第15話 休日は晴れのち嵐
休日の朝、普段よりも少しゆっくりと起きて朝食を済ませると、アラセリさんが外出用の服を用意してくれた。
前回の休日、タリクと一緒に買い揃えたオレンジ一色の服だ。
たった一月前の出来事なのに、遠い昔のような気がする。
そういえば、あの日は第二王子と取り巻きたちが人妻を奪っていく現場に遭遇したのだった。
信じがたい愚行に腸が煮えくり返ったが、俺自身は何も出来ず悔しい思いをした。
連れて行かれた人妻はどうなったのだろう、旦那や子供は大丈夫だったのだろうか。
俺が今進めている、蒼闇の呪いの痣を取り除く作業を第一王子に施術し終えれば、横暴な第二王子を王位継承争いから蹴落とせる。
その為にも、施術を早く進められるように、息抜きの機会を設けてくれたアラセリさん達の厚意に甘えよう。
着替えを済ませて応接間に戻ると、そこには俺と同じくオレンジ色の服を身に着けたアラセリさんの姿があった。
「えっ……アラセリさんもその色ですか?」
「お嫌でしたか?」
「いえ、嫌ではないですけど……」
「恋人のフリをした方が、ピッタリと寄り添っていても不自然ではないので」
「なるほど……」
こちらの世界でも、ペアルックはペアルックで、恋人同士は同じ色の服を着て出掛けることが多いそうだ。
ユーレフェルト王国では、男性も女性も服の基本型は似通っている。
違いといえば、シャツの合わせが男性は中央、女性左寄りになっているぐらいだ。
ただし、男性と女性では体型が異なっている。
露出が少ないからこそ、アラセリさんの服は胸の膨らみが殊更強調されているように見えてしまう。
しかも、いかにも当然といった様子でアラセリさんは、俺の左腕を抱えるように身を寄せて来た。
「では、参りましょうか……」
「は、はひぃ……」
二の腕に感じる柔らかさに、思わず声が裏返ってしまった。
ぶっちゃけ、これまでの人生で女性と腕を組んで歩いた経験など無い。
一番接近したのは、運動会のフォークダンスぐらいのものだ。
しかも、アラセリさんからは普段とは違う香水の匂いが漂ってきて、ドキドキが止まらない。
この部屋で共同生活を始めた頃は、主従関係を厳密に守っているような態度だったアラセリさんだが、最近は少し態度が軟化しているように感じる。
いや、恋人のフリだとハッキリ言っていたし、何かを期待するのは間違っているとは思うのだが、この感触は破壊力が強すぎる。
アラセリさんの胸の感触を意識しないように、何か別の事を考えようとして肝心な事を忘れていたのに気付いた。
「しまった、お金を下ろしてないや」
「ご心配には及びませ。お金は鞄の中の財布に入れておきましたし、足りないようでしたら私も持っております」
言われてみれば先日買った鞄は、中に入れておいた作業服や靴が無くなっているのに少し重たく感じた。
鞄の中を確認してみると、見覚えの無い革の財布が入っていて、中には金貨や銀貨がギシっと詰められていた。
「こんな大金……」
「ご心配なく、雑務係から医務係に移籍になりましたので給与も増額されています。たとえ、その財布を紛失してもユート様には十分な貯えがございます」
この国は、日本とは違って厳然たる階級制度が存在していて、雑務係と医務係では給与にも大きな差があるのだろう。
ただ、頭では理解しても、なかなか感情が追い付いて来ない。
西側の城門から続く坂道には、前回の休みと同様に休暇を楽しむために街に下りる人の列が出来ていた。
タリクや雑務係の人、厨房で顔見知りになった人がいないかと周囲を見回していると、まるで俺の心を読んだかのようにアラセリさんが話し掛けてきた。
「ユート様、申し訳ございませが、城の外ではお知り合いを見掛けても声を掛けないでいただけますか?」
「それは、警備上の理由?」
「はい、今も周囲には私たちを見守っている者がおります。不用意に接近してくる者がいた場合、最悪実力行使に及んでしまうかもしれません。その時に、向こう側の監視者がいたら警備の手の内を晒すことになってしまいます」
「分かった。残念だけど仕方ないね」
今の話の裏を返せば、今の俺は敵味方双方から監視されているという事になる。
アラセリさんの胸の感触に鼻の下を伸ばしているのを目撃されたかと思うと、穴があったら入りたいほど恥ずかしい。
だが、どう足掻いたところで監視の目が無くならない。
それならば、いっそ開き直って休日を満喫してしまった方が良いだろう。
「どちらに参りますか?」
「えっと……特別に買いたい物は無いんだけど、市場の様子を見てみたい」
「分かりました、ではこちらへ……」
どんな警備体制が敷かれているのか聞いていないから、行く場所はアラセリさんに任せた方が良いだろう。
街の通りには多くの人が行き交っているのだが、ぶつかる心配はあまり要らない。
日本の雑踏と比べると、人々の歩く速度がゆっくりなのだ。
前回、タリクと見て回った時にも感じたのだが、人々があくせくしていない。
商売の交渉にしても、料理屋で注文してから品物が出て来るまでの時間なども、日本の倍ぐらいのんびりしている。
この国の人にすれば当たり前なのだろうが、日本育ちの俺には時間がゆっくり流れているように感じる。
アラセリさんは、市場で売られている商品についても知識が豊富で、毛織物や香辛料、乾物などの産地や良し悪しについても教えてくれた。
市場ではピスタチオに似たナッツと干しアンズを買った。
どちらも味が濃厚で、日本で食べたものよりも遥かに美味しい。
途中で見掛けた本屋にも立ち寄った。
活字を使った印刷は一般的なようだが、機械を使った大量印刷、大量製本ではないらしく、食料品などに比べると高価だ。
こちらの世界の風俗が分かる本は無いか聞いてみると、アラセリさんは二冊を選んでくれた。
「こちらは勇士ラウザールの伝説を綴ったものです。邪悪な竜や魔族との戦いなどが書かれています」
「そのラウザールという人は実在の人物なの?」
「どうでしょう……実在していたと語り継がれていますが、正確な記録は残っておりません」
「もう一冊は?」
「こちらは、西方の国ミュルデルスとマスタフォへの旅を綴った旅行記です。今年出版された新しいものですので、ユーレフェルト王国を含めた庶民の生活を知るには良い本です」
「分かった、両方買うよ」
召喚の時に与えられた言語知識というか機能は優秀で、音として聞く言葉も、目で見る文字も理解出来る。
ただし、知らない固有名詞については音が分かるだけで意味までは分からない。
たぶん、この本も読み終えるまでには何度もアラセリさんに解説してもらわなければならないだろう。
本を購入した所で、空腹を覚えたので昼食にした。
なるべく庶民的な物を食べたいとリクエストすると、連れて行かれたのは麺料理の屋台だった。
公園の一角に色んな料理の屋台が集り、屋外に並べられたテーブルで食べられる一種のフードコートのようになっている。
その中の一軒が、アラセリさんのお薦めのようだ。
メニューは一種類だけで、鶏ガラで出汁を取った白いスープ、ラーメンとうどんの中間のような麺に蒸し鶏とたっぷりのネギが乗っている。
日本で言うところの鶏白湯そばという感じだが、独独の香料が一風変わった味わいを加えている。
周りで食べている人を観察したら、普通に音を立てて麺を啜っていたので安心した。
個人的に、麺料理をモソモソと食べるのは性に合わないのだ。
運ばれてきた器を抱え込むようにして一気にスープまで完食すると、向かいの席に座ったアラセリさんがクスクスと笑っていた。
アラセリさんのこんな自然な感じの笑顔を見たのは初めてで、彼女との距離がぐっと縮まったような気がする。
今は雨季の合い間で空はドンヨリと曇っているが、屋台のある辺りは周囲を緑に囲まれていて清々しい。
別の店で買った焼き菓子とお茶を飲みながら、アラセリさんから買って来た本や西の隣国の話を聞く。
経験は無いけど、デートってこんな感じなのかなぁ……と思っていたら、聞きたくない声が耳に響いて来た。
「はぁ? ずいぶんと良い御身分じゃねぇか」
聞こえてきたのは棘を含んだ日本語で、振り返った先に川本と沢渡の姿を見つけた瞬間、思わず席を立っていた。
二人とも左手に剣を握っている。
「まったくよぉ、俺達が命懸けで戦ってるつーのに、女連れて遊んでやがるのかよ」
すっと席を立って身を寄せて来たアラセリさんが、鞄を下げて動けるようにと耳打ちしてきた。
「おいおい、せっかく再会したってのに、どこに行く気だよ?」
「まぁ、どこにも行かせねぇけどなぁ……」
沢渡が目くばせした方向を見ると、松居、武田、梅木の三人が後方を取り囲むようにして歩み寄って来るのが見えた。
当然、三人とも剣を持っている。
「な、何の用だ」
「何の用だと? すっとぼけやがって、手前ぇ、俺らを売りやがったんだろう?」
「追い出された腹いせに、オークが待ち伏せするような危険な森に行くように仕向けたんだろう?」
目を血走らせた川本と沢渡が喚き散らすと、近くのテーブルにいた客は騒ぎに巻き込まれまいと席を立っていった。
「何のことだよ。売ったとか、仕向けたとか……」
「あー……要らねぇ要らねぇ、下らねぇ言い訳なんか聞きたくねぇ」
「それより、ちょっと付き合えよ。なぁ?」
「付き合う……?」
「あぁ、俺らは魔物退治のために毎日訓練を続けてるけどよぉ……」
「たまには違った訓練をしようと思ったんだが、街には魔物がいねぇんだよ」
「何言って……」
「霧風、手前ぇ魔物の役をやってくれ……ぐぅぅ」
「うがぁ……」
川本と沢渡が抜き放った剣を振り上げて迫って来た瞬間、それまで俺の後ろに隠れていたアラセリさんが疾風のごとく動いて二人の股間を蹴り上げた。
蹴られた川本と沢渡の体が軽く浮くほどの蹴りで、二人は声にならない悲鳴を上げて崩れ落ちた。
「こっち!」
アラセリさんは俺の手を握って、川本と沢渡を飛び越えて走り出す。
更に、一瞬躊躇した後で俺達を追って走り出した松居達に向かって椅子を投げつけ、テーブルを蹴倒して行く手を阻んだ。
「ちくしょう、売ったって何だよ! 俺は何もやってねぇ!」
「話の内容は分りませんでしたが、おそらく第二王子派に何か吹き込まれたのでしょう」
公園から通りへ走り込む時に後ろを振り返ると、川本と沢渡の姿は無かったが松居達三人が追い掛けて来るのが見えた。
「手前ぇ、逃げんじゃねぇ!」
「止まれ! 臆病者!」
「手前はボコって、女は
日本の法律が及ばない異世界へと召喚され、理性のタガまで外れてしまっているようだ。
抜き身の剣を握った三人を見て、周囲から悲鳴が上がる。
アラセリさんは相当な腕前のようだが、油断していた川本達とは違い、剣を握って殺意をぶつけてくる松居達三人に、武器も持たずに向かっていくのは分が悪すぎる。
「ユート様、こっちです!」
アラセリさんに腕を引かれて大通りから脇道へ入る。
建物と建物に挟まれた大人二人がやっとすれ違える程度の幅しかない道は、何処かへの近道ような気もするが、反面この先で待ち伏せされていたら逃げ場がなさそうだ。
「迷子の子犬!」
突然、脇道の奥まで響き渡るようにアラセリさんが叫ぶと、建物の壁がドアのように開いた。
「入って……そのまま奥へ進んで下さい」
外からは壁にしか見えなかったドアの内側には、細い通路が延びていた。
アラセリさんに導かれるままに通路を歩き出すと、入って来たばかりの壁のような入り口が大きな音を立てた。
ドカドカと壁を叩く音に思わず足を止めてしまうと、アラセリさんに強く腕を引かれた。
「大丈夫です。剣で切りつけた程度ではビクともしない作りになっています」
第二王子派による襲撃は予想していたが、まさか刃物を持ったクラスメイトに襲われるとは思ってもいなかった。
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