第24話 予想外の訓練
第一王子アルベリクの痣を取り除く施術は、問題無く進められている。
新たな施術パターンにも慣れて、徐々にペースも上げられているし、やはり頭皮の色素を除去した部分の頭髪は金髪に戻るようだ。
頭皮の中の毛母細胞などの色素を除去したからだと思うが、詳しい原理までは分からない。
原理が分からなくても、金髪という結果が必要なのだ。
まだ根元の部分が僅かに金髪になっているだけで、本来の金髪と同じ色合いなのかも分かっていない。
ただ、まぁ、髪の毛程度であれば脱色や染色という手段もあるだろうし、まずは皮膚の色素除去に専念している。
そして六日目、いよいよ切断の転移魔法の訓練が始められたのだが、内容は予想外のものだった。
その日、いつもと同じ時間に居室を訪ねると、アルベリクは俺を中庭に誘って一人の老騎士と引き合わせた。
「この者は、我の武術指南役を務めているマウローニだ」
「よろしくお願いいたします」
焦げ茶の髪よりも白髪の方が多く見えるマウローニは、ドロテウスのような筋骨隆々ではなく一般人と変わらない体格をしている。
一見するとリタイヤした元騎士のお爺ちゃんだが、侮ることなく頭を下げると、ほんの少し口許を緩めてみせた。
「こんな爺ぃで、頼りないと思わぬのか?」
「自分は殿下に武術を指南出来るような腕は持ち合わせておりませんし、これまで武術を学んだ経験もありませんので、他人をとやかく言う資格も持ち合わせておりません」
「なるほど……殿下のおっしゃる通り、なかなか面白い人物のようですな」
「そうであろう。己の意志ではない召喚に巻き込まれ、挫折を経験しても適応する努力を怠らず、偶然とはいえドロテウスを退けたのだ。まだユートは底を見せておらぬ」
いくら蒼闇の呪いの痣を取り除けるからといって、アルベリクは俺を買いかぶり過ぎだろう。
「それでは、どれほどの人物となるのか早速試させてもらいますかな……」
すっと俺に向かって一歩踏み出したマウローニの右手が電光のごとく動いたが、俺は棒立ちのまま全く反応出来なかった。
腰に下げたサーベルが鞘走り、切っ先が数回俺の目の前を通り過ぎたが、眼で追いきれなかったし、息をする事すら忘れていた。
俺が呑み込んだ息を吐き出せたのは、微かな音を立ててサーベルが鞘に納めれられた後だった。
「な、何回殺されましたか……?」
「ふふっ、八度じゃな」
つまり、サーベルは俺の目の前を四往復もした事になる。
何だよこれ……チビらなかった俺を褒めてやりたいよ。
「まるで見えませんでした」
「当然じゃ。何の訓練も受けず、何の備えもしていなかった者に見切られるようでは、殿下の武術指南役など務まらぬ」
「マウローニ様の腕前は見せていただきましたが、自分が受けるのは魔法の訓練ではないのですか?」
俺の質問に答えたのは、マウローニにではなくアルベリクだった。
「その問いには、我が答えてやろう。ユートよ、そなたが戦う相手とは何者だ?」
「戦う相手……ですか?」
「そうだ、戦いには必ず相手がいる。魔物の類であれば切り捨てれば済む、魔法使いが相手ならば先に魔法を当てれば済む、最も無力化するのが困難な相手が武術家だ」
こちらの世界では、日本とは違って普通に刀剣の類いを携行している。
街で同級生に襲われた時、剣を手にした奴らが接近できたのは、他にも剣を持っている者がいたからだ。
敵か味方か判然としない者が、先程のマウローニのような抜き打ちを仕掛けてたら防ぐのは難しい。
そうした状況でも、少しでも対処できるようにするために武術の知識が必要なのだ。
「武術を少しでも嗜んだ者と、まるで心得の無い者では反応が大きく異なる。知ると知らぬでは大違いだぞ」
「おっしゃることは分かりますが、あまりにも差が大き過ぎて……」
「だからこそ知る必要があるのではないか。始める前から諦めていたら何も出来ぬぞ」
「はぁ……」
武術を知る第一歩として、マウローニから刃引きしたサーベルを手渡された。
中学時代に体育の授業で剣道をかじったが、刃引きしてあるとは言え真剣と同じ材質のサーベルはズシリと重たかった。
「抜剣、納剣から始め、実際に剣を振るってもらう。剣を振るう動きを体験すれば、おのずと対処の方法も見えてくるものだ」
「はい、分かりました。
五メートルほどの距離を取ってマウローニと対峙し、その動きを真似てサーベルを振るった。
最初はゆっくり、徐々に速度を上げてサーベルを振るっていると、右腕がプルプルしてきた。
「どうした、まだ始めたばかりじゃぞ。そんな事では自分の身も大事な者も守れぬぞ」
「はい!」
左の腰から抜刀、そこから袈裟懸けに斬り下ろし、逆袈裟に斬り上げる。
更にサーベルを真上に振り上げ、真下への斬り下げ、腕を後ろに引いてからの突き、更に左右の横薙ぎの後に納剣まで。
一連の動きが止まる事なく滑らかに終えられるように、何度も何度も繰り返させられた。
「良いか、ユート。剣を振るう動きの滑らかさが修練の差じゃ。一つ一つの動きが淀みなく滑らかに繋がれることで、剣は速度を増し威力を増す。逆に動きがぎこちなければ、剣は速度を失い隙を生む。いかにすれば剣先が走るのか、体で覚えよ」
「はい!」
軽い昼食の休憩まで、休まずサーベルを振らされた。
これは、明日は確実に筋肉痛になるだろう。
昼食の席では、岩胡桃を使ってマウローニに切断の転移魔法を実際に見てもらった。
そして午後からは、その切断の転移魔法の訓練となった。
中庭に用意されていたのは、二枚の衝立と拳大の石ころだった。
「ユート、そなたは衝立の間に立ち、視界の外から横切る石ころを転移魔法で切断せよ」
「分かりました」
最初、衝立の間を石ころは山なりの軌道で通過した。
それでも、視界の外から急に現れるので、三回に一回ぐらいしか切断できなかった。
「難しいですね」
「ふふん、こんなもんは慣れじゃ、慣れ」
「マウローニ様ほど鍛錬している人ならば簡単なんでしょうが、俺にはなかなか難しいですよ」
「心配は要らぬぞ、石ころなどいくらでもあるし、二つになっても使えるからな」
確かに石ころは二つに切断されても、小さな標的に再利用が可能だ。
どんどん小さくなっていけば、それだけ訓練の難易度も上がっていくだけの話だ。
いきなり現れる的に魔法を命中させるには、痣を除去する施術とは全く別の集中力を要求される。
夕方まで訓練を続けると、一日痣の除去を行った時と同じぐらい疲労を感じた。
訓練を終えて宿舎へと戻る時には、アルベリクから刃引きしたサーベルを持ち帰るように手渡された。
「訓練以外の日にも、今日教えた動きを続けておけ」
「ですが、普段の日は施術もありますし……」
「ふん、腰を振る暇があるならば、剣を振るう暇などいくらでもあるだろう」
アラセリとの関係を揶揄されているのだろうが、あれはあれで俺の精神状態を調えるのに必要な時間なのだ。
というか、もしかしてアルベリクは、まだ童貞だったりするのだろうか。
いや、そんなことはないとは思うが、ロゼッタさんの施術の結果を確かめた時も、俺の方ばかりを睨みつけていたな。
まぁ、王族ともなれば、そうした知識を手ほどきする人間もいるだろうし、俺が口出しする事ではなだろう。
宿舎に戻ってから、アラセリに今日の訓練の内容を伝えてアドバイスを貰おうとしたのだが、いきなり驚かれてしまった。
「マウローニ様の指導を受けられていらっしゃるのですか?」
「そうだけど、やっぱり有名な人なの?」
「『王家の剣』と呼ばれている方で、先代の騎士団長をなさっていらした方です」
「アルベリク様の指南役だから凄い人だと思っていたけど、俺なんかが手ほどきを受けて良いかな?」
「アルベリク様の感謝の心遣いではございませんか?」
「そうなのかな……でも、あんまり凄い人だと気後れしちゃいそうだよ」
「ですが、マウローニ様の手ほどきが受けられるなんて、滅多にあるものではございません。折角の機会ですから、このまま指導していただきましょう」
「そうだよな、アルベリク様が口を利いて下さったから指導してもらえるのであって、俺が頼んだだけじゃ相手にもされていないだろうな」
「いいえ、恐らくですが、マウローニ様はドロテウスの一件を知ってお引き受けになったと思います。なのでユート様が頼まれても承諾されたと思いますよ」
アラセリが言うには、マウローニはドロテウスと対になるような強者だそうだ。
静と動、柔と剛、みたいな感じらしい。
ドロテウスの異能力は身体強化だが、マウローニの能力は剣術だそうだ。
剣を振るって戦うことに関わる能力が飛躍的に向上するらしく、サーベルで鉄の棒すら切断するらしい。
対立する二つの陣営に属する二人は、事ある毎にどちらが強いか論争の的になっていたそうだ。
ただし、二人は二十歳の年齢差があったそうで、マウローニが十歳若ければとか、いいや五年前ならなどとも言われていたらしい。
本人たちも互いに意識はしていたらしいが、この年齢差や所属する陣営の違いなどもあって、結局二人の真剣勝負は成立しなかった。
今後も、ドロテウスが生きていたら……みたいな話は長く語り継がれていくのだろう。
俺が使わせてもらっている宿舎の一階には、ダンスホールが備わっていたので、そこでサーベルの型を練習する事にした。
同時に、アラセリから武器を持たない格闘術の手ほどきもしてもらう予定だ。
最初は付け焼き刃にすぎないが、訓練を続けていけば合理的な体の使い方を体得できるはずだ。
動きを体に覚え込ませれば、いざという時にもフリーズせずに動けるようになるだろう。
「でも、頑張るのは明日からだな。今日はもう腕がパンパンで明日まともに動かせるか心配だよ」
「それでは、後ほどマッサージをいたしましょう」
訓練でパンパンになった右腕は、風呂に入りながらアラセリに揉みほぐしてもらったおかげで大分楽になった。
お礼に俺も……と言ったら、ちょっと怒られたけど……結局、じっくりと揉みほぐさせてもらった。
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