第72話 両国の格差
撤退するフルメリンタの軍勢は中洲などで夜を明かすらしく、ビンタラールの街中には兵士の姿は見あたらなかった。
戦場の殆どがユーレフェルト国内だつたせいか、戦争当事国という空気は全く感じられない。
目に付く建物の殆どが焼かれていたエーベルヴァイン領の街並みとは、天と地ほどの差を感じる。
これが戦勝国と敗戦国の違いというものなのだろう。
この日の宿は、ビンタラールを治めているナジーム・ルシャンマンの屋敷だった。
ビンタラールはフルメリンタの西の玄関口だから、領主の屋敷は砦のような作りかと思いきや、生垣に囲まれた普通の館だった。
門も敷地の境界を知らせる程度の簡素なもので、成人男性の胸ぐらいの高さしかない。
敵の軍勢に囲まれたら、ひとたまりも無いだろう。
門を抜け、綺麗に手入れされた庭園を抜け、玄関に辿り着いた時には、十人ほどの男女が馬車を出迎えた。
見た感じ、領主一家と使用人のようだ。
中年の男女と、二十代ぐらいの女性、十歳前後の男の子が二人と女の子が一人、他は執事やメイドという感じだ。
俺とアラセリが馬車を降りると、中年の男性が両腕を広げて話し掛けてきた。
「ようこそ、ユート・キリカゼ卿。私はビンタラールを治めております、ナジーム・ルシャンマンと申します」
他はナジームの妻、息子の嫁と孫たちだそうだ。
家督を継ぐ息子は、ユーレフェルトとの戦の後始末で現場に出ているらしい。
「ユート・キリカゼと申します。こちらは妻のアラセリです。今宵は御厄介になります」
「いやいや、ワイバーン殺しの英雄を我が家に迎えられるのは光栄の至りです。ささ、立ち話もなんですから、どうぞ中へ……」
「はい、お邪魔いたします」
国境に来るまでに通った、第二王子派の貴族たちとはえらい違いだ。
屋敷の主のナジームだけでなく、三人の孫たちまでもがキラキラとした瞳で俺を見詰めてくる。
逆にここまで歓迎されると少々気恥ずかしい。
案内された応接間は、華美ではないが随所に高級感が漂っていた。
テーブルは巨木の一枚板を使ったもので、木目を生かしつつ鏡のごとく磨き上げられている。
茶器は花びらを模した繊細な造形で、輝くような白磁で作られていた。
席に着くと、待ちきれないといった様子で、年少の男の子がワイバーン討伐の様子を聞きたいとせがんできた。
「駄目よ、ダドエ。お客様に失礼よ」
母親に窘められて、ダドエ少年が肩を落とした。
「いいえ、大丈夫ですよ。ナジームさんがよろしければ、ワイバーン討伐についてお話しましょう」
俺が歓迎されているのはワイバーン殺しの英雄だからで、ルシャンマン一家の期待を裏切らないように、それでいて自慢話にならないように気を配りつつ討伐の顛末を語った。
まるで落語家か講談師にでもなった気分だが、ナジームの孫たちの反応が良いので、こちらもつい話に熱が入ってしまった。
「剣聖マウローニの名はフルメリンタにも広く知られております。亡くなられたとは……残念ですな」
「はい、自分がこうして生き残れたのも、マウローニ様の御指導があってこそです」
「しかし、ワイバーンを切り裂いたのが転移魔法だったとは思いませんでした」
「本来、転移魔法とは任意の場所に人や物を移動させる魔法だと聞いていますが、自分の魔法はほんの僅かな距離しか移動させられない反面、物体を切断するような強い力を持ったようです」
俺がユーレフェルトの第一王女によって異世界から召喚されたと知ると、夕食やリビングに場所を移した後も、ナジームは様々な質問を投げかけてきた。
魔法が存在せず、高度な科学技術が発展した世界に興味を持ったようだ。
飛行機や新幹線、自動車、動力船……荷物や人の運搬は馬や帆船に頼っている世界の者からすれば、お伽噺のような世界だろう。
ただ、月にまで人が辿り着いたことがあると話すと、ナジームは苦笑いを浮かべてみせた。
「いやいや、キリカゼ卿。月まで出掛けるとは、さすがに冗談がすぎますぞ」
「そのように思われるかもしれませんし、実際に月にまで辿り着けたのは、ほんの数えるほどの人数ですが、私の暮らしていた世界では実在していました」
「ふぅむ……それほどまでに高度な文明とは、恐ろしいほどですな」
「はい、文明が発展するのは良いことばかりではありません」
「例えば、どのような弊害があるのですかな?」
「そうですね……川が汚れ、海が汚れ、空気が汚れ……たった一度の攻撃で、十万人以上が死亡する兵器も作られました」
「じゅ、十万人ですと! それは本当ですか?」
「はい、その兵器は、過去に二度だけ実際に使用されました」
「いったい、どれほどの者が殺されたのですか?」
「兵器の威力が強力すぎたのと、その悪影響は長きに渡って残されたので、正確な数字は分かっておりません」
夜も更けて三人の孫たちが休んだ後だったので、原爆について知る限りの話をすると、ナジームは息を飲み冷や汗を浮かべていた。
「そのような兵器が使われる世の中とは……確かに発展するばかりが良いことではないのですな」
「勿論、悪いことばかりではありませんが、どこの国でも軍事については多くの資金を投じますす、軍事に転用が可能な品物はその資金によって研究開発が加速されます。そして、兵器とした発展したものが、兵器以外の用途で民衆の生活を潤していたりもします」
俺が一番恩恵を受けたと感じていたものは、やはりGPSだろう。
両親の若い頃にはGPSは存在せず、車で遠くに出掛ける時にも地図を頼りに移動していたそうだ。
俺が物心ついた頃には、我が家の車にはカーナビが付いていたし、自分のスマホを手にしてからは、地図には自分の位置が示されるのが当たり前だった。
この世界でも、船乗りや猟師は星を見て方角や自分のいる場所を特定するそうだが、スマホ頼みの生活を続けていた俺には、そちらの方が信じられない技術だ。
ナジームが俺を解放してくれたのは日付が替わるぐらいの時間だったが、客間のベッドが一つだけとあっては、アラセリを求めずにはいられなかった。
そうでなくとも、ここ数日は天幕暮らしで我慢を強いられてきたのだ。
アラセリの肢体を目にして、これ以上の我慢などできるはずがなかった。
激しく求め合い、貯め込んでいた欲望を解き放った。
こんな風に言うと、俺がケダモノのように思われるかもしれないが、アラセリだって結構……う、うん、何でもない。
俺が解き放つというか、絞り取られ……いや、何でもない。
心地よい疲労感が深い眠りをもたらしてくれたようで、翌朝はスッキリとした気分で目覚められた。
できれば朝から……と思っていたのだが、今日もフルメリンタの王都を目指す道中は続くので、大人しく起きて朝食の席へ向かった。
朝食の最中も、ナジームは色々と質問をぶつけてきた。
王家の意向だから、もう一日滞在して……という訳にはいかないようで、時間の許す限り俺から異世界である地球の話を聞き出そうと思っているようだ。
「いやぁ……残念です。本当に残念です。時間が許すならば、もう一日などと言わず何日でも滞在していただきたいのですが……」
出立の準備が整い、玄関まで見送りに来た時もナジームは残念だと繰り返していた。
「王都での暮らしが落ち着いて、王家の許可が下りたら寄らせていただきますよ。その時には、気が済むまで話にお付き合いいたしますよ」
「ありがとうございます。私も家督は息子に継がせておりますから、こちらの状況が落ち着いたら王都へ伺わせていただきます」
「そうですか、楽しみにしております」
ここまでの道中、ユーレフェルトの貴族に対しては、気に入らなければ敵対する意思も隠さずに来たが、フルメリンタの貴族に同じ対応はできない。
この先の生活を考えれば、下らない対立や恨みを買うような行動は慎むべきだ。
勿論、ナージムには本音で歓迎されていたので、対立する気は更々無いが、それでも簡単に遊びには来られないだろう。
訪問の約束など社交辞令にすぎないが、友好的な関係をわざわざ乱す必要もないだろう。
ビンタラールの街を通り抜け、王都へと向かう東門を出ると、フルメリンタの軍勢と多くの馬車が停まっていた。
フルメリンタの軍勢は、天幕を畳む様子もなく、撤収する気配が感じられない。
「ハイファさん、フルメリンタの軍勢は撤収しないのですか?」
「ここにいる軍勢は、ユーレフェルトとの講和が成立し、往来の安全が確保されるまでは駐留を続ける予定です」
「あちらの馬車は、軍のものではないように見えますが……」
道の右側にはフルメリンタの軍勢、左側に停められている多くの馬車は民間のように見える。
「あちらは、戦が起こったことで地元に戻れなくなったユーレフェルトやその西側の国の行商人たちです」
「それじゃあ、ずっと足止めされてるんですか?」
「おっしゃる通りですが、日持ちのしない積み荷はフルメリンタで買い取り、滞在中の食糧や水も融通しております」
ここには、炊事場や水浴び場、洗濯場やトイレなども設えられていて、馬に食わせる飼い葉なども配っているそうだ。
「随分と手厚く保護しているんですね」
「行商人は、他の国々から珍しい品物をもたらしてくれるだけでなく、噂話として多くの情報を伝えてくれます。行商人の保護は、国王陛下直々のご命令だそうです」
ユーレフェルト国内の状況を思い返してみたが、俺が見落としているだけかもしれないが、ここまで手厚い援助は行われていなかったような気がする。
自分達が戦を起こして迷惑を掛けているのに援助しなければ、多くの行商人を敵に回してしまうのではなかろうか。
逆に、手厚い援助をしてもらった者達は、ユーレフェルトの民であってもフルメリンタに味方するようになるのではなかろうか。
まだ、フルメリンタに入国してから丸一日も経っていないのに、ユーレフェルトとの差は広がるばかりだ。
ユーレフェルトを侵略し乗っ取るのは現実的ではないとハイファは言っていたが、その日は案外遠くないように感じる。
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