第35話 死闘
ワイバーンにどの程度の知能があるのか……なんて考えてもいなかった。
大きさや身体能力、習性などは考えていたが、どの程度知恵が回るのかという想定はされていなかった。
目を覚ました瞬間に状況を判断して動いたのか、それとも目が覚めていたのにタヌキ寝入りをしていたのかは分からないが、我々の想定を超える素早さで動いたことだけは確かだ。
悲鳴を上げたのはエメリアンで、突如目を覚ましたワイバーンに食い付かれ、直後に吐き出された。
金属鎧の噛み応えが気に食わなかったのか、ワイバーンはエメリアンを吐き出したが、鎧の胴金はペシャンコに潰れ、牙によって開けられた穴からは血が噴き出している。
背骨が圧し折れているのか、起き上がる事すら出来ない。
「くそっ、嫌な予感が的中しやがった! ぼーっとするな、動け!」
大盾を構えたラーディンは、呆然と立ち尽くしているエメリアンのチームの騎士とワイバーンの間に割って入ろうとしたが、次の瞬間には倉庫の壁に叩きつけられていた。
ワイバーンの翼で薙ぎ払われてしまったのだ。
アメフトの選手かと思うような巨漢で、しかも金属鎧で全身を固めていたラーディンが、紙屑のように宙を飛んでいったのを見て、今度は俺が立ち尽くしてしまった。
幸い、死んではいないようだが、叩きつけられたダメージでラーディンは起き上がれない。
その姿をぼんやりと見ていたら、アラセリに思い切り腕を引かれた。
「ゴゥワァァァ!」
よろけた俺の横を先程まで立ち尽くしていたエメリアンのチームの騎士達が駆け抜け、それを追いかけてワイバーンの巨大な口が通り過ぎる。
アラセリが手を引いてくれていなかったら食われていただろうし、騎士のうち二人はワイバーンに噛み潰されてしまった。
全ては一瞬の出来事だったが、アラセリに手を引かれる少し前から景色がスローモーションのように見えていた。
火事場の馬鹿力というやつなのか、それとも死の直前の走馬灯なのかは分からないが、その瞬間に魔法を発動させられたのは日頃の鍛錬の賜物だろう。
「転移!」
「ガゥゥゥゥ!」
転がりながらの発動だったので、切断するほどの威力は出せなかったが、騎士二人を噛み締めたワイバーンの首筋から鮮血が迸った。
ワイバーンの大きな瞳がギョロリと動いて俺を捉える。
「ユート様、立って!」
言葉に従って反射的に立ち上がろうとすると、その勢いのままにアラセリが俺を抱えて後方へと体を投げ出した。
凄まじい風圧と共に、ワイバーンの羽が俺達を掠め、後ろにいた火属性魔法の術士ハーフィズを薙ぎ払った。
倉庫の壁に叩き付けられたハーフィズはラーディンの近くに落ちたが、首が曲がってはいけない角度に捩じれていて、ビクビクと不気味な痙攣を起こしている。
倉庫の中ならば空を飛べないから、こちらの攻撃も届く……なんて考えは甘すぎた。
ワイバーンは空を飛べないが、俺達も逃げ場を限定されてしまっている。
三頭のワイバーンのうち、一頭へはマウローニ達が予定通りに攻撃を仕掛けている。
そして、本来ならばエメリアンのチームが対応するはずだったワイバーンには、俺を追い越していった王国の矛ことサイードが攻撃を仕掛けていた。
それならば、俺は今のうちに逃げ出そう……なんて思ったのだが、扉の前には俺が手負いにしたワイバーンが居座っている。
あの強烈な翼の薙ぎ払いを避けて、扉へ飛び込むなんて無理だ。
だったら、やる事は一つだ。
「アラセリ、目の前のワイバーンを倒して通路へ逃げ込む。踏み込むタイミングを指示してくれ」
「分かりました」
手負いのワイバーンには、風属性魔法の術士ウルムが攻撃を仕掛けているが、あまり効果が無いように見える。
「グルゥアァァァ!」
「くそっ、なんて硬さだ……」
ウルムは風の刃を叩き付けているようだが、風属性の適性を持つワイバーンとは相性が悪いようだ。
「ユート様、こちらから見て、ワイバーンの右側に回り込みます。ウルムに気を取られている隙に翼を狙いましょう。」
「分かった」
ワイバーンはウルムの攻撃を受け流しているようだが、良く見ると左の翼を使って傷ついた首筋を庇っている。
鱗や翼にならウルムの魔法を食らっても大丈夫なのだろうが、さすがに傷口に食らうとダメージを受けるのだろう。
翼で傷を庇う瞬間こそが接近のチャンスだ。
達磨さんが転んだをするように、翼で死角が出来た瞬間に距離を詰め、視界が開けたときには動いていない振りをする。
俺達の動きを見たウルムが、ワイバーンの左側へと回り込み、更に俺への注意を逸らしてくれた。
ワイバーンの視界が隠れる度に、二回、三回と少しずつ距離を詰める。
子供の頃に、友達と遊んだ達磨さんが転んだも、動いたのがバレないかドキドキしたが、今日はガチの命懸けだ。
ウルムの攻撃を避けるために、左の翼を掲げたままワイバーンが踏み込んで来た。
こっちからも踏み込んで更に距離を詰めてから、全力で魔法を発動させた。
「転移!」
「ギャゥゥゥ……」
ワイバーンが絶叫した直後、再びアラセリに抱えられて後方へと体を引き倒された。
床に転がった俺達の頭上スレスレをワイバーンの右の翼が通り過ぎていき、圧し潰されそうな風圧を感じた。
逃げ遅れたウルムが、ピンポン玉のように弾き飛ばされる。
ワイバーンと人間では、持っている体の力が違い過ぎだ。
なにが少数精鋭だ、これじゃあ少数壊滅じゃないか。
右の翼を振り抜いたワイバーンが、ゆっくりと俺達の方へと向き直る。
「ユート様、立てますか?」
「あぁ、大丈夫だ」
すぐに動けるように、アラセリと一緒に身構える。
ワイバーンは両目を俺達に向け……そのまま崩れるように横倒しになった。
無傷に見えていたのはワイバーンの右半身だけで、左半身は鮮血で真っ赤に染まっていた。
俺の転移魔法によって、翼と一体になった左腕は切断されて床に落ち、更に縦に斬り割られた腹からは内臓が溢れ出していた。
左の肺も肋骨ごと切り裂いたらしく、ゴボゴボと血泡が立っている。
「ユート様、油断しないで下さい」
「そうか、まだ完全に死んでないかもしれないのか……」
翼を失った側から慎重に距離を詰めると、ワイバーンの瞳が俺を追いかけてきた。
「こんな状態でも生きてやがるのかよ……転移!」
後退りするフリをしてから、一気に踏み込んで三度目の転移魔法を食らわせた。
一瞬の間があった後で、ワイバーンの頭が胴体から離れて転がった。
さすがに、これならば生きてはいられないだろうと気を抜いた瞬間、俺を抱えたアラセリごと弾き飛ばされた。
本来エメリアンのチームが対応するはずだったワイバーンが、サイードを置き去りにして俺達の方へと向かって来たのだ。
翼の直撃はギリギリで回避できたが、風圧だけで壁際まで転がされた。
もう何度も石の床に転がされているので、体のどこが痛いのか分からないぐらい打ち身を食らっている。
「ユート様、立って!」
アラセリの誘導で立ち上がったが、大きく開かれたワイバーンの顎が迫ってきていた。
「くそぉ、転移ぃ! ぐあぁ!」
逃げきれないなら刺し違えてやると、ワイバーンの頭を両断するように切断の転移魔法を発動した直後、ラーディンのタックルを食らって倉庫の床に押し倒された。
ワイバーンからは逃れられたが、トラックにでも撥ね飛ばされたのかと思ったほどの衝撃だった。
そのまま俺はラーディンに抱えられて、マウローニ達が使った扉を潜って隠し通路へと戻った。
通路に降ろされて、座り込んだ俺にアラセリが声を掛けて来た。
「ユート様、しっかり……」
「なんとか大丈夫だ。アラセリは、どこも怪我してない?」
「私は大丈夫です」
「良かった……」
「すまんが、無事を喜び合うのは広間に……」
ラーディンの無粋な言葉は、途中で途切れた。
何かと思って、ラーディンの視線の先に目を向けると、俺達を噛み砕こうとしたワイバーンの頭が、倉庫の壁を突き破って広間に戻る通路を塞いでいた。
「嘘だろう……戻れないのかよ」
「反対側の通路を通るしかないな」
「簡単に言わないでくれ……」
反対側の通路に入るには、またワイバーンがいる倉庫を突っ切って行かなければならない。
再び、死と隣り合わせの空間に出ていく勇気が持てない。
「だが、残っているワイバーンは一頭だけだぞ」
「えっ、あいつは……?」
「死んでいるだろう」
ラーディンに言われて良く見てみると、壁を突き破ったワイバーンは微動だにしていないし、鼻面から溢れた血が通路に滴っている。
本当にギリギリの距離で発動させたから、俺の切断の転移魔法がワイバーンの頭を真っ二つにしたようだ。
「もう一頭は、マウローニ様が対処されているから大丈夫だろう」
「じゃあ、あっちの決着がつくまで、ここで休んでいるってのはどう?」
「壁を突き破って来るかもしれんぞ」
「げぇ……行くしかないのかよ」
壁なんて突き破れないだろうと言いたいところだが、実際に突き破っている奴が目の前にいる。
立ち上がろうとしたら、体に痛みが走った。
「ぐぅ……」
「ユート様、大丈夫ですか?」
「さっきまでは平気だったのに……」
緊張を途切れさせてしまったからか、思い出したように体のあちこちが痛み出した。
こんな状態でワイバーンのいる倉庫に出ていくなんて、自殺行為じゃないだろうか。
「もう少し休むか?」
「いや、これ以上休んでいると、本格的に動けなくなりそうだ」
「では、隙をみて一気に走り抜けよう」
「分かった」
あちこち痛む体に喝を入れて立ち上がり、両手で自分の頬を叩いて気合いを入れた。
ラーディン、アラセリと三人で頷き合って、扉へ向かうとワイバーンの咆哮が聞こえた。
「グワァウゥゥゥ……」
たった今、入れたばかりの気合いが早くも揺らぎ始めるが、前を行くラーディンも足を止めて俺達にも止まるように手で合図を送って来た。
「グォオォォォ……」
またワイバーンの咆哮が聞えてきたのだが、さっきよりも声が小さい。
これは、マウローニが致命傷を負わせたのだろうか。
ならば、少し待てば安全に向こうの通路に辿り着けそうだ。
ところが、扉の外を覗いていたラーディンは手招きをしてきた。
止めを刺せとか言うつもりなら、お断りだ。
「逃げられた」
「うわっ、マジか……」
扉を出ると、朝日が差し込み始めた倉庫に、もう一頭のワイバーンの姿はなかった。
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