第64話 近付く最前線
ザレッティーノ伯爵の屋敷に立ち寄るまでは戦争の空気は殆ど感じられなかったが、フルメリンタに近づくほどに周囲の様子が変わり始めた。
ユーレフェルト王国の主要な町の近くには、交易をする商隊が野営するための空き地が設けられているのだが、そこがエーベルヴァイン領からの難民キャンプになっていた。
多くの天幕が建ち並び、魂を抜かれたような表情で大勢の人が座り込んでいる。
配給の食糧を求める人が長い列を作り、馬車から眺めただけでも衛生的とは言えない環境に見えた。
「ここにいる人達は、戦争が終われば元の領地へと戻れるのかな?」
「戻れるというよりも、戻らないといけません」
「あぁ、自由に住む土地を選べないんだっけ」
「はい、それに……今回の講和が成立しても、ユーレフェルト王国は中州の土地を失います。これまで中州で暮していた人達は、行き場を失う事になります」
これまで領有権を争ってきた中洲の土地は、街道から上流側をフルメリンタが、下流側をユーレフェルトが治めてきたが、今回の講和では全てをフルメリンタが保有する。
エーベルヴァイン領の占領されている地域に比べれば、中洲の土地は大きくないそうだが、それでも正式な文章でフルメリンタの領有を認めるのは大きな出来事だ。
当然、これまで中洲の土地で暮らしてきた人達は、帰るべき土地を失う。
しかも、土地の差配の総元締めであるエーベルヴァイン公爵が戦死している。
エーベルヴァイ領の次の領主がきまらなければ、これまで中州で暮らして来た人々は路頭に迷う事になる。
ザレッティーノ伯爵の屋敷に宿泊した翌日の宿は、多くの兵士が警護にあたっていた。
馬車から降りると、鎧に身を固めた騎士が敬礼で俺を出迎えた。
「遠路はるばるお疲れさまです、キリカゼ卿」
「いいえ、皆さんに比べれば、旅を楽しんできただけですよ。それよりも、随分と物々しい警備ですが……」
「ベルノルト殿下が滞在されております」
「挨拶に伺った方が良いのかな?」
こうした貴族のしきたりには疎いので訊ねてみたのだが、騎士は表情を曇らせて言いよどんだ。
「その……魔法の使用を自制して下さるなら……」
「ん? どういう意味?」
「いえ、殿下は御面会を希望なさらないので、このまま部屋へご案内いたします」
なんだか歯切れが悪い言い方だと感じるが、顔を会わせないで済むなら、それに越したことはない。
騎士の案内で、警備が厳重な建物とは別棟へと案内された。
「申し訳ございませんが、今夜はこちらの建物の中でお過ごしいただけますか?」
「何やら事情があるみたいですが、特に出歩くつもりはありませんよ」
「ありがとうございます」
案内された離れからは、外出しなくても手入れの行き届いた中庭を愛でることができた。
部屋は、これまでに宿泊してきた過剰に豪華な部屋よりは落ちるが、それでも十分すぎるほど上質な部屋だった。
「たぶん、俺達には見せられないような醜態を晒しているんだろうな」
「おそらく、そうなのでしょう……」
耳を澄ますと遠くから、品の無い笑い声や女性の嬌声が風に乗って聞こえてきた。
国王様にエーベルヴァイン領の奪還を命じられたものの、前線では役に立たなかったか、むしろ足手まといになって、この宿に押し込められているといった所なのだろう。
ここに来る途中で、難民の姿を見る機会はいくらでもあっただろう。
あえて見なかったのか、それとも見ても何も感じなかったのかは分からないが、女を侍らせて遊び呆けている姿を見せられていたら、魔法の使用を自制することなどできなかっただろう。
「あのワイバーンとの戦いは何だったのだろう……何のためにマウローニ様やサイードが命を落とさなければならなかったんだ。あんな馬鹿野郎こそ、ワイバーンの餌にすれば良かったんだ」
「ユート……それ以上は」
「分かってる、分かっているけど、この国には海野さん達を残しているから、このままであってほしくない」
次の国王にアルベリクが指名されるのは間違いないだろうが、果たしてすんなりと即位出来るのだろうか。
即位した後、思い通りに国を運営していけるのだろうか。
「なぁ、アラセリ」
「なんでしょう」
「アルベリク殿下は暗殺されたりしないよな?」
「まさか……」
「今回のワイバーンとの戦いでマウローニ様が戦死して、その他にも多くの騎士が亡くなっている。殿下をお守りする人材はいるんだよね?」
「勿論、相応の人材が警護にあたるはずですし、国王陛下もご配慮くださるはずです」
「そっか、それなら大丈夫か」
不安は残るが、今更俺には何も出来ない。
王位継承を済ませたら、アルベリクには先手必勝で第二王子派を粛清してもらいたい。
その晩の食卓には、俺とアラセリでは到底食べきれない量の豪華な料理が並んだ。
放蕩王子のおこぼれなのか、それとも最後の晩餐のつもりなのか分からないが、全てに箸をつけることはせず、一部の皿は警備の兵士にでも回してくれと下げてもらった。
「住む家も、土地も、財産も失った人があんなにいるのに……これでは俺もベルノルトと変わらないな」
「そんなことはありません。目を背け、見ようともしない愚か者と私のユートを一緒にしないで下さい」
「ごめん……そして、ありがとう、アラセリ」
「ユート……」
別棟から流れてくる乱痴気騒ぎなど頭から追い出して、俺とアラセリは二人の世界にこもった。
ベルノルトへの憤りも、フルメリンタへ向かう不安も、二人の間には入り込む余地など無かった。
翌朝、ゆっくりと朝食を済ませてから出立の準備を整え終えても、当然ベルノルトは見送りには現れなかった。
見送りに来られても腹が立つだけだから、姿を見せない方が有難い。
宿を出る時、馬車の護衛はこれまでの四騎から倍の八騎に増やされていた。
今日は、いよいよエーベルヴァイン領へ足を踏み入れることになるそうだ。
「なんだか警備が増えたけど、危ないのかな?」
「講和の取り決めが交わされているならば、戦闘は停止しているはずですし、襲撃される恐れはないはずですが……」
「だよね」
どこからも襲撃されるような可能性は無いと思うのだが、なぜだか馬車の外からはピリピリした空気を感じる。
何か理由があるのかと馬車の外を観察していて気付いたのだが、エーベルヴァイン領が近付くほどにこちらを指差す人の数が増えていった。
それと、これまでは街道にある茶店などで、のんびりと休息していたのだが、騎士団が設営した補給のための拠点に馬車が停まった。
馬車から俺とアラセリが降りると、周囲にざわめきが広がっていく。
「ワイバーン殺しの英雄が、あまりに頼りなくて失望されているのかな?」
「ユートは頼りなくなんてないです」
「ごめん、ごめん、ちょっと言ってみただけだよ」
「ユートは国を救った英雄なんですから、胸を張って下さい」
「はいはい、分かりましたよ。奥様」
「お、奥様なんて……」
頬を赤らめてグネグネしちゃってるアラセリは、ちょっと幼く見えて可愛い。
ギュっと抱きしめて、頬にチュっとキスすると、更にグネグネになって俺の左手に腕を絡めてきた。
「はぁぁ……やってらんねぇ……」
「この戦が終わったら俺だって……」
なんて感じの声が周りから聞こえてきて、さっきまで刺さってくるようだった視線が散っていく。
なるほど、変に注目されたらバカップルを演じていれば良いのかな……などと呑気なことを考えていられたのも、この辺りまでだった。
更に先へと進むほどに、休息する拠点の周りには多くの民衆が集まるようになっていた。
俺達の馬車が近付くと、どよめきのような声が上がるようになり、拠点の門を警備する兵士達も殺気立っていた。
そして、昼食のために立ち寄った拠点を出る時に、住民が集まっている理由が分かった。
「英雄を渡すな!」
「フルメリンタなんかに屈するな!」
どこから話が流れたのか分からないが、俺がフルメリンタに引き渡されることを住民達が知ったらしい。
そして、既に停戦状態にある前線へと向けて進む豪華な馬車こそが、フルメリンタに引き渡されるワイバーン殺しの英雄だという話が広がっているようだ。
集まった民衆は、エーベルヴァイン領に入ると更に数を増した。
八騎だった護衛は、十二騎になり、二十騎になり、それでも今夜の宿舎に向けて最後の休憩拠点を出る時には、街道を塞いだ民衆を排除するのに手間取るほどだった。
途中の拠点で聞いたのだが、エーベルヴァイン領からの避難民の中には、ワイバーンによって家族や友人、知人が犠牲になった者も少なくないそうだ。
その憎いワイバーンを討伐してくれた俺が、フルメリンタとの講和のために引き渡されると聞いて、異を唱えるために集まって来ているらしい。
厳しい身分制度があるユーレフェルト王国において、このような騒ぎは異例だそうだ。
お上からの命令ならば、唯々諾々と従っていた民衆が集まって声を上げる。
どうやら、この国は変革の過渡期に差し掛かっているようだ。
王位継承争いが片付く目途が付いたかと思えば、民衆からの突き上げが起こるとは、アルベリクの前途は多難に思えるが、それもこれも王室が積み重ねてきたツケだから、自分で払ってもらうしかないのだろう。
「ユート、今夜の宿舎には第二王子派の貴族が顔を揃えているはずです」
「まぁ、仕方ないよね。それで、どうやって俺はフルメリンタに引き渡されるんだろう?」
「それは、私にも分かりません」
今回、俺がフルメリンタに引き渡されることで、占領されているエーベルヴァイン領が返却される。
どういった手順でフルメリンタの兵士が撤退を行うのか、どのタイミングで俺が引き渡されるのかは、今夜の宿舎に着かないと分からないらしい。
今夜の宿舎から最前線までが一日、そこから中州との間を隔てている川までが一日程度掛かるらしい。
第二王子派の貴族共が、どんな顔をして俺を出迎えるのか、どんな扱いを受けるのか。
これまでの俺だったら、不安に怯えてアラセリにすがっていたのだろうが、今はなんだか楽しみでもある。
そういう意味では、ザレッティーノ伯爵の屋敷での歓待は、非常に良い経験になっている。
さて、鬼が出るか蛇が出るか、グダグダ言うなら纏めてぶった斬ってやろうかね。
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