第44話 決戦 後編

「くっそ、サイードを放しやがれ、転移、転移、転移!」

「ガァッ!」


 サイードを死の顎で捕らえたワイバーンに向けて、目がある辺りを狙って当てずっぽうで切断の転移魔法を連発すると、そのうちの一発が命中したらしい。

 ワイバーンは、短い悲鳴を上げて口からサイードを落とした。


「しっ!」


 その瞬間を狙いすまして、マウローニがワイバーンへ走り寄り、電光のごとくサーベルを振るった。

 マウローニが狙ったのは、ワイバーンの翼の付け根。


 人間で言うならば脇の下の部分だが、僅かに鱗を切り割った程度で深手は与えられなかったようだ。

 それでもマウローニが注意を引いている間に、ラーディンが駆け寄ってサイードを抱えて戻ってきた。


「しっかりしろ、サイード!」

「がふっ、俺……に、ごふっ……構う……な」


 サイードが身に着けている金属鎧は、ワイバーンの強力な顎で噛まれた部分が、元の厚みの半分程度に潰されてしまっている。

 ワイバーンの牙が突き刺さった部分からは、止めどなく鮮血が溢れてきていて、言葉を発したことさえも奇跡かと思うほどだ。


「伏せて!」


 鋭い警告の声と同時に、アラセリに引き倒される。

 マウローニが引き付けていて、まだ距離が離れていると思ったワイバーンが、床を擦るようにして翼を振るったことで、瓦礫が礫となって飛んできた。


 ドガガガガ……と、凄まじい音が響いて、俺達の背後の壁が壊されて穴が開く。

 ラーディンの構えていた金属製の大盾が、歪んでしまうほどの威力だ。


「マウローニ様!」


 ラーディンの叫び声を聞いて起き上がると、マウローニがサーベルを床に突き立て、片膝をついていた。

 俺達よりも至近距離で、先程の薙ぎ払いを食らい、瓦礫を避けきれなかったようだ。


「ワシに構うな、逃げよ!」


 厳しく言い放ったマウローニを目掛けて、ワイバーンは退路を断つように翼を広げ、覆いかぶさるように突っ込んで行く。


「くそっ!」


 ビーチフラッグのスタートを切るように、猛然と立ち上がってワイバーン目掛けてダッシュしたが、途中で瓦礫に躓いて前のめりに倒れ込んでしまった。


「届けぇ! 転移!」


 倒れ込んだ俺の頭から、一番近くに見えたワイバーンの右足目掛けて切断の転移魔法を放つ。


「ギャウゥゥゥ!」


 右足から鮮血が飛んだが、ワイバーンは若干バランスを崩したもののマウローニ目掛けてボディープレスを食らわすように倒れ込んだ。


「マウローニ!」

「ユート様、立って!」


 アラセリに引っ張られて俺が起き上がるのと、ほぼ同時にワイバーンも起き上がったが、その動きは俊敏さを欠いている。


「ユート様、ワイバーンの腹に……」

「あっ、サーベルの柄だ!」


 ようやく明るくなり始めた外部からの光に照らされたワイバーンの腹には、二本の柄が刺さっているのが見えた。

 体当たりを避けきれないと判断したマウローニは、ワイバーンの体重を利用してサーベルを深々と突き刺したのだ。


 そして、マウローニは床に横たわったままピクリとも動かない。


「ユート、仕留めるぞ。手を貸せ!」

「はい!」


 ラーディンは歪んだ大盾を投げ捨てて、サイードの大剣を拾って両手で構えていた。

 もう一頭のワイバーンは、両腕を切り落としたからもう飛べない。


 時間を掛けて、火などを使えば討伐出来るだろう。

 ならば、あとは目の前の一頭だけだ。


 その一頭も、マウローニの決死の攻撃を腹に食らっている。

 いくらワイバーンが巨体であろうと、サーベルが根元まで腹に突き刺されば、傷は内臓まで達しているはずだ。


 動けば刺さったままのサーベルが内臓を傷つけ、体の奥から痛みを味わわせるはずだ。


「俺が引き付ける。どちらの翼でも構わないからぶった斬れ!」

「はいっ!」


 ラーディンは、大剣を右肩に担ぐようにして構え、ジリっ、ジリっと距離を詰め始めた。


「グルゥゥゥゥ……」


 ワイバーンも低く重たい唸り声を上げながらラーディンへと向き直るが、これまでのような余裕は感じられない。


「ゴァァ!」


 ワイバーンが噛み付き攻撃を仕掛けたが、ラーディンは素早く飛び退って躱した。

 本気ではなくフェイントだったのか、それとも腹に刺さったままのサーベルの影響なのか、ワイバーンの動きから鋭さが失われているような気がした。


「ユート様、ワイバーンの右目が潰れています。あちら側に回り込みましょう」

「分かった……」

「ゆっくり……ワイバーンの注意を引かないように……」


 ワイバーンは、ラーディンと睨み合ったまま動かない。

 ラーティンを危険な存在だと見て、警戒しているのが分かる。


 ラーディンは距離を保ったまま、ジリジリと右へと回り込んでいく。

 一見すると倒れたマウローニに近付こうとしているようにも見えるが、俺をワイバーンの死角へと入らせるための動きだ。


 ビリビリと痺れるような空気を破ったのは、もう一頭のワイバーンの悲鳴だった。


「ギィイィィィ!」


 チラっとワイバーンが一瞬視線を逸らしたのを見逃さず、鋭く踏み込んだラーディンは突きを放った!


「ガァ!」


 ワイバーン叩き付けてきた右の翼をラーディンは素早いバックステップで躱してみせたが、壁際まで追い込まれてしまった。

 このまま突っ込まれたらマウローニの二の舞になってしまうと思ったのだが、ワイバーンはラーディンに背中を見せて走り出した。


 玄関ホールから逃げ出したワイバーンが、別動隊による火矢の攻撃に晒されていたのだ。

 背中を見せて仲間を助けに走るワイバーンをラーディンが全力で追いかける。


 俺の魔法で右足に傷を負っているワイバーンよりも、ラーディンの方が何倍も速い。

 一気に距離を詰めたラーディンは、床を蹴ってワイバーンの背中に向かって飛び掛かった。


「だぁぁ!」

「ギャヒィィィ!」


 ラーディンが狙ったのは、右腕の肩の関節の辺りだった。

 逆手に持った大剣に全体重を乗せて突き立てたラーディンは、ワイバーンの背中に両足を着いたら思い切り後方へと飛び退った。


 悲鳴を上げたワイバーンが後方に向けて振りぬいた左の翼は、ラーディンを捉えきれずに空を切る。

 更に、崩れた態勢を傷ついた右足が支え切れず、ワイバーンはバランスを崩して転倒した。


「ずりゃぁぁぁ!」


 好機と見たラーディンは、その巨体が一本の槍と化しかのように踏み込み、ワイバーンの喉笛に大剣を突き入れた。


「グフゥ……」

「ユート! 今だぁ!」


 ラーディンが叫ぶよりも早く、俺はワイバーンを目指して走っていた。

 ワイバーンの翼がラーディンを抱え込むように振られるが、構わずに魔法を発動する。


「転移!」


 ワイバーンの下腹部から、右の胸に目掛けて境界面を設定して、切断の転移魔法を放った。


「転移! 転移! 転移! 転移!」


 角度を変え、場所を変え、切断の転移魔法でワイバーンを切り刻む。


「ギャウゥゥゥ……」


 起き上がろうと藻掻いたワイバーンの腹から内臓が溢れ出し、辺りに濃密な血の匂いが立ち込める。

 ビクン、ビクンと数回大きく体を震わせたが、ワイバーンは起き上がれないまま動きを止めた。


「ギヒィィィィ……」


 玄関ホールの外から聞こえた悲鳴に目を向けると、もう一頭のワイバーンが火だるまになっているのが見えた。

 油の入った壺を投げつけ、火矢を射掛ける作戦が成功したのだろう。


「やった……のか?」


 口走ってはいけないセリフが思わず口から零れ出た。


「やりました、ユート様! ワイバーンを倒しました!」

「やったぞ、ユート! 俺達の勝ちだ!」


 アラセリに抱き付かれ、ワイバーンの翼を避けて転がっていたラーディンからも声を掛けられて、ようやく勝利を確信した。


「しゃぁぁぁぁ! 倒したぞぉ!」


 右手の拳を突き上げて叫んだ後、アラセリを力一杯抱きしめる。

 生き残った、何度もヤバい場面に遭遇したけれど、俺もアラセリも無事に生き残った。


「勝った……勝ったよ、アラセリ」

「はい、はい……ユート様」


 歓喜に体が震え、溢れ出す涙が止められない。

 アラセリと唇を重ね、互いの存在を確かめるように舌を絡めた。


 玄関ホールの外からも勝利の歓声が沸き上がり、長かったワイバーンとの戦いが終わったのだと確信したら膝から力が抜けてしまった。


「ユート様!」

「ごめん、安心したら力が抜けて……」

「お疲れ様でした。本当に、御立派でした」


 両膝をついた状態で、改めてアラセリの温もりを確かめる。

 俺は、この腕の中の大切な人を守り抜いたのだ。


「そうだ、マウローニ様……」


 倒れたままのマウローニに駆け寄ると、まだ息があった。

 瓦礫の近くに体を横たえて、潰されるのを防いだようだ。


「マウローニ様、マウローニ様!」

「うぅ……ユ、ユートか?」

「はい、ユートです。倒しましたよ」

「二頭ともか……?」

「はい、一頭は俺が切り刻んで、もう一頭は火だるまにされて倒されました」

「そうか、ごふっ……よくやった」

「マウローニ様! しっかり!」


 俺の呼び掛けに、血反吐を吐いたマウローニは弱々しく首を振ってみせた。

 瓦礫で守られているかと思ったのだが、やはりワイバーンの体重を受けて内臓が潰されてしまっているようだ。


「誰か! 誰か手を貸してくれ!」


 ラーディンはサイードに寄り添っているので、戦いが終わったのを確認して出て来た兵士に声を掛けた。

 兵士の一人が俺の声に気付いて駆け寄ってくる。


「どうされました?」

「マウローニ様が……早く医務室に」

「無駄じゃ……」


 マウローニは、医務室への運搬を拒絶した。


「それよりも……大仕事を成し遂げた……最後の弟子の顔、良く見せてくれ……」

「マウローニ様……」


 俺から見れば祖父ぐらいの年齢なのに、いつも矍鑠としていたマウローニが年相応に弱って見える。


「ありがとうございました。マウローニ様に鍛えていただいたから、こうして生き残れました。俺の手柄は、全部、全部、全部、マウローニ様のおかげです」

「馬鹿を申すな……それは、ユートの手柄じゃ……」

「そうです。ユート様、あなたはこの国の英雄です」


 マウローニ言葉に、駆け寄ってきた兵士も同意してみせた。


「ユート様、あなたはこの国を救ったのです。だから……死ね」

「えっ……?」

「ぐはっ……」

「油断しおって……馬鹿者が……」


 何が起こったのか一瞬理解出来なかった。

 マウローニを挟んで向かいあっていた兵士に、突然ナイフで左の腹を刺されたのだ。


 俺を刺した兵士はマウローニに貫手で左胸を貫かれ、ナイフを手放して倒れた。

 ワイバーンを倒すことに夢中になって、王位継承争いのことを完全に忘れていた。


「ユート様!」

「うろたえるな、アラセリ! ごふっ……ナイフを抜かず、そのまま医務室へ運べ。リュディエーヌに治療させよ」

「俺が運ぶ」

「ぐぅぅ……」


 騒ぎを聞きつけたラーディンが俺を抱え上げると、少し姿勢が変わっただけでも腹に激痛が走った。


「マウローニ様……」

「生きよ、ユート!」


 マウローニは瓦礫だらけの床に横たわったまま、ラーディンに抱えられて運ばれる俺をじっと見守り続けていた。

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