第65話 第二王子派
「ようこそいらっしゃいました、キリカゼ卿。ザレッティーノ伯爵閣下がお待ちです」
その日の宿に着くと、ザレッティーノ伯爵家の騎士に出迎えられた。
伯爵の屋敷に泊まった時と同じような扱いに、思わずため息をついてしまった。
この場でやり込めてやろうかと思ったが、伯爵本人がいるなら直接会った方が早いだろう。
「案内を頼みます」
「はっ,かしこまりました! どうぞ、こちらです。あぁ、奥様はこちらの者がお部屋へとご案内いたします」
騎士の隣に控えていた宿の女中さんが、アラセリに睨み付けられて顔を強張らせた。
「いいよ、アラセリ。一人で行ってくる」
「ユート……」
「まさか、ここまで来て手を出してこないだろう」
「はぁ……分かりました」
「丁重にもてなしてくれ」
「心得ております」
ハキハキと答える騎士に悪びれた様子は見えず、どうやら言われた事だけを忠実にこなすタイプのようだ。
俺が視線を向けると、女中は更に顔を強張らせて頭を下げ、なんだか自分まで権力を笠に着た嫌味な貴族になった気分だ。
案内の騎士に連れていかれたのは、食堂か会議室に使われているらしい無駄に奥行きがある細長い部屋だった。
ドアを入ると手前から奥に向かって片側に二十人ぐらい座れる細長いテーブルが置かれていて、その一番奥に五人の男性が腰を下ろしていた。
「よくぞ参られた、キリカゼ卿。そちらに掛けると良い」
部屋に入ってすぐのお誕生日席に紙の束が置かれていて、そこに座れという意味なのだろう。
長いテーブルの対面のお誕生日席、距離にすれば十メートル以上先に座っているのがザレッティーノ伯爵のようだ。
気を利かせたつもりなのだろうか、ここまで案内してきた騎士が椅子を引いていた。
腰を下ろしながら紙束の文面に目を走らせると、どうやら引き渡しの手順が書かれているらしい。
「キリカゼ卿には、そこに書いた手順に従ってフルメリンタへと向かってもらう」
俺が席に着いたところで、正面の男がテーブルを指差しながら言い放ったが、距離も遠いし滑舌も良くないので聞き取りづらい。
俺はチラリと紙束に視線を落とした後で、ここまで案内してきた騎士に声を掛けた。
「すまない、俺は侯爵に任じられてから日が浅く、貴族の皆様の顔を知らない。あちらに座っている方々は、どこの家の方か教えてくれるか?」
「はっ、正面にお掛けになっていらっしゃるのがビョルン・ザレッティーノ伯爵閣下、右手奥がエーベルヴァイン侯爵家の御長男オウレス様、左手奥がエグモント・カーベルン伯爵閣下、右手前がユルゲン・ベルシェルテ子爵閣下、左手前がフロイツ・コッドーリ男爵閣下であります」
「そうか……ありがとう」
やはり、正面の席で見下すような笑みを浮かべている頭の薄いオッサンが、最初に俺を暗殺するように命じたザレッティーノ伯爵だった。
他の貴族達もザレッティーノ伯爵と同じような笑みを浮かべているが、貴族の位として俺より上にいるのはエーベルヴァイン公爵家だけだ。
ただし、オウレス・エーベルヴァインは、まだ正式に国王から家督相続を認められていない。
事前にアラセリに確認しておいたのだが、こうした場合には名ばかりの侯爵であっても当主である俺の方が身分は上になるそうだ。
こんな馬鹿長いテーブルの端と端に座らせたのは、俺を貴族と認めない、自分達の方が上だという意思表示と、切断の転移魔法の届かない位置にいたいからだろう。
普段、自分達は身分制度の上に胡坐をかいておきながら、それが覆された途端に反発するなんて、駄々を捏ねる子供のように幼稚で心底ウンザリする。
紙束を手にして席を立ちながらドアへ視線を向けると、案内してきた騎士は退室すると思ってドアへと歩み寄ったが、騎士が背中を向けている間に部屋の奥へと歩を進める。
それを見たザレッティーノ伯爵達は、見下すような笑みから一転して顔を恐怖に引き攣らせてた。
「な、なにをしてる! そいつを止めろ!」
ザレッティーノ伯爵が騎士に向かって叫んだ時には、俺は部屋の中央まで歩を進めていた。
伯爵の声に驚いて振り向いた騎士を左手を挙げて制し、テーブル中央の椅子を引出して腰を下ろした。
「こんなに離れていては話が聞きづらい。さぁ、こちらへ参られよ。それとも、私が恐ろしいのですかな?」
「貴様……」
「この無礼者! 我を誰だと思っている!」
ザレッティーノ伯爵が真っ赤に血が上った顔を歪ませる横で、オウレス・エーベルヴァインが椅子を蹴立てて立ち上がった。
俺と同じぐらいの年齢に見えるオウレスは、いかにも甘やかされて育ったボンボンという感じだ。
もう少し痩せていればイケメンなのだろうが、顔だちも体付きも緩い。
「あなたが誰かって? オウレス・エーベルヴァインだろう。さっきそこの騎士に確認したのを聞いていなかったのか? それとも、その耳は飾りなのか?」
「このぉ……貴様のような平民上りが、そんな口を利いて只で済むと思ってるのか!」
「只で済まないなら、どうするつもりだ。自分の置かれている状況を理解できてるのか? ここからだったら、あんたら五人の首を跳ね飛ばすなんて造作もないんだぞ」
馬鹿長いテーブルの端と端では切断の転移魔法は届かないが、この位置だったら十分に届くと教えてやると、五人ともギョっとして動きを止めた。
おそらく有効距離の情報を仕入れたから、こんな部屋を選んだのだろうが、距離さえ離れていれば大丈夫なんて考えが浅いにも程がある。
おまけに、部屋の奥に暖炉があるだけで脱出経路すら無いとは呆れかえるばかりだ。
「さっさとしようぜ。お互いに不愉快な面なんて、何時までも眺めていたくないだろう?」
目線を合わせて顎で移動するように指示すると、一番下っ端のフロイツ・コッドーリ男爵は他の四人の顔色を伺いながら席を立ち、俺の正面から二つ左の椅子に腰を下ろした。
それを見届けた後、オウレスが苛立たし気な足取りで歩み寄ってきてコッドーリ男爵の隣に座り、残りの三人も後に続いた。
「あんたら、馬鹿だろう」
「貴様、口を慎め! 平民上り風情が……」
座ったばかりの椅子からオウレスが立ち上がったところで、ザレッティーノ伯爵がテーブルに右手の拳を叩き付けた。
ドンっという大きな音に驚いてオウレスが言葉を途切れさせ、ザレッティーノ伯爵の顔色を窺う。
「あまり調子に乗るなよ、小僧……」
「やっぱり馬鹿なんだな。俺みたいな小僧は、調子に乗らせたままさっさとフルメリンタに引き渡してしまえばいいんだよ。それを、こんな下らない嫌がらせをして、俺がへそを曲げてフルメリンタに行かない……なんて言い出したら、どうするよ?」
「そんな事が許されると思ってるのか!」
「許す許されないの問題じゃねぇ、ワイバーン殺しの俺が死ぬ気で抵抗したら、どうやって取り押さえるつもりなんだ? 俺を殺しちまったら、この講和は成立しなくなるんじゃねぇの?」
「貴様……」
ザレッティーノ伯爵は、テーブルに拳を叩き付けた姿勢のままワナワナと震えている。
切断の転移魔法でスパっとこめかみを切ってやったら、景気よく血飛沫が飛びそうだ。
「俺がここにいるって事は、フルメリンタに行く覚悟を決めているって事だ。その覚悟を揺らがせるような事をして、ユーレフェルト王国の利益になるのか? 俺が行かないって駄々を捏ね始めたら、いつまで経ってもエーベルヴァイン領は解放されないんじゃねぇの? それは、ベルノルト殿下の利益になるの? あんた達の利益になるのかよ」
俺がフルメリンタ行きを断ったら何が起こるのか、改めて突き付けてやると五人の表情に変化が生じた。
ザレッティーノ伯爵とオウレスは俺を睨み付け続けているが、他の三人は敵意を緩めて自分以外の四人の顔色を窺い始めた。
「もう知ってるとは思うけど、アルベリク殿下の顔の痣は消し終えた。俺がフルメリンタ行きを渋れば渋るほど、次の王位はアルベリク殿下へと傾いていくけど、それでもいいの?」
「貴様……やはりあの時に消しておけば……」
「聞かれてもいないのに自分から言うかね……謝罪も無しに打ち明けて、何か利益になるの? あんたらも自分の家を守る貴族ならば、少しは考えて行動しなよ」
ザレッティーノ伯爵は拳を握ったまま、オウレスは立ち上がったまま無言で俺を睨み付けている。
その横から突然口を開いたのはカーベルン伯爵だった。
「いや……まったくもってキリカゼ侯爵のおっしゃる通りですな。これまでの数々の非礼をお詫びいたします」
「貴様……裏切るつもりか、エグモント!」
「裏切る? なんの話ですかな、ザレッティーノ卿」
エグモント・カーベルン伯爵は三十代前半ぐらいの面長な男性で、ザレッティーノ伯爵よりは十歳ぐらい若く見える。
太ってはいないが、別段鍛えている様子も見えない。
「この無礼な小僧に媚びを売り、アルベリク殿下に取り入ろうという魂胆だろう」
「何をおっしゃいますやら、キリカゼ侯爵はフルメリンタに参られるのですよ。今更印象を取り繕ったところで、アルベリク殿下へ口利きなど期待できませんよ」
「ならば、なぜ……」
「それが、我々の利益になるからです」
「ぐぅ……」
ザレッティーノ伯爵が言葉に詰まったところで、今度はベルシェルテ子爵が口を開いた。
「そうですな……キリカゼ侯爵、私からも謝罪を申し上げます」
「ユルゲン、貴様もか……」
「わ、私からも謝罪申し上げます、キリカゼ閣下」
コッドーリ男爵も俺に頭を下げたところで、ザレッティーノ伯爵は憤然と席を立った。
「ふん! 日和見の腰抜けどもめ、勝手にしろ!」
「お、覚えておけ……この平民上り!」
床を踏みつけるように歩み去るザレッティーノ伯爵に続いて、オウレスも部屋から出て行った。
二人が退室するのを見送った後で、残った三人と向かい合う。
「皆さんとは、中身のある話ができると思ってよろしいのですね?」
「はい、改めまして、エグモント・カーベルンです。よろしくお願いします」
「ユート・キリカゼです。こちらこそ、短い間ですがよろしくお願いします」
カーベルン伯爵を筆頭に、部屋に残った三人と改めて挨拶を交わした後で、フルメリンタへ行く手順を確認する。
俺が最前線まで行き、双方の交渉官と共に撤退するフルメリンタの殿に同行するらしい。
明朝この宿を出立して、夕方にはフルメリンタの交渉官と面談することになるようだ。
まったく、ほんの二、三日のことなのだから、気分良くいさせてくれよな。
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