た兵士が、野次馬達に解散を命じ、壊れた馬車の調べを始めた。


 目撃していた者の話によれば、最初に左の前輪が壊れて馬車が傾き、直後に左の後輪も壊れたらしい。

 左側の支えを失った馬車は横倒しになり、逃げ遅れた年配の女性が下敷きになったようだ。


「どうせ車軸に油を差していなかったんだろう」

「いいや、車軸の根元が腐ってたみたいだぞ」

「そもそも、荷を積みすぎなんだよ」


 野次馬の話に耳を傾けていると、トラックの横転事故についてのネットのコメントを読んでいるような気分になった。

 事故の現場を通り過ぎながら目を向けると、確かに前輪は車軸の根元が折れているようだ。


 後輪は、車輪自体がバラバラになっている。

 どうやら、前輪が壊れたことで、荷重が後輪に集中して、車輪が耐えられなくなったようだ。


「あっ、そうか……車軸か」

「どうかしましたか?」

「うん、また思いついたかもしれない」

「さすが、ユートですね」

「いや、まだ思いついただけで、国王陛下のお気に召すかは分からないよ」


 少し歩いてみただけで、日本とは大きな違いを感じる。

 日本社会が全て優れているとまでは言わないが、発展途上のフルメリンタが手本とすべき所は沢山ありそうだ。

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