第19話 切断
ギーン……という金属音が響き、暗がりで火花が散った。
ベッドから飛び退ったアラセリは、俺をかばうようにして剣を構えている。
「ユート様、お逃げ下さい」
「逃げるって……」
「無駄だ」
部屋に踊り込んで来た男が言うのと同時に、応接間の向こうからも何かが倒れるような音が聞こえてきた。
たぶん、部屋の入り口を固めていた兵士が襲撃された音だろう。
窓から躍り込んできた大男は、黒い布で顔を覆っていたが、血に塗れた鉈のような大剣に見覚えがあった。
召喚された直後に、クラスメイトの山岸を真っ二つに切り裂いた髭面の男が使っていた大剣だ。
「お前、召喚された時に第一王女の傍にいた……」
「ほほぉ、良く分かったな。だが、ここまでだ……女、そんな剣では我の斬撃は受け切れんぞ」
明かりが窓から入ってくる月明りだけだったので気付かなかったが、剣を構えたアラセリの左肘からはボタボタと血が滴り落ちていた。
窓枠ごと窓を叩き割りながら放たれた一撃ですら、受け切れずに傷を負ったらしい。
突然、荒々しく寝室のドアが開けられて、入って来たのは大男と同じく黒い布で顔を隠した四人の男達だった。
「表は始末を終えました」
「よし、では終わりにしよう」
血に塗れた大剣を右手に下げ、覆面の大男は悠々とベッドから下りて来た。
大男とアラセリの力の差は明白だ。
加えて、武器の強度も違い過ぎる。
アラセリの握った細身の剣では、まともに受ければ折られてしまうだろう。
「ユート様、浴室へ……」
「無駄だぁ!」
アラセリが浴室に立て籠もるように俺に指示した直後、覆面の大男が剣を振り上げた。
このままでは無慈悲な斬撃がアラセリを両断し、その次は俺の番だ。
恐怖と同時に、大切なものを奪われる怒りが頭の中で爆発した。
「転移!」
振り上げられた鉈のような大剣は、アラセリに向かって振り下ろされることなくベッドの上へと落ちた。
大男の体が、あの日の山岸と同様に左の肩口から右の脇腹へと斜めに両断されて、握っていた大剣の重みに引っ張られ、内臓を撒き散らしながら崩れ落ちたのだ。
これまで食事の度に、密かに使い続けてきた切断の転移魔法を一か八かで使ってみたのだが、その切れ味は発動した俺自身が呆気に取られるほどだった。
「なっ……」
大男と対峙していたアラセリも、後から乱入してきた四人の覆面男達も、何が起こったのか理解できずに固まっている。
たった今まで、襲撃の成功を確信していたのに、一瞬にして最大戦力を失い状況が一変したのだから当然の反応だろう。
「どう……ごぶぅ……」
床に転がった覆面の男の口許が動いたが、意味のある音は発せられなかった。
大剣を放した右手が僅かに持ち上げられたが、すぐに力なく床に落ちて動かなくなった。
シーン……っと水を打ったような静寂が室内を支配した。
時が止まったような状況が動き出すまで、たっぷり十秒ぐらいは掛かっていたと思う。
「あ……あぁぁ……」
乱入してきた四人のうちの一人が呻き声を上げた事で、固まっていた時間が動き始めた。
声の方向へと目を向けると、四人が俺の方を見ていた。
覆面をしているので表情までは窺えないが、見開かれた両目は恐怖に彩られている。
「う……うわぁぁぁぁ!」
「転移!」
覆面の男の一人が剣を振り上げて叫んだ瞬間、俺は反射的に切断の転移魔法を発動していた。
剣の重みに引っ張られて男の体が傾くが、胴体を真横に両断された体は重みを支え切れずに後ろへ倒れ、切断面から内臓をぶちまけた。
後ろで後ずさりし始めていた男は、上半身の動きに下半身がついていけず体がくの字に折れて、仰向けに倒れながら床に落ちた。
二度目の切断の転移魔法は、四人を一度に両断していた。
三人目の上半身が床に落ちると、最後に残った四人目は、両手でズボンを握りしめて上半身と下半身が離れないようにしていたが、切断面からは容赦なく血が噴き出している。
それに、どんなに鋭利に切断されても、一度接続を切られた脊髄は下半身への信号を送れない。
「いやだ、いやだ……助けてぇ!」
バランスを崩した男の体が横倒しになり、開いた切断面から血と内臓が溢れ出る。
床に落ちた四人の男の上半身は、なんとか助かろうと下半身との接合を試みたり、溢れた内臓を押し戻そうとしていたが、程無くして動きを止めた。
「うぇっ……うぇぇぇ……」
我に返った俺は、自分が引き起こした惨状に耐えられず、胃液を吐き散らかした。
「ユート様……ユート様、お怪我は?」
「おぇぇ……だ、大丈夫……」
「あれは、いったい?」
「まだ検証中の魔法……一か八か試してみた」
「そうですか……助かりました」
「それより、腕の傷! 止血しないと」
アラセリの左の二の腕は、ザックリと切られて血が滴り落ちている。
「この程度なら大丈夫です。それよりも、服を着ましょう」
「うっ……そうだった」
襲撃されたのは情事の真っ最中だったが、すっかり萎えてしまっている。
急いで服を着て、アラセリの左腕に布を巻いて止血していると、表から甲高い笛の音が聞えてきた。
「襲撃! 襲撃だ、人を集めろ!」
バタバタと人が走り回る音が聞こえて、部屋の明かりが灯された。
「げぇ、これは……」
踏み込んできた兵士は、室内の惨状を目にして動きを止めた。
「ユート様はご無事です。安全な場所へ案内して下さい」
「分かった、応援が来るまで少し待ってくれ」
この後、八人もの護衛に周囲を固められて、別の部屋へと案内された。
連れて行かれたのは、衛兵の宿舎の一室のようだ。
ベッドと小さな机と椅子が一脚、奥の壁には換気用の窓があるが、人の頭は通り抜けられないサイズだ。
雑務係に移動した時に使わせてもらった部屋よりは広いし、寝具なども上質な物が使われているが、それでも独房感が拭えない。
「とりあえず、今夜はここでお休み下さい」
「ありがとうございます」
「廊下も外部も万全の警備体制を敷いておりますので、ご安心ください」
自信たっぷりに言い切って、ここまで護衛してきてくれた兵士は廊下へ出て行ったが、休めと言われて、はいそうですかと休める気分ではない。
目を閉じると、自分が引き起こした惨劇が脳裏に浮かんで来て、途端に吐き気が込み上げてくる。
日本であれば正当防衛を主張するところだが、こちらの世界では罪に問われたりするのだろうか。
五人とも第二王子派なのは間違いないだろうが、中でも鉈のような大剣を持っていた大男は第一王女の近くに控えていた人物だ。
本当に出来るのか分からない中で、無我夢中で魔法を発動させた結果だし、何もせずにいたらこちらが殺されていただろう。
抗議を受ける謂れはないが、この騒動を切っ掛けに武力衝突が激化するような状況にはなってもらいたくない。
そういえば、襲撃者が部屋に入って来たのだから、警備をしていた兵士は全員殺されてしまったのだろうか。
朝と夕方、挨拶を交わす程度の関係だったが、顔見知りになっていた人もいた。
夕べもお楽しみだったねぇ……なんて声を掛けて来た人もいた。
今夜の警備が誰だったのか分からないが、もう二度と顔を会わせる事も、挨拶を交わすことも無いのだろう。
明日は王族との面談があるから、少しでも眠っておきたいところだが、目が冴えてしまって全く眠くならない。
いくら警備は万全だと言われても、また襲撃されないか不安だし、目を閉じると惨状を思い出してしまう。
血の匂い、内臓から溢れ出した内容物の匂い、死に行く者たち助けを求める目、絶望に打ちひしがれた目、そして恨みがましい目。
「正当防衛だ……俺は悪くない……俺は悪くない……悪くない……」
両手で自分の体を抱きしめて、何度も自分の正当性を口にしても震えが収まらなかった。
早く朝が来てくれと祈っていると、部屋のドアが小さくノックされた。
「ユート様……まだ起きて……」
「アラセリ!」
引き千切るような勢いでドアを開けて、廊下に立っていたアラセリを抱きしめた。
「アラセリ……アラセリ……」
「ユート様、大丈夫です。ここなら心配はございません」
「アラセリ……怖い、怖いんだ」
「ユート様……」
アラセリに導かれて部屋に戻り、一緒にベッドで横になった。
情けない話だが、アラセリの胸に顔を埋めても体の震えが止まらない。
「怖い……怖い……」
「ユート様、ここは衛兵の宿舎ですから安全です。もう襲われる心配は要りませんよ」
「違う……そうじゃない……目を閉じると、あいつらの目を思い出すんだ。絶望した目……恨みを抱いた目が俺を……俺をじっと見てる……」
「ユート様、奴らは護衛の衛兵を殺し、ユート様を殺そうとした者達です。奴らの死にユート様が責任を感じる必要などございません。誰かを殺そうとするなら、己が殺される覚悟をしておくべきです。その覚悟も無く安易に人を殺そうとすれば、返り討ちにされるのは当然です。誰かを恨む資格などありません。奴らは、己の愚かさゆえに命を落としたのです」
「それでも……それでも、俺が殺したんだ……俺が……」
みっともなくアラセリにしがみ付いても、時間が経つほどに人を殺した罪悪感がジワジワと心を蝕んでいく気がする。
「ユート様は……私を守って下さいました」
「えっ……?」
「窓を破って侵入してきた男は、ドロテウスという第一王女の騎士です。第二王子派の中でも屈指の使い手で、正直あのまま戦っていたら私は殺されていたでしょう。ありがとうございました。本来は私がユート様をお守りしなければならないのに、今夜はユート様に守っていただきました」
「お、俺は無我夢中で……」
「ドロテウスも、他の四人も、私が倒さねばならない敵でした。私がふがいないばかりに、ユート様を苦しめてしまって……申し訳ございません」
「アラセリ……俺は……」
「ユート様が、人を殺めたことで罪の意識に苦しんでいらっしゃるのなら、その罪は私の罪でもあります。一緒に背負わせていただけませんか」
「アラセリ……」
唇を重ね合わせた後、俺は罪の意識から逃げ出すためにアラセリの肉体に溺れた。
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