第70話 咄嗟の一撃

 フルメリンタの軍勢が撤退を始めてから二日後の夕方、いよいよ国境の川が見えてきた。

 たった二日で撤収が終わってしまうような地域をユーレフェルトが奪還できずにいたのか、たった二日でフルメリンタが撤退を終えてしまったのか。


 どちらの評価が正しいというよりも、両方の要因が組み合わさった結果が現状なのだろう。

 フルメリンタの軍勢の動きは、本当に統率が取れている。


 たとえば、隊列が出立するまでには、前発、本発という二回の刻限が設けられているそうだ。

 いわゆる、集合時間と出発時間みたいな感じらしい。


 その集合の様子を眺めていても、前発の刻限には全員の集合が終わっていて、本発間際に遅れて来るような者は見当たらない。

 さぞや厳しい規律で縛られているのかといえば、そうでもないようだ。


 前発の刻限に集まってきた者達は、リラックスした表情で言葉を交わしていて、ピリピリした感じはしなかった。

 それが、本発の刻限になると、ピシっと引き締まった表情に変わるのだ。


 部隊の殿を務めるのだから精鋭揃いなのだろうが、プロフェッショナルだと思わされる。

 隊列の進行も見事としか言いようがない。


 国境に架かる橋は、馬車四台が並んで通れるほどの広さがあるそうだが、それでも扇状に展開していた軍勢が撤退すれば渋滞しそうだが、休憩以外では隊列は止まらなかった。

 よほど有能な人物が撤退の指揮を執っているのだろうが、ユーレフェルト側はそれに気付いているのだろうか。


 俺達が乗っているのは、屋根が無いオープンキャビンの馬車なので、後を振り返ればユーレフェルトの軍勢が見える。

 先頭を務めているのは王国騎士なのか、それともザレッティーノ伯爵家の騎士なのか分からないが、笑顔で私語を交わして緊張感が感じられない。


 ユーレフェルト側からすれば、撤退して行くフルメリンタの軍勢を見守るだけなので、身構える必要は全く無いのは分かるが、それにしても空気が緩い。

 戦闘が再開されたら困るので、この緩さは歓迎すべきものなのだろうが、統率が取れていなければ暴発が起こる可能性もある。


 ヤーセルと心中するのは御免なので、とにかくフルメリンタ領内に入るまでは何事もなく終わってほしい。

 橋が近付いてきて、次第に向こう岸の様子が見えてきた。


 川のこちら側には塀のようなものは見当たらないが、向こう岸には高い城壁が築かれていて、多くの兵士が橋を見下ろし警戒を続けている。


「凄い城壁ですね」

「あの城壁、これまでは橋から上流にしか作られていませんでしたが、今回の戦を機に下流域にも作られました」


 戦争が起こる以前は、橋から上流はフルメリンタ、橋から下流がユーレフェルト側の領土だった。

 今回の講和によって、中州全体がフルメリンタの領土となったので、防衛の観点から城壁が設置されたのだろう。


 それにしても、戦争をしながら城壁の建設も進めるなんて、最初から落としどころを中州全体の領有権と見定めていたとしか思えない。

 中洲の領地がユーレフェルトに侵略された……ワイバーンが飛来して盛り返すチャンスが来た……領地を取り返すだけでなく中州全体を支配下に置いた……。


 その後、一旦ユーレフェルト側まで侵攻し、その領土を返す条件として中州の領有権を認めさせる……という青写真を描いた人間がいるのではなかろうか。

 だとしたら、その人物は講和が成立した後に、どう動こうとしているのだろう。


 これまで、フルメリンタとの国境を守っていたエーベルヴァイン公爵家は、第二王子派の筆頭ともいえる存在で、ガチガチの強硬派だったと聞いている。

 だが今回、ワイバーンの渡りという不測の事態があったとは言え、国王の承認を得ていない勝手な侵略行為によって中州の領有権を失った。


 下手をすれば取り潰し、そこまでいかなくとも領地の削減や転封は免れないと言われている。

 第一王子派は、エーベルヴァイン公爵家を没落させて第二王子派の勢力を削ごうとするだろう。


 ユーレフェルトの王位継承争いは、フルメリンタにも伝わっているとヤ―セルが言っていたから、当然利用しようと考えるだろう。

 アルベリクが次の国王としての手腕を発揮できなければ、フルメリンタは本格的な侵攻を計画するのではなかろうか。


 もし、ユーレフェルトとの戦争に参加しろと命じられたら、俺はどうすれば良いのだろう。

 戦うといっても、俺には距離に制限のある切断の転移魔法以外に術がない。


 遠くから矢を射掛けられたり、離れた場所から魔法で攻撃されたら簡単に死ぬ自信がある。

 ワイバーン殺しの英雄なんて勝手なイメージが独り歩きして、それならばと戦場に送られたりするのではなかろうか。


 いや、寝返りを警戒されて、前線には行かせてもらえないか。

 それでも行けと言われたら、俺様必殺の土下座を披露して許してもらおう。


 今後のフルメリンタとユーレフェルトの状況について妄想を広げている間に、撤退する軍勢は粛々と進み、最後の列が橋へ入った。


「キリカゼ卿、いよいよ我々だけです」

「無事に撤収完了ですね」

「はい、足止め役をやらずに済みそうです」


 橋の向こうには、下から上へと引き上げる形の大きな門が見えている。

 ここでもしユーレフェルトの軍勢が襲い掛かってきても、橋の向こうまで駆け込んで、門を落としてしまえば追って来られないだろう。


 というか、街道の通行ができなくなっている商人たちの不満を和らげるのも、今回の講和の目的の一つだ。

 再び戦闘が始まってしまえば、街道の往来は出来なくなり、講和の目的の一つが失われることになる。


 俺達の乗った馬車が橋に向かう間、ユーレフェルトの軍勢は橋の袂を中心にして、グルリと取り囲むように展開した。

 この状態で一斉攻撃を受ければハチの巣間違い無しだが、軍勢の中には、こちらに向けて敬礼している者も多く見られた。


 共にワイバーンに挑んだ王国騎士か、それとも第一王子派に鞍替えしたカーベルン伯爵などの家の騎士なのだろうか。

 都合よく講和のための貢ぎ物として引き渡されるのかと思っていたので、この見送りには少しジーンときた。


 たらればになるが、もしマウローニが命を落としていなかったら、俺は今ここにいただろうか、ユーレフェルトに残っていたのではなかろうか。

 考えたところで答えは出ないし、もうフルメリンタに行くと決めたのだから、未練がましい考えは捨てよう。


 首を軽く振ってから視線を前方に戻そうとした時、視界の端が急に明るくなった。

 雲の隙間から夕日が差し込んだのかと思ったのだが、向かい側の座席に座っているヤーセルが目を見開いて腰を浮かせていた。


 慌てて後ろを振り返ると、直径五メートルはありそうな巨大な火の玉が目の前まで迫っていた。


「転移!」


 咄嗟に切断の転移魔法を発動できたのは、直前にマウローニを思い出していたからかもしれない。

 切断の転移魔法で斬り付けると、巨大な火の玉は髪の毛が焦げるかと思うほどの熱気を残して霧散した。


「切れた!」

「まさか、キリカゼ卿が魔法を撃ち消したのですか?」

「良く分からないけど、切断の転移魔法を使ったら消えました」


 とりあえず、目の前に迫っていた危機は去ったようだが、再びフルメリンタの軍勢の後方で巨大な火の玉が作り出され、周囲は騒然となっていた。

 再び、こちらに向けて撃ち出されるかと思った瞬間、巨大な火球は大きく歪んで弾け飛んだ。


 巨大な火の玉があった辺りで絶叫が響き渡り、ユーレフェルトの兵士同士が小競り合いを始めた。


「馬車の速度を上げろ、今のうちに橋の向こうへ走り込むんだ!」


 ヤ―セルの指示を受けて、俺たちを乗せた馬車はグンっと速度を上げた。

 追撃を警戒して馬車の後方を監視していたが、こちらに向けては矢も魔法も飛んでこない。


 むしろユーレフェルト勢同士の小競り合いが、本格的な戦闘に移行しつつあるようだ。


「何が、どうなってるんだ。さっきの火球は何なんだよ」

「火球は集団魔法によるもので、放ったのはザレッティーノ伯爵家の者かと……」


 アラセリによれば、火球の現れた辺りはザレッティーノ伯爵家の旗が掲げられていたらしい。

 集団魔法とは、同じ属性の魔術師が集まって、合同で発動させる威力の大きな魔法だそうだ。


 追撃を受けないまま馬車は橋を渡り切り、城壁内部に入った途端、地響きを立てて門が下ろされた。

 視界が遮られたので対岸の状況は見えないが、金属がぶつかり合う音や怒号が聞こえてくる。


 ヤーセルが門の見張り台にいる兵士に大声で問いかけた。


「どうなってる!」

「ユーレフェルトの奴らが内輪揉めを始めて、本格的にやり合ってる。何なんだ、あれは!」


 フルメリンタの将校らしき男が、大声で指示を出した。


「客人の馬車を前に進めろ。部隊は反転して待機、ユーレフェルトの奴らが攻めかかってくるなら打って出るぞ!」

「おぉぉぉ!」


 俺達の乗った馬車は前へ前へと進められ、これまでこちらに背中を向けていた殿の部隊が向きを変えて門の手前へと戻ってくる。

 どの兵士も士気が高く、獲物を狙う獰猛な獣みたいな目をしている。


「まったく、何を考えてるんだ」

「おそらく、ユートへの私怨を晴らそうとしたのではありませんか?」

「ザレッティーノ伯爵なのか、オウレス・エーベルヴァインなのか分からないけど、これで講和が流れたらどうするつもりなんだ」

「国の行く末など、奴らの頭には無いのでしょう」


 既に門や城壁に遮られて姿を見ることはできないが、アラセリは後ろを振り返って眉を顰めた。


「ありがとうございました、キリカゼ卿。命拾いしました」

「とんでもない、今話していた通り、さっきの火球は俺を狙ったものだと思います。ヤーセルさんを巻き込んでしまって申し訳ないです」

「いやいや、命を救われたのは事実ですよ。それにしても魔法を切断するとは……」

「俺も無我夢中でしたから、なんで火球が消えたんだか……」

「おそらく、ユートの魔法が火球の術式を切断したのだと思います」


 魔法で作られた火球や水球などは、術式によって維持されているらしい。

 剣や盾など物理的な衝撃を加えても、術式は壊れにくいそうだが、俺の転移魔法が強制的に術式を切断することで火球が維持できなくなったようだ。


 魔法を切る魔法……咄嗟ではあったが、これは身を守る有用な手段となりそうだ。

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