第62話 旅の宿

「おぉ、これは凄い……」

「アバニコの花ですね」


 一夜目の宿に着いた後、アラセリと庭におりると薄紫の花が咲き誇っていた。

 夏の終わりから秋にかけて咲く花だそうで、日本の桔梗によく似ている。


 甘いというよりも、爽やかな香りが庭を満たしていた。

 花の香りに誘われたクマバチが、蜜を集めに花から花へと飛び回っている。


「はぁ、平和だなぁ……本当にフルメリンタと戦なんてやってるの?」

「まだ王都を出たばかりですし、この辺りには戦の影響は殆ど無いでしょう」

「エーベルヴァイン領に近付けば、様子が変わるのかな?」

「恐らく……」


 戦に巻き込まれて、逃げ遅れれば奴隷として連れていかれてしまうので、戦えない住民は命からがら隣の領地へと逃げ込むらしい。

 持ち物の少ない貧しい者達は、それこそ家財道具を担いで逃げられるが、物持ち金持ちとなると話が違ってくる。


 持ち出せる物には限度があるし、火事場泥棒ではないが戦のどさくさに紛れて盗みを働く者もいるそうだし、攻め込んできた敵勢が目ぼしいものは奪っていってしまう。

 かと言って逃げ遅れれば奴隷落ちだから、逃げ出すタイミングを計るのは難しいようだ。


 それと基本的にユーレフェルトの住民は、日本のように自由に引っ越せないそうだ。

 例えば、エーベルヴァイン領から隣のザレッティーノ領に働きに出たいと思っても、領主の許しが無ければ引っ越せないそうだ。


 戦が起こった時も、隣の領地までは逃げられるが、逃げた領地にまで敵が攻め込んで来なければ、別の領地には移動出来ないらしい。

 そして戦が終われば、元の領地へと戻らなければならないそうだ。


 住民には人頭税が課されるそうで、税金が払えなければ借金奴隷落ち。

 税金が払えていても引っ越しの自由は与えられず、領主の持ち物みたいな感じらしい。


「それじゃあ、目に見えるような戦の影響は、ザレッティーノ領に入らないと分からないってこと?」

「たぶん、そうだと思います」

「でも、他の領地から兵士は戦場に行ってるんだよね?」

「王家からの出陣要請を受けた家は兵士を送っていますが、どこの領地も収穫の時期ですから、徴兵をしてまで人数を揃えていないと思われます」


 ユーレフェルトには専門の兵士もいるが、大きな戦では住民も武器を手にして戦うそうだ。

 今回の戦では、エーベルヴァイン領と隣接する領地の十五歳以上の健康な男子は兵士として駆り出されているらしい。


 それ以外の出陣要請を受けた家は、専門の兵士だけを送っていたようだ。

 住民まで戦に駆り出してしまうと、収穫作業を行う人手が足りなくなる。


 穀物の収穫が出来なければ、税収にも響くし、なにより住民の食糧事情が悪化する。

 俺を差し出してでもフルメリンタとの講和を急いだ背景には、そうした事情も絡んでいるようだ。


「なるほどね、今のうちに講和をしてしまえば、穀物の取れ高を目減りさせずに済むって訳だ」

「せっかく育てたのに、収穫出来なければ何にもなりません。それに今年はどこの領地も豊作のようですから」

「エーベルヴァイン領の作物も取り戻せそうかな?」

「いいえ、おそらくは無理でしょう」


 今ぐらいの時期に戦が起こると、攻め込んだ軍勢が撤収する前に作物を刈り取ってしまうらしい。

 収穫時期を迎えたものは持ち去るし、それ以前のものも相手方へ経済的なダメージを与えるために刈り取ってしまうらしい。


「ひでぇ、それじゃエーベルヴァイン領から避難した人達は、一年分の収入を奪われてしまうのか」

「戦の場合には、税金は免除されるのが一般的ですし、普通の領主であれば冬を越すための食料や来年の種籾も融通してくれます」

「エーベルヴァイン領は、領主不在の状態だよね?」

「はい、王家直轄となるか、それとも新しい領主が選ばれるか、周辺の領主に切り分けられるか……ですね」

「ちゃんと住民の支援が行われればいいけど」

「そうでないと、冬には餓死者を出すことになります」


 餓死なんて今の日本では考えられないが、こちらの世界では十五年ほど前に極端な冷夏の年があり、ユーレフェルト王国だけでなく近隣諸国でも多くの餓死者が出たそうだ。

 その時にアラセリの両親も命を落とし、孤児となり、後に国の裏組織に拾われたそうだ。


「今回は、全体ではなくエーベルヴァイン領だけですから、支援さえ行われれば餓死者は出さずにすむでしょう」

「そうあってもらいたいね」


 講和が成立した後のことも気にはなるが、支援するのは俺の仕事ではない。

 ただ、餓死者が出るような状況になれば、ただでさえ険悪なフルメリンタへの感情が更に悪化するだろう。


 たぶん、俺はユーレフェルト王国に戻れなくなるだろうが、将来的に海野さん達を迎え入れるためにも、両国の関係は改善してもらいたい。

 頼りないけど、アルベリクには頑張ってもらいたい。


 夕食のテーブルには、オテロが言っていた通りに羊料理が並べられた。

 日本にいた頃は、北海道に旅行した時にジンギスカンを食べたぐらいで、少しクセのある肉という印象しか残っていない。


 宿の羊料理は香辛料を巧みに使い、嫌な臭みを取り除き、羊本来の旨味を引き出していた。

 腸詰や煮込み、骨付きのバラ肉をジックリと焼き上げたもの、どれも味付けに工夫が凝らされていた。


「全体的に甘味が強い味付けなんだな」

「砂糖などの甘味は高価なので、甘味の強い味付けは贅沢とされています」


 ユーレフェルト国内では砂糖は生産されておらず、殆どが輸入品だそうだ。

 それ以外の甘味は、ハチミツや水飴などで付けているらしい。


 その日のメインディッシュは、羊のから揚げだった。

 ご飯と一緒に食べると美味いのだが、一気に庶民の料理になった感じがする。


「これは、貴重な菜種油を使った揚げ物みたいですね」

「えっ、菜種油って貴重なの?」

「はい、近年は稲作の裏作として作られるようになりましたが、麦作とは時期が被るので収穫量は多くありませんでした」

「へぇ、そうなんだ。俺が暮らしていた日本では、菜種油は一般的に使われてたよ」


 日本でも、昔は油が貴重だったと聞いたことがあるので、こちらの世界でもこれから一般的になっていくのだろう。

 宿の部屋は、日本で言うならロイヤルスイートルームといったところだろう。


 温泉宿の大浴場並みの広い湯殿、寝室だけでも二十畳ぐらいの広さがある。

 アラセリと一緒に、ゆったりと湯につかり、サラサラと肌触りの良い褥で体を重ね合った。


 王都の城にいた頃は、体の奥底から湧き上がってくる感情や欲望に任せてアラセリを求めていたが、この夜は互いの存在を確かめ合い、慈しむように交わった。

 自分でも気付かなかったが、城から離れて張り詰めていた気持ちが緩み、余裕が生まれたみたいだ。


 フルメリンタまでの道中は、至れり尽くせりで目的を忘れそう……とばかりも言ってはいられなかった。

 道中の宿は、王族が使う施設を利用する予定だったが、二日目は土地の領主に館へと招かれた。


 フルメリンタに到着するまでには、四つの領地を通る必要がある。

 当然、第一王子派の領主もいれば、第二王子派の領主もいる。


 最初に招待されたナルバエス子爵は第一王子派で、当主自らが出迎えてくれて下にも置かぬ歓待をしてくれたのだが、それはそれで面倒だった。

 当主をはじめとして、ナルバエス家の者達がワイバーン討伐の様子を聞きたがり、まったくゆっくりする暇がない。


 誰もが俺の功績を褒め称えてくれるのだが、何と言うか俺を褒めるというよりも、功績を上げた俺と繋がりを持つことに喜びを感じているようなのだ。

 日本で言うなら、自宅に芸能人とかスポーツ選手を招いたような感じだろう。


 別にサービスしてやる義理など無いとは思うのだが、ユーレフェルト王国には海野さん達が残っている。

 俺が不遜な態度を取ったことで、彼女達が不利益を被ったりしてほしくない。


 基本は謙虚に、ところどころで少し膨らませて城の地下での暮らしを語った。

 ただ、ワイバーン討伐の様子を話している時には、少しイラっとさせらることがあった。


 それは、一番最初の討伐の様子を話している時だった。

 地下の通路から倉庫へと出た直後、第二王子ベルノルトの近衛騎士エメリアンがワイバーンに食いつかれ、同じチームの騎士が引き返してきたと話すと、ナルバエス子爵一家は揃って笑い始めたのだ。


「うはははは……やはりベルノルト様の騎士共は、役立たずの腰抜け揃いということですな」


 一瞬、子爵が何を言っているのか理解できなかったし、理解した直後に殴り飛ばさなかった自分を褒めてやりたい。

 それなら、お前はワイバーンに向かって行けるのかと……あの狂暴な存在の前に体を晒す勇気があるのかと……襟首掴んで締め上げてやりたかった。


「子爵、騎士エメリアンは結果としてワイバーン討伐に功績を残せませんでしたが、国のため、民のために立ち向かっていった結果です。どうか、彼の勇気を笑わないで下さい」

「いや……これは失礼しました」

「第一王子派と第二王子派との対立は存じております。ですが、ワイバーンの討伐については、派閥の利害を越えて共に戦った仲間です。亡くなった者達へは、派閥の垣根を越えて哀悼の意を表していただきたい」

「う、うむ……いかにも、キリカゼ卿のおっしゃる通りですな」

「それに、アルベリク様の痣が消えた今、派閥同士で争う理由はありませんよ」

「おぉぉ、確かにそうですな。これよりは、アルベリク様の下、共に力を合わせていかねばなりませんな」


 若造に窘められて、少々機嫌を損ねたように見えた子爵も、アルベリクの痣が消えたと伝えるとすぐに機嫌を直した。

 こんな単純な人間が、国の中枢を担っていくのかと思うと暗澹たる気分になった。


 更には、これから通過する三つの領地は、いずれも第二王派だそうだ。

 エーベルヴァイン領は戦場となっているので招待を受ける心配は要らないが、残る二家は招待してくる可能性がある。


 しかも、そのうちのザレッティーノ伯爵は、最初に俺の暗殺を目論んだ黒幕だ。

 フルメリンタに入るまでは、物見遊山の気分を満喫したかったのだが、思い通りにはならないようだ。

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