第60話 覚悟
翌朝、目を覚ますとベッドに海野さんの姿は無かった。
夢だったのかと思ったりもしたが、枕にはアラセリではない女性の香りが残されていた。
キツネにつままれたような気分でいると、アラセリが部屋に入ってきた。
「おはようございます、ユート様」
「おはよう、アラセリ。その……良かったの?」
「カズミの覚悟を聞きましたので……」
「覚悟か……」
「カズミは、ユーレフェルトで一人で生きる覚悟を決めたそうです」
「えっ……?」
昨晩ベッドの中で抱き合っている時には、寂しい、行かないで、一人にしないでと何度も何度も繰り返していた。
だからフルメリンタに連れていこうかと悩み始めていたのだが……。
風呂場で水浴びをして、頭をシャキっとさせてから食堂へ向かった。
海野さん達三人は、既に席に着いていた。
「おっはよう、霧風君。昨日は、みっともない姿を見せてゴメンね」
「えっ……?」
「どうしたの? 今日も施術はやるんでしょ? ノンビリしてると遅くなるよ」
「お、おぅ……」
海野さんは、まるで何事も無かったかのような調子で話し掛けて来た。
やはりキツネにでも化かされたのかと思ったが、ほんのりと赤くなっている彼女の頬が昨夜の出来事は夢ではなかったのだと告げている。
「覚悟か……」
「うん、私覚悟を決めたから、霧風君も腹を括ってフルメリンタで頑張って」
「勿論そのつもりだよ」
「あのね霧風君、昨晩アラセリさんと話をしたんだけど、フルメリンタに行ったら有力者の娘と結婚する事も考えておいて」
「はぁぁ? 結婚って、俺はアラセリと……」
「分かってる、霧風君がアラセリさんを愛してるのは知ってる。でもね、本気でフルメリンタで地位を築くつもりならば、有力者と縁を結ぶ事も必要になってくると思うの」
「そんな、俺はアラセリ以外とは……」
「じゃあ、なんで昨日私を抱いたの?」
海野さん、アラセリ、それに菊井さんに蓮沼さんの厳しい視線が注がれる。
まさに四面楚歌の状況だし、それは俺自身が招いた事でもある。
「ユート様は、私を妻としてユーレフェルトに連れていくおつもりでしょうが、ただのメイドとしてお連れ願いませんか?」
「それは駄目だ。アラセリは俺の妻として連れて行く」
「私のような者が妻では、フルメリンタの有力者とは縁組が……」
「嫌だ。アラセリが言いたいことは分かるけど嫌だ。昨晩、海野さんと関係を持った事を咎めるならば、いくら咎めてもらっても構わない。でも、俺はアラセリをないがしろにしてまでフルメリンタの有力者と縁を結ぶつもりは無い。甘っちょろいと言われようとも、嫌なものは嫌なんだ。誰が何と言おうと、俺の正妻はアラセリしかいない」
平民出身のアラセリが正妻に収まっていると、次に娶る者は第二夫人となる。
貴族の娘は、平民よりも低く見られるのを嫌うだろうし、そうなれば縁を結び難くなる。
だからといって、俺はアラセリを妾のようには扱いたくない。
もうアラセリは、切っても切れない俺の半身だと思っている。
「アラセリにも苦労をかけると思うけど、俺の正妻としてフルメリンタに行ってほしい」
「ユート様……はい、喜んで」
席を立って両手を広げると、アラセリは俺の胸に飛び込んで来た。
「あ~あ……お砂糖十杯ぐらいぶち込んだカフェオレでも飲まされてる気分……」
「ごめんね、海野さん」
「いいわよ、どうせこうなるだろうと思ってたしぃ……私は一人で生んで育てるわ」
「えっ?」
「あれだけすれば、出来てたっておかしくないでしょ?」
ちょっと冷や汗が流れた。
アラセリには子供が出来ない体だと打ち明けられたが、海野さんはいたって健康な女の子だ。
することをすれば、妊娠したっておかしくはない。
「分かった。子供が出来たら俺の子供だと認めるし、父親として恥ずかしくない生き方をするよ」
「うん、格好いいパパになってよね」
「責任重大だな」
「当然でしょ。本当に妊娠していたら、女は命懸けで子供を産むんだから、格好ぐらいつけてよね」
「分かった、約束する」
朝食を済ませると、海野さんはいつもと同じようにエステの施術を行う部屋へと出掛けて行った。
「強いなぁ、海野さんは」
「はい、あれほどシッカリした方だとは思っていませんでした」
「うん、俺も負けていられないな」
「あの……ユート様」
「なに?」
「ユート様も、子供を欲しいと思われますか?」
やはりアラセリは子供を産めない事を気に病んでいるようだが、これについての俺の答えは決まっている。
「うーん……正直、今は自分の事で精一杯だから子供とかは考えられない」
「では、将来フルメリンタで安定した生活が送れるようになったら……」
「将来の事は分からないよ。まだフルメリンタでどんな生活が待っているのかも分からないし、それこそ生きるのに必死な生活を続けているかもしれない」
「そうですね……失礼しました」
「でもね、一つだけ確実なのは、子供が出来る出来ないでアラセリの価値が変わったりはしない。子供を育ててみたいと思ったら、養子をもらっても構わないし、子供を作るためだけに妾を作るつもりもない。頭が白くなって、顔が皺くちゃになっても、ずっとずっと俺の隣にいてほしい」
「はい……はい、私もユート様の隣にいたいです」
「アラセリ……」
「あっ、いけません、ユート様……」
午前の施術に、ちょっと遅刻していくと、リュディエーヌが憤慨していた。
「情けない……本当に情けないわ」
「合理的に考えれば仕方ないですよ」
「そうではないわ、世の中は損得勘定だけではいけないのよ」
リュディエーヌが腹を立てているのは、遅刻してきた俺ではなく国王陛下とアルベリクに対してだ。
「たぶんベルノルト様は、キリカゼ卿の施術が終わっていないと思い、ワイバーン殺しの箔を付けて売り飛ばしてしまえ……なんて思ったのでしょう。だとしても、それをすんなりと受け入れてしまうなんて情けないにも程があります」
「でも、ワイバーンの渡りで多くの損害を出し、その上でフルメリンタとの戦いが長引けば、国力を消耗するばかりですよ」
「講和をするなと言っているのではありません。キリカゼ卿を引き渡さなくても良いように、別の条件で交渉すれば良いではありませんか」
確かにリュディエーヌが言う通り、俺を引き渡す以外の条件を付けて交渉を成立させる道もあるのだろう。
だが、そうした条件を探る事もなく、あっさりと俺の引き渡しを決めてしまった国王陛下とアルベリクに、俺自身が愛想を尽かせてしまっているのだろう。
「とにかく、やりかけている施術は最後まで済ませてから行きますので、それまではよろしくお願いします」
「まったく、あなたは真面目すぎるのではなくて? もっとわがままを言っても良いのに……」
「これが俺の性分ですから、そうそう簡単には変わりませんよ」
思い返してみれば、こちらの世界に来てから、アラセリ以外で一番一緒にいる時間が長かったのはリュディエーヌだ。
最初に行ったロゼッタの痣を取り除く施術から、アルベリク、ブリジットへの施術の間も、万が一の事態に備えて近くで見守ってくれていた。
実際には、リュディエーヌの治癒魔法の世話になるような事態は一度も起こしていないが、バックアップしてくれる人がいるのといないのとでは安心感が違う。
元々、リュディエーヌは王族専属の治癒士なので、王族に不測の事態が起こらない限りは出番が無いそうで、俺の施術を見守るのは良い退屈しのぎになっているようだ。
「キリカゼ卿がいなくなってしまうと、また私は退屈な日々に逆戻りね」
「でしたら、海野さんたち……和美たちを見守ってもらえませんか? たぶん、彼女たちならば上手くやっていけると思いますが、こちらの世界には身寄りもいないので後ろ盾になってあげて下さい」
「そうね、本来ならキリカゼ卿が後ろ盾になるはずだったのでしょうし、シャルレーヌ様にも働きかけておくわ」
「お願いします。どこの世界でも、威張り散らしている男共を影から操っているのは女性だと言いますし、殿下は今ひとつ頼りないですからね」
「ふふっ、その歳で良く分かっていらっしゃるのね。それもアラセリの仕込みなのかしら?」
「さぁ、どうなんでしょう」
施術の手順にも慣れたので、話をしながらでも手元が狂う心配はない。
これならば、フルメリンタでも上手くやっていけるだろう。
フルメリンタに行くと決まったところで、俺の個人的な持ち物は服と本が数冊程度なので、改めて引っ越しの準備をする必要もない。
途中になってしまっている施術を終わらせるために、いつも通りの日を過ごしていたら、アルベリクから呼び出しを受けた。
今更、顔を会わせたところで話すことも無いと思っていたのだが、呼び出された部屋にはアルベリクの他に装飾係の主任であるエッケルスとタリクの姿があった。
「ユート、約束を果たさせてもらう。タリクの名誉を回復し、今後はエッケルスの領地で家族と共に暮らすことになった」
「ありがとうございます。オビエス卿、面倒をお掛けしますが、よろしくお願いいたします」
「キリカゼ卿、タリクと家族の事は私に任せてもらいたい。王都とは少し環境は違うが、のどかで良い領地だから馴染んでもらえるだろう」
「ありがとうございます」
王都にそのまま暮すよりも、生粋の第一王子派であるエッケルスの領地で暮した方が安心だ。
「殿下、すみませんが、タリクと二人で話をさせてもらえませんか」
「分かった、ならば隣の部屋を使うと良い」
「ありがとうございます」
部屋を移動して、タリクと二人になったところで頭を下げた。
「すまん、タリク。約束を守れなかった」
「何言ってんだ、奴隷の身分から解放してもらえて、仕事も家も、家族の面倒さえ見守ってもらえるんだぞ。ユートが謝る必要なんか無いし、むしろ俺が礼を言うところだ」
「それでも、タリクには俺の領地に来てもらう約束だったからな」
「フルメリンタに行くんだって?」
「まぁ、成り行きで」
「何でだよ、命懸けでワイバーンまで倒したんだろう?」
「声がデカいよ、俺も聞いた時には何でだって思ったけど、俺が行けば無駄な争いが停まるなら、それもありじゃないのか」
「まだまだ、ユートを連れて行ってやりたい場所があったんだけどな」
「俺も残念だよ。こっちに来てから城を出たのは三度だけだぜ。しかも、そのうちの一回は馬車の飾りになって街を巡っただけだ」
「また遊びに行きたかったな」
「縁があれば行けるんじゃないか。別の世界で暮していた俺が、こうしてタリクと出会ったんだ。それに比べれば、フルメリンタなんかすぐ隣の国だぜ」
「そうだな、エッケルス様のところで稼いで、いつか遊びに行ってやるよ」
「だったら俺は、フルメリンタで楽しめる場所を探しておく」
「よし、次に会う時は、思いっ切り楽しんでやろうぜ」
「あぁ、約束だ」
こちらの世界は、日本のように気軽に観光旅行になど出掛けられないと分かっている。
この約束を果たすのは、たぶん不可能に近い確率でしかないだろう。
それでも、だからこそ約束を交わさなければ再会は叶わないだろう。
この世界で出来た初めての友、タリクと固い握手を交わして別れた。
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