第56話 平穏な日々
皮膚の下に僅かに残った色素を捉え、境界を設定したら二連続の転移魔法を発動させる。
肌の表面へと移動した色素を濡らした布で拭い取れば、アルベリクへの施術は完了だ。
最後に視線を元のレベルに戻し、肌に色むらが出来ていないかチェックした。
「ふぅぅ……終わりました。どうぞ、お確かめ下さい」
俺が席を立って場所を譲ると、待ちきれないとばかりに第二王妃シャルレーヌが腰を下ろし、舐めるような視線でアルベリクの肌を確認し始めた。
その表情は真剣そのものだが、俺は自分の施術に絶対の自信を持っている。
常人の目で見えるものを、細胞レベルで確認している俺の目が見落とすはずがない。
確かめてくれと言ったのは、施術の完了を確認させるためにすぎない。
「素晴らしいわ、キリカゼ卿。文句の付けようのない完璧な仕上がりよ。あなたは、ユーレフェルト王国の歴史に名を遺すことになるでしょうね」
「ありがとうございます。ご期待に応えられたようなので何よりです」
施術台から起き上がったアルベリクも、感極まった表情で俺を抱き寄せた。
「ありがとう、ユート。君のおかげで、この国は滅びへの道を辿らずにすむ」
「自分は、この国に来て数ヶ月ですが、あの男だけは次の王にしてはいけないと思っています。民が安心して暮せる国にして下さい。お願いします」
「約束しよう。この国を全ての者にとって暮らしやすい国にすると……」
抱擁を解いたアルベリクと握手を交わす。
その力強さに、次代の王としての自信が漲っているように感じられた。
俺の手を離したアルベリクは、母シャルレーヌと抱擁を交わす。
「母上、今までご心配をお掛けいたしましたが、今この時より、私は次代の王として生きる事といたします」
「立派になりましたね。あなたは私の誇りです」
普段は洒脱な感じのするシャルレーヌだが、この時ばかりは目に光るものがあった。
王位は継承順位に従って引き継がれる決まりで、その決まりが守られるならば次の国王はアルベリクとなるはずだが、顔全体を青黒く染めた痣が立場を揺るがせていた。
シャルレーヌは何の心配もしていないという姿勢を崩さなかったが、内心では不安を抱えていたのだろう。
その唯一の懸念材料も消え、愛息アルベリクが王になると宣言したのだから、嬉しくないはずがない。
シャルレーヌは、アルベリクの成長を確かめるように抱きしめていた腕を解くと、改めて痣の消えた顔を確かめて何度も頷いてみせた。
ようやく納得したシャルレーヌが頬に添えていた手を離すと、アルベリクは部屋の隅に控えていたロゼッタに歩み寄った。
「ロゼッタ、私は次の王となる……隣で支えてくれないか?」
「殿下……私では身分が……」
「構わぬ。伴侶となる者すら自分で決められぬ者に国の進むべき方向を定められるはずがなかろう」
戸惑うロゼッタから向けられた視線に、シャルレーヌが微笑みを浮かべながら頷き返す。
ロゼッタは、幼い頃のアルベリクの遊び相手として選ばれた、いわば幼馴染だと聞いている。
子供の頃に抱いた淡い恋心を貫いた形だが、アルベリクがストーカー気質でない事を祈ろう。
いや、ロゼッタへの施術の成果をシャルレーヌに披露した時に、俺へ向けられた敵意剥き出しの視線を考えると……まぁ、あの程度は仕方ないか。
アルベリクへの施術の終了は、王位継承への障害が取り除かれた事と同時に、俺の命の危険が減った事も意味している。
アルベリクへの施術が終わってしまえば、今更俺を殺害したところで意味が無いし、蒼闇の呪いと呼ばれる痣に悩んでいるのはアルベリクだけではない。
世間体を気にする貴族にとっては、己の容姿を大きく損なう痣は頭の痛い問題だ。
治癒魔法も効かず、薬による治療法も無い、現状は俺にしか治療が出来ないとなれば、俺の手を借りたいと思う者は第二王子派にも多く存在するはずだ。
つまり王位継承争いのために命を奪った方が良い者から、自分達にとっても利用価値の高い者へと変わったのだ。
明日からは、海野さん達がエステサロンを開いている建物の別室で、希望する貴族に施術を行う予定だ。
たとえば、第二王子派の貴族で、アルベリクのように顔の痣を気にしている跡取り息子や嫁入り前の娘に施術を行えば、俺の有用性が広まり、高まるという訳だ。
ついでに、俺独自の人脈も築けないかと考えている。
日本でも平凡な家庭で生まれ育ったから、上流社会とか社交界なんて全く縁が無かった。
貴族という身分社会で、どう振舞って生きていけば良いのか、アルベリクという強力な人脈はあるが、それだけでは不安だ。
なので、治療を希望する人をアラセリに見極めてもらう事にした。
どちらの派閥のどんなポジションにいる家の関係者なのか、治療を行った場合どんな見返りが期待できるか等の情報を教えてもらう。
痣を除去する施術で、そんな見返りを求めるなんて生々しいとは思うのだが、それでもユーレフェルト王国の貴族として生き残っていくためには必要だろう。
まったく、ちょっと前まで平凡な高校生だったガキに対しての課題がデカすぎる。
この上に、領主としての仕事も加わるのだ。
領地が決まれば、そこの土地に相応しい執事をアルベリクが手配してくれるらしい。
最初は領主として何をすれば良いのかも分からない俺を補助して、代官としての役割もこなすからには、領地となる土地に明るい人物の方が良いそうだ。
当然、身元も調査してくれるそうなので、あまり変な人物ではないだろう。
アルベリクへの施術が順調に進んでいる間、ようやくフルメリンタへの反撃も軌道に乗り始めたようだ。
エーベルヴァイン領を北から奪還しているセルキンク子爵の軍勢に加えて、南側からも同様の攻撃が行われているそうだ。
ユーレフェルト側の攻撃を誘い込むようなフルメリンタの策略に対しても、深追いせずに地道に支配地域を拡大させる作戦で対抗し、着実に支配地域を広めているらしい。
フルメリンタ側も補給や援軍を送り込んでいるそうだが、三方から数の力で押し込まれると、後退せざるを得ないようだ。
アラセリの見立てでは、それでもエーベルヴァイン領を完全に奪還するには二ヶ月程度の時間が必要だそうだ。
ただ、まだ二ヶ月も掛かると考えるか、あと二ヶ月しかないと考えるか。
この時間は、俺が貴族として本格デビューするまでの猶予期間でもある。
なるべく有意義に使いたいので、翌日からすぐに希望者への施術を始める事にした。
アルベリクへの施術が終わる頃合いを見計らって、既にリュディエーヌが痣を消したいという希望者を募っていたらしい。
「キリカゼ卿、最初に施術をしていただくのは、ニスカネン子爵の次女シグネです」
「ニスカネン子爵は、どちらの派閥に属しているんですか?」
「第二王子派に属しているけど、鞍替えしようかしまいか迷っているところね」
「それでは、俺の施術で決断を促すつもりなんですね?」
「おっしゃる通りよ。シグネの痣が綺麗に消えれば、間違いなく寝返るはず」
元々、ニスカネン子爵は熱心な第二王子派ではなかったそうだ。
ベルノルトの乱行に加え、今回のフルメリンタとの戦争に戦費や兵士の拠出を要請され嫌気が差してきているらしい。
シグネの痣は顔に残っているらしく、布で目元以外を隠した姿で現れた。
母親である子爵夫人が付き添っている。
「キリカゼ卿、どうか娘の痣を消してください」
「まずは、拝見させていただいて構いませんか?」
「はい、よろしくお願いします」
シグネの痣は鼻筋から左目の下まで、五百円玉二個分ぐらいの大きさだった。
「いかがでしょう?」
「はい、この程度の大きさであれば、四日か五日で取り除けます」
「本当ですか!」
シグネは今年十三歳になったそうで、周囲の友から婚約などの話を聞くようになり、塞ぎこむことが増えていたそうだ。
色白で整った顔ダチをしているので、余計に痣が目立っている。
「はい、本当ですよ。ただし、繊細な作業ですので、ご本人の協力が不可欠です」
「それは勿論、この痣が消えるのであれば何だっていたします」
「いえ、何かをしていただくのではなく、施術の最中は極力動かないようにしていただきたい。宜しいですか?」
「はい、分かりました」
頭を寄り掛からせるように背もたれの高い椅子に座ってもらい施術を始めたのだが、シグネは俺の顔を見詰めて頬を赤らめた。
「目は閉じていて構いませんよ」
「あの……開いていてはいけませんか?」
「構いませんが……目を閉じているのは恥ずかしいですか?」
「いえ、恥ずかしくはないですが……」
頬が赤くなってしまうと、周囲の肌と色合いを合わせるのが難しくなると説明すると、シグネは渋々といった様子で目を閉じた。
一度目の休憩までの施術では、全体の一割にも満たない面積しか痣を除去出来なかったが、それでもシグネには違いが分かったようだ。
「凄い……小さくなってる。本当に消えるんですね?」
「はい、消えますよ。少し休憩したら続けましょう」
「はい!」
その後、昼食や何度かの休憩を挟みながら施術を続け、一日で四分の一ほどを除去できた。
翌日からの施術を約束し、シグネは弾むような足取りで帰っていった。
「あぁ、疲れた……でも、シグネの心の重しを取り除いてあげられそうだ」
「お優しいですね、ユート様は」
俺を優しいと言いながら、アラセリの言葉には何となく棘があるように感じる。
「そうかなぁ……でも、あのぐらいの歳の女の子だと、男に顔を覗き込まれるのは恥ずかしいんだろうね。最初は頬を赤くしていたから、少しやりにくかったよ」
「はぁ……ユート様は女心が分かっていませんね」
「えっ? どういう意味?」
「シグネは、ユート様に見惚れていたんですよ」
「はぁぁ? 俺に見惚れる? なんで?」
「ワイバーンを倒し、侯爵になられ、その上、自分の深い悩みを解決してくれる唯一の男性となれば見惚れるのも当然ではありませんか?」
もしかして、ちょっと妬いてるんだろうか。
「そう言われても、全然実感ないなぁ……それに、俺はアラセリが見守ってくれる方が何倍も幸せだよ」
「ユート様……」
ふにゃっと表情を和らげたアラセリを抱き寄せる。
うん、俺ってば、なかなか女心が分かっているんじゃない?
こんな感じで、平穏な日々が続くと思われたが、アルベリクの施術を終わらせて十日ほど経った日に、俺は国王から呼び出され予想もしてなかった要望を聞かされた。
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