第68話 ヤーセル
フルメリンタへ向かう道中、馬車から見える光景は少々異様だった。
旗を掲げて列を成し、粛々と撤退していくフルメリンタの軍勢を二百メートルほど先に見ながら進む我々の馬車の更に二百メートルほど後方には、ユーレフェルトの軍勢が続く。
両軍の干渉地帯がそのまま移動している感じで、さながら俺達は国連の停戦監視団みたいな立場にみえる。
「さすがワイバーン殺しの英雄ですね。キリカゼ卿も、奥方も、落ち着いていらっしゃる」
「英雄と言われても、全然実感は無いですけどね」
「いやいや、両軍に挟まれたこの場所で、それだけ落ち着いていらっしゃるのは大したものですよ。それとも、気付いていらっしゃらないのですか?」
「えっ、何かあるんですか?」
「この状況で、両軍が再び戦闘を始めたら……とは、お考えになりませんか?」
「あぁ、そういう事ですか」
もし、戦闘が再開されれば、一番最初に犠牲になるのは俺達という訳だ。
普通に考えれば、折角成立した講和をぶち壊すような事はしないと思うが、ザレッティーノ伯爵とかオウレス・エーベルヴァインなどは、何をやらかすか分かったものじゃない。
だからと言って、大軍相手に戦える訳でもないので、ジタバタするだけ無駄だ。
「今更、騒いだところで何もできませんからね。そう言う、ヤーセルさんも落ち着いるじゃないですか」
「まぁ、私は万が一の時の足止め役ですから、とっくに覚悟はできていますよ」
「足止め役……ですか?」
「はい、足止め役です」
ヤーセルは笑みを浮かべながら、その意味を話し始めた。
「私は、少々変わった体質をしていまして、一般的な人よりも遥かに高い魔力を持っています」
「なるほど、その魔力で強力な魔法を使って足止めをするんですね」
「いいえ、私は大きな魔力を持っていますが、魔法が上手く使えないのですよ」
「魔力を持っているのに魔法が使えないんですか?」
「はい、火球とか水刃とか放出系の魔法も、筋力を高めたり体を硬化させるような循環系の魔法も使えません」
「えっ、それでは、どうやって足止めをするんです?」
「私が死ぬと、体内の魔力が一気に放出され、純粋な魔力による嵐が起こります」
ヤーセルの話によれば、魔力の嵐というのは衝撃波のようなものらしい。
あまりにも濃密な魔力を叩き付けられることで、魔力を流す器官がズタズタにされてしまうらしい。
「それは、どの程度の範囲に被害をもたらすのですか?」
「そうですね、この瞬間に私が死んだら、フルメリンタ軍の一部も巻き込んでしまいますが、ユーレフェルトの軍勢が仕掛けて来たら私は留まり、先行する軍勢は全力で逃げるように指示してあります。今の両軍の間ぐらい離れれば、まぁ何とか大丈夫でしょう」
「でも、ヤーセルさんを無視してフルメリンタの軍勢を追いかけたら、足止めできないのではありませんか?」
「その時は、自害させていただきます。なので、ユーレフェルトの軍勢が戦を再開した場合には、申し訳ございませんがキリカゼ卿と奥方も道連れにさせていただきます」
少し表情を引き締めただけで、自害すると事も無げに言い切ったヤーセルからは、確かに覚悟が感じられた。
「仕方ありませんね。その時には、俺が先に足止めしますよ」
「えっ、キリカゼ卿がユーレフェルトの軍勢と戦うのですか?」
「はい、戦いますよ。じゃないと、アラセリを守れませんからね」
微笑みかけると、アラセリは俺の肩に頭を預けてきた。
「ははっ、これはこれは、お見それいたしました。やはりワイバーンに立ち向かった方は違いますね」
「正直、ワイバーンとは二度と戦いたくないですよ。体の大きさも、力の強さも、人間とは比べものになりません。精鋭の力を結集して、考え得る策を全て講じて、ようやく勝負に持ち込めるレベルです」
「そうですか……実は、私にもワイバーン討伐の命令が来たのですが、実際に戦う前にユーレフェルト側へと飛び去ったので、こうしてキリカゼ卿とお会いすることができました」
「それは、ワイバーンと刺し違えろという命令だったのですか?」
「まぁ、そうなりますね。普通の騎士では、全く相手にならなかったそうです」
「それにしたって、刺し違えろなんて酷くないですか?」
「まぁ、そこは仕方ありませんよ。私なんて、そういった使い道しかありませんからね」
ヤーセルは、自虐的な笑みを浮かべて自分の半生を語り始めた。
巨大な魔力の持ち主だと分かった時には、ヤーセルは周囲から大いに期待されたそうだ。
だが、魔法が上手く使えない、不慮の事故で死んだら周囲に甚大な被害を及ぼすと分かると、手の平を返したように厄介者扱いを受けるようになったそうだ。
「私がキリカゼ卿をご案内するのは、フルメリンタの領土に入るまでです。そこから先は、別の案内人が付きますので安心して下さい」
「ヤーセルさんは、その後はどうされるのです?」
「王都から少し外れた所に家を与えられていまして、そこで古い資料の見直す仕事をしています。周囲には民家も無く、万が一の時にも被害は出ないようになっていますから大丈夫ですよ」
大丈夫と言いつつも、ヤーセルの浮かべた笑みは寂しそうに見えた。
実際に見た訳ではないが、何も無い場所にポツンと建っている家が頭に浮かぶ。
「では、フルメリンタでの生活が落ち着いたら、遊びに行かせてもらいますね」
「えっ? 何をおっしゃってるんですか、私の近くにいると危ないんですよ」
「でも、こうして同じ馬車に乗ってますし、川を越えるのは明日ですよね?」
「そうですけど、それはこういう状況だからご一緒しているだけで、フルメリンタに行ったら私と一緒にいる必要なんて無いんですよ」
ヤーセルは、遊びに行くなんて言い出した俺の意図を測りかねているようだ。
「俺が遊びに行くのは迷惑ですか?」
「いえいえ、迷惑じゃありませんが……なんで私なんかの家に遊びに来る必要があるんですか?」
「ヤーセルさんは、俺がどんな人間だと聞いてますか?」
「それは、ワイバーンを討伐したユーレフェルトの英雄だと……」
「結果的にそうなりましたけど、俺は役立たずの臆病者って言われてたんです」
「はぁ? ワイバーン殺しの英雄が役立たずって……」
今の俺しか知らない人ならば不思議に思うのだろうが、召喚されてから十日ほど経った頃の俺を見たら納得するだろう。
必勝の魔法とも呼ばれている転移魔法を手に入れて、有頂天になっていられたのも数日だけ、一ミリしか移動させられないと分かった頃の俺は本当に役立たずだった。
「ヤーセルさんは、俺がどんな魔法を使っているかご存じですか?」
「物を切断する魔法ですよね」
「あれ、実は転移魔法なんです」
「えぇぇ! 冗談ですよね?」
「冗談ではありませんよ。正真正銘転移魔法ですけど、これぐらいしか移動させられないんです」
右手の親指と人差し指で一ミリほどの隙間を作ってみせても、まだヤーセルは理解できていないようなので、ユーレフェルトに召喚されたところから順を追って話していった。
異世界から召喚され、掛けられた期待を裏切り、仲間からは追放され、どん底まで落ちてからワイバーンを討伐するまでには何度も暗殺されかけた。
第一王子派と第二王子派の確執や現状も、俺の知る限りを包み隠さず話し終えると、ヤーセルは天を仰いで暫く言葉を失っていた。
「何と言って良いものやら、凄まじい体験ですね」
「無我夢中で突っ走ってきただけで、もう一回やれと言われたら断固拒否しますけどね」
「それにしても、そこまで国に貢献したキリカゼ卿を引き渡してしまうとは……ユーレフェルの王族は何を考えているんでしょう」
「さぁ? アルベリク殿下の痣も消し終えたし、ワイバーンも討伐できたから、講和の取引材料として使えるなら使ってしまえ……みたいな感じなんですかね」
ヤ―セルは、信じられないとばかりに首を振ってみせた。
「いやぁ……正直に言うと、ワイバーンと刺し違えろと言われた時には、うちの国は酷いものだと思いましたが、ユーレフェルも大概ですね。まぁ、そのおかげで我が国はキリカゼ卿という人物を得ることができたのですから、その点では感謝すべきなのかもしれませんね」
「ヤーセルさん……」
「はい、何でしょう?」
「魔力を放出する方法って、考え得る限りの事を試してみたんですよね?」
「そうですね、放出系、循環系、適性のある無しに関わらず、全ての魔法を試してみました」
「それ以外は、どうですか?」
「はっ? それ以外とおっしゃいますと……?」
「例えば、そうですねぇ……口づけして相手に魔力を譲渡するとか」
「えっ? そんな事ができるんですか?」
「いいえ、知らないですけど……魔力を放出するのって、魔法以外に方法は無いんですか?」
「魔法以外で魔力を放出する? いや、考えたことも無かったです」
「でも、ヤーセルさんは、魔法を使えなくても魔力を吸収して溜めておけるんですよね? だったら、魔法以外の方法でも魔力を放出できるんじゃないんですか?」
ヤーセルは、ポカーンと口を開いたままフリーズした。
「俺は、こちらの世界に来るまで魔法が使えませんでした。なので、こちらの世界の魔法に関する常識をよく知りません。でも、言い方は悪いですけど、ヤーセルさんの常識外れの体質は、常識に囚われていたら解決しないような気がします」
「はい……はい、はい! そんな気がします、いや、その通りだと思います」
「俺の転移魔法は、一般的な転移魔法とは懸け離れています。だから、一般的な使い方では役に立ちませんでした。でも、使い方を工夫することで、俺の未来は大きく開かれました。確証は無いですけど、常識はずれな魔力を溜め込めるヤーセルさんは、常識はずれな方法を思いつけば英雄になれるんじゃないですか」
ヤーセルは、ブルっと体を震わせた後で、深々と頭を下げてみせました。
「ありがとうございます、キリカゼ卿。これまで私は、自分の体質を諦めていました。でも、今日から生まれ変わります。 これまでに試していない方法にチャレンジして、この魔力を溜め込む体質を克服してみせますよ」
「それは楽しみですね」
「キリカゼ卿、私がこの体質を克服できたら、お食事に招待させていただきます。招待を受けていただけますか?」
「勿論です、何を置いても伺いますよ」
まだフルメリンタには着かないが、早くも良き友人に巡り合えたようだ。
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