第25話 第二王女のいたずら

 蒼闇の呪いと呼ばれている痣を取り除く作業には、高い集中力が必要となる。

 ごく普通の視界からミクロの世界へとクローズアップを行い、対象となる色素を捉えて転移させる。


 視界の倍率を上げたままにすると、どこの施術を行っているのか分からなくなるので、十数回繰り返したら視野を戻して確認し、再びクローズアップしている。

 実際に網膜で認識して視神経を通して脳で映像化している訳ではなく、魔力を使って脳で認識しているのだとは思うが、慣れないうちは目が回りそうだった。


 そうした内容をどこまで理解しているのか分からないが、第一王子アルベリクは施術を行っている間は殆ど話し掛けて来ない。

 おかげで施術に集中していられるのだが、その日は少々事情が違った。


 いつものように施術を行う部屋で待機していると、アルベリクの他にもう一人王族が姿を現した。


「おはようございます、アルベリク様、ブリジット様」

「おはよう、ユート。妹が施術の様子を見学したい言うのだが、構わないか?」

「はい、問題ございません」

「そうか、では今日も頼むぞ。ブリジット、邪魔にならないように見学していなさい」

「はい、お兄様。よろしくお願いしますね、ユートさん」

「かしこまりました」


 第二王女ブリジットは今年十七歳になったそうで、召喚された俺達と同い年になるはずだが、さすがにクラスメイトの女子とは雰囲気が別次元だ。

 第二王妃から受け継いだ整った顔立ちに、光を受けると煌めいて見えるピンクブロンドの髪、まるで精巧なVRのヒロインを見ているようだ。


 思わず見惚れてしまいそうだが、女性王族に対しては不躾な視線を向けないように、初めての対面の時に注意されている。

 理由は、王族の着る服にある。


 この国では、服装は基本的に丈の長いゆったりとしたシャツと裾を絞ったパンツスタイルなのだが、王族の服はオーダーメイドで作られているらしく体にフィットしている。

 色も庶民の着る原色系ではなく、素材の良さが如実に分かる光沢のある白で、金糸や銀糸の刺繡が施されている。


 つまり、男性王族の場合は肉体の鍛練の度合いが目立ち、女性王族の場合は体のラインが強調されるのだ。

 肌の露出は少ないものの、ブリジットの発育の良い胸の膨らみが殊更強調されているようで、気を付けないと目を奪われそうだ。


 それでも、ロゼッタさんの一糸まとわぬ裸身を目の前にしながら施術を続けてきたし、毎晩アラセリと体を重ねているから問題無いと思っていた。

 いつものように施術を始めた当初は、ブリジットも黙って見学をしていたのだが、そのうちに、ポツリ、ポツリと質問を口にするようになった。


「お兄様、痛みなどは無いのですか?」

「痛みは全く無いな。除去した色素をユートが拭い取る感触以外は、何かをされているという感覚は全く無い」


 第二王妃シャルレーヌからは、アルベリクへの施術が終わったら、次はブリジットへの施術を依頼されている。

 今日の見学も、その時に備えているのだろうし、体の内部から物質を抜き取るのだから不安を感じるのは当然だろう。


 とはいえ、俺は施術を行う側で、自分自身で体験していないので痛みについては分からない。

 ただ、先に施術を行ったロゼッタさんは、痛みを堪えるような表情を浮かべていなかったので、少なくとも耐えられないような痛みは無いはずだ。


 痛みについての不安が無くなると、ブリジットの質問は俺の転移魔法に関するものへと変わった。

 どのようにして痣を取り除いているのか、痣とは何なのか、色素や細胞といった話になると、単語自体を説明する必要に迫られた。


 こちらの世界と日本では、医療や人体に関する知識や常識が異なっている。

 心臓、肺、胃、腸などの大まかな働きは理解されているが、細胞レベルまでの知識は無い。


「それでは、我々の体は、その細胞というものが無数に集まって出来ていると言うのか?」

「その通りです」

「それでは、生命とはどうやって生まれてくるのだ? 赤子はどのようにして……」

「殿下、申し訳ございませんが動かないでいただけますか、施術が出来ません」

「あぁ、すまない。話は後にしよう……」


 これまでは、そうした細かい部分にまでこだわっていなかったアルベリクだが、ブリジットの質問によって知識欲を刺激されたのか、矢継ぎ早に質問をぶつけてきた。

 その上、体を動かしてしまうので、微細なレベルの施術など出来なくなってしまった。


 とりあえず施術を優先して、質問は休憩の時間にまとめて答えることにしたのだが、医学から始まって社会体制、日本の日常生活や文明の発展度合いにまで話が広がっていった。

 専門的な知識が無くて答えられない質問もあったが、極力丁寧に説明をした。


 これは、一緒に召喚されたクラスメイトが有用だとアピールするチャンスだと思ったからだ。


「殿下、私と一緒に召喚された者達の知識も合わせれば、もっと多くの情報を集められるはずですし、必ずやこの国にとって利益となるはずです。戦いに利用するのではなく、知識を引き出す役割に変えてもらえませんか?」

「確かに、ユートの言う通りであろう。ユート達が暮らしていた世界は、この国よりも遥かに文明の進んだ国だ。例え朧げな知識であったとしても、そうした物が実現できるという情報があれば、社会の発展にとって大きな役割を果たすであろう」

「それでは……」

「ただし……ユートの仲間たちは、あちら側で管理されてしまっている。私から助言を行ったとして、果たしてアウレリアやベルノルトが聞き入れるか……」


 有用だと分かっていても、対立するアルベリクからの助言だから採用しない……なんて事態にならないとも限らない。

 助言をしたことで、更に頑なに軍事利用に固執されたら意味が無い。


「ユート、カズミという女を知っておるか?」

「カズミというと、自分と一緒に召喚された者ですか?」

「そうだ、何やら珍しい治癒魔法を使うらしい」


 いつも苗字で呼んでいたので名前を知らなかったのだが、おそらく海野さんの事だろう。


「あぁ、はいはい、治癒魔法を美容に使うとか言っていました」

「ほほう、それはどのような方法なのだ?」

「さぁ、自分は転移魔法、向こうは治癒魔法なので、詳しい内容までは……」

「そうか、噂では女性の肌が五歳ぐらい若返るそうだ」

「自分たちの暮らしていた世界では、そうした美容に関する技術が色々と開発されていました。たぶん、海野さん……カズミは、そうした知識と治癒魔法を組み合わせて、独自の魔法を作り出したのでしょう」

「なるほど、ユートが転移魔法を応用して痣を消しているようなものだな?」

「えぇ、似たような感じだと思います」

「カズミの他に、アム、リョウコという女が一緒に施術を行っているそうで、そちらは血の流れを良くして体調を整えるマッサージをするそうだ」


 アムというのは、たしか菊井さんの名前だったと思うが、リョウコが誰なのか分からない。

 血の流れを良くするのだから、たぶん水属性の魔法が使える女子なのだろう。


 そういえば、第一王妃にも施術を行ったような話をしていたし、アルベリクの耳にまで届いているという事は、相当話題になっているのだろう。

 というか、海野さん達の有用性に気付いているなら、他のクラスメイト達も戦闘以外に使えば良いだろうに……と考え込んでいたら、アルベリクが無言で俺を見詰めていた。


「あっ……」

「気付いたか?」

「はい、殿下から伝えてもらうまでもなく、奴らは既に我々が有用な知識を持っていると気付いているのですね?」

「どこまで気付いているかは不明だが、そのような治癒魔法の使い方をする者から何も聞いていないはずがない。とすれば、知識として有用と分かっていても、戦闘に利用して成果を上げた方が良いと考えているのであろう」

「では、戦闘職から解放される望みは薄いと……」

「現状ではな、ただし方法が無い訳ではない」

「それは、どんな方法ですか?」

「噂を流す」

「噂……ですか?」

「そうだ。アウレリアが召喚した者達は、異世界の有用な知識を持っているのに雑兵扱いされて使い潰されそうになっていると、ユートやカズミという女を実例として噂を流せば、奴らの派閥の中にも不満を訴える者が出てくるであろう」

「なるほど……身内から不満を訴えられれば、考えを変えるかもしれないですね」


 確かに、こちらからの助言は無視しても、自分の派閥からの不満は無視できないだろう。


「ただしユート、そなたはこれまで以上に目立つことになるぞ」

「うっ……それは……構いません。それで仲間を危険な場所から救い出せるなら」

「そうか、ならば早速噂を流させよう」

「よろしくお願いします」


 休憩中、俺とアルベリクの二人で話し込んでいたから、ブリジットは退屈したらしく少し膨れっ面をしていた。

 休憩を終えて施術を再開すると、もっと近くで見てみたいと言って、ブリジットは俺の隣へ歩み寄ってきた。


 最初は俺の肩越しに施術の手元を覗き込んでいたのだが、次はどの辺りを除去するのか……とか、それらしい質問をしながら徐々に距離を詰めて来る。


「あぁ、なるほど……そういう感じで浮き上がって来るのですね」

「えぇ、体の外まで転移させて拭い取ります」


 やがてブリジットの吐息が耳に掛かり、左の二の腕に柔らかな感触が押し当てられた。


「王女様……?」

「あぁ、ごめんなさい。つい夢中になってしまって……」


 ブリジットの言葉には笑みが含まれている。

 たぶん、休憩時間に蚊帳の外にされた腹いせに俺をからかっているのだろう。


「ブリジット、ユートの邪魔をするなよ」

「はい、ごめんなさい、お兄様」


 アルベリクの視界からは、俺が邪魔をしてブリジットは見えていないのだろう。

 それを良い事に、ブリジットはむにゅんむにゅんと明らかに意図的に押し当ててくる。


「王女様、手元が狂いますので……」

「ブリジット、何をしているんだ」

「ごめんなさい、つい……」


 このままでは、本当に大きな失敗をやらかしそうなので、アルベリクの目で合図を送ってブリジットの悪ふざけを止めてもらった。

 王族だから男性と接する機会が少ないのか、それともそうした知識まで教え込まれているのか分からないが、施術中は気が散るから止めてもらいたい。


 施術を終えて部屋へと戻り、食事をしながらブリジットの話をしたら、アラセリが出会った頃のように無表情になった。


「えっと……アラセリ?」

「なんでございますか、ユート様」

「い、いや、そろそろ風呂に入ろうかと思って……」

「湯殿の支度は整ってございます」

「いや、そうじゃなくて……」

「まだ、何か?」

「いえ、何でもないです……」


 俺が悪い訳じゃないのに、とんだとばっちりだ。

 今夜は色々とお預けを食らいそうだと少々凹みながら、一人寂しく頭を洗っていると、浴室の戸が開いたような気がした。


 その直後、柔らかな感触が二つ、俺の背中に押し当てられた。


「気を散らして施術に失敗なんかしたら駄目なんですからね」

「分かってる、だから……」

「あぁ、ユート様……」

「アラセリ……」


 てっきりお預けを食らうかと思っていたので、その反動でいつも以上にたぎってしまった。

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