第42話 嫌がらせ

 王国の矛は折れず、王国の盾は砕けなかった。

 ワイバーンの翼によってダンスホールの外まで跳ね飛ばされたのに、まったく酷い目に遭ったなどとボヤキつつ、サイードとラーディンは誰の手も借りずに戻って来た。


 今度こそは殺されてしまったかもしれないと心配していたのが、馬鹿らしくなるような筋肉達磨共だ。

 一足先に戻っていた俺を見て、良くぞ生き残ったと涙を流して喜んでくれたのだが、その泥だらけの鎧姿で抱き付かれたら、ワイバーンの返り血を流して着替えた意味が無くなってしまうだろうが……。


 てか、痛い……叩いても構わないけど、もっと手加減してくれ。

 サイードとラーディンが無事だったのは、弾き飛ばされて動けなくなっている間、マウローニが囮役としてワイバーンを惹き付けいたからだそうだ。


 そのマウローニは、サーベル一本を駄目にしながらも無傷で戻ってきているのだから、やはり只者ではない。


「ほっほっ……食われながらも魔法を発動させて頭を二つに割ったのか、いやいや大したものだ。ギリギリの場面での開き直りは、ユートの大きな武器じゃな」

「俺としては、そんなギリギリの場面には遭遇しないで済ませたいですよ」

「そうじゃな、いつもいつも切り抜けられるとは限らぬ、ここから先は昨日ユートが提言したように、奴らに嫌がらせをして追い払う策を試してみるべきじゃな」


 ワイバーンは残り二頭。

 半数以上の仲間を殺されて、更には嫌がらせされて安心できない状況が続けば、城を縄張りとするのを諦めるような気がする。


「残りの二頭はどうなりました?」

「多少は削ってやったが、ワシ一人で二頭を相手にするのはさすがに荷が重い。ほどほどのところで引き上げてきたわい」


 ダンスホールの外から陽動の攻撃を行っていたチームも、負傷者は出したが死者は出さずに済んだらしい。

 とりあえず昼まで休息し、ワイバーンの様子を確認してから、これからの作戦を立てる事になった。


 会議までの間、狭いベッドでアラセリと抱き合いながら泥のように眠った。

 昨晩、不眠を強いられた緊張から解放されたのと、二人とも無事に生き残った安堵感が、まるで睡眠薬のようだった。


 昼食後の作戦会議では、最初にサイードからワイバーンの様子が報告された。


「残念ながら、奴らはまだ立ち去るつもりは無いらしい。これだけ仲間がやられたら、ここに固執する理由など無いと思うのだが……ワイバーンの考えることは分からん」


 残り二頭となったワイバーンは、戻って仲間の一頭が殺されたのを確認すると、暴れ回ってダンスホールをメチャメチャに壊してしまったそうだ。

 死んだ一頭は、瓦礫の下敷きとなってしまっているらしい。


 まさかとは思うが、ワイバーンなりの埋葬なのだろうか。

 その後、二頭は玄関ホールへと移動して、そこを新たな巣と定めたようだ。


 ダンスホールに比べれば手狭なので、壁抜きを仕掛けるチャンスはありそうだ。


「二頭は城下に狩りに出かけて、中央区の建物を壊して四人を攫って城の敷地に戻って来ている。今は演習場で食事を始めたらしいが、早速嫌がらせを仕掛けさせてみた」


 サイードは、実に楽しそうに笑みを浮かべながら、嫌がらせの内容を説明し始めた。

 嫌がらせは、主に火矢を用いて仕掛けているそうだ。


 魔法による炎ではなく、物理的な炎の方がワイバーンには効果があるらしい。

 と言っても、致命傷を与えるほどの効果は無いので、あくまでも嫌がらせだ。


「俺達に例えるならば、食事の最中にハエに悩まされるようなものだろう。楽しい食事の時間を邪魔されて、随分と苛立っているらしい」


 攻撃を仕掛ける側は、火矢を一斉に射掛けてたら姿を隠してしまう。

 発見されなければ、反撃を受ける心配も要らないので、攻撃側に負傷者が出る心配は無いらしい。


 ワイバーン共は、食事を邪魔した相手を発見できず、更に苛立ちを募らせているようだ。


「奴ら、食事の後は羽を伸ばして休息するようだが、のんびりさせる気はないぞ」


 演習場の周囲には、幾つもの通路が設けられているようで、風向きやワイバーンの様子を確認しながら嫌がらせを続けるそうだ。


「その攻撃は、いつまで続けるつもりですか?」

「攻撃出来る隙がある限り続ける。玄関ホールで眠るならば、そこにも火矢を射込んでやるつもりだ」


 どうやら嫌がらせは徹底的に行われるようで、夜半過ぎまで攻撃を続けて、明け方近くまでワイバーンを眠らせないつもりらしい。


「ユート、明日の状況次第だが、壁抜きで攻撃を仕掛けられそうならば、やってくれるか?」

「はい、壁抜きでしたら……」

「では、今朝と同じ時間に準備だけは始められるようにしてくれ」

「分かりました」

「さぁ、いよいよワイバーン共との戦いも終盤だ。ここから先は犠牲者を出さずに済むように、かつ一日でも早く追い払うぞ」


 作戦会議の後は、アラセリと一緒に玄関ホールの下見に出掛けた。

 ダンスホールに比べると広さは半分以下で、ここに二頭のワイバーンが入って来るならば、どこかしらの壁には接触しそうだ。


 玄関ホールとあって廊下は四本も繋がっているし、周囲には談話室のような部屋もある。

 確実ではないが、壁抜きの攻撃が届きそうな気がする。


「こっちの部屋の壁に寄り掛かってくれれば最高なんだけど……そう上手くはいかないだろうな」

「そうですね。嫌がらせが、どの程度効果があるかによっても作戦は変わって来るでしょうし、とにかく動けるように体調を万全に整えておきましょう」


 俺達が下見を続けている間にも、遠くからワイバーンの咆哮が聞こえてきた。

 たぶん、訓練場で休んでいる所に火矢が射掛けられたのだろう。


 下見を終えて部屋に戻ったら、特にやる事も無いので一人でベッドに横になって休んだ。

 大きなベッドならアラセリと一緒に横になるのだが、やはり狭いベッドだと少々窮屈なのだ。


 酷い緊張感に包まれていた昨日とは違い、今日は何となく事態が好転していきそうな感じがしているので、体を伸ばしてリラックスする方を選んだ。

 明朝、もう一頭を仕留めれば、残るワイバーンは一頭だけ。


 孤立して、更に気の休まる時間も無く攻撃を仕掛けられれば、いくらワイバーンであっても城を縄張りにするのを諦めるだろう。

 ワイバーンが去れば、またアラセリとの平穏な日々が戻って来るはずだ。


 今夜の夕食は、またワイバーンの肉を使った料理だろうか……などと呑気な事を考えていたら、部屋の外が騒がしくなってきた。


「なんだろう、何の騒ぎだ?」

「確かめてきますので、ユート様はここで……」

「いや、俺も行くよ。何だか胸騒ぎがする」


 部屋から広間へと出ると、緊迫した空気が漂っていた。

 マウローニの姿が見えたので、歩み寄って声を掛けてみた。


「マウローニ様、何の騒ぎですか?」

「ワイバーン共が、土を掘り返し始めたそうだ」

「えっ、土って……どこのです?」

「演習場にいるワイバーンに火矢を射掛けていた連中が姿を見られ、そやつらが隠れた所を掘り返し始めたらしい」


 まるで子供がアリの巣を掘り返すように、ワイバーンは通路へと逃げ込んだ兵士を追いかけて土を掘り始めたらしい。

 空を飛ぶのは上手くても、土を掘るのは苦手だろう……なんて考えは、人間の勝手な思い込みだったようで、ワイバーンはかなりの速度で土を掘っているようだ。


 マウローニは、慌ただしく兵士が出入りしている通路の上方へと視線を向けている。


「まさか、ここまで掘り進んで来たりするのですか?」

「さすがにここまでは……と思いたいが、ワシらの基準で物事を考えない方が良いじゃろう」


 既に王族の方々は、万が一に備えて移動の準備を始めているらしい。

 万が一、この地下までワイバーンが掘り進んで来るようなら、王族は麓の軍の施設まで避難をするそうだ。


 そこは堅牢な作りになっているそうだが、この地下の空間ほどは安全ではないのだろう。

 ワイバーンに空から襲撃される恐れも増えるし、何よりも城を捨てて平民と同じ高さにまで下りるというのが王族にとっては屈辱らしい。


「止まりました! ワイバーンは諦めて移動しました!」


 伝令の言葉を聞いて、広間の張り詰めていた空気が緩んだが、マウローニは厳しい表情のままだ。


「どうかされましたか?」

「演習場からは離れているから、ここまで来るとは思わなんだが、玄関ホールとなると少し事情が違ってくるぞ」


 マウローニは、今まで眺めていたのとは逆の方向を向いて天井を指差した。


「玄関ホールは、おそらくこの辺りになる」


 マウローニが指差した方向から、玄関ホールは真上ではないが、あまり離れていない事が分かる。

 そこから、こちらに向かって掘り進められたら、あるいは広間に接する部屋の天井とかが崩れるかもしれない。


「二段、あるいは三段構えにするしかないな……」


 火矢を射掛けたら、玄関ホール近くの通路に飛び込むのではなく、更に遠くの通路の入り口までワイバーンを引っ張っていく必要がある。

 そのためには脱出援護とワイバーンを引き寄せるように、別の弓兵が火矢を射掛け、更に後方から別の弓兵が火矢を射掛けて脱出を支援する必要がありそうだ。


「まったく、これほどまでに負けが込んだのじゃから、諦めて別の場所に縄張りを作れば良いものを……」

「そうですね。いい加減に立ち去ってもらいたいですよ」

「ワシは、サイード達と今後の動きを打ち合わせてくる。ユートはさっさと夕食を済ませたら寝てしまえ」

「はい、安全な場所で、アラセリと一緒に寝てしまいます」

「そうじゃ、その通りじゃ。ただし、無駄に体力を消費する事はするでないぞ」

「分かってますよ」

「ほっほっ……どうじゃかのぉ……」


 ようやく表情を緩めたマウローニは、サイードを探して大広間を横切っていった。

 まったく、俺だってその程度の分別はある……はずだ。


 なんて思っていたら、横にいたアラセリにまで釘を刺されてしまった。


「ユート様、駄目ですよ」

「分かってるって……」

「でも、ワイバーンが立ち去ったら、いっぱいご褒美を差し上げます」

「うん、期待してる」


 騒動が収まった広間を後にして部屋に戻ったが、ご褒美の前払いは……駄目だよな。

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