第31話 待ちぼうけ

 昔々、ユーレフェルト王国が出来る遥か昔、現在の城がある小高い台地の周囲には、肥沃な草原が広がっていたそうだ。

 人々は、その肥沃の大地で家畜を育てたり、土地を耕して農作物を作ろうとしたらしいのだが、一つ大きな障害が存在していた。


 小高い台地は、ワイバーンたちのコロニーとなっていたそうだ。

 家畜を育てても、いつ攫われるか分からない、農作業を行っていても、いつ襲われるかわからない。


 人々は、ワイバーンの影におびえる生活を続けていたそうだ。

 ある日、部族の長の家に一頭のワイバーンが飛来して、人の言葉で語りかけてきたそうだ。


「長よ、そなたの娘を我の嫁に差し出せば、人を襲うのを止めてやろう」


 長の娘はこの辺りでは評判の美女で、多くの男から結婚を申し込まれていたらしい。

 ワイバーンと結婚したくない長の娘は、これまでに結婚を申し込んで来た男達を集め、ワイバーンを倒してくれた人と結婚すると言ったそうだ。


 部族の長には娘以外の子供がおらず、娘と結婚することは次の長となる事を意味していたらしい。

 集まった男達は、一人では無理だが全員で掛かれば倒せるだろうと思い、婚儀の貢物を運ぶ行列に扮してワイバーンの巣へと乗り込んだそうだ。


 集まった腕に覚えのある男達の総勢は十三人、壮絶な戦いの末にワイバーンを討伐し、生き残った男はたった一人だったそうだ。

 男の名はユーレフェルト、長の娘を娶り、ワイバーンの巣があった地に砦を築き、それがユーレフェルト王国の始まりだという。


「それって、本当の話なの?」

「最初の頃は、文字も残っていない言い伝えなので、本当かどうかは定かではありません。ただ、百年ほど前に起こったワイバーンの渡りでは、城が半壊するほどの激しい戦いが行われたとされています」


 アラセリによれば、百年前の渡りで飛来したワイバーンは全部で三頭だったそうだ。


「当時の記録によれば、姿が見えたと思ったら、直後に城の屋根の上に降り立っていたそうです」

「それだけの速度で飛ぶってことだよね?」

「はい、ワイバーンは単純に翼によって飛ぶのではなく、風の魔法を使って空気の流れを起こして空を飛んでいると思われます」


 下手をすると、ジェット機並みの速度で空を飛ぶという事だろうか。 

 しかも、人間よりも遥かに大きな体を持っているという。


「正直、勝ち目はあるの?」

「国軍がフルメリンタとの戦いに割かれてしまっているのが痛いです。相当厳しい戦いとなるでしょう」

「城で働いている人達はどうなるの?」

「おそらく、王族のお世話をする者を除いて、城下へと避難する事になるとは思いますが……」

「安全とは言い切れない?」

「はい、ワイバーンが居座る事になれば、城下の街は奴らの狩場となる恐れがあります」

「それは、ワイバーンが居なくなるまで続くんだよね?」

「はい、そうなります」


 地震や台風などの災害も大変だけれど、倒すか追い払わなければ終わらない災害というのは厄介極まりない。


「それで、俺はどうすれば良いのかな?」

「暫定的な話になりますが、ユート様は王族の方々を世話する者と同等の扱いとなる予定です」

「城下へは避難しないの?」

「城下での安全が確保できるか不明なので……」

「それじゃあ、俺はここに居れば良いのか」

「いいえ、ワイバーンが飛来した時には、地下の通路を通って避難していただきます」


 アラセリの話では、この建物は外国の要人を招いた時に使われるもので、地下に緊急避難ようの通路があるらしい。

 通路の先は、王族が暮らすエリアの地下に通じているそうだ。


「ワイバーンの渡りが発生した時でも、王族は城から退避いたしません。これは、王族はこの地を守って戦うという姿勢を民に示すためです」

「でも、それでワイバーンに殺されるような事になったら大変じゃないの?」

「ですから、地下に王族専用の避難施設がございます」


 地上に見えている建物が全て壊されたとしても、王族の命を守るために城の地下深くに専用の避難施設が作られているそうだ。

 地下ならばワイバーンの狩りの目標にされる心配も要らないし、城下の国軍の施設までの通路もあるので物資が無くなる心配も要らないらしい。


 つまり、国民には逃げていないアピールをしながら、実際には一番安全な場所に逃げ込むという訳だ。

 まぁ権力者なんて、どこの国だろうとそんなものだとは分かっているが、こうしてタネ明かしをされてしまうと少々幻滅してしまう。


「ただ、アルベリク様は前線で指揮を執るおつもりのようです」

「はぁ? なんで? それで死んじゃったらどうするつもりなの?」

「民や兵を危険に晒して、自分だけ安全な場所で安穏としている訳にはいかないと……」

「真面目か! 周りの人は止めないの?」

「勿論、止めるつもりではいるようですが、殿下が強く主張された場合には……」

「止めてくれよ。それで万が一の事があったら、ベルノルトが次の王になっちゃうかもしれないんだろう? あり得ないよ!」


 ベルノルトのような馬鹿野郎よりは遥かにマシだけど、あまりにも理想主義のお坊っちゃんすぎる。

 本人は、そうした方が兵士の士気が上がるとでも考えているのかもしれないが、安全な場所でヌクヌクしていてくれと思ってしまう。


 いっそ、俺が首に縄をつけて地下に引っ張っていってやろうか。


「ユート様、あの……」

「ん? なに?」

「いえ……」


 アラセリが、何かを言いかけて言葉を飲み込んだ。


「もしかして、俺にアルベリク様を守れって言うの?」


 ドロテウスを真っ二つにした切断の転移魔法を使えば、ワイバーンを討伐出来るかもしれないが、そのためには五メートルぐらいの距離まで接近しなければならない。

 片方の翼が十メートルぐらいあるというワイバーンに対して、その距離まで接近するのは命懸けだ。


 だが、アルベリクが死んでしまったら、俺は大きな後ろ盾を失う事になる。

 蒼闇の呪いと呼ばれる痣を消せるという特殊技術はあるけれど、ドロテウス達五人を返り討ちにした件を根に持たれていたら、悲惨な扱いを受ける羽目になるかもしれない。


 だが、アラセリの言葉は俺の予想とは違っていた。


「私は……ユート様に、アルベリク様を守ろうなんて思ってもらいたくないです」

「えっ?」

「こんな事は私の立場では言うべきではないのですが、ユート様に危険な目に遭ってもらいたくないんです」

「アラセリ……」

「今のユート様がワイバーンと戦えば、無事では済まないと思います。ワイバーンにユート様の魔法が届く距離まで近づくなんて自殺行為です。アルベリク様から御命令を受けたとしても、可能ならば断っていただきたい。死んじゃ……嫌です」


 ためらいがちに言葉を紡いだアラセリを強く抱きしめて唇を重ねる。


「アラセリ……」

「ユート様……」


 ワイバーンという危機が迫っているからか、いつも以上に情熱的に互いの存在を確かめ合い、思いを刻み込もうと体を重ねた。

 アルベリクが知ったら不謹慎だと言うかもしれないが、もしかしたら二度と会えなくなるのでは……と思ったら、己の欲望を抑えることなど出来なかった。


 だが、俺の色々な昂ぶりに反するかのように、ワイバーンは現れなかった。

 フルメリンタの国境まで馬車ならば十日以上掛かる道程だが、ワイバーンならば一日で辿り着いたとしてもおかしくない。


 ましてや、ワイバーンの渡りが起こったと知らせが届くまでには二日から三日掛かるそうだから、知らせが着いた日に現れたとしてもおかしくないのだ。

 ところが、翌日になっても、翌々日になっても姿を見せないのだ。


 城だけでなく、城下の街にまで知らせが出され、厳戒態勢が敷かれる中で何も起こらないまま時間だけが過ぎていく。

 アルベリクへの施術が中止になっているので、俺もやる事が無い。


 いや、やる事は無い訳ではないが、さすがに不謹慎すぎると思って自重している。

 なので、アラセリに相手をしてもらって、攻撃を受け流す訓練を行っている。


 というのも、ワイバーンへの警戒態勢が敷かれたことで、俺を警護する兵士が減らされているのだ。

 王族が危機に晒されているという点では、第一王子派も第二王子派も同じなので、まさかこんな時に襲撃してこないとは思うが、俺自身の安全を確保するために備えているのだ。


 訓練とは言っても防具は身に付けているので、例え襲撃があっても何の抵抗も出来ずにやられる事は無いだろう。

 初撃さえ防げれば、こちらからの反撃は必ず届くはずだ。


「ユート様、このくらいにしておきましょう」

「そうだね、ヘトヘトになるまでやっても意味無いもんね」

「はい、状況が状況ですので、いつでも動けるだけの余力は残しておきましょう」


 訓練を切り上げて汗を流したのだが、勿論風呂場には俺一人だ。

 護衛が減っている状況で、風呂場でイチャついている場合ではない……のだが、健康な男子は三日でフルチャージしてしまうので、この状況が続くのは辛い。


 汗を流して、ちょっと自己処理して風呂場を出る。

 身支度を整えてから、脱衣所の外で警護しているアラセリに声を掛けた。


「着替え終わったよ。今のうちにアラセリも汗を流しておいたら?」

「そうですね……でも、ユート様の護衛を怠る訳には……」

「そんなに長い時間でもないし、大丈夫だろう」

「では手早く済ませてきますので、ここを動かないで下さい」

「分かった」


 脱衣所のドアの傍でアラセリが汗を流すのを待っていたのだが、衣擦れの音や水音が妄想を掻き立てて、これはこれで辛いものがある。

 アラセリは濡れた髪を拭くのももどかしい様子で、慌ただしく水浴びを済ませて脱衣所から出てきた。


 まだ濡れている髪や普段と違って少し着崩れた感じが、また妄想を掻き立てる。

 ホントに、どうしてこんなにエロい事ばかりを考えるようになってしまったのだろう。


「申し訳ございません、ユート様」

「いや、もっとゆっくりで良かったのに」

「いえ……ご自分でさせてしまったようで……」

「えっ、いや……それは仕方ない事だから……」


 うげぇ、風呂場に栗の花の香りが残っていたのだろうか……これはハズい。

 くそぉ、ワイバーンめ……来るなら、さっさと来やがれ!

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