第67話 最前線

 戦の最前線では、幅五百メートルほどの緩衝地帯を挟んで、ユーレフェルトとフルメリンタの軍勢が睨み合っていた。

 双方が国の旗を何本も掲げて列を作り、ここが国境線であると誇示している。


 その緩衝地帯のど真ん中に、街道を挟む形で二張りの天幕が設置されていて、双方の国旗が掲げられている。

 どうやら、そこが交渉場所のようだ。


 最前線に到着したのは夕闇が迫る頃で、その晩はフルメリンタに俺の到着を知らせ、本格的な引き渡し作業は翌日から行われることとなった。


「今夜は、こちらでお休み下さい」

「分かった、ありがとう」


 俺とアラセリが案内されたのは、三畳ほどの広さの天幕だった。

 中には折り畳み式の寝台が二つある他は、ランプが吊るされているだけだ。


 まぁ、これまでの待遇が贅沢すぎたのであって、戦場の最前線ではこれでも上等な寝床なのだろう。

 寝台に腰を下ろしてアラセリと向かい合う。


「いよいよ来た……って感じだな」

「はい、ですか思っていたほどに荒んだ感じはしませんね」


 戦場だから、兵士たちの汗や埃、それに軍馬の臭いがしているが、停戦してから日にちが経っているからか血の臭いがしない。

 ワイバーンと戦っていた頃は、戦いの場に臨めば血生臭さがまとわりついてきていた。


 それは、まるで命を落とした者達の怨念のように思えて、ワイバーンの討伐が終わった後も夢の中で臭いを思い出すことが何度もあった。

 だが、ここではむしろ篝火の薪が焦げる匂いや、草や土の匂いの方が強く感じる。


 それを伝えると、アラセリも頷いてみせた。


「もう戦も終わりなのですね」

「兵士も殺気立った感じじゃなかったな」


 ワイバーンの討伐に参加したからと言って、一端の戦士面をするつもりは無いが、戦場は自分が生き残るため相手を殺す場であり、平静でいられる場所ではない。

 今は亡きマウローニやサイードも、戦いに挑む寸前までは平静だったが、ワイバーンに挑んでいる時には鬼気迫る形相をしていた。


 王城地下の避難施設にも張り詰めた空気が漂っていたが、ここにはそこまでの緊張感は感じられなかった。


「ユートの犠牲のおかげで手に入れた平穏なのに……納得がいきません」

「別に俺は殺される訳じゃないし、平和になるんだから気が緩むのも当然じゃないの?」

「そうですが……」

「明日は、いよいよフルメリンタの人と会うんだし、今夜はやる事も無いから寝てしまおう」

「はい」

「それとも……する?」

「もう、ユートの馬鹿……」


 周囲に見張りの兵士がいる状況で、布一枚の天幕を隔てた中でする訳にもいかず、大人しく眠りについた。

 秋の深まりを感じさせるように天幕の外からは虫の音が聞こえ、気温は肌寒さを感じるほどだった。

 

 一夜が明けて、フルメリンタへと向かう支度を調えていると、道中の世話役を務めてくれたオテロが挨拶に来た。


「キリカゼ卿、奥様、ここでお別れとなります。色々とありがとうございました」

「礼を言うのはこちらの方です。おかげで快適な旅を楽しめました」

「もったいないお言葉、どうぞ、この先も良い旅が続きますようにお祈りしております」

「ありがとう、気を付けて帰って下さい」


 オテロや御者、道中の護衛を務めてくれた騎士達と別れの挨拶を交わしたら、いよいよフルメリンタの担当者との面談だ。

 ここから先は、屋根の無い小型の馬車に乗り換えて進む。


 どちらの陣営からも、俺の姿が見えるようにするためらしい。

 馬車の横には、堂々とした体格の騎士が控えていた。


「本日のご案内を務めます、ザレッティーノ騎士団団長オグレウド・ハヌマンです」

「ユート・キリカゼです、よろしく頼みます」


 ザレッティーノ家の騎士と聞いていたので、さぞや嫌味な人物かと思いきや、敬礼をする姿勢や俺を見る目には侮りの色は見えない。

 馬車に乗り込む前には、カーベルン伯爵、ベルシェルテ子爵、コッドーリ男爵の三人は見送りに来たが、ザレッティーノ伯爵、オウレス・エーベルヴァインは姿を見せなかった。


 ユーレフェルト王国側の陣地を出て、緩衝地帯の中間にある天幕まで向かう途中で、オグレウドが頭を下げてきた。


「我が主が失礼をいたしました」

「気にしていませんよ。大人げないのは俺も同じですし」

「いや、本当に申し訳ないし、お恥ずかしい限りです」


 オグレウドはザレッティーノ伯爵と同年代に見えるから、長くザレッティーノ家に仕えているのだろう。

 もしかすると、先代はもっとまともで、馬鹿息子が後を継いだ……みたいな感じなのかもしれない。


 緩衝地帯の天幕の前には、既にフルメリンタ側の人間が待っていた。

 護衛のための騎士が二人と、もう一人は三十代ぐらいで樽のように太った男性で、福々しい顔に満面の笑みを浮かべて我々を出迎えた。


「お待たせいたしました、ヤーセル殿。こちらがワイバーン殺しの英雄ユート・キリカゼ侯爵と奥方様です」

「お初にお目にかかります、フルメリンタ外務官吏、ヤーセル・バットゥータと申します。道中のご案内役を務めさせていただきます」


 ヤーセルは膝を折って、恭しく頭を下げてみせた。

 外務官吏というのが、どの程度の役職なのか分からないが、歓迎はされているように感じる。


「ユート・キリカゼと申します。こちらは、妻のアラセリです。共々よろしくお願いします」


 アラセリと共に会釈をすると、ヤーセルは小さく頷いてみせた。

 その一方で、護衛の騎士の一人は不満そうな表情を隠そうともしていない。


「ヤーセル殿、やはり騙されているのではありませんか?」

「それは、どういう意味ですかな?」

「控えなさい、ジェブド」


 フルメリンタの騎士の言葉をオグレウドが威圧感の籠った声で問い質し、ヤーセルが慌てて咎めた。


「ですが、ヤーセル殿、とてもワイバーンを殺せるようには見えませんぞ」

「貴様、我々を愚弄するつもりか!」

「お待ちください。重ね重ねの非礼、お詫び申し上げます。ジェブド、あなたは我々が交渉を積み重ねて辿り着いた講和をぶち壊すつもりですか?」

「ですが……」


 ヤーセルに詰め寄られてジェブドという騎士は言葉を飲み込んだが、不満そうな表情で俺を睨んでいる。

 講和の最終段階だというのに、友好ムードどころかピリピリした空気が漂ってしまっている。


「ヤーセルさん、少し教えていただきたいのですが」

「何でございましょう、キリカゼ卿」

「フルメリンタには、一人でワイバーンを倒せる騎士は何人おられますか?」

「単独でワイバーンを討ち取れるような者は、私の知る限りではおりません」

「それは俺も同じです。あんな化け物は一人でなんか倒せませんよ」

「そうですね……失礼いたしました」

「俺は、例えるならば良く切れる剣です。その刃がワイバーンに届くように、多くの人が協力してくれたから倒せたのです」

「なるほど……」

「でも、そちらの方は俺の実力を疑っているようですから、ちょっと試してみましょうか?」

「いえ、それにはおよびません」


 ヤーセルは慌てて否定してみせたが、俺がニヤリと笑いながら視線を向けるとジェブドは簡単に乗って来た。


「面白い……どう試せば良いのかな?」

「控えなさい、ジェブド!」

「いや、大丈夫ですよ、ヤーセルさん。ちょっとした座興です」


 突然起こった揉め事に、ヤーセルは額に汗を浮かべて困惑しているが、アラセリも、オグレウドも、もう一人のフルメリンタの騎士も乗り気だ。


「それで、どうすれば良いのだ?」

「ちょっと、剣を抜いて構えてもらえますか?」

「ほう、こうか?」

「転移……」


 ジェブドが構えた所で、剣を刃に沿って二つにスライスしてやった。

 厚みが半分になった剣の片側が、重みで落下して地面に突き刺さると、ジェブドは驚愕の表情を浮かべて目を見開いた。


「なん……だと……」

「これでも御不満ならば、ワイバーンの末路を体験させてあげても良いですけど……」

「いえいえ、もう結構でございます、キリカゼ卿。ジェブド、お詫びしないさい」

「はっ、御見それいたしました」


 ジェブドは跪いて頭を下げると、地面に刺さった剣の片割れを抜き取り、拭いを掛けてから元の形に合わせて鞘に納めた。

 さらに腰から鞘ごと外して掲げながら言い放った。


「この剣は、我が家の家宝とさせていただきます」


 どうやら、このジェブドという人物は、嫌味なオッサンではなく単純な脳筋野郎のようだ。


「では、行きましょうか? 街道を通れるようにしないと、商人が難儀しているようですからね」


 俺達が話をしている間にも、フルメリンタ側の天幕は折り畳まれて馬車に積み込まれていった。

 ここから、俺とアラセリが乗った馬車は両陣営の護衛の下で、撤収するフルメリンタ勢の殿を務めることになる。


 最終的には、今後の国境となる川の手前で馬車ごと引き渡され、俺達が橋を渡ってフルメリンタに入ってから十日後に街道の往来を再開するらしい。

 それならば、さっさとフルメリンタへ向かおう。


 侵略し、侵略し返し……ユーレフェルト、フルメリンタの関係が簡単に元に戻るなんて思っていない。

 俺はどちらの国にとっても余所者だから当事者意識も薄い。


 それでも俺は、これからフルメリンタで生きていかなければならないのだから、国の安定に寄与できるのであれば力を貸すべきだ。

 馬車にはヤーセルも同乗して、道中フルメリンタについて色々と説明してくれるそうだ。


「それにしても、先程のお手並みには驚かされました。剣をあのように裂いてみせる威力ならば、ワイバーンの鱗を切り裂くのも納得です」

「ですが、どこまでも届く訳ではありません。あれだけの切れ味を維持できる距離は限られているので、そこまで近付けるように多くの人々が協力してくれました。このアラセリも共に戦場に立ち、俺の命を救ってくれた一人です」

「おぉぉ、そうでございましたか、それはそれは……共に命を預けた戦友でもあるのですね」


 アラセリも共に戦場に立ったと告げると、ヤーセルは大袈裟に驚いてみせた。

 話半分ぐらいにしか思っていないのだろう。


「それで……俺はフルメリンタで何をすれば良いのでしょう?」

「その件につきましても、道中ご説明させていただきますが、基本的に何かを強制する事はございません。こちらの要望のうちで、キリカゼ卿が手を貸しても構わないと思う事だけやっていただければ結構です」

「そうなのですか?」

「はい、ただ一つだけ……申し訳ございませんが、ユーレフェルト王国に向かう事だけは、当分の間制限させていただきます」

「まぁ、それは当然でしょうし、それについては文句を言うつもりはありません」


 フルメリンタでどんな扱いを受けるのか心配していたのだが、ここまでの話では酷い待遇ではないようだ。

 俺とアラセリは一度王都まで行かなければならないらしいので、道中ゆっくりと説明してもらうとしよう。

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