第11話 蒼闇の呪い

 休日の翌朝、いつものように雑務係の詰所に顔を出すと、親方に手招きされた。


「ユート、着替えて装飾係の作業所に行け。エッケルス様がお呼びだ」

「分かりました。また肖像画か何かの清掃ですかね?」

「さぁな、内容までは分からんが、調子に乗らずに慎重に作業しろよ」

「了解っす」


 親方は、俺が失敗する事よりも、それによって自分が叱責されないか心配しているのだろう。

 一度宿舎の部屋に戻って綺麗な作業着に着替え、特殊技能者認定証を持って装飾係の作業場へと向かった。


 装飾係の作業場は、雑務係の作業開始時間よりも始業時間が遅い。

 警備の方に特殊技能者認定証を見せて作業場へ入れてもらったが、やる事がないのでお茶を飲むテーブル席に腰掛けて、ボンヤリと作業場の中を見回していた。


 以前、俺が肖像画の清掃作業を行っていたスペースには、クラッセンさんが作業していると思われる鎧のパーツが整然と並べられている。

 服飾関連の修復を担当しているハルミーレさんの作業机には、金糸銀糸をふんだんに使った男性王族向けの衣装が広げられていた。


 平時の衣装ではなく、式典などで着るものだろう。

 他にも刀剣の修復を担当している人、宝飾品の修復を担当している人などがいて、まるで博物館のバックヤードにいるみたいで全く退屈しない。


 肖像画の清掃作業で一ヶ月以上も通っていたので、作業場の皆さんとは顔見知りで、出勤んしてきた人と挨拶を交わしているうちにエッケルスさんが顔を見せた。


「おはようございます、エッケルス様」

「やぁユート、おはよう。待たせてしまったかな?」

「いいえ、先程着いたばかりですし、この部屋ならば待つことは苦になりません」

「そうか、では出掛けるとしよう」

「えっ、ここで作業するのではないのですか?」

「あぁ、まだ内容を伝えていなかったね。まぁ、歩きながら話すとしよう」

「はい」


 エッケルスさんは私物を机の上に置くと、俺を連れて作業場を出た。


「ユートには、染み抜きの技術を応用してもらおうと思っているんだ」

「応用とおっしゃられますと、単純な染み抜きではないのですね?」

「その通り……」


 話をしながらエッケルスさんは、廊下を城の奥へと進んでいく。

 夜間作業をするようになり、簡単な城の略図を見せてもらった。


 今進んでいる方向は、西側の王族が住まうエリアの方角だ。


「ユートは、蒼闇の呪いを知っているかい?」

「はい、詳しくは知りませんが雑務係の同僚から教えてもらいました」

「ユートには、蒼闇の呪いで出来た痣を体から抜き出せないか試してもらいたい」


 まさか、昨日の今日でこんな依頼が来るとは思ってもいなかったが、もしかすると昨日の第二王子の乱行が切っ掛けなのだろうか。

 エッケルスさんに連れていかれたのは、王族が暮らす区画の少し手前にある部屋だった。


 漢方薬のような匂いがするので、医務室のようなものだろう。


「おはよう、リュディエーヌ」

「おはよう、エイク。その子が例の子かしら?」

「あぁ、彼が話しておいたユートだ」

「ユートです、お初にお目にかかります」


 リュディエーヌさんは40代ぐらいのふくよかな女性で、俺が以前親方から教わった挨拶をすると、ちょっと驚いた表情を見せた後で口許を緩めた。

 エッケルスさんをエイクと呼んでいる様子からして、二人は親しい仲のようだ。


「雑務係から連れてくると聞いたから、どんな山猿を連れてくるのかと心配したけど……まぁ、これならいいでしょう」

「驚くのは早いよ、リュディエーヌ。彼はもしかすると我々の救世主かもしれないんだからね」

「そうであってもらいたいわね」


 品定めをされているのは十分に分かっているし、本音を言えばビビり気味だが、海野さんだって王族の近くへと食い込んでいったのだ、俺だけ逃げる訳にはいかない。


「ご期待に添えられるように努力いたします」

「我々では万策尽きた状態だから、新しいアプローチを試すしかないの」

「ユートの試み次第では、治癒魔法による治療の可能性も見つかるかもしれない。我々には体面など気にしている時間は無いのだから、試せるものは何でも試してみるべきだよ」

「そうね……さて、ユートだったわね。仕事の内容は聞いているかしら?」


 エッケルスさんから視線を俺に向け、リュディエーヌさんはぐっと身を乗り出すようにして訊ねてきた。


「蒼闇の呪いと言われている痣を消す作業だと伺っております」

「その通り。それで、可能かしら?」

「正直に申し上げて、分かりません。これまで絵画の表面に付いた汚れや、布地にしみ込んだ汚れの除去には成功しましたが、人の体の中となると難易度も段違いだと思われます」

「つまり、やってみないと分からない」

「はい、それに痣を消そうとする事で、色々な不具合が生じる可能性があります」

「ほう、例えば?」

「そうですね、皮膚が剥がれてしまうとか……」


 昨日考えた問題点のいくつかを伝えてみた。


「ふむ……エイク、確かにこの子は高い水準の教育を受けていたようね」

「正直に言って、雑務係に置いておくのは勿体無いと思っているよ」

「まぁ、処遇については考えるとして、この子なら、ひょっとしてひょっとするかもしれないわねぇ……」


 リュディエーヌさんはエッケルスさんと共に、何か企んでいるらしい少し黒い笑みを浮かべながら満足そうに俺を見つめている。

 どうやら、俺はお眼鏡に適ったらしい。


「それでは、ユート。早速だけど痣が消せるか試してもらうわ」

「えっ、そう言われましても……」

「大丈夫、ちゃんと被験者は用意してあるわ。ロゼッタ……」

「はい……」


 リュディエーヌさんの呼び掛けに応えて、衝立の裏から白いローブを纏った女性が姿を現した。

 年齢は俺よりも三つか四つぐらい年上だろうか、オレンジ色の髪は肩の辺りで切り揃えている。


 ローブの襟元から見えている、右の首筋の痣が蒼闇の呪いと呼ばれているものなのだろう。


「どう、ロゼッタ。話は聞いていたわよね?」

「はい、全てお任せいたします」

「分かったわ。エイク、経過は随時お知らせするわ」

「良い知らせを楽しみにしているよ。ではユート、頼んだよ」

「はい、全力を尽くします」


 そう答えたものの、被験者がこんなに若い女性とは思ってもいなかった。


「では、始めましょう。ロゼッタ、準備をして」

「かしこまりました」


 ロゼッタさんは、衝立の向こう側へと戻っていった。

 どうやら、そこが施術をする場所のようだ。


「あの……もう始めるのですか?」

「そうよ、何か問題でも?」

「先程申し上げた問題が起こったら……」

「大丈夫よ。その時には私が治癒魔法を掛けるし、それでも治らないような障害が残ったとしても構わないとロゼッタは承諾しているわ」

「そんな……」

「ユート、あなたは頭の良い子のようだから、この試みの最終的な目的には気付いているわね?」


 俺の言葉を遮るように告げられたリュディエーヌさんの問い掛けに頷くことしか出来なかった。


「だったら、ロゼッタの覚悟を無駄にしないで」

「分かりました」

「よろしい、では始めるわよ」


 俺も覚悟を決めてリュディエーヌに続いて衝立の向こう側へとふみ込んだのだが、直後に足を止めてしまった。


「えっ、ちょっ……」

「どうしたの?」

「いや、せめて下着ぐらいは……」


 施術台に横たわったロゼッタさんは、一糸まとわぬ全裸だった。


「ユート、あなた女性の裸を見るのは初めて?」

「はい……」

「それなら、早く慣れてしまいなさい」

「いや、でも……」

「でもじゃない! 私達の最終目標を達成するには、中途半端な結果じゃ駄目なの。そもそも、半端な治療では王妃様の許可が下りないわ。ロゼッタの痣を綺麗サッパリ消してみせて、王妃様の許可をいただいて、ようやく最終目標に向かって動き出せるのよ」


 ローブを着ていた時には右の首筋にしか見えなかったが、痣はそこから胸、腹、下腹部を通り、左の太腿まで断続的に繋がっている。


「どこまで痣があるのか、王妃様には確認していただいてるわ」

「ぜ、全部消すんですか?」

「そうよ。ユートには、蒼闇の呪いを解いてもらうわ」


 ぶっちゃけ、思春期男子の俺とすれば、女性の裸が見たくないはずがない。

 ましてや、ロゼッタさんはグラドル並みのスタイルの持ち主なのだ。


 そんな見事な裸体を目の前にして、邪な思いに囚われずに作業に集中しろとは、苦行にも程があるだろう。

 それでも危険を承知で被験者を引き受けたロゼッタさんの覚悟を無駄にする訳にはいかない。


 改めて覚悟を決めてリュディエーヌさんに訊ねた。


「どこから施術を始めたら良いですか?」

「そうね、ここからよ」

「えぇぇ……面白がってませんか?」


 リュディエーヌさんが指さしたのは、ロゼッタさんの右の乳房だった。


「何を言ってるの、首筋には太い血脈、腹は内臓、太腿の内側にも太い血脈が走っているわ。乳房なら何かあっても脂肪がある分だけ危険は少ないからよ」

「わ、分かりました……すみません、肌を凝視してしまいますが許して下さい」

「構いません、覚悟は出来ています」


 言い訳がましい断りを入れると、ロゼッタさんは少し微笑んでみせてから目を閉じた。

 もういい加減覚悟を決めて集中しよう。


 転移魔法を発動させる時、対象となる物体を凝視していると微細な内部構造が頭に浮かんでくる。

 これは、転移魔法に付随する能力だと思うのだが、倍率を上げるほどに集中力を要求される。


 五分以上ロゼッタさんの乳房を凝視して、ようやく細胞レベルの断面が見えてきた。

 青黒い痣の部分と、本来の白い肌を比べると、ブチブチと色素が沈殿している様子が分かった。


 正直、鳥肌が立ちそうな気味の悪さを感じる。


「色素が肌の少し深い部分に固まっているみたいです」

「取り除けそう?」

「境界の設定が難しいので、ほんの一部しか動かせそうもないです」

「やってみて」

「はい、転移……」

「変わったようには見えないわね」


 動かせた数が少ないのと、移動距離が足らず、肌の中に留まってしまっている。

 一旦集中を解いて、リュディエーヌさんに現状の説明をした。


「移動させる色素の数や距離は増やせないの?」

「色素の数は経験値を重ねていけば徐々に増やせると思いますが、移動させる距離は増やせません」

「それでは色素の除去は難しいってことね?」

「いえ、色素を認識したままにして、二回連続で転移させれば体の外へ排出させられます」

「それじゃあ、繰り返して経験値を積み重ねていくしかないのね?」

「現状では、それしか思いつきません。どの程度ペースを上げられるかも、もう少し繰り返してみないとハッキリとは申し上げられません」

「分かったわ、じゃあ施術に戻ってくれる?」

「かしこまりました」


 結局、この後夕方近くまでぶっ通しで転移魔法を使い続けた。


「どうかしら……って、ぱっと見た感じでは変わりないわね」

「いいえ、失礼しますね」


 魔法を使い通しで頭がぼーっとしている所に、何の成果も無いような言われ方をしたので、反射的にロゼッタさんの乳房を手で払ってしまった。


「ちょっと、あなた……まぁ!」

「痣が……」


 リュディエーヌさんは眉を吊り上げて語気を強めた直後に、目を見開いて驚きの声を上げた。

 ロゼッタさんも自分の乳房の変化に気付いたようだ。


 それは、ほんの直径二ミリぐらいだが、確かに青黒い痣の中に白さを取り戻した肌がある。


「ユート、これは痣が消えているのね?」

「はい、痣の原因である色素を体の外まで転移させました。今日はこの程度ですが、経験値を重ねれば、一度に転移させられる面積はもっと増やせるはずです」

「素晴らしいわ。これは本当に小さな成果だけれど、私には希望の星が輝いているように見えるわ」

「ありがとうございます、ユートさん」

「いいえ、まだ何かを成し遂げた訳じゃありませんから、お礼は成果が形になった時に受け取らせていただきます」


 施術を始めた時は、変質者の毒牙に掛かる生贄のような悲壮な表情だったロゼッタさんが、笑顔を見せてくれただけでも今日のお礼は十分だ。

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