第29話 悪い知らせ

 その日の朝も、いつもと同じように王族の暮らすエリアを訪れたのだが、いつもとは城の内部の様子が違っていて、明らかに空気がピリピリとしていた。


「おはようございます、何かあったんですか?」


 水堀に架かる橋を警護している兵士に訊ねてみたのだが、ハッキリとしたことは教えてもらえなかった。


「詳しい話はアルベリク殿下に聞いてみてくれ。俺達では話して良いのか悪いのか判断出来ない」

「分かりました、ありがとうございます」


 今の俺にとって最大の関心事は、東の隣国フルメリンタとの国境に向かったクラスメイト達の動向なのだが、何だか嫌な予感がする。

 施術を行う部屋に着いても、アルベリクはなかなか姿を見せなかった。


 アルベリクが姿を見せないまま時間だけが過ぎてゆき、俺の悪い予感は確信へと近付いていった。


「待たせたな、ユート」

「おはようございます、殿下」

「早速施術に取り掛かってもらおう……と言いたいところだが、遅れた理由を話しておかないとならんだろうな」


 アルベリクの表情や話しぶりで、悪い予感はハッキリと確信へと変わった。


「察しの良いユートのことだ、もう薄々勘付いているだろうが、フルメリンタと交戦状態に入った」

「例年行われているという小競り合いではないのですか?」

「残念ながら本格的な戦闘となり、領有権を争っている中州をベルノルトの軍勢が占拠しているらしい」


 アルベリクは、苦い物でも吐き出すように言い捨てた。

 ユーレフェルト王国内部から見れば、第二王子派の軍勢が作戦を行っているのだが、攻め込まれたフルメリンタにしてみれば、どっちの派閥なのかなど関係ない。


 ユーレフェルト王国によって攻め込まれたと考えているだろう。


「殿下、自分と一緒に召喚された者達は、今回の戦闘に加わっているのですか?」

「加わっているどころか、先陣を切らされたらしい」

「えぇぇ! それで死傷者は?」

「ハッキリとした数は分からないが、何人かは命を落としたらしい」

「あぁ、マジか……」


 第一王子の前だというのも忘れて、思わず天井を仰いて頭を抱えてしまった。

 この後、アルベリクの所へ伝わっている戦況を教えてもらったのだが、作戦らしい作戦も無く、ただ勢い任せに攻め込んだらしい。


 ここ数年は住民の不満を解消するのが目的の小競り合いしか行われていなかったので、フルメリンタもまさか本気で攻め込んで来るとは思っていなかったらしく、検問所を破られてクラスメイト達の乱入を許してしまったようだ。


 フルメリンタが実行支配していた街道の上流側にあった建物は、殆どが焼き打ちの被害に遭って、非戦闘員である多くの住民が命を落としたらしい。

 クラスメイト達が乱入した後、第二王子派の部隊が続々と到着して、中洲全体を掌握し、中洲に架かるフルメリンタ側の橋を挟んで両軍が睨み合う形になっているそうだ。


「アルベリク殿下、これは想定されている中でも最悪に近い状況ですよね?」

「そうだな……まだ戦闘地域が中洲に限定されているが、これで戦域が広がり始めれば、完全な戦争状態へと陥るだろう」


 アルベリクは、務めて冷静に振舞ってみせているが、内心はかなり動揺しているように感じる。

 というか、隣国と戦争になるような状況が起こっているのに、国王は何も言わないのだろうか。


「殿下、国王様は何とおっしゃっていらっしゃるのですか?」

「父上か……」


 アルベリクは、そう呟いた後、顔を顰めて口をつぐんだ。

 確か、現在の国王は三大侯爵家からの入り婿だと聞いたが、まさか軍部に対して命令を下せないのだろうか。


「父上は、国軍をまとめているアンドレアス・エーベルヴァイン侯爵に早期の事態収束を命じられた」

「あの、殿下……」

「言うな、ユート。そなたが言いたいことは分かっている。我とても納得した訳ではない」


 確か、軍をまとめている侯爵は、第一王妃の母親の実家で、当然第二王子派のはずだ。

 早期の収束も何も、アンドレアスこそが裏で糸を引いている人物であり、今回の騒動を仕掛けた張本人だろう。


「全面戦争となった場合、ユーレフェルト王国に勝算はあるのでしょうか?」

「勝算はあるのだろう……だが、戦というものは何が起こるか分からない。天候を始めとして、我々にはどうにもならない要素がある。そうした予想外のできごとが重なれば、敗北するかもしれない」


 確かに、戦争には予想外の事態は付きものなのだろうが、第二王子派は勝算も無しに戦を仕掛けたのだろうか。

 逆に、俺達を召喚したのは、この事態を想定したもので、最初からこのタイミングで使い潰すつもりだったのだろうか。


「アルベリク殿下、殿下はどうされるのですか?」

「我か……我は第二王子派の動向を調べ、穴となる部分があれば埋められるように近衛を編成して待機する」

「戦争を止めには行かれないのですか?」

「ユートにしてみれば、戦争を止めて仲間を安全な場所へ引き上げさせたいのだろうが、今の時点では無理だ。アンドレアスは、間違いなく戦争の継続を命じる。そこに我が撤退の命令を下したらどうなると思う?」

「それは……混乱するかと」

「そうだ、相反する二つの命令を下されたら、間違いなく現場は混乱する。そこをフルメリンタに突かれれば、こちらの軍勢は総崩れになる可能性すらある」

「そう、ですか……」


 俺は、どうしてもクラスメイトのことばかりを考えがちだが、ユーレフェルト王国にとって最善の方法と考えた場合、今の時点で戦争の中断を命じるのは得策ではないのだろう。

 ただ、だからと言って、クラスメイト達が最前線に立たされ続けるのは納得できない。


「どうにかなりませんか、殿下」

「すまない、ユート。今の我には戦を止める手立ては無い」


 戦争中に一番危険なのは撤退をする時だそうだ。

 相手の戦意が旺盛な時に、後ろを見せて撤退などすれば、甚大な被害を受けることになるらしい。


 撤退するのであれば、停戦に互いが合意し、戦闘が完全に終息した状態で行う必要がある。

 開戦したばかりで停戦、撤退などフルメリンタが承服しないだろう。


 この後、暫く戦闘を続け、互いがこれ以上の戦闘継続は無意味だと思わない限り、停戦も撤退も難しいのだろう。


「どのくらいの時間が必要でしょう?」

「正直、見当もつかん。例年の小競り合いは、稲の刈り取りも終わった農閑期に行われていた。ところが、今回は刈り取りどころか、これから穂に実が入る時期だ。今後どういう戦略で攻め込んで来るのかはフルメリンタ次第だ」


 今までならば、刈り取りが終わった田んぼに魔法や矢が撃ち込まれても影響は殆ど無かったが、穂が実り収穫を迎えた田んぼが焼かれたらユーレフェルト王国にとっても大きな損失となる。

 今後の状況次第だが、みすみす敵に渡してしまうならば焼いてしまえ……などと思ってもおかしくないだろう。


「さて、ユート。今日の施術はどうする?」


 正直に言えば、顔の痣なんか気にしている場合じゃないだろうとも思うが、じゃあ施術をしなかったとして何か出来るのかと言えば、今の時点では動きようがない。

 それならば、施術を進めて未来に備えるべきだろう。


「やらせていただきます」

「そうか、だがもう昼だ。昼食を済ませてから始めるとしよう」

「かしこまりました」


 このところ、昼食の時間になるとアルベリクは日本について色々と質問するようになっていたのだが、この日は言葉少なく食事に専念していた。

 王族に饗されるものと同じものが俺にも出されるので、ハッキリ言って食生活は豊かになっている。


 だが、今日ばかりは、戦場で限られた食事しか出来ないであろうクラスメイトを思うと、申し訳ない気分にさせられてしまった。

 食事が終わった後も、アルベリクはわざとゆっくりお茶を飲んでいるように見えた。


 アルベリクなりに俺に気を使ってくれているのだろう。

 そして、そろそろ施術に入ろうかと思っていた時に、廊下から慌ただしい足音が聞こえてきた。


 駆け込んで来たのは、金属鎧を身に着けた兵士だった。


「申し上げます! アルベリク殿下、ワイバーンの渡りが発生いたしました!」

「なんだと! どこまで来ている」

「現在は、フルメリンタとの国境と報告が来ております」

「戦況に変化は?」

「両軍共に混乱に陥っているとのことです」

「ただちに全軍に城を固めさせろ」

「既に国王陛下からご命令が下っております。ただ……」

「ただ、何だ?」

「国軍の兵力の多くがフルメリンタに向かっており、兵力が不足しております」

「なんという事だ……分かった、下がって良いぞ」

「はっ!」


 兵士が退室すると、アルベリクは俺に施術の中止を命じた。


「殿下、ワイバーンの渡りとは何ですか?」

「あぁ、他の世界から来たユートは知らぬのか。その昔、この城が建っている場所にはワイバーンの巣があったそうだ。その巣を討伐し、ここに城を築いたのがユーレフェルト王国の始まりとされている。詳しい話はメイドにでも聞くが良い」

「もしや、ワイバーンはここを目指しているのですか?」

「恐らくな……状況次第だが、避難の準備を進めておけ」


 詳しい状況は分からないが、どうやら国を揺るがすような事態が起こっているらしい。

 とりあえず、宿舎に戻ってアラセリから詳しい話を聞くしかなさそうだ。


 宿舎に戻ると、いつもは冷静なアラセリが少し不安げな様子で出迎えた。


「おかえりなさいませ、ユート様」

「アラセリ、ワイバーンの渡りについて教えてほしい」

「かしこまりました」


 リビングに場所を移して、アラセリから説明を聞いた。


「ワイバーンの渡りとは、数十年に一度程度の頻度で発生する天災です」

「当然、ワイバーンが関係しているんだよね?」

「はい、群れから独立した若いワイバーンが、新しい縄張りを求めて移動することをワイバーンの渡りと呼んでいます。前回発生したのは、百年近く前だと聞いています」

「さっきアルベリク殿下から、ここは大昔ワイバーンの巣だったって聞いたんだけど本当なの?」

「その話は、今から数百年前のことだと言われていて、正確な伝承ではなく伝説に近い話です。ただ、高台で周囲を見下ろせ、それなりの広さの場所はワイバーンが巣を作るには適した条件であることは確かです」

「渡りの途中のワイバーンがここに来たら……」

「間違いなく立ち寄るでしょう。巣を作らないにしても、羽を休める場所として選ばれるのは確実でしょう」

「マジか……」

「ユート様には、状況次第ですが城下へ避難していただきます」

「ワイバーンって、そんなに危険なの?」

「単独でワイバーンを討伐するのは、マウローニ様クラスでなければ無理でしょう」


 ワイバーンは体高が大人の倍以上と言うから、恐らく四、五メートルぐらいの翼竜で、翼を広げた幅は二十メートル程もあり、おまけに風の魔法まで使うらしい。


「そんな化け物が来るの?」

「はい、恐らく三頭以上」

「えぇぇぇ! 一頭じゃないの?」


 どうやらワイバーンの渡りとは、相当危険な災害らしい。


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