第63話 目には目を
ナルバエス子爵領の次に通り抜けることになったイヴェール男爵領でも領主の館へと招待されたのだが、予想に反して普通の……いや、むしろ同情的な歓待をされた。
「実は、当家にも蒼闇の呪いに悩んでいる者がおりまして、できればキリカゼ卿に治療をお願いしたいと思っておりました」
「そうなんですか、でしたら……」
「いえ、治療していただきたいのは山々ですが、この戦乱を一日でも早く終わらせねばなりません。ワイバーン殺しの英雄であるキリカゼ卿がフルメリンタに赴かれるのに、当家が私事で日程を遅らせる訳にはまいりません」
「そうですか……」
つまり、派閥争いが終わりを迎えれば、自分の子供の痣も消してもらえるかもしれないと思っていたのに、肝心の施術を行う人間がいなくなったという訳だ。
痣を消してもらえなくなった自分の子供の不幸と、ワイバーン退治までしたのにフルメリンタに引き渡される俺の不幸を重ねて同情しているのだ。
変に突っかかられるよりは良いのかもしれないが、周囲から可哀想な人扱いされるのは気が滅入る。
いや、そう思わせるための嫌がらせなのだろうか。
幸い、イヴェール男爵の屋敷に逗留したのは一日だけで、翌日からは物見遊山の旅へと戻れた。
景色を楽しみ、食を楽しみ、アラセリとの二人の時間を楽しむ。
しかも、費用は全て王家の負担なのだから言うこと無しだ。
いや、この程度で満足しているのだから、王家からすれば俺はチョロい男なのかもしれない。
フルメリンタへの旅も終盤に入り、その日は、いよいよザレッティーノ伯爵の屋敷へと招待された。
ザレッティーノ伯爵は最初に俺の暗殺を目論んだ黒幕で、簡単に言うなら思慮の浅い馬鹿野郎だそうだ。
「てことは、まだ暗殺に気を付けないといけないの?」
「いえ、さすがにそれは無いと思います。ユートを差し出せなくなれば、フルメリンタの譲歩も無くなり、結果として戦乱が長引くことになります。現状、ベルノルト様が次の王となる可能性は限りなく低いですが、まだ国王様から正式な宣下が行われていないのでゼロではありません」
「でも、俺を殺してしまえば、可能性はゼロになる?」
「はい、ですから大丈夫とは思いますが……」
「まぁ、気は抜かないでおこう」
ザレッティーノ伯爵の屋敷は、領内で一番大きな街の周囲に広がる牧草地の丘の上に建っていた。
白い石壁に囲まれた屋敷は、地元の人からは白鳥の館と呼ばれる美しい建物だった。
真っ白に塗られた壁、上部がアーチ状の窓、瑠璃色の屋根瓦、おとぎ話に出て来る貴族の館という感じだ。
これほど美しい館に住んでいながら、どうして心が薄汚れるのか不思議に思ってしまう。
屋敷の玄関に馬車が停まっても、出迎えの人間は一人もいなかった。
道中の世話人であるオテロがドアノッカーを鳴らすと、ようやく使用人らしき男が姿を現した。
「これはこれは、ワイバーン殺しの英雄キリカゼ様、ようこそいらっしゃいました。当家の執事を務めておりますエゴールと申します。生憎と当主は戦場に赴いておりますので、お出迎えはできかねますが、ごゆるりと滞在なさってください」
エゴールはひょろりとした細身で、年齢は四十代半ばぐらいだろうか。
身長は俺よりも十センチ以上高く、薄笑いを浮かべながら見下すような視線を向けてくる。
こちらを挑発するような出迎えだが、屋敷の門を通った際にも予兆があった。
門を警備する衛士が、敬礼もせずにニヤニヤした笑みを浮かべていたのだ。
だが、これぐらい分かりやすく挑発してくれた方が、鈍感な俺でも気付けるので助かる。
「ふむ……直接の面識は無いが、ザレッティーノ伯爵は有能な方だと聞いていたのだが……使用人の躾もできていないとは……これは認識を改めないといけないようだ」
「な、なんだと……」
「主に恥をかかせたくないなら、己の不明を恥じるのだな」
「ぐぬぅぅ……お部屋へご案内いたしますので、少々お待ち下さい」
エゴールは、歯ぎしりするほど奥歯を噛みしめながら跪いて頭を下げた。
「なるほど……ザレッティーノ家では、招待した客を玄関先で立って待たせるのか」
「し、失礼いたしました……」
立ち上がったエゴールは、荒々しく玄関のドアを開け、中にいたメイドを怒鳴りつけた。
「おい、お客様を応接間にご案内しろ。失礼の無いようにな!」
「は、はい! ど、どうぞ、こちらへ……」
メイドに俺の案内を任せて、エゴールは足早に屋敷の奥へと歩み去っていく。
おそらく、予定変更を伯爵の家族に相談するか、準備の変更を使用人に申し付けるのだろう。
「ちょっと気が晴れました。ユートが何も言わないなら、私が怒鳴りつけているところでした」
「貴族って対面を気にするものなんだろ? だったら、思い切りサービスしてもらわないとね。以前の借りを含めて……」
「そうですね」
案内してくれたメイドさんは、俺とザレッティーノ伯爵の関係など知る由も無いのだろう。
俺達を応接間に案内すると、大急ぎでお茶の支度を始めた。
彼女に恨みは無いけれど、俺の復讐のために一役買ってもらおう。
「少し訊ねたいのだが、伯爵のご家族も戦場に赴かれているのかな?」
「いえ、戦地に行かれたのは旦那様と御長男のアルバン様だけです」
「では、他の方々は病に臥せっておられるのかな?」
「いいえ、そんなことは……」
「ならば、招待した客人は使用人に出迎えさせるという習わしでもあるのかな?」
「い、いいえ……私には……」
「あぁ、結構。お会いした時に直接伺うよ」
「はい……失礼いたしました」
俺よりも少し年上に見えるメイドさんだが、これ以上やると泣き出しそうなので質問は打ち切った。
てか、すでにやり過ぎたみたいで、アラセリの視線が痛い。
「分かってる……でも、後で伯爵の家族と顔を会わせる時に必要だと思ってね」
「はぁ……彼女には災難だと思ってもらうしかありませんね」
俺は領地も無いし、フルメリンタに引き渡される名ばかり貴族だが、爵位ではザレッティーノ伯爵よりも上だ。
身分を重んじるユーレフェルト王国において、このような出迎えは無礼極まる扱いだ。
それをあえてやるならば、相応の報いを受ける覚悟があるのだろう。
まぁ、そこまで考えてはいないのだろうが……。
あまり美味しくないお茶を飲み終えた頃、ようやく伯爵の家族が姿を見せた。
「ようこそいらっしゃいました、ワイバーン殺しの英雄キリカゼ卿。ビョルン・ザレッティーノの妻シャルレと申します。こちらは次男のボドワンです」
伯爵夫人は四十代半ばぐらいで、デップリと太っている。
ブロンドの髪を玉ねぎのように結い上げているので、大きな顔が殊更に大きく見える。
ボドワンは二十歳少し手前だろうか、母親同様に太っていて、不機嫌そうに口を歪めながら俺を睨み付けて来る。
「ユート・キリカゼです。悠長なお出迎え痛み入ります」
「な、なんですって……素性も知れぬ成り上がりが!」
椅子から立ち上がりもせずに挨拶を返すと、伯爵夫人は顔を真っ赤にして金切り声を上げた。
同じく頭に血を上らせたボドワンが、こちらに掴み掛かって来ようとするのをティースプーンをかざして制する。
「転移……」
柄ではなく掬う部分の中央で断ち切られたスプーンが、チャリーンと音を立てテーブルに落ちた。
「何か御不満でも……?」
伯爵夫人もボドワンも、動きを止めて顔を蒼ざめさせている。
頭に血が上って忘れているようだから、俺が何を使ってワイバーンを討伐したのか思い出させてやった。
「どうされました? 折角の機会ですから、お茶を御一緒しましょう。あぁ、紹介がまだでしたね。こちらは妻のアラセリです。共にワイバーン討伐で死線を潜り抜けた掛け替えのない存在ですので、危害を加えられたら俺は復讐の鬼になってしまうでしょうね」
テーブルを挟んだ向かいの席に座りかけていた伯爵夫人が、ビクリとして動きを止めた。
何か企んでいるのなら、それは命懸けの行為だと教えてやろう。
メイドさんが泣きそうな顔でお茶を淹れてくれたので、俺は聞かれもしないワイバーン討伐の武勇伝を伯爵夫人とボドワンに滔々と語って聞かせた。
ワイバーンがいかに狂暴で、いかに硬く、いかに討伐しづらい存在であるのか。
どれほどの騎士や兵士が、どれほど無残に返り討ちにされたのか。
そして、俺の魔法にはそのワイバーンすら切り裂く威力がある事や、ついでに夜襲を仕掛けてきたドロテウスがどんな死に方をしたのか教えてやった。
俺が話をしている間、伯爵夫人とボドワンは頷くだけの人形のようだった。
「失礼いたします。お部屋の支度が整いましたので、ご案内いたします」
執事のエゴールが話を遮った時には、二人とも心底ほっとした表情を浮かべていた。
席を立って移動しようと思ったのだが、応接間のドアの脇に飾られた古びた鎧が目に入った。
「この鎧は装飾用に作られた品ですかな?」
「いいえ、こちらは先代の御当主様が実際に使用されていた鎧でございます」
「ほぅ……転移」
切断の転移魔法を使って、脳天から真っ二つに両断すると、ガラガラと音を立てて鎧は崩れ落ちた。
「脆すぎますね。もっと丈夫な鎧を用意した方が良いですな」
振り返ると、伯爵夫人はガタガタと震えていた。
エゴールに案内された部屋は、広さでも清潔度でも申し分の無い客間だった。
「うん、良い部屋だが……血飛沫で汚してしまうのは勿体ないな」
「えっ……な、何をおっしゃっておられるのですか?」
「得体の知れない刺客に襲われたら、対抗措置を取らないといけないので、そのような事態にならないように警備をよろしくお願いしますよ」
「か、かしこまりました」
「まぁ、人間を輪切りにする程度、俺にとっては小枝を圧し折るよりも簡単ですけどね」
「ひぃ……し、失礼いたします」
玄関先での不遜な態度はどこへやら、エゴールは顔を蒼ざめさせて足早に立ち去っていった。
「ユート、やりすぎではなくて?」
「先に仕掛けてきたのは向こうだからね。舐められても黙っているだけの平民上がりとは思われたくないからね」
「仕方のない人ですね」
呆れたように体を寄せて来たアラセリを抱きしめて、広いベッドへ倒れ込んだ。
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