第30話 最期

※ 今回も川本目線の話となります。


 俺は生き残った。

 燃やして、走って、また燃やして、走って……気が付けば、中州の一番上流まで駆け抜けていた。


 白々と明け始めた空の下には、幾つもの煙がたなびいていた。

 稲作用の用水路に下りて、バシャバシャと乱暴に顔を洗う。


 まとわり付いていた煤と汗をこすり落とし、金属製の兜を脱いで水を掬って頭からかぶる。

 犬のように体を震わせ、髪を濡らした水を払い落して空を見上げた。


 明けていく空には雲一つ無く、今日も暑い一日になると語りかけてくるようだった。


「あぁ、腹減ったな……」


 体はヘトヘトに疲れているが、気分は見上げた空のように晴れやかだった。

 ずっと腹の底に溜まり続けていたドス黒い感情が、綺麗サッパリと消えている。


 同時に、人として失ってはいけない何かも消えてしまったような気がする。

 それが良いことなのか、それとも悪いことなのか……。


 たぶん、日本で暮らすならば無くしてはいけないものだったのだろうが、この世界で生き残っていくにはむしろ邪魔だった気がする。


「帰ったら飯があるのかな? てか、全部燃やさずに飯だけ残しておけば良かったのか?」


 水を切った兜をかぶり直して用水路から上がると、五十メートルほど先に鍬みたいな農具を持った男がいた。

 着ている服は半分以上が焼け焦げていて、左腕や左足は肉まで焼け爛れている。


 髪の毛や顔の左側も焦げていて、目は右側しか見えていないようだ。


「見つけた……見つけたぞ、人殺しがぁ!」


 ここまで来る間、俺は無我夢中で燃やし、殺してきた。

 たぶん、この男は俺に肉親を殺され、自分も殺されかけたのだろうが、全く覚えていない。


 男は俺の姿を見つけると農具を片手に向かって来たが、焼け爛れた左足が思うように動かせないらしく、やっと歩いているような状態だった。

 それでも血走った右目で俺を睨み付け、農具を杖のようにして進んで来る。


 おそらく酷い痛みを感じているのだろうし、普通なら動けるような状態ではないのだろう。

 それでも、俺に対する憎しみと執念が男を突き動かしているのだろう。


「すげぇな、そんな状態でも動けるんだ。痛くないの?」


 ヨロヨロと進んで来る男を見ても、罪悪感とか同情心は湧いて来ず、最初に感じたのは人間の生命力の凄さだった。


「なっ……ぐぅぅ、こんなもの……こんなものぉ……」

「あぁ、ごめんごめん、忘れてた痛みを思い出させちゃったかな?」

「き、貴様……殺してやる、殺してやる!」

「ははっ……無理でしょ。俺を殺す前に、あんたの方が死にそうじゃん」

「うるさい……俺が死んでも、必ずお前を殺してやる……」

「無理無理、俺はまだ死ぬ気無いし……それより楽にしてやるよ」


 軽く右手を振って放った火球は、いつもよりも威力が上がっているようで、たちまち男を火だるまにした。


「ぐあぁぁぁぁ……ちくしょ……殺して……」


 崩れ落ちるように膝をついた男は、炎に包まれながらも農具に縋って立ち上がろうとしたが、前のめりに倒れると二度と動かなかった。


「なっ、無理だっただろう……」


 畦道を塞ぐように倒れて燃え燻っている男を飛び越え、検問所がある下流に向かって歩き出す。

 人を殺したのに、蚊を叩き潰した程度の感情しか動かなかった。


 街道までの三分の一程の距離を歩くと、二十人程のユーレフェルト兵の一団に出会った。


「止まれ! 召喚兵の一人か、仲間はどうした?」

「途中ではぐれたので、制圧を優先しました」

「そうか、この先も制圧したのか?」

「はい、一番上流まで行き、途中にあった建物は全て焼き払い、住民は始末しました」

「一人でか?」

「はい、ただの農民を始末するぐらい簡単ですよ」

「そうか、ご苦労だった。戻って、隊に合流しろ」

「はっ!」


 俺達が制圧した後を確保していくのだろうが、二十人ぽっちでこの広さを警戒出来るのか……と思っていたら、その後もユーレフェルト兵の一団と出会った。

 これなら制圧した場所を警戒し確保出来るだろうと安心したが、同時にこれだけの人数が居るなら最初から投入しろよと思ってしまった。


 意気揚々と占領地の警戒に向かうユーレフェルト兵とは対照的に、集合場所にいたクラスメイト達はドンヨリとした空気に包まれていた。


「川本、お前生きてたのか……良かった」

「テンパって一番上流まで突っ走っちまったぜ。てか、暗いな……何人死んだんだ?」

「男が三人、女が四人だ」

「マジで? そんなに死んだの?」

「男は西尾、戸高、村西、女は下田、渡部、三条、それと……落合だ」

「でも、相手は農民ばっかだっただろう?」

「ちげぇよ。後から襲ってきたじゃんか」

「えっ、なにそれ……」


 大島の話によれば、俺が上流に向かって突っ走った後、フルメリンタの兵士が後ろから襲い掛かって来たらしい。

 俺達の後に続いたユーレフェルト兵と挟み撃ちにして殲滅したそうだが、不意を突かれて犠牲者が出たようだ。


「なぁ、大島、何か食うものねぇか?」

「お前、良くこんな状況で飯を食う気になるな」

「そうは言うけど、食わなきゃ体が持たないぞ、体の状態、精神状態、両方整わないと上手く魔法が使えなくなる」

「そうだけどよぉ……」

「もう、こんな状況になったら開き直ってやるしかねぇじゃん。じゃないと、俺達まで死ぬことになるぞ。西尾達も、そんなことは望まないだろう」

「そうか、そうだな……」


 俺を見つけた他の連中も、皆一様に良かった、よく生きてたと迎えてくれた。

 どうやら突入した時に、フルメリンタ兵ごと西尾も魔法で吹っ飛ばしたのは見られていなかったようだ。


 まだ飯を食っていなかった大島と一緒に、ボソボソの乾パンみたいな携行食とドライソーセージで腹を満たす。

 普段なら美味いと思えないが、この日は腹が減っていたのとストレスが解消されていたので格別に美味く思えた。


「大島、この後はどうなるんだ?」

「とりあえず、向こうの川に架かっている橋の手前までを確保するって話だぜ」


 次はどこで魔法をぶっ放せるのか聞いたつもりだったのに、大島の答えは微妙だった。


「その先には攻め込まないのか?」

「さぁな、知らねぇけど……攻め込まない方が良くねぇか?」

「なんで?」

「だって、攻め込むってなったら、また俺らが先に突っ込まされるんじゃねぇの?」

「別に、いいんじゃね? また俺がぶっ殺してやんよ」


 検問所の門を破ってから、一番上流まで駆け抜けるまでの間に感じた高揚感、爽快感、充実感が蘇ってくる。

 もう一度やりたい。倫理観とか、タブーとか、くそ面倒くせぇ事は全部無しにして、思う存分暴れ回りたい。


「ばーか、次に突っ込まされるとしたら、相手は農民じゃなくて兵士だぞ。一方的に殺せる訳じゃない、下手すりゃ殺されるんだぞ」

「上等じゃんか、死んだら死んだ時だ。こんなクソみたいな状況で、ダラダラ生きてたって意味ねぇだろ」

「そんな事ねぇだろう。生きて戦果を上げれば、相応の待遇を与えてくれるって言ってたじゃんかよ」

「その待遇がこれだろ? もう何人死んだと思ってんだよ」

「それは……そうかもしれないけど、海野とか菊井、蓮沼、それに霧風みたいに……」

「あのクソ野郎の名前は出すな! ぶっ殺すぞ!」


 霧風という名前を聞いただけで、いままでスッキリと晴れ渡っていた俺の心に黒い雲が湧き上がってきた。


「わ、分かったよ……でも俺らだって、こんな殺し合いから抜け出せるかもしれないじゃないかよ」

「はぁぁ? 身体強化しか出来ない野郎が何するってんだよ。燃やすしか能のねぇ俺に何をやれってんだよ!」

「だからって、俺にまで死ねって言うのかよ! こんな所で死にたくねぇよ!」

「だから、ぶっ殺すんだろうが! 殺される前に、ぶっ殺せばいいんだよ!」

「無理だよ、お前は魔法で燃やせば済むかもしれないけど、俺は剣で斬り殺すんだぞ! 脂で斬れなくなってきて、一撃じゃ殺せなくて、何度も、何度も……あぁぁあぁぁぁ……」


 確かに、俺の場合は魔法を放って燃やして終わりだったけど、大島みたい直接武器で殺すのは精神的な負担が違うのだろう。

 だからこそ、相手を人だなんて思わずに、虫でも叩き潰すつもりで殺していかないとやってられないだろうが……大島には無理そうだ。


 こいつも遠からず死ぬだろうと思ったが、さすがにクラスメイトを農民どもと同じように扱うと後が面倒になりそうだ。


「悪かったよ。けどよ、大島、割り切らないと生き残れないぞ。結局、俺らは敵を殺すことでしか仲間を守れやしないんだよ」

「分かってる、分かってるけど……うぇぇぇ……」


 斬り殺した相手でも思い出したのか、大島は食ったばかりの飯を吐き戻した。

 その後、ユーレフェルト兵による中洲の確保が順調に進んだようで、俺達には明朝までの休養が与えられた。


 日陰の涼しい場所を見つけて、みんな無言で寝そべっていた。

 疲れ果てて眠った奴は幸運で、殆どの者は精神が昂ぶって眠れないようだった。


 俺も体の奥底で魔力が渦巻いているようで、何かを燃やし尽くしたい欲望が沸々と湧き上がってくるのを抑えるのに必死だった。

 横になっても眠れずに寝返りを繰り返しているクラスメイト達を、まとめて燃やしたらどんなに気持ちが良いだろう……なんて考えてしまった。


「なんだ、あれ……?」


 湿っぽく重苦しい沈黙を破ったのは大島だった。

 寝転んだまま目を見開いていた大島が、むくっと起き上がって空を指差した。


「鳥……じゃねぇな、恐竜……?」

「えっ、どこ……?」


 他の連中も起き上がって空を見上げたが、大島は身体強化で視力を強化しているのだろう、俺を含めた他の連中には何の事か分からなかった。


「近付いて来る……」

「はぁ? どこだよ……ん、あれか?」


 安藤が指差す方向に見えた黒っぽい点は、すぐに羽ばたく何かに変わり、五つ、六つと増やしながらグングンとこちらに近付いて来た。

 やがて俺の目にもボンヤリと見えるようになったそれは、俺達のいた世界では遥か昔に絶滅した翼竜に似た何かだった。


「ワイバーンだ! 物陰に隠れろ!」


 どこかでユーレフェルト兵が叫んだのを聞いて、クラスメイトたちが顔を見合わせる。

 どうすれば良いのか、どう動くのか、周囲の連中の動きを見て決めようとしている顔だ。


 仲間はずれにされるのを恐れて、自分では何も決められないクラスメイト達に怒りが湧き上がって来る。

 俺は一人で立ち上がって、宿舎の影を離れて街道の方へと歩き始めた。


「おいっ、どこ行くんだよ、川本」

「決まってんだろ……燃やすんだよ!」


 空を指差した俺に、クラスメイト達は信じられないといった蔑みを含んだ表情を浮かべた。

 ふざけるな……俺の方こそ、お前らにはうんざりなんだよ。


 大島が何かを言った気がしたが、俺は振り向かずに街道に向かって走り始めていた。

 遮るものの無い道の上で空を見上げると、その巨大な生き物は真っ直ぐに突っ込んできた。


「うぉぉ、怖ぇぇ……食らいやがれ!」


 翼を大きく広げ、後ろ脚の爪を剥き出しにして捕食体勢に入ったワイバーンに、渾身の火属性魔法を叩き込んだ。


「やったか? ぐはぁ……」


 これまでで最強、最大の火球が炸裂して視界を覆った直後、鋭い爪が腹や背中に突き刺さり、体が浮遊感に包まれる。


「嘘……だろ……」


 数瞬後に地面に叩きつけられ、鋭い牙が迫ってきて、首がブチっと立ててはいけない音をさせたところで俺の記憶は途切れた。

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