第16話 アラセリの思い
※ 今回はアラセリ目線の話となります。
用意しておいた部屋の椅子に腰を下ろすと、少年は両手で顔を覆って肩を震わせた。
「なんでだよ……俺が何したって言うんだよ……」
たった今、少年はかつての仲間に殺されかけた。
相手は殺すつもりではなかったのかもしれないが、正気を保っているとは思えない目付きや剣を振り回す様子から手加減は感じられなかった。
トン……ト、トン……
部屋のドアがノックされると、少年はビクリと体を震わせた。
「大丈夫です、追って来た連中は……対処したという合図です」
「はぁぁ……良かった」
たぶん、追って来た三人は別の建物に誘い込んで殺害し、遺体はいずこへと処分されるだろう。
公園に残った二人には、別の者が強い警告を与えるはずだ。
私の目の前にいる少年に手を出せば、次は命を失うことになると……。
「ユート様、お茶をどうぞ……」
「ありがとう」
「たぶん、これ以上の襲撃は無いと思われますが、ここで少し休んで落ち着かれましたら、別の服に着替えて城へ戻りましょう」
「分かった……」
悄然と肩を落とした少年の世話を組織の上役から命じられたのは、今から二十日ほど前の事だった。
蒼闇の呪いの痣を消せる可能性のある者なので、護衛をすると共に篭絡するように命じられた。
蒼闇の呪いによる痣は、どんな強力な治癒魔法でも消せないとされている。
それを私よりも五つぐらい年下に見える少年が消せるとは思えなかったが、もし本当に消せるならば国の情勢を激変させる可能性を秘めている。
私たちが支持する第一王子アルベリク様は、顔の半分以上を蒼闇の呪いによる痣に覆われてしまっている。
聡明にして温厚な性格で、傍若無人な第二王子ベルノルトなど比較にならない賢王の資質をお持ちだが、蒼闇の呪いによる痣が王位継承の妨げとなっている。
もし、その痣が消せるならば、現国王オーガスタ様は迷わずアルベリク様に王位を譲るだろう。
アルベリク様が王位を継承することが、第一王子派の貴族のみならず一般市民にとっても良い結果を生むのは明白だ。
そのためには少年を保護し、第一王子派に深く深く引き入れなければならない。
この年頃の少年が考えることと言えば、お金、地位、それに性への欲求だ。
少しお預けをしてから体を開けば簡単に篭絡できると思っていたのだが、少年は私が考えてる普通の少年とは少し違っていた。
アルベリク様に施術を行う前に、少年は実際に蒼闇の呪いの痣を取り除く作業を命じられ、その被験者は若い女性だった。
被験者の女性には、右の首筋から左の太腿まで体を斜めに横切るような痣があり、一糸まとわぬ姿を少年に晒して施術を受けているそうだ。
少年は、最初の頃こそ動揺を隠せない様子だったが、今では黙々と作業を進めているらしい。
この年頃の少年が、そんな作業を命じられれば性欲が溜まっていくはずだ。
だからこそ、私を傍に付けて篭絡しろと上役は命じたのだろう。
実際、少年が私の胸の膨らみを意識しているのは手に取るように分かった。
入浴時に、貯まった欲望を自分の手で発散しているのも知っている。
だが、少年が私に求めてきたのは、肉体ではなく知識だった。
第二王子派によって違う世界から召喚された少年には、一般的な知識が欠落していた。
元の世界には戻れないという少年は、こちらの世界で生きていくための知識を欲していた。
それと同時に、第一王子派と第二王子派の派閥争いに安易に踏み込まないようにする慎重さを備えていた。
知識を求める態度は真摯で、少年が高度な教育を受けていた事を窺わせた。
そして、臆病者呼ばわりして宿舎から少年を追い出した仲間たちさえも、第二王子派から救い出そうと考えているのも分かった。
この年頃の少年ならば、特異な力を身に着け、重要人物として扱われるようになれば、自分を冷遇した人間には報復を考えるものだろう。
それなのに少年は、アルベリク様の痣を消し終えた暁には、仲間の救出を願い出ようと考えているようだった。
その仲間に襲われたのだから、少年の落胆はいかばかりであろうか。
今も時折お茶を口にする時以外は、右手を額にあてて物思いに沈んでいる。
襲撃してきた連中が、少年のかつての仲間であるのはすぐに分かった。
耳慣れない言葉は、彼らの育った国のものなのだろう。
話の内容は理解出来なかったが、彼らが何をしようと考えているのかは明白だった。
だからこそ、私の頭の中に怒りの火が点ったのだ。
日々、黙々と命じられた施術を行い、知識を得るために教えを請い、自分の栄誉よりも優先して救出しようとしていた者達が襲って来る。
当然、第二王子派から何か誤った情報を吹き込まれていたのだろうが、それでも彼らの行動を容認するなど出来るはずがなかった。
だから蹴った。
何の加減もせず、私の持てる力と技術を一点に結集した蹴りを放った。
恐らく、あの二人は二度と男性としての務めを果たせないだろう。
排泄にも苦労するかもしれないが、それは自業自得というものだ。
私の目の前にいる少年を、愛おしいユートの心を深く傷つけたのだから当然の報いだ。
「ユート様、汗を流されたらいかがです?」
「えっ……あぁ、そうだね」
ユートのシャツは、ぐっしょりと汗で濡れている。
ここまで走ったことよりも、精神的な負担による方が多いだろう。
公園で食事をしていた時には、本当に楽し気な笑顔を浮かべていたのに、ユートの表情を曇らせた連中に対して、また怒りが込み上げてくる。
部屋に併設された風呂場に向かうユートを見送り、着替えの服を用意した後、私も風呂場へと向かった。
脱衣所に足を踏み入れると、風呂場からは壁を叩く音と嗚咽が聞こえて来た。
籠にユートの着替えを置いて、シャツのボタンを外す。
これは篭絡するためではない、ユートの悲しみを少しでも癒すためだ。
「えっ……?」
ドアを開けて入って来た私を見たユートの顔は、溢れ出た涙でグシャグシャだった。
膝を付いた状態で、何か言いたげに私を見上げたユートの唇を私の唇で塞ぐ。
唇を離した後、裸の胸に顔を埋めさせるように抱き寄せると、ユートは乳飲み子のように泣き喚いた。
そのまま風呂場で、そして部屋のベッドに場所を移して、私は自分の肉体と組織で教え込まれた房中術を用いてユートを慰めた。
ユートは、これまで抑圧してきた鬱憤、怒り、そして欲望の全てを解き放つように、私を荒々しく貫き何度も果てた。
夕食を取ることも忘れ、理性のタガを外して獣のように私を求め続け、力尽きたユートが眠りに落ちたのは満月が高く昇った頃だった。
ベッドを出て風呂場に行き、ユートの残滓を流して戻ると、ドアの下からメッセージが差し込まれていた。
メッセージには特殊な暗号で、その後の経過が綴られていた。
追って来た三人は、第二王子派の支援を装って組織の建物内に誘導して殺害、遺体はバラバラにして処分されたらしい。
詳しい処分方法は書かれていないが、聞かない方が良いだろう。
残りの二人は組織の息のかかった治癒院に担ぎ込んで、治療のためだと称して局部を切除したらしい。
今後一生、男女の交わりは出来ないし、排泄にも苦労することだろう。
同情などしないし、命が助かっただけでも有難いと思うべきだ。
気性の荒すぎる馬などは去勢すると従順になると聞くから、少しは考え無しの性格も改善されるだろう。
二人には、治療後に自分達が何をしでかしたのか、言葉と暴力を使って教え込んだらしい。
再度ユートを襲った場合、消えた三人と同様に闇から闇へと葬られると、第二王子派の支配下に置かれている他の仲間へのメッセンジャーの役割を担わせたそうだ。
これで、かつての仲間がユートを襲う心配は無くなるだろう。
相手が無力な少年ではなく、国を二分する大きな組織の重要人物で、手を出せば手酷い報いを受けるとなれば襲撃を躊躇するはずだ。
読み終えたメッセージは、丸めて灰皿の上で燃やして灰にした。
たぶん、この処分はユートの望む形ではないだろう。
ユートならば、捕まえて助命してくれと言うはずだが、それでは彼を守れない。
今日襲ってきた連中は、第二王子派にとっては切り捨てやすい手駒であると同時に、成果を残さなければならない戦力でもある。
異世界からの召喚は、数十年に一度しか出来ないと聞いている。
その召喚儀式を勝手に執り行った挙句、召喚した者達が何の成果も残せないのでは、第二王子派の責任が問われるからだ。
これ以上、派閥争いで浪費しては成果を残せなくなると思わせるのが今日の処分の狙いでもあるが、奴らの行動を常識で計るのは危険だろう。
この先は、別の手段を使ってユートを害そうとしてくるだろうし、我々としては全力でそれを防がなければならない。
たぶん、アルベリク様への施術が終わるまでは、もう外出の許可は下りなくなるだろう。
ユートの無聊を慰めるのは私の役目だ。
快楽を知ったばかりの若者は、時に女体に溺れるらしい。
施術に悪影響を及ぼさないように、匙加減をするのもまた私の仕事だ。
ベッドに横たわったユートの寝顔には、まだ憂いの色が消えずに残っていた。
任務の対象に個人的な感情を抱くのは禁物だが、この生真面目で繊細な少年に少なからぬ好意を抱いてしまっている。
「ユート様、私が必ずお守りいたします」
ユートの横に体を横たえ、裸の胸に彼の頭を抱き寄せる。
手櫛で髪を梳くように頭を撫でると、ユートの眉間に刻まれていた皺が消え、体からも強張りが抜けた。
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