第61話 出立

 フルメリンタに向かう日、王家としては色々と式典をやりたかったらしいのだが、全て取りやめにしてもらった。

 今はまだワイバーンの渡りから復興する途上だし、送別のための費用はそちらに回してもらいたいと進言したのだ。


 それに、ワイバーン殺しの英雄として扱うなら、その人物をフルメリンタに取られるのは民衆の士気を下げることにしかならないだろう。

 普通の貴族が城から領地に戻る感じで、さりげなく誰にも注目されずに向かう方が良い。


 フルメリンタまでは、四頭立ての馬車で向かう。

 御者の他に、道中の手配をする者、それに護衛の騎士が四人帯同する。


 アルベリクの施術が終わるまでは、第二王子派の影に怯える生活だったが、今はフルメリンタに差し出される貴重な供物だから命を狙われる心配は無い。

 それでも護衛の騎士を四人も付けるのは、王家の見栄と騎士団の感謝らしい。


 俺は要らないと断ったのだが、共に戦った戦友の旅立ちに護衛も付けない訳にはいかないと、ラーディンに言われてしまえば断る訳にはいかなかった。

 馬車が城を出たところで、隣に座ったアラセリが話し掛けてきた。


「ユート様、見送りを断ってよろしかったのですか?」

「堅苦しいのは苦手だから、王様や殿下の見送りは無い方がありがたい。それに、顔を合わせたくない人もいるしね」


 俺達を召喚した第一王女アウレリアは、地下の避難スペースにいる時に何度か顔を見る機会があったが、気付いていなかったのかもしれないが完全に無視されていた。

 あいつのせいで何人ものクラスメイトが命を落とす羽目になったのだから、それこそ真っ二つにしてやりたいところだが、それが原因で処罰されるのでは割が合わない。


 一応、アルベリクには第二王子派の力を削ぐように助言はしたが、どこまで実行できるか疑わしい。

 ベルノルトに比べればまともな王子だが、理想が高すぎるというか、頭が固すぎるというか、現実的な判断が甘い印象が拭えない。


 フルメリンタでの俺の扱いがどうなるのか分からない以上、海野さん達を連れていく訳にはいかないので、守ってもらえるように国王やアルベリクに頼んでおいたが、実質的な守護はリュディエーヌに頼み込んでおいた。

 大甘な王子よりも、リュディエーヌやエッケルスの方が頼りになりそうだ。


 その海野さん達とは、宿舎の前で別れてきた。

 三人とも見送りたいと言ってくれたが、今生の別れではないのだから普通に出掛けたいと言って納得してもらった。


 フルメリンタで彼女たちを養うだけの生活基盤が築けたら、三人を迎えに来させるつもりでいる。

 海野さんとは、あれから二度ほど夜を共にした。


 俺としては、あの一晩限りのつもりでいたのだが、アラセリの代わりに海野さんが寝室に来ると断り切れなかった。

 自分でも節操の無い男だと思ってしまうが、アラセリと同じように海野さんを愛おしいと思う気持ちが止められなかった。


 宿舎の前で別れる時、海野さんは両手をお腹に当てて微笑みながら頷いてみせた。

 あれは希望の笑みではなくて、確信の笑みだったと思う。


 こんなことを思ってはいけないのだろうが、ちょっとだけ怖かった。

 海野さん達を迎える時には、養う人数は三人ではなくなっていそうだ。


「ユート様、どうしてそんなに楽しそうなんですか?」

「だって、こっちの世界に来てから城を出たのは三度だけ、しかも、その一回は英雄として見世物にされただけだったし、別の一回では川本たちに襲われたんだよ。こうして馬車で旅をしながら色んな場所を見て回れるんだから楽しいに決まってるよ」

「ですが、あんなに……あんなに頑張ったユート様を……」

「あぁ、そういうのは、もう無しにしよう」

「しかし……」

「もう今更言っても仕方の無い話だし、口にしても気分が悪くなるだけだよ。どうせフルメリンタに行くことは決まっているんだし、それなら楽しんだ方がいいんじゃない?」

「そう、ですね……」


 今日のアラセリは、いつもメイドの出で立ちではなく貴族の令嬢のように着飾っている。

 いや、令嬢ではなく貴族の夫人だ。


 アラセリはリュディエーヌの養女として俺と婚姻を結んで、正式にアラセリ・キリカゼとなっている。


「俺の暮らしていた国では、新婚旅行っていう風習があるんだ」

「しんこん旅行……ですか?」

「うん、新しく結婚した夫婦が二人で旅行に出掛ける。ちょうど今の俺とアラセリみたいに」

「ユート様……」

「もう、俺たちは夫婦なんだから様は要らないよ、アラセリ」

「ユート……」


 頬を染めたアラセリと口づけを交わす。

 移動中の馬車の中でいたしたら、どんな感じになるのか興味があったけど、さすがに自制しておいた。


 でも、天候に恵まれて順調に進めたとしても、フルメリンタまでは十日は掛かるはずだ。

 その間、ずっと自制ができるかは……少々自信が無い。


 これまで城に籠り切りだったので知らなかったが、ユーレフェルト王国の王都は川を利用した広い水堀に囲まれていた。

 堀を渡る橋を渡り、少し経つと一気に建物が減り田んぼが広がっていた。


 夏も終わり、秋の気配が漂い始めた青空の下で、たわわに実った穂が揺れている。

 俺は農業に関しては素人だが、豊作のように見える。


「随分広い田んぼなんだね」

「はい、王都の近くは米どころとしても知られています。川から離れた地域では麦やイモなどが主な作物となっています」


 馬車の旅は、途中で何度も馬を休ませる必要があり、日本の旅行に比べると実にのんびりとしたペースで進む。

 休憩する場所には茶店が出ていて、中国茶のような味わいのお茶とクッキーやちまきなどを味わえた。


 もち米を笹の葉で包んで蒸した粽は、木の実を煮たジャムや砕いた胡桃などをまぶして食べる。

 素朴な味わいが実にいい感じで、旅行気分が盛り上がってきた。


 日本のように自動車は走っていないし、飛行機やヘリコプターなども飛んでいない。

 カメラを抱えた観光客もいないし、海外の穴場にでも旅行に来たみたいだ。


「あぁ、いい、凄くいいな、こういうの」

「ふふっ、ユート様は城よりも外の暮らしの方が向いていそうですね」

「思えば、ずっとあくせく働いていた気がするから、こうしたノンビリした時間は凄く心地いいよ。それと、様はいらないからね」

「あっ……そうでした、ユート」

「アラセリ……」


 茶店の店先で口づけを交わす俺達に、世話役のオテロが苦笑いを浮かべているけど止めるつもりはないよ。

 オテロは、四十代ぐらいの小太りな男性で、焦げ茶色の髪の生え際が少々後退しつつある。


 まだ二度の休息と昼飯の手配だけだが、実に手際が良くて有能なツアーコンダクターのようだ。

 元々、自分で何かをやってやろうという気は無かったが、何もせずに安心して任せられるので非常に快適だ。


「いやぁ、本当にキリカゼ卿と奥方様は仲がよろしいですね」

「そりゃあ、ワイバーンとの戦いを共に生き抜いて、ようやく結ばれたんですから仲が悪い訳がありませんよ」

「それに、あれだけの功績をあげられて侯爵様になられたのに、本当にキリカゼ卿は気さくなお方ですね。お役目を仰せつかった時には、恐ろしい方ではないかと心配したのですよ」

「ワイバーン殺しの英雄なんて称号が一人歩きしてるだけですよ。そのワイバーン殺しだって、俺一人では成し遂げられなかった。アラセリは勿論、亡くなられたマウローニ様、サイード様、多くの騎士の皆さんの協力があってこそです」

「そうだとしても、キリカゼ卿の存在無くしてワイバーンは討伐できなかったと伺っておりますよ。それなのに、フルメリンタに引き渡してしまうなんて……」


 憤慨するオテロに、アラセリだけでなく護衛の騎士達までもが同調して頷いている。

 それを見ただけで救われた気分になるが、その一方で国王やアルベリクは大丈夫なのかと心配になる。


 もし、俺にそんな風に思わせるように、オテロや騎士達に演技を命じているなら大したものだが、ベルノルトの乱行が放置されていたり、民衆の不満が蓄積するような事態が続けば国が傾いたりしないだろうか。

 民衆に媚びを売れとまでは言わないが、こちらの世界に来てからのユーレフェルト王国のありかたには首を捻ることが多い。


 例えば、慰霊祭の時に王族が馬車に乗って街を巡ったが、手も振らなかったし、微笑み掛けもしなかった。

 いくら厳然たる身分制度があるにしても、壁が厚すぎる気がする。


 この一行も出発した直後は、俺に対して貴族の礼を取ろうとしていたので止めてもらった。

 侯爵に叙任されたけど、結局領地も与えられず、敵対している国に講和の条件として引き渡されるのだから、そんな名ばかり貴族なのに堅苦しい思いなどしたくない。


 オテロ達は俺の申し出に困惑していたが、ユーレフェルト王国で過ごす最後の時間になるのかもしれないから、せめて気分良く過ごさせて欲しいと頼んで納得してもらった。

 呼び方だけはキリカゼ卿のままだが、護衛の騎士も御者も気軽に話し掛けてくれる。


「キリカゼ卿、今夜はファルンの街に宿泊いたします」

「そこは、どんな街なの?」

「高原の街で、羊の飼育が盛んな街です」

「羊は毛を取るため?」

「はい、その通りですが、一部は食用にするものも育てておりますので、今夜は羊料理をご堪能していただきます」

「おぉ、それは楽しみ。じゃあ、あまり道中では食べない方が良いかな」

「そうでございますね。ほどほどにしていただいた方がよろしいかと存じます」


 フルメリンタまでの道中では、王族が使用するための宿泊施設を使えるらしい。

 宿の設備も、料理などのサービスも、贅を凝らしたものだそうだ。


 俺としては、普通の旅館でも構わないのだが、そんな贅沢な旅行はこの先いつできるか分からないし、折角だから味わわせてもらうつもりだ。

 フルメリンタまでは、余裕を持たせた日程が組まれているようで、馬車は終始のんびりとしたペースで進み、夕刻にはその日の宿へと到着した。

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