第32話 再会
王城にある塔の鐘は、朝、午前、昼、午後、夕方の五回に鳴らされて、城下に住む人々に時間を知らせている。
ガラーン……ガラーン……と鳴る鐘の音と共に人々は生活していて、分単位、秒単位で時間に追われている日本とは違い、普段は実にゆったりとした時間が流れている。
ガラーン……ガラーン……ドン、ガラガラガラ、ズドーン……。
先程、昼を知らせたばかりの鐘が鳴らされたと思ったら、普段聞いた事の無い鐘の音に続いて衝撃音が響き渡った。
「ユート様、来ました! 通路へ!」
「分かった、とうとうか……」
アラセリの指示に従って、宿舎から地下への通路を通って避難を始める。
確認した訳ではないが、先程の鐘の音はワイバーンの接近を知らせるもので、その音を嫌ったワイバーンによって鐘楼が破壊されたのだろう。
前回、ワイバーンの渡りが起こった時にも、王城の鐘楼は同じ役目を担い、同じように破壊されたと聞いている。
正直に言うと、ワイバーンを自分の目で見てみたいと思うのだが、それはあくまでも安全が確保されているならであって、自分が餌になるかもしれない状況下に飛び出していくつもりはない。
緊急用の避難通路は、幅や高さこそ一般の廊下よりも狭いが、作り自体は普通の階段であり普通の廊下だった。
王族や外国の要人のためのものだと考えれば当然なのかもしれないが、もう少し秘密の通路感があっても良いのでは……などと呑気な事を考えていたのだが、そんな気分はすぐに吹き飛ぶ事になった。
「父上、すぐさま撃退措置を行うべきです!」
「馬鹿め! 飛来したばかりのワイバーンに戦いを挑むなど、餌になりに行くだけだ!」
「それでは、城下の者達が食われるのを黙って見ていろと言うのか、腰抜け!」
「なんだと、貴様とて指示を出すだけで、戦う訳ではないだろう。我を腰抜け呼ばわりする資格など貴様には無いわ、馬鹿が!」
言い争っているのは、第一王子アルベリクとデップリと太った同年代の男だった。
金糸で刺繍の施された服を着て、アルベリクと正面から言い争っている様子から見ても、この緑がかった金髪の男が第二王子ベルノルトなのだろう。
「止めよ! 今は言い争う時ではない。アルベリク、相手の様子を見極めないままに戦いを挑むのは愚者の行いだ。ベルノルト、民を見捨てれば王家は存続出来ぬ。二人とも頭を冷やせ!」
通路を抜けた先にあったのは、学校の体育館ほどの広さの空間で、その両側にいくつかの扉が見える。
空間の奥の壁際が一段高くなっていて、その中央に置かれた椅子に座っていた中年の男性がアルベリクとベルノルトを怒鳴りつけて黙らせた。
金髪で細面、四十代半ばぐらいに見える男こそが、現国王のオーガスタ・ユーレフェルトなのだろう。
少し頭を働かせて考えていれば予測出来たはずだが、地下の避難スペースが地上のような広大な施設であるはずがない。
アラセリに訊ねてみると、この広間の両側にある十部屋ほどの居室、それと炊事場、倉庫が地下の施設の全てのようだ。
つまり、この狭い空間に第一王子派と第二王子派が詰め込まれている状態という訳だ。
さすがに互いの王子を武力で排除しようなんて愚か者はいないようだが、各派閥の騎士は広間を挟んで睨み合っているような状態だ。
結局、国王オーガスタの指示に従って、まずは城の敷地に降りたワイバーンの様子を確かめ、討伐を行うのはシッカリとした作戦を立ててからとなったようだ。
まぁ、当然と言えば当然だが、まさか、作戦を立てるという名目でワイバーンが立ち去るのを待つなんて事は無いと思うのだが……。
「なぁ、アラセリ。まさか、ここにいる騎士が国の戦力の全てって訳じゃないよな?」
「勿論です。国軍の兵士は麓の施設に待機していて、指示を受ければ地下の通路を通って城の敷地へと向かいます」
「それなら、俺はなるべく目立たないようにしていれば良いのか?」
「そうなります……」
地下の居室は、王妃、王子、王女にそれぞれ一室が与えられ、残った居室を近衛騎士や王族の世話をする者が使う。
居室の広さは十畳間ぐらいで、俺達が使う部屋には入り口から奥に向かって二段ベッドが四列、壁際が三台、中央二列が二台、合計十台並べられていた。
俺に与えられたのは壁際の一番奥の上段で、ここで大人しくしていろという事らしい。
ちなみに、この部屋は男性が使う部屋なのだが、下段のベッドはアラセリに与えられている。
だからと言って、こんな状況ではベッドを共にするなど不可能だ。
地下の施設は、魔道具を使って換気が行われているらしく、呼吸が苦しくなるような事はないのだが、外部から隔絶されている感じで精神的な圧迫感がある。
それに、アラセリだけでなくアルベリクからも直々に、大人しくしていろと言われてしまっているので何もやる事がない。
地上から隔絶された地下の空間で、更に隔絶されてしまっているようだ。
「アラセリ、ちょっとトイレに行きたい」
「分かりました……」
襲撃を警戒する俺達にとって、このトイレという空間がまた厄介だ。
地下の限られた空間なので、トイレは王族用以外には男女共用の一ヶ所しか作られていない。
ワイバーンの渡りなどに対する緊急避難施設なので広さには限りがあるし、そもそも王族同士の対立までは想定されていないのだ。
「では、ユート様、打ち合わせ通りに……」
「分かった」
俺がトイレを使用する場合、壁際に六つずつ並んでいる個室の一番奥を使用する。
アラセリは、その隣の個室を使用する振りをしながら不審な人物が近づかないか警戒する事になっている。
俺が用を済ませて出る時には、隣の個室との壁をノックして、アラセリからノックが帰って来たら個室を出る手筈になっている。
つまり、大も小も気配はアラセリに察せられてしまうだろうし、ましてや性欲の自己処理など出来るはずもなく……地味にストレスが溜まっていく。
打ち合わせた手順に従って個室を出ると、斜め向かい側の個室のドアが開いて人が出て来た。
「あっ……霧風君!」
「海野さん! 待ってアラセリ、彼女は敵じゃない!」
久しぶりに海野和美との再会を果たしたが、俺を庇うようにアラセリが割って入った。
てっきり川本達が襲ってきた時のような蹴りを放つかと思って慌てて止めたのだが、アラセリは俺と海野さんに言葉を発しないように手振りで合図してきた。
確かに、ここは両方の派閥の者が利用している場所で、俺と海野さんの話を聞かれると不味い人間がいる可能性がある。
「こちらへ……」
アラセリには海野さんの事は話してあるし、第二王子派を探っている者から話も聞いて事情を察したのだろう。
アラセリに連れて行かれたのは、清掃用具などを入れておくための倉庫だった。
「私が表で見張っていますが、大きな声は出さないように」
「分かった……」
倉庫といっても空間が限られているので、向かい合った海野さんとの距離は三十センチも無い。
俺よりも少し背の低い海野さんに上目使いで視線を合わせられると、何だか変な気分になりそうだ。
「げ、元気だった?」
「うん、私と亜夢と涼子はね」
「亜夢って菊井さんだよね。涼子っていうのは……」
「あぁ、蓮沼涼子。二人は水属性の魔法が使えるから、血行とかリンパの循環を促す独自の魔法を開発したの」
「それもエステ関係?」
「そうそう、それで私達三人は施術用の部屋も与えてもらって、完全に戦闘部門からは切り離してもらえたんだけど……」
「そうだ、隣国との戦争に駆り出された連中の情報……海野さん?」
「うぅぅぅ……」
クラスメイトの話になると、海野さんは俯いてボロボロと涙を零し始めた。
少し迷ったけれど、海野さんの背中に腕を回して抱き寄せた。
「また……また、いっぱい……死んじゃったって……」
「海野さんのせいじゃない、悪いのは……奴らだ」
「分かってる、頭じゃ分かってるけど……うぅぅぅ……」
途切れ途切れの涙声で海野さんが話した内容を繋ぎ合わせると、クラスメイト達は最初の奇襲攻撃の最前線に立たされて、女子四人、男子三人が命を落としたらしい。
しかも、ワイバーンによって占拠したばかりの中洲が襲われたらしく、その後どうなっているのか全く情報が入って来ていないそうだ。
異世界から来て、それまで戦争とは無縁で生きて来たクラスメイト達を奇襲攻撃の最前線に立たせるような連中だから、ワイバーンに対しても向かって行け……なんて指示を出されていてもおかしくない。
「どうしよう……みんな死んじゃったら、どうしよう……私達だけ生き残ったって……」
「落ち着いて、海野さん。俺も、ずっと同じ気持ちなんだ……何とかクラスのみんなを戦闘ではない分野に移してもらえないかって思ってるけど、今は違う派閥に属する形になっちゃってるし、何も出来なくて……」
「違うよ。霧風君がアドバイスしてくれたから、私や亜夢や涼子は救われたんだよ。だから、今度は私たちが誰かを救わなきゃいけなかったのに……」
「頑張ってる、海野さんは十分頑張ってる。それでも、ただの高校生だった俺達に出来る事なんて限られてるんだよ」
「でも……でも……」
「そうだね。それでも、今は出来る事を頑張るしかないんだと思う」
「霧風君……」
海野さんは、腕に力を込めてしがみ付いて来た。
抱きとめた海野さんの体は、アラセリよりも細くて小さくて、力を入れたら折れてしまいそうに感じる。
こんな小さな体で頑張り続けてきたのかと思うと、愛おしさを感じてしまうと同時に、第一王女アウレリアや第二王子ベルノルトへの怒りが沸々と湧き上がってきた。
「海野さん、俺が必ずアルベリク様を次の王にしてみせるから、もう少しだけ頑張って」
「霧風君……」
涙で濡れた瞳で俺を見上げた海野さんは、ふっと目を閉じて唇を突き出してみせた。
扉の外で見張りを務めてくれているアラセリの存在を思うと凄く迷ったのだが、海野さんの唇に俺の唇をそっと重ねた。
これは恋愛でも浮気でもない、色々と欠けてしまった海野さんの心の隙間を埋めるための行為だ。
頭の中で言い訳を繰り返しても、禁欲生活を続けている俺の体は正直に反応してしまった。
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