第27話 不穏な話
第一王子アルベリクの武術指南役マウローニに、ぶっ叩かれて転がされ続けた結果の打ち身と筋肉痛は一晩眠った程度で治ったりしない。
それでも、アルベリクの蒼闇の呪いの痣を取り除く施術は休む訳にはいかない。
打ち身も筋肉痛も悟られないように行動しなければならないのだから、平民は辛いとしか言いようがない。
ただし、痛みを堪えて動く練習ならば、昨晩のうちにやってある。
たとえ酷い痛みに苛まれようとも、アラセリとの営みを欠かす事など出来やしない。
思春期のリビドーを舐めんなよ。
「マウローニには、だいぶ厳しく扱かれているようだな」
「お見苦しい動きをしておりましたら、ご容赦ください」
「いいや、構わぬ。マウローニも、なかなか根性があると褒めていたぞ」
「ただただ必死なだけでございます」
アルベリクは、妹である第二王女ブリジットが見学に訪れて以来、施術の邪魔にならない程度に話し掛けて来るようになった。
「それにしても、見かけによらずユートは好色なようだな」
「ぐふっ、それは……失礼いたしました」
「別に責めてはおらぬ。成すべき事を成した上で、残りの時間で何をしようと、法律に背かねば我が咎めるいわれは無い」
「はっ、ありがとうございます」
何がありがとうございますなのか、自分で言っておいて良く分からないのだが、一応アルベリクから許可が下りたようなものだから礼を言っておいて正解だろう。
それにしても、昨夜の情事がアルベリクに報告されているとは……どこまで監視されているのだろうか。
まさか、行為の内容まで事細かに報告されていたりしないだろうな。
ユートめ、回数はこなすが早いのだな……なんて思われたりしないだろうな。
というか、まさかアラセリから報告が上がっているのだろうか。
おサルさんみたいに求めてきました……なんて報告がされていたら軽く死ねる。
頭に浮かんでは消えていく雑念を払いつつ施術に集中していると、アルベリクが何かを言いかけては止める……といった様子を数度繰り返してから口を開いた。
「我が言わなくても、いずれユートの耳には入ると思うが、良からぬ話が聞こえてきた」
「良からぬ話……ですか?」
それまでの軽口とは打って変わって、少し重々しい口調だ。
「うむ……ユートと共に召喚された者達が、隣国フルメリンタとの国境に向かったらしい」
「えっ……フルメリンタとは長年小競り合いが続いていると聞きましたが」
「そうだ。二本の川に挟まれた土地を巡って争っている」
ユーレフェルト王国は東に一国、西に二国と国境を接している。
西の二つの国とは友好的な関係が続いているが、東の国フルメリンタとは土地の領有権を巡って小競り合いが続いているそうだ。
「そんな場所に連れて行って、何をさせるつもりなんですか?」
「さぁ……そこまでは分からぬ。分からぬが、あまり良い話でない事だけは確かだろう」
「呼び戻すとかは……」
「難しいな。訓練のためだと言われてしまえば、それまでだ」
実際、身柄は第二第王子側に押さえられてしまっているし、たぶん、こちらの陣営についても良からぬ話を吹き込まれているだろう。
最近の口ぶりからすると、アルベリクはクラスメイトの状況を考えてくれているように感じるが、積極的に手出しをするのは困難なようだ。
「フルメリンタは、好戦的な国なんですか?」
「いいや、むしろ保守的な国と言って良いだろう」
「それなのに小競り合いが続いているんですか?」
「フルメリンタは農業の国だからな。国土を守るという意識が非常に強い。まして争っている土地は、二本の川に挟まれた肥沃な土地だから譲るつもりは無いのであろう」
「今、その土地はどうなっているのですか?」
「街道に繋がる橋を境に、上流をフルメリンタ、下流をユーレフェルトが占有しているが、あちらとしては下流域も自分たちのものとしたいらしい」
小競り合いといっても、一年中続いている訳ではないらしい。
刈り入れが終わった秋の終わりから、作付けが行われる春先までの間に散発的に起こるのが風物詩みたいなものらしい。
「それって、本気で取り返すつもりは無いのでは?」
「ユートはなかなか聡いな。ここ最近は、取り戻そうとするフリという感じが強くなっているな。本気でやれば双方に大きな損害が出るが、何もしないと民衆の不満が蓄積する」
「小さな不満を貯め込んで大きな不満とならいように、適度に発散させてやる……みたいな?」
「その通りだ。実際、フルメリンタとの国境はもう何年も閉ざしていない。小競り合いが行われるのは、街道から一番離れた下流域に限られている。小競り合いが行われている時でさえ交易の扉は開けたままだ」
「その状況が崩れるかもしれないのですか?」
「分からぬ、分からぬが備えておく必要はありそうだ」
アルベリクの口振りからすると、第二王子派はクラスメイトを使って何事か企んでいるようだ。
「最悪の状況は?」
「最良の状況は、例年小競り合いが行われる場所で演習を行って帰還する。最悪の状況は、フルメリンタとの全面的な戦に陥る事だ」
「でも、全員合わせても二十数人しかいませんよ。それで戦なんて起こせるものですか?」
「ユート、戦なんてものは些細な切っ掛けから、乾いた野に火を放つように燃え広がるものだぞ」
確かに歴史を紐解いていけば、大きな戦争も小さな事件を切っ掛けにしている場合が多い。
ただし、大きな戦争にまで発展するには、民衆の鬱屈とした感情の対立もあるはずだ。
「フルメリンタの国民と、ユーレフェルトの国民は、対立していたりするんですか?」
「毎年のように小競り合いを続けているのだ、親密な関係であるはずがなかろう」
「どう、対応されるのですか?」
「既に国王様の名で親書を出して頂くように進言している。火が着く前に、水を掛けておくのだ」
「なるほど……上手くいきますかね?」
「いってもらわねば困る。いや、そもそも親書など取り越し苦労で終わってくれるのが一番だがな」
アルベリクは口に出さないが、今のような状況を招いているのは俺が蒼闇の呪いの痣を消せるようになったからだろう。
ロゼッタさんに施術を行い、そしてアルベリクへの施術も始まった。
ドロテウスを投入して確実を期した俺を排除する計画も失敗し、第二王子派としては尻に火が着いた状態だ。
あまり考えたくはないが、フルメリンタとの全面戦争になれば、王位継承の儀式などをやっている暇は無くなるだろう。
戦争が長引いて、皇位継承が行われないまま二十五歳を迎えてしまえば、アルベリクは継承権を失ってしまう。
まだ五年程度の猶予期間はあるはずだが、全面戦争が始まってしまえば五年なんてすぐに経ってしまうだろう。
それに、ベルノルトが率いる軍隊がフルメリンタの国土を大きく切り取るような戦果を上げたとしたら、継承争いは振り出しに戻るか、あちら側の大きく傾く可能性がある。
というか、そもそも全面戦争の引き金を引くような役目をさせられるとしたら、クラスメイト達は相当危険な場所に放り込まれるのではないか。
今から俺が何かをやったところで止められないのだろうが、それでも何とかならないものかと考えてしまう。
「焦るな、ユート。そなたが焦る必要は無い。我の痣が消えた所で、奴らの暴走が止まる訳ではない。監視はつけてある、そなたはそなたが成すべき事を成せ」
「はい、分かりました」
雑念を打ち払って施術に集中しようと思ったのだが、少々気になったことがある。
「殿下、我々も第二王子派から監視されているのでしょうか?」
「不安か?」
「正直に言えば、ちょっと不安です」
「一応、間者が入り込まないように警備をさせているが、それでも水を漏らさぬようには出来ぬ場合もある」
つまりは、情報が漏れることはあるのだろう。
いや、これまでの襲撃の状況を顧みると、監視されていると考えた方が良いのだろう。
「不安に思うならば、そなたの成長を見せつけてやれ。ドロテウスを退けた者は、更に練度を増すべく日々の鍛錬に余念がない……そう思わせてやれ」
「まさか、殿下はそれを見越してマウローニ様に俺を……」
「さあな……だが、我らも何も考えていない訳ではないということだ」
これまで襲撃を受ける度に、もっとシッカリしてくれと思ったものだが、王城という閉鎖空間で暗闘が繰り広げられている事を考えれば、双方の情報が筒抜けになっていたとしても不思議ではない。
ただし、クラスメイト達は王城から離れてしまったので、入ってくる情報も限定的になってしまうだろう。
「殿下、今回の遠征にアウレリア様やベルノルト様は同行されていらっしゃるのですか?」
「あの二人が同行すると思うか?」
「いえ、思いません」
「このような言い方はユートにとっては不快だろうが、奴らはユートの仲間を道具としか見ていない。いや、ユートの仲間だけではないな、自分達以外の者は道具だと思っているのであろう」
アルベリクは、その一例としてドロテウスについて話し始めた。
「知っていると思うが、ドロテウスはアウレリアの護衛騎士であった。身体強化の能力を極限まで活用するために、徹底して己の肉体を鍛え抜き、比類なき力を手にした者だ。対立する陣営に所属する者であったが、その能力は本物であったし、アウレリアへの忠誠心も本物であった」
アルベリクの口調からは、ドロテウスの実力を認め、ある種の敬意を抱いていたように感じる。
「それなのに、ユートに返り討ちにされた途端、奴らはドロテウスの存在すら無かったものとしおった。王族としてあるまじき行為だ」
アルベリクの言葉には深い憤りが込められている。
「あの……殿下、ドロテウスの遺体はどうなったのですか?」
「アウレリア達は、そんな騎士は存在していないと受け取りを拒否しおったので、我らの手で丁重に葬った。他の四人も同様だ」
「俺を警護していた方達の遺体は?」
「家族のいる者は家族に引き渡し、一人身の者は我らが葬った。我の派閥に属する者の中には、相手側の騎士や兵士を味方と同様に弔う事に異論を申し立てる者もいたが、死んだ後にまで憎しみを引きずり、遺恨を積み重ねていくのは愚かな行為だと思わぬか?」
「おっしゃる通りだとは思いますが、当事者となると簡単には割り切れないのではありませんか?」
「そうだな、確かにその通りだろうが、遺恨からは何も生まれぬ。相手を許す寛容さが無ければ、殺伐とした世の中となるであろう」
「難しいですね……」
「まったくだ。この世は思うようにはならぬものだ……」
それでも、ベルノルトよりも目の前の王子を次の国王とした方が、この国は良くなるはずだ。
その一点に関しては、俺達の思う通りにしてみせる。
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