第14話 外出のお誘い
俺の暮らしている部屋から、リュディエーヌさんの医務室までは距離にして百メートルも離れていない。
たったそれだけの距離なのに、行きも帰りも衛兵が同行するようになった理由は、アラセリさんからユーレフェルト王国について教わって気付かされた。
どうやら、俺はかなり危ない立場にいるらしい。
すでに一度襲われたのだから、もっと危機感を持てと言われれば返す言葉も無いが、日本で暮らしていたら余程の恨みを買う以外は、命を狙われることなんて普通はあり得ない。
自分の置かれている立場を再認識させられた時にはビビったが、ここは第一王子派の勢力圏内だし、ここから出なければ襲われる可能性は無いのだろう。
ただ、安全を保障するためとは言え、ほぼ一日中監視下に置かれているので、第一王子派にも内密にしたい事はやりにくい。
その最たるものが、切断魔法の練習なのだが、これについては良い方法を思いついた。
それは、食事の時に練習する方法だ。
こちらの食事は、ナイフとフォークを使って食べる形式で、肉や魚、野菜などを切る際にナイフ代わりに切断の魔法を使うようにした。
食器は傷付けず、対象となる物だけを切断するなんて、色素を粒子単位で転移させることに比べれば楽勝だ。
運動不足については、風呂場で腕立て、腹筋、スクワット、懸垂などをして発散するようにした。
ついでに別の欲求も発散しておく。
でないと、医務室での施術では目の毒な状況が続いているのだ。
ロゼッタさんの痣の除去は、首筋から、肩、乳房の周辺が終わり、今は脇腹の辺りを行っている。
一度リュディエーヌさんに、下着は着けていても構わないと話したのだが、その後もロゼッタさんは一糸まとわぬ姿で施術を受けている。
これは、俺に対するサービスなのか、それとも嫌がらせなのだろうか。
痣の除去は、一度に直径五ミリ程度を転移させられるようになった。
色素を体外まで転移させ、濡らしたガーゼのような布で拭い取るという手順の連続で、時折離れた位置から肌に色むらが出来ていないか確認しながら進めている。
作業工程は確立出来たのだが、施術を施すのが女性の体なので、色々と戸惑うことが多い。
左右の乳首の色合わせなどはその典型だが、その他にも乳房から転移させた色素を拭い取る作業等もDT高校生には心臓破裂ものだった。
鷲掴みにして揉みしだきたいという欲望を抑え込み、冷静に施術続けた俺を褒めてやってほしい。
それだけでも俺は、賢者の称号を得ても良いのではなかろうか。
今は脇腹辺りに施術を行っているのだが、痣は下腹部から左の太腿の内側、鼠径部にまで広がっているらしいのだ。
既にロゼッタさんはアンダーヘアーの処置も済ませていて、施術される覚悟を決めているらしいが、その部分を恋人でもない男に凝視されるというのは……どうなのだろう。
いや、日本でも産婦人科や泌尿器科の医師ならば、必要に応じて診る事はあるだろう。
だが、医師の資格もない俺が凝視したり、触れたりして本当に良いものなのだろうか。
そもそも、俺の心臓はもってくれるのか、思春期のリビドーを抑え込めるのか、悩ましい日々が続いている。
今日も、迫りくるXデーについて思い悩みつつも施術を終えると、リュディエーヌさんから翌日は休みだと告げられた。
「あぁ、もうそんなに日数が経ってしまったんですね。すみません、なかなか終わらせられなくて」
「とんでもないわ、ロゼッタを良く見てごらんなさい。この白い肌は、ユートじゃなければ取り戻せなかったのよ」
「そう言えば、なんで治癒魔法では治せないんですかね?」
「それはたぶん、痣がある状態が病気や怪我ではないからでしょうね」
「でも、高熱が数日続いた後に痣が残るんですよね?」
「そうよ。だから、熱も引いて体は完治した状態なのね」
肌の色が違うだけで何の異常もない、だから治癒魔法では治せないという訳か。
「このままロゼッタの施術を終えて、王妃様の許可をいただいてアルベリク様の施術を終えられたら、いずれユートは貴族としての地位を賜ることになるわよ」
「えぇぇ……俺がですか?」
「何を驚く必要があるの? 聡明にして寛大、民を思いやる優しさと、外敵に毅然と立ち向かう強さを兼ね備えたアルベリク様の即位を阻む障害は蒼闇の呪いだけ。それを取り除ければ、男爵どころか子爵位を賜ったとしても不思議じゃないわよ」
「いや、貴族なんて……恐れ多いですよ」
というか、ぶっちゃけ貴族とか面倒くせぇとしか思えない。
地位なんかよりも一生不安なく暮らしていけるだけの金が欲しい。
「あの……その恩賞として、俺と一緒に召喚された者達を解放してもらう事は出来ませんかね?」
「手は尽くしてもらえるでしょうが、確約をしていただくのは難しいでしょうね」
たぶんクラスメイトは、第一王妃か第一王女の持ち物扱いになってしまっているのだろう。
王位に就いた後ならばまだしも、現状で解放の確約は得られないのだろう。
「まぁ、全ては施術を終わらせられたら……だからね。まだまだ先の話よ」
「ですよねぇ……」
「それに、アルベリク様への施術が成功すれば、貴族たちからの依頼が殺到するはずよ」
「やはり、顔に痣が残っているのは好ましくないのですか?」
「そうね。平民ならば布で隠していれば良いでしょうが、王族や貴族が顔を晒せないのはちょっとね」
だからこそ第一王子は、王位継承のために俺の能力が必要なのだ。
「それと、貴族の女性の中には、蒼闇の呪いが原因で離縁される者も少ないくないのよ」
「離縁って……まさか?」
「男性は顔以外の部分に痣があっても平気だけれど、女性の場合はねぇ……」
どうやら、ロゼッタさんのように体の目立つ場所に痣があると夜の生活に影響があるらしく、夫婦の間がギクシャクする原因になるらしい。
「自分の子供の将来を思えば、いくら金を積んでも痣を消してやりたいと思う親はいくらでもいるはずだし、第二王子派の貴族の中にだっているはずよ」
「それじゃあ、俺が分け隔てなく施術を続けていけば……」
「派閥の枠組みが緩み、もしかすると一緒に召喚された人達も解放してもらえる……かもしれないわね」
結局、俺に出来ることは今の作業を続けていく事らしい。
唯一無二の施術者ならば、報酬も期待できるだろうし、王位継承争いが決着した後もこちらの世界で生活していけそうだ。
その為に必要となる知識を得るために、アラセリさんからの個人授業を続けているおかげで、ユーレフェルト王国についての情報をかなり手に入れられた。
国土は東西が推定六百キロ、南北に四百キロぐらいの広さで、南が海、北は深い森で更に北には万年雪を抱く山、東に一国、西に二国と国境を接しているらしい。
気候は温暖で、北方の森近くは雪が積もるそうだが、王都エスクローデでは雪が降るのも珍しいそうだ。
今は春の終わりぐらいの時期で、一年でも過ごしやすい季節だそうだ。
西の二つの国、ミュルデルスとマスタフォとは良好な関係を続けているらしいが、東の国フルメリンタとは折り合いが悪いらしい。
二筋の川に挟まれた土地があり、その領有権を巡って十年以上も小競り合いが続いているそうだ。
その他にも、北東の山中にある鉱山を巡っても火種が燻っているようだ。
「それじゃあ、俺の仲間はフルメリンタとの戦いに駆り出されるのかな?」
「その可能性はございますが、北方の鉱山開発に行かされる可能性もございます」
「北に高い山があるそうだけど、そこに鉱物資源が埋まっているのか」
「豊富な鉱物資源があるとされていますが、北に行くほど強力な魔物が出没するので、手つかずの場所も多く残っているそうです」
「そうした資源を採掘するには、魔物を倒すための戦力が必要なんだね」
「おっしゃる通りです。鉱山の技師を守り、採掘した資源を運ぶ道を整え、運搬中の馬車を魔物から守る。今現在も多くの兵士が北方の森に駐留しているそうです」
危険度を考えるならば、どこに行かされても同じなのかもしれないが、魔物相手に戦うのと人間相手に戦うのでは精神的な負担が違ってくるだろう。
出来るならば、一人でも多くのクラスメイトに安全な職種に移ってもらいたいと思っているが、海野さん以外でも移籍出来た人はいるのだろうか。
「ユート様……」
「何かな?」
「一昨日、ご友人の皆様が四回目の実戦訓練から戻って来たそうです」
「怪我人は?」
「数名軽傷を負われたようですが、いずれも命に別状はないそうです」
「そっか、良かった……」
怪我人は出たが軽傷ならば大丈夫だと思ったのだが、アラセリさんの表情が冴えない。
「まさか、死者が出たとか……?」
「いいえ、亡くなられた方はいらっしゃらないと聞いています。ただ……上官の指示を守らず、広範囲の森を焼いた者が二人いたそうです」
真っ先に頭に浮かんだのは、俺を宿舎から追い出した川本の顔だ。
親友の池田を魔物に殺されて、ただでさえ好戦的だった性格が先鋭化していると海野さんが話していた。
もう一人は、付き合っていた美空さんを失った沢渡だろうか。
川本や沢渡じゃなかったとしても、精神的に不安定な状態に陥った結果だろう。
「その二人はどうなったんだろう?」
「反省を促すため牢に繋がれていると聞いています」
「でも、威力の高い魔法を撃てるなら、役に立つのでは?」
「いくら威力が高くとも、制御出来ないのでは危険過ぎます。実際、その演習では危うく巻き込まれそうになった者が複数いたそうです」
「うわぁ、それじゃ仕方ないか」
指示に従わなかった、味方を巻き込みそうになった、延焼した森林火災を消し止めるのに同行した兵士が奔走する羽目になった。
これでは投獄されるのも当然だろう。
「ところでユート様、明日の休日はいかがいたしますか?」
「えっ、いかがって言われても、危ないから部屋でゆっくりしてようかと思ったんだけど……」
「街に下りなくてもよろしいのですか?」
「うーん……街には行きたいけど、タリクを誘って途中で襲われたりしたら、またタリクを巻き込むかもしれないからね」
「その方を誘わなければよろしいのではありませんか?」
「いや、俺一人で街に下りたら、迷子になるのは必然だからね」
「それでは、私がご案内いたしましょうか?」
「えっ、アラセリさんが……?」
「お嫌ですか?」
「嫌じゃないけど……危ないのでは?」
「勿論、ユート様のお目触りにならないように護衛を付けさせていただきます」
「いや、そこまでしてもらうのは……」
今の俺が第一王子派に取って重要人物であるのは理解しているが、根が小心者ゆえにボディーガードまで用意してもらうのは申し訳ない気がする。
「失礼ですが、ユート様はご自身の価値を理解していらっしゃいません。より良い状態で施術を行っていただくためには気分転換も大切です。ご要望とあれば、危険を排除する程度は造作もございません。いかがですか、お出掛けなさいませんか?」
正直に言えば、部屋と医務室の往復だけの生活にはストレスを感じている。
街を観光出来るならば、見て歩きたいし、食べ歩きもしてみたい。
「分かった。外出の準備をしてもらえるかな」
「かしこまりました」
アラセリさんは、部屋の前で警備を行っている衛兵に外出の件を告げに行った。
衛兵からリュディエーヌさんかエッケルスさんに連絡が行き、明日の護衛が準備されるのだろう。
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