第45話 欠陥治癒魔法

「リュディエーヌ様! リュディエーヌ様!」


 アラセリが声を枯らして名前を呼んでも、リュディエーヌは姿を現さない。

 俺を抱えたままラーディンも声を張り上げた。


「誰か! 治癒士はいないのか!」

「負傷者が多数いる、戦いは終わったから早くと言われて、全員が上に向かいました」

「何だと……」


 それは第二王子派の策略なのか、それとも単にタイミングが悪かったのか判断が付かないが、どうやら治癒士達とは入れ違いになってしまったらしい。

 左手で押さえている傷口はナイフが刺さったままになっているけれど、止めどなく血が溢れてきている。


 かなり深く刺さっているから、ナイフの刃は内臓にまで達していそうだし、このまま助からないような気がしてきた。

 もし俺が死んでしまったら、第一王子のアルベリクは次の国王になれるのだろうか。


 せっかく戦闘職からの解放を約束してもらったクラスメイト達は、約束通りに守ってもらえるのだろうか。

 時間が経過するほどに、血が失われていくほどに、胸の中がドス黒い不安で塗りつぶされてしまいそうだ。


「誰か、誰か治癒魔法を使える方はいませんか!」

「私が……私が使えます!」


 アラセリの呼び掛けに応えたのは、海野さんだった。


「頼む、傷がかなり深いし出血も多い、一刻を争う状態だ」


 広間の床に俺を下ろしたラーディンから説明を受けた海野さんの顔は、血の気を失って真っ青になっている。

 そう言えば、海野さんの治癒魔法も俺の転移魔法と同様に問題を抱えているような話を聞いたような気がする。


「霧風君、聞いて。私は魔力が弱いから、指先から一センチぐらいしか治癒魔法を届けられないの。だから、この刺し傷を治療するためには、私の指を傷口深くまで差し込まなきゃいけないの。それでもいい?」

「頼む、やってくれ。まだ……まだ死ぬ訳にはいかないんだ」

「分かったわ」


 今ここで俺が死んでしまったら、第一王子アルベリクが次の国王になるための障害、蒼闇の呪いと呼ばれる痣を消す人間が居なくなってしまう。

 第二王子ベルノルトのようなクズ野郎が王となってしまったら、この国の将来が不安だ。


 俺達を日本から召喚して、自分が次の国王となるための道具として使い潰そうとした奴に良い思いなんかさせたくない。

 そして何よりも、もっとアラセリとイチャコラしたいのだ。


「じゃあ、霧風君、始めるよ」

「頼むね」


 治療に必要なものが準備され、いよいよ海野さんによる治療が始まる。

 手順としては、ナイフを引き抜いた傷口に海野さんが指を突っ込み、治癒魔法を掛けながら引き抜くという実に荒っぽいものだ。


 俺が暴れないように、ラーディンとアラセリが押さえ付け、右手の人差し指と中指を強い酒で消毒した海野さんが傷口の横に座った。

 俺が折りたたんだ手拭いを噛み締めたところで、いよいよ治療が始まった。


「ぐっ……うぐぅぅぅ……」


 ナイフの刃が引き抜かれるヒヤっとした感触の直後、海野さんの指が差し込まれて激痛が走った。

 手拭いを噛みしめ、硬く拳を握って痛みに耐える。


 ズっ、ズズっという感じで、海野さんの指が引き抜かれていく。

 体の深い部分は治療されているのだろうが、剥き出しの傷口を指で擦られているのだから痛いに決まっている。


 だが、海野さんも意識を集中して、必死に治癒魔法を制御しているのだ。

 根元まで突き入れられた海野さんの指が完全に引き抜かれるまで、たっぷり五分以上は掛かったと思う。


「終わり……ました……」

「和美!」

「しっかり!」


 指が完全に引き抜かれ、表面に残った傷の治療を終えると、海野さんはよろめいて、付き添っていた菊井さんと蓮沼さんに支えられた。

 俺はと言えば、確かに脇腹の痛みからは解放されたが、大量の血を失ったので極度の貧血状態だ。


 騒ぎを聞きつけたアルベリクが、不安を隠せない様子で声を掛けて来た。


「ユート、大丈夫か?」

「殿下……すみません、油断しました」

「馬鹿者、謝るのは我の方だ。今はとにかく休め、アラセリ、ユートを頼むぞ」

「殿下、私も傍で守りを固めます」

「頼むぞ、ラーディン」


 再び俺はラーディンに抱えられ、ベッドまで運ばれた。

 いくら地下の空間で涼しいとは言え、先程から体がガタガタと震えてしまっている。


「アラセリ……寒い……」

「ユート様、お気を確かに」


 アラセリに包み込まれるように抱きしめられても、体の芯が冷たくなっていくような気がする。


「ユート、薬湯だ、飲めるか?」


 ラーディンが血を増やす薬湯を持って来てくれたが、体を起こすことすらままならない。

 唇がパリパリになるほど体が水分を欲しているのに、手を伸ばすことさえ出来なかった。


「私が……」


 アラセリがラーディン から受け取った薬湯を口に含み、唇を重ねてきた。

 いつもは甘い口づけが、今は酷く苦くて薬臭い。


 零さないように、俺が咽たりしないように、細心の注意を払って口移しされた薬湯を飲み下す。

 へばりつくような喉の渇きが癒され、薬湯が流れ込んだことで胃が動き始める。


 薬を飲んだ直後に劇的な効果がもたらされる事など滅多にあるものではないだろうが、この時の薬湯は俺の体に染み込み、細胞の一つ一つを目覚めさせていったような気がした。

 二度、三度と口移しで薬湯を飲むと、体の芯に張り付いていた寒気が収まっていった。


 すると、今度は強烈な睡魔に襲われる。

 このまま眠ってしまったら、もう二度と起き上がれないのでは……と不安になったが、抗う理由も術もなく、アラセリの温もりを感じながら眠りに落ちた。



◆ ◆ ◆ ◆



 どれほど眠り続けていたのだろうか、目を覚ますとアラセリが不安そうな顔で俺を見詰めていた。


「ユート様……」

「おはよう……」


 こんな時に、気の利いたセリフの一つも口にできれば男としての株が上がるのだろうが、残念ながら頭が上手く回っていなかった。


「おはようございます、ご気分はいかがですか?」

「うん、あまり良くは無いけど……最悪ではないかな……」


 腕を伸ばしてアラセリを引き寄せ、互いの存在を確かめるように口づけを交わす。

 良く見ると、アラセリは昨日の戦塵にまみれたままだ。


 そのアラセリを引き寄せた俺の手も土埃で汚れているし、体は嫌な汗で濡れている。


「汗を流したい……」

「はい、では支度をいたします」


 アラセリに支えられながら体を起こすと、それだけで少し頭がフラフラした。

 目を閉じて、じっとしたまま落ち着くのを待つ。


 どうやら、相当量の血を失ったらしい。

 日本ならば輸血などの措置が行われるのだろうが、こちらの世界では、そこまで医療技術は進んでいない。


 アラセリに肩を借りて立ち上がったら、また眩暈が襲ってきたが、ぐっと奥歯を噛んで踏ん張った。


「なんだか静かじゃない?」

「はい、ワイバーンの討伐が終わりましたので、王族の皆様は地上の建物へ戻られました」


 既に国王陛下も、アルベリク、ベルノルトの両王子も地上へと上がり、元の生活へと戻り始めているらしい。

 この地下の空間に残っているのは、俺とアラセリ、それに護衛のための兵士、補助をする女官だけだそうだ。


 幸い、地下の風呂場はまだ使える状態だったので、アラセリと共に汗と埃、こびり付いた血を洗い流した。

 まだ血が足りていないので、一糸まとわぬアラセリと一緒にいても、そうした気分にはならなかった。


 というか、これって今だけだよな。

 この先ずっと元気にならない……なんてことにはならないよね。


 風呂から上がって綺麗な服に着替えると、気分がさっぱりした。

 食堂でワイバーンの肉を使ったサンドイッチをゆっくりと食べると、だいぶ体調が上向いてきた感じがした。


「アラセリ、僕らが使っていた宿舎は?」

「はい、幸いワイバーンの被害を免れましたので、これまで通りに使って構わないそうです。戻られますか?」

「うん、ここも片付けないといけないんでしょ?」

「はい、こちらはまた有事の時までは使われずに封鎖されるそうです」


 安全な地下空間であると同時に、城が建つ台地の麓からは軍の施設を通らないといけないものの、王城内部へと通じる通路でもあるので厳重に封鎖する必要があるそうだ。

 食事を終えて、またアラセリの肩を借り、ゆっくり歩いて宿舎へと戻った。


 地上へ出て驚いたのだが、俺はてっきり朝だと思っていたのに、外は夕暮れの時間だった。

 傷の治療を終えてから、丸一日以上眠り続けていたらしい。


 外国の要人のための建物である宿舎を見ると、戻ってきた、終わったんだという感慨が湧いてきた。

 同時に、亡くなってしまったマウローニとの思い出が頭をよぎる。


 体調が戻ったら、マウローニから教わったサーベルの訓練を始めよう。

 どんなに頑張ったところで、俺ではマウローニの足下にも及ばないだろうが、それでも努力を重ねて少しでも上達することが故人に報いることになるはずだ。


 宿舎は以前と同じように護衛の兵士が配置されていたが、以前とは違う顔ぶれがいた。


「海野さん……菊井さんと蓮沼さんも」

「おかえりなさい、霧風君。あのね、私達もここに住むことになったの……」

「えぇぇ……」


 驚いてアラセリを見ると、少し不満げな表情で頷き返された。

 どうやら、海野さんたちの宿舎を急に用意出来ないし、どうせ護衛を付けるなら……とアルベリクが考えたらしい。


 使っていない部屋が余っているからスペース的には問題無いのだが……せっかく戻れると思っていたアラセリとのイチャイチャする生活がやりづらくなりそうだ。

 まぁ、ベッドルームまで共用する訳ではないので、そこは割り切るしかないだろう。


「分かった、これからよろしくね。あぁ、でもクラスのみんなが戻って来たらどうするんだろう?」


 ふっと気になったクラスメイトの話を口にすると、海野さんたちは悲痛な表情を浮かべた。


「えっ……どうかしたの?」

「あのね、霧風君。クラスのみんなの消息が分からないの」

「えぇぇ! なんで?」

「ユート様、それにつきましては、私からご説明させていただきます」


 海野さんから話を引き取ったアラセリは、宿舎の中で続きを説明すると言い、僕らに二階へ上がるように促した。

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