第12話 急襲

 痣消去の施術二日目、この日は休憩を挟みつつではあったが、それでも合計で六時間ぐらい転移魔法を使い続け、一度に直径一ミリ程度の範囲の色素を除去出来るようになった。

 たった直径一ミリかと思われるかもしれないが、その範囲の色素を認識し、周囲の細胞との境界を設定して、初めて転移が可能になるのだ。


 しかも、表皮ではなく真皮の深い部分に色素が溜まっているので、確実に体外に排出するには連続二回の転移が必要になる。

 この日の施術が終わって、ロゼッタさんの右の乳房は直径七ミリほど白い肌を取り戻した。


 昨日の点にしか見えない範囲から、ぱっと見ても気付く大きさに広がったので、リュディエーヌさんもロゼッタさんも表情を明るくしている。


「素晴らしいわ、ユート。このペースならば思っていたよりも早く終わりそうじゃない?」

「申し訳ございませんが、それは楽観的すぎます」

「何か問題があるのかしら?」

「今の時点ではありませんが、作業を続けていくと、一度に施術出来る範囲が頭打ちになるような気がしています」


 実際、今現在でも膨大な数の色素を認識して作業を進めていて、この先認識出来る数が飛躍的に増えるとは思えない。


「なるほど……どこかで限界がくると考えているのね」

「はい、それとは別の問題も起こるかと……」

「別の問題?」

「はい、人間の体は場所によって肌の色が違っていたりするので、色素と細胞の境界認識が難しくなると思っています」

「例えば?」

「ロゼッタさんの場合でしたら、乳房と乳首では色に違いがあります」


 生々しいとは思ったが、実際に肌の色が異なるし、真っ白にする訳にもいかないだろう。


「確かにそうね。でも顔ならば大丈夫じゃない?」

「顔も場所によります。例えば、頬と唇では色が異なっています」

「あー……確かにそうね。では、実際に顔の施術をする前には、別の被験者を用意する必要がありそうね」

「はい、一度取り出してしまった物を戻すのは難しそうですし、万全を期した方がよろしいかと思います」

「分かったわ、細かい問題点については、その都度対策を考えましょう。お疲れ様、しっかりと休んで明日の施術に備えて頂戴」

「はい……」


 色素取り出しは集中力を要する作業で、実際に目で見ている訳ではないのだが眼精疲労が蓄積する。

 ぶっ通しで女性の乳房を凝視して酷く目が疲れる仕事……なんて言ったらタリクはどんな顔をするだろうか。


 勿論、蒼闇の呪いの痣を消す施術を行っているなんて、たとえタリクにだって話せない。

 たぶん、第一王子の痣を全て消し終えて、王位継承争いに決着が付かない限りは話せないだろう。


 作業を開始して十日目、乳首を除いて右の乳房の痣は全て除去し終えた。

 ここで、リュディエーヌさんからは肌の色の違いに対応するべく、乳首の痣も除去するように命じられた。


 青黒みの残る右の乳首を薄桃色の左の乳首の色と揃えろと命じられれば従うしかないのだが、左右の乳首を交互に凝視して違いを探る様子は自分でも変質者にしか思えなかった。

 必要な色素を残し、不要な色素だけを認識し、境界を設定して転移させる。


 作業スピードは振り出しに戻ってしまい、乳首の色を揃えるだけで五日も要してしまった。

 第一王子の唇の色を整えるという目的があるにしろ、途中で何度も放り出しそうになった。


「いいわね。これならば王子の唇の色も心配なさそうね」

「正直、物凄く疲れましたが、いずれ必要となる技術だと思っています」


 ロゼッタさんの乳房は、言うまでもなく普段は下着や服に包まれているが、痣のある部分は人によって違う。

 服の外に出ている顔などの皮膚には、正常な箇所でも日焼けによる色素が沈殿しているはずだ。


 それを考慮せずにバンバン除去していたら、痣があった部分だけ真っ白になってしまうだろう。

 時間が経てば、日焼けをして同じレベルになるかもしれないが、それまでの時間は痣の明暗を反転させたような状態になってしまう。


 第一王子は殆ど外に出ていないという話だが、それでも顔ならば日に焼けているだろうし、手先なども同じだろう。

 いずれ行うであろう第一王子への施術を考えれば、更に痣除去の精度を上げておくべきだ。


 医務室を出て、通い慣れ始めた廊下を歩いて建物を出る。

 パラパラと雨が降っていたが、施術中は集中していたので雨音にも気付かなかった。


 季節は雨季に入ったらしく、ここ数日は雨が降ったりやんだりを繰り返している。

 ただ、城の建物は殆どが渡り廊下で繋がれているので、傘を差す必要は無い。


 仕事の内容は告げられないが、作業に行っている報告はしなければならない。

 雑務係の詰所に向かって歩いていたら、突然後ろから押し倒された。


「痛ぇ……なんだよ、タリクかよ」

「暴漢だぁ! 誰かぁ、誰かぁぁぁ!」

「はぁ? なに? えっ……?」


 ふざけて組み付いて来たのかと思ったが、タリクは大声を上げて助けと求めた。

 タリクの肩越しに見える廊下には、刃物を持った覆面姿の男が佇んでいる。


「誰か! 早く来てくれぇ!」

「ちっ、邪魔しやがって……」


 刃物を振り上げて踏み込んで来ようとした覆面男は、廊下の先に現れた人影を見ると踵を返して走り去っていった。

 邪魔した……ってことは、俺を斬り付けようとしたのか。


「助かったよ、タリク」

「怪我は無いか?」

「あぁ、大丈夫だ……って、タリク、血が……」

「たいした事ねぇよ……」


 タリクの背中はザックリと斬り割られていた。


「おい、どうした?」

「知らない男に斬り付けられて……」


 タリクが大声で叫んだので、人が集まって来て騒ぎになった。

 俺が城の衛兵に事情を聞かれている間に、タリクは医務室へと連れて行かれたようだ。


 衛兵からは心当たりは無いかと尋ねられたが、痣の除去については何も話せないので、分からないと答えるしかなかった。

 一通りの聴取と現場検証が終わり、雑務係の親方にも騒動について話しておこうと思い、詰所に向かおうとしたが、衛兵の一人に声を掛けられた。


「エッケルス様がお待ちだ、付いて来てくれ」


 衛兵に案内されたのは、痣の除去を行っている医務室の更に奥にある一室だった。

 部屋へ入るドアの前には衛兵が二人いて、念のためだと言われて特殊技能者認定証を確認された。


 ドアの内側には両側の壁に扉がある短い廊下があり、その先の二十畳ぐらいありそうな応接間にエッケルスさんの姿があった。


「ユート、無事だったか」

「はい、ですが雑務係の同僚が俺を庇って……」

「幸い彼の傷は命に関わるほど酷くないそうだ。安心したまえ」

「そうですか……あの、タリクに斬り付けた奴が、邪魔しやがってと言っていたのですが……」

「うむ、狙われたのは……ユート、君だ」

「やっぱり……」


 立ち話もなんだからと応接ソファーに座ると、部屋の隅に控えていたメイドさんがお茶を淹れてくれた。

 刃物を持った男に襲われるなんて異常な事態を味わわされ、喉がカラカラに乾いていたので有難かった。


「ユート、すまなかった……」

「エ、エッケルス様、頭を上げてください」


 お茶を一服した後、突然居住まいを正したエッケルスさんが頭を下げた。


「我々の見込みが甘かった。どこから洩れたのか分からないが、君が蒼闇の呪いの痣を消す作業を行っているらしい……という話が第二王子派に流れてしまったようだ」

「では、俺を襲ったのは……」

「第二王子派のザレッティーノ伯爵の手の者らしい……」


 全く気付いていなかったが、俺の行動はエッケルスさんの指示を受けた者が監視していたそうだ。

 俺が襲われた時にも離れた場所から監視していたそうだが、護衛が目的ではないために助けに入るのが遅れてしまったらしい。


 俺を監視していた者は、その後の状況を見て覆面男を捕らえずに泳がせる選択をして、逃亡先を見届けたそうだ。


「そのザレッティーノ伯爵は、どんな方なんですか?」

「簡単に言うならば、思慮に欠ける人物だな」


 ザレッティーノ伯爵には、第二王子の取り巻きをしている息子がいるそうだ。

 第二王子を次の王様にして、息子の伝手を使って甘い汁を吸おうという魂胆らしい。


「もう気付いているだろうが、私やリュディエーヌは第一王子アルベリク様に王位を継いでいただきたと思っている。そのために地道な活動をしているのだが、正直ユートをどこまで信用して良いものか迷っていたのだ」


 第二王子派によって召喚され、今も仲間が第二王子派の権力下に置かれている状況の俺は、替えの利かない有用性は認めても密偵として使われている疑いを拭いきれなかったようだ。


「これは、我々の判断ミスだ。もっと早く、君を安全な場所に置くべきだった」

「いいえ、エッケルス様には、これまでも色々と配慮してもらっていますし、他の世界から来た得体の知れない子供を信用出来ないのは当然です」

「そんな事はないぞ。これまでの働きぶりが、ユートという人物が真面目で誠実な人間であると示している。それを近くで見ていながら、判断を遅らせてしまった私の誤りだ」

「エッケルス様……」

「だが、もう心配は要らない。ユートには、アルベリク様への施術が終わるまで、この部屋で暮らしてもらう」

「えぇぇ……ここで、ですか?」

「奥には寝室もあるし、浴室もトイレもあるし、食事は届けさせるから大丈夫だ」


 いや、そういう心配ではなくて、いきなり独房みたいな部屋からセミスイートルームみたいな部屋に引っ越すことに戸惑っているんだが……まぁ、いいか。


「あ、あの……雑務係の仕事は?」

「ユートには、正式に西棟の医務係へ移籍してもらう」

「医務係というと、リュディエーヌ様の管理下に入るのですね?」

「そうだ。ユートがどう考えているのか確認しなかったが、これからはアルベリク様のために働いてもらう」


 キッパリと言い切ったエッケルスさんの言葉には、拒絶を許さない圧力を感じた。


「先日の休みに、今日俺を庇ってくれたタリクとエスクローデの街を見物してきました」

「ほぅ、どうだったね、王都の街は?」

「はい、大変賑わっていて、見て歩いているだけでも楽しかったです」


 タリクの案内で靴を買い、服を買い、食事をして、甘味屋に回ろうとした時に起こった出来事を話した。

 人垣に隠れて見えなかったが、脇道に響いた悲痛な声について話した。


「俺は、この国の王族や貴族の権威や特権について良く知りませんが、あんな事が許されてはいけないと思います」

「そうだ、その通りだよ、ユート。ベルノルトの横暴を止めるためにも、次の王位にはアルベリク様に座っていたかねばならないのだ」

「教えて下さい、エッケルス様。俺は、アルベリク様がどんな方か存じ上げません。この国を良くしてくれる……いや、国民が笑ってくらせる国にして下さる方ですか?」

「大丈夫だ。アルベリク様は蒼闇の呪いによってご尊顔に痣が残ってしまったことで、他者の痛みや苦しみを誰よりも思いやる方になられた。今も、ベルノルトの乱行に心を痛めていらっしゃる。アルベリク様ならば、必ずやユーレフェルト王国を国民全員が笑って暮らせる国にして下さるだろう」


 第一王子アルベリクを称えるエッケルスさんの表情は、少々宗教じみていて不安を感じない訳ではないが、少なくともベルノルトよりはまともそうだ。


「分かりました。これまで通り……いえ、これまで以上に協力させていただきます」

「そうか、よろしく頼むぞ、ユート」


 こうして俺は、完全に第一王子派に取り込まれる形となった。

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