第58話 秘めていた思い

 夕食の席で海野さん達に憤慨されてしまった。

 まぁ、ドアを閉めなかったのは俺が悪いのだけど、気持ちが昂ってしまったのだから許してもらいたい。


「絶対に許せないよ!」

「まぁ……そうなんだけどね」

「あんなに……あんなにボロボロになるまで頑張ってワイバーンを倒した霧風君を追い出すなんて許せない!」


 確かに海野さんの言う通りだが、会談を終えて帰ってきてから泣き叫び、激情のままにアラセリと交わったらスッキリしてしまった。

 それに、俺よりも腹を立てている人を見ると、妙に冷静になってくる。


「でもさ、結局俺一人で出来る事なんて高が知れているし、仮に王族を皆殺しにしたところで状況が良くなるとも思えないんだよね」

「それは、そうかもしれないけど……それにしたって扱いが酷すぎるよ。うぅぅぅ……」


 海野さんは、両手で顔を覆って肩を震わせ始めた。

 俺のために泣いてくれているのだと思うと、こちらまでジーンとしてくる。


「ごめんね、海野さん。それでも俺がフルメリンタへ行くしか選択肢は無いと思う」

「私も行く。私も霧風君と一緒にフルメリンタに行く。もう、こんな国は嫌だよ……」

「私も……」

「和美が行くなら私も行く」


 海野さんに続いて、菊井さんや蓮沼さんまでフルメリンタに行くと言い出した。


「ちょっと待って。フルメリンタがどんな国で、どんな扱いをされるのか分からないし、ユーレフェルトと戦争していたんだから酷い目に遭わされるかもしれないんだよ」

「それでもいい、こんな国でおべっか使っているぐらいなら奴隷落ちしたって構わない」

「駄目だ。折角まともな生活が出来るようになったんだ、奴隷落ちなんてとんでもないよ」

「でも、私たちだって、いつ霧風君のように切り捨てられるか分からないんだよ」

「それは無いと思う。もう海野さん達は貴族階級の女性の心を掴んでいるから、俺みたいにはならないよ」


 海野さんに悪気は無いと分かってはいるが、切り捨てられると表現されるとちょっと凹む。


「そんな事を言うなら、霧風君なんて国の英雄なんだよ。それでも切り捨てられちゃうんだよ」

「俺の場合は、フルメリンタに行ってくれた方が都合が良いからだよ」

「どうして?」

「領地を与えなくても済むし、取り戻したエーベルヴァイン領を第一王子派の貴族に与えることで次の世代の基盤を固められる」

「そんな……じゃあ最初から霧風君を貴族にするつもりなんか無かったって事なの?」

「いや、そうではないと思う。エーベルヴァイン領を奪還するまで、俺の領地が決まらないという状況を第二王子派に利用されたんじゃないかな」


 国王はフルメリンタからワイバーン殺しの英雄の譲渡を求めてきたと言っていたが、俺は第二王子派がフルメリンタに申し出たのではないかと疑っている。

 講和の条件としてフルメリンタとの間で約束を取り交わしてしまえば、俺が断れないと思ったか、もしくはアルベリクの痣の除去が中断されると思ったのかもしれない。


 講和の条件が整ったタイミングと、王都と戦場との連絡に掛かる時間を考えれば、交渉はアルベリクの痣の除去が終わっていないタイミングで行われていたはずだ。

 ワイバーン殺しの英雄として追い払ってしまえば、アルベリクの施術が中途半端で終わるとでも思っていたのだろう。


「だったら、だったら尚更第一王子は霧風君を守るべきじゃないの」

「俺一人を差し出せば、無駄な血を流さずに領地を取り戻せて、余分な領地を与えずに済む。痣の除去は終わったし、国の利益を考えるならば当然の措置なんじゃないのかな」

「そんな事はないよ。ここで霧風君を守れないなら、ユーレフェルト王国は薄情な国だって言われちゃうでしょ」

「いや、たぶんならないと思う」

「どうして?」

「ワイバーン殺しの英雄が、再び国を救った……みたいに演出するんじゃない?」

「そんなのズルいよ、酷すぎるよ……」


 海野さんは、再び肩を震わせ始めた。


「まぁ、確かにズルいとは思うけど、これが政治なのかなぁ……とも思う」

「そんな他人事みたいに言わないでよ。悔しくないの?」

「悔しいさ、メチャメチャ悔しいよ。国を相手に戦うだけの力も無いし、何千人を犠牲にしてでも守りたいと思わせる価値も無い。一人で突っ込んで行って戦況を一変させる力も無い。結局は俺の力不足なんだよ」

「そんな事ない! 霧風君が力不足だったら、この世に力が不足していない人なんていなくなっちゃうよ」

「ありがとう、海野さん。でも現状は、どうにもならない。どうにもならないから、俺はフルメリンタに行く」

「霧風君……」

「でも、いつか必ず後悔させてやる。この国と王族に、俺をフルメリンタに渡したのは失敗だったと思わせてやる」


 国という巨大な組織の前では、いくらチヤホヤされていても俺の存在なんてちっぽけなんだと改めて思わされた。

 だが、歴史上では一人の人物が大きく世の中を動かす事も珍しくはない。


 俺は信長や秀吉にはなれないだろうが、それでもユーレフェルト王国の王族を後悔させる程度の事は出来るはずだ。


「海野さん、俺はフルメリンタで居場所を作るよ。日本に比べたら不安定で何が起こるか分からない世界だから、もしユーレフェルトが滅びるような事になっても、海野さん達を受け入れられるような居場所を作る。だから海野さん達も、この国を裏から牛耳るぐらいの人脈を築いてくれないかな。フルメリンタが他の国に滅ぼされるような事になったら、海野さんを頼って逃げてくるからさ」

「分かった。私もこの国の人達に、霧風君を渡したのは失敗だったと思い知らせてやるわ」

「そいつは頼もしいけど、やり過ぎないようにね」

「どうかなぁ……これまで第一王子を応援してたけど、なんか一気に嫌になっちゃった。いっそ第二王子と組んで、この国滅ぼしちゃおうかなぁ」

「うわぁ、海野さんマジでやりかねないからなぁ……タリクとか、料理長とか世話になった人もいるから、ほどほどにしてくれよな」

「でも、マジでちょっと考えが変わった。今のままだと、私たちは利用されるだけだから、王族とか貴族とかからも一目置かれるような存在にならないと駄目だ」

「そうだね、簡単じゃないけど、やるしかないと思う」


 日本にいた頃は、特に秀でた物も無い平凡な高校生だった。

 それが、いきなり異世界に召喚されて、ようやくここまで人脈を築いてきたのに、また白紙の状態に逆戻りだ。


 でも、利用されるのが嫌ならば、利用する側になれる実力と人脈、権力基盤が必要だ。


「アラセリ、フルメリンタにも『蒼闇の呪い』はあるんだよね?」

「勿論、ございます」

「それなら、向こうでも人脈を築けそうだな」


 いくら国の法律で差別を禁止しようとも、見た目を気にする気持ちは無くならない。


「ねぇ、霧風君。痣を消す施術をフルメリンタでもやるようにして、ユーレフェルトからもお客を受け入れるようにしたら?」

「それって、どんな意味があるの?」

「フルメリンタと友好的な関係を保っていないと施術が受けられなくなる」

「あぁ、なるほど……」

「それに、お金を稼げる。霧風君しか出来ない独自の技術だし、貴族なら高額の治療費を払っても消したいと思うでしょ? フルメリンタとすれば外貨の獲得になるんじゃない?」

「確かに……これまで王族への施術だったから、金額とか曖昧だったけど、外国の貴族を相手にすると考えたら、吹っ掛けてもいいよね」

「それにさ、施術は一日じゃ終わらないじゃない。滞在する費用とかも必要になるし、滞在している貴族は人質みたいなものじゃない?」


 高額な治療費、滞在費を負担出来るとすれば、貴族の中でもそれなりの地位にある者だろう。

 そうした人物が人質になる危険がある以上、迂闊に戦争を仕掛ける事も出来なくなる。


「凄いね、海野さん。メチャメチャ良いアイデアじゃん」

「でしょでしょ。上手くすれば、フルメリンタに居ながらユーレフェルトの貴族とも人脈が作れるかもよ」

「なるほど……これはフルメリンタとの交渉材料に出来そうだな」


 どこの世界であっても、能力のある人物は重用されるし、無能な人間は切り捨てられる。

 俺がフルメリンタで確固たる地位を築くには、有能であると証明しなければならない。


 ワイバーン殺しとして売り込まれているならば、最初は期待はずれだと思われるだろうが、それはこちらに召喚された直後と同じだ。

 必勝の魔法と期待され、調子に乗り、失望されてどん底まで落ちた。


 そこから、厨房の清掃や絵画の清掃、染み抜き作業などを経て、ここまでの待遇を勝ち得てきたのだ。

 もう一度、やって出来ないはずはない。


「なるべく、命懸けの場所には放り込まれないようにしながら、有用性をアピールしないとだな……」

「そんなの霧風君ならすぐだよ」

「だと良いけどね……」


 夕食を共にしながら、たくさん話をしたので、海野さんも落ち着きを取り戻してくれた。

 フルメリンタへの出立の日は、アラセリと相談して決めると言ったが、途中になっている貴族の令嬢への施術を終わらせてからにしようと思う。


 頬の大きな痣だが、あと十日ほどで終わらせられるはずだ。

 夕食前に風呂に入ったので、そのまま眠ってしまおうとベッドに横になった。


 いつの間にかシーツも取り換えられていて、アラセリとの行為の名残は無い。

 昼間に激しく求めあったから、今夜は大人しく眠ろうと考えながらアラセリを待っていたら寝室のドアがノックされた。


「失礼します……」

「海野さん、どうしたの……?」

「アラセリさんに、今夜だけ霧風君を貸してほしいってお願いしたの」

「貸してって……」


 海野さんは寝室のドアを閉めて掛け金を下ろすと、俺に駆け寄って抱き付いてきた。


「初めては、霧風君がいい……お願い……」

「お、俺にはアラセリが……」

「アラセリさんには許してもらったの、だから今夜だけ……」


 たぶん、覚悟を決めてきたのだろうけど、それでも海野さんは震えていた。


「海野さん」

「今夜だけは、和美って呼んで」

「和美……」

「優斗……」


 寝巻を脱ぎ捨てて、生まれたままの姿で抱き合うと、海野さんは感情を爆発させた。

 日本に帰りたい、未だに行方の分からない友達を失う怖さ、俺への秘めていた思い。


 涙を流しながら抱きついて来る海野さんの求めに応じて、何度も滾りを注ぎ込んだ。

 疲れ果て、俺の腕の中で寝息を立てている海野さんを見詰め、果たしてこのままユーレフェルトに残していって良いものか迷いが生じてしまった。

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