第4話 装飾係の作業所

 装飾係の作業所に出向する形になって、また待遇が良くなった。

 エッケルスさんから作業用の服と靴が支給されたのだ。


 滅多にないそうだが、作業所には王族が足を運ぶ事もあるそうなので、みすぼらしい格好はさせられないらしい。

 これまで来ていた雑務係の作業服が、どこで作られたか分からないような激安の品物だとすると、装飾係の作業服は高級ブランド品のようだ。


 肌触りも良いし、何より動きやすいのが助かる。

 相変わらず寝起きと食事は雑務係の宿舎なので、二つ年上の同僚タリクには羨ましがられた。


「うわぁ、布の質が違い過ぎるな。おれもこんな作業服が着てぇな」

「作業服は着心地いいけど、装飾係の作業所は場違いな感じがして居心地悪いぞ」

「その点に関しては、ここの方が気楽だな」

「だろぅ?」


 なんて言っておいたが、装飾係の作業所の居心地は悪くない。

 というか、午前と午後にはお茶の時間があるし、昼には軽食も出るのだから居心地は最高に良いのだが、それをタリクに話すと妬まれそうだ。


「そう言えば、ユートの仲間、実戦に出掛けたらしいぞ」

「マジで?」

「あぁ、ヘーガーの森までは片道三日か四日、それから五日ぐらい訓練を行ってから戻ってくる予定らしいぞ」

「そんな情報、どこから仕入れて来るんだよ」

「騎士団の建物の清掃とかやってっからな。それに、お前の仲間は目立つ存在だから、あちこちで噂されているからな」

「なるほど……」


 その予定だと、戻ってくるのは早くても十一日後ぐらいになるだろう。

 こちらの世界に連れて来られてから一ヶ月程度しか経っていないのに、ちゃんと戦えるようになっているのだろうか。


 何だか胸騒ぎがするけれど、俺が通っている作業所は第二王妃派の勢力下なので、第一王妃派に組み込まれているクラスメイトの噂話は全く聞こえて来ない。


「また仲間の噂を聞いたら教えてくれないか?」

「あぁ、構わないぞ」

「ところで、そのヘーガーの森って、どんな所なんだ?」

「さぁな、行った事が無いから良く知らないが、新兵の訓練に使われたり、駆け出しの冒険者が素材集めに行く場所って話だな」

「じゃあ、危険な魔物とかは出ないのか?」

「それも、良く知らないが、そんなに危険な魔物はいないんじゃないか?」

「そうなんだ……」

「おっと、モタモタしてると、また親方にドヤされるから行くぞ」

「俺も、そろそろ行かないと……」


 宿舎の前でタリクと別れて、装飾係の作業所へ向かう。

 実は装飾係の作業場では、まだ仕事は始まらない。


 雑務係がブラック企業だとすれば、装飾係は優良ホワイト企業という感じだ。

 作業所には警備の兵士が出入りをチェックしていて、エッケルスさんから渡された仮の身分証を呈示して入室する。


 まだ他の作業員は来ておらず、一人だけで集中して作業に取り組めるので、この時間は貴重だったりする。

 今、俺が清掃に取り組んでいるのは、大きな肖像画ではなく小振りの額縁に入れられた風景画だ。


 この絵も古いもののようで、表面に埃と煤が付着している。

 どうやら、城の明かりに使われていた蝋燭やランプの油分を含んだ煤が積もっているようだ。


 油分と粒子の混合物となると、絵の具と同じような組成だ。

 そのため、絵の具と汚れの境目を確定させるのが難しい。


 境目の見極めが甘いと、汚れが落ち切らなかったり、絵の具まで剥いでしまう。

 何枚も駄目にして良い絵があるかどうかも分からないし、一度に一センチ角ぐらいを集中して魔力で探知して、境目を確定させて、転移魔法を発動させる。


「転移……うん、だいぶ分かってきたぞ」


 明るい色の絵の具が塗られた部分は境目の見極めがしやすいが、黒い絵の具が塗られた部分は境目が分かりにくい。

 ナイフかヘラで撫でた部分は楽だけど、筆の目が残っている部分は集中力を要する。


 丸三日、ひたすら絵の具と汚れの境目を見極めるためのトライ&エラーを繰り返していたら、魔力によって物質を探査する感度が格段に上がった。

 今なら厨房の壁も、石の継ぎ目に食い込んだ汚れさえ残さず転移させる自信がある。


 練習用に受け取った風景画の上側三分の一は、絵の具が剥がれたり汚れが残ったままだったり酷い状態だ。

 真ん中の三分の一は、絵の具が剥げるた場所は無いものの、汚れの落ちが均一でなく斑になっている。


 そして下側三分の一は、まるで描かれた当時のような鮮明な色合いを取り戻している。


「調子はどうだい、ユート」

「エッケルス様、ちょっと見てもらえますか?」

「おぉ、これは……上側は酷いものだが、この辺りは文句の付けようがないな。では、いよいよ取り掛かるか?」

「はい、今日はまず額縁の清掃を済ませて、明日から本格的に作業に入りたいと思ってます」

「そうか、焦って作業する必要はない、それよりも仕上がり重視で作業してくれ」

「かしこまりました。エッケルス様、一つ教えてもらえますか?」

「なんだね?」

「あちらは、どなたの肖像画なんですか?」

「うむ、あれは三代前の国王アンゼルム様だ」


 エッケルスさんの話によると、アンゼルム・ユーレフェルトは賢王と呼ばれるほど国を安定と発展に導いた国王だったそうだ。

 アンゼルムの代を含めて、四世代に渡って王位継承争いが起こり、その度に国の根幹が揺らぐ事態になっていたらしい。


 第一王子として生まれたアンゼルムは、他の王子達を武力ではなく対話と交渉によって納得させ、流血の事態を回避して王位を継承したそうだ。

 そして、王位は継承順位に従って、平和に譲渡すると国法で定めたそうだ。


 つまり、アンゼルムの肖像画を清掃するのは、第一王子の正当性をアピールするためらしい。

 そんな小細工が第一王妃派に通用するとも思えないが、それを口に出して言うほど俺も馬鹿じゃない。


 翌日から、アンゼルム・ユーレフェルトの肖像画の清掃作業に本格的に取り組んだ。

 一度の転移魔法の発動で汚れを落とせるのは、せいぜい五センチ四方程度。


 それも発動させるまでに汚れの絵の具の境目を見極める必要があるので、一ヶ所汚れを転移させるまでに五分ぐらい掛かる。

 正直、いつ終わるのかと思うほど気の遠くなる作業だ。


「ユート、お茶にしよう」

「はい、ありがとうございます」


 作業を続けていると、隣のスペースで鎧の修復を行っているクラッセンさんにお茶に誘われるようになった。

 五十代ぐらいだろうか、頭にも髭にも白髪が目立つ小太りの男性で、いつも穏やかな表情をしている。


「ユートの年齢で、これほどまで根気よく作業を続けられるとは、本当に大したものだ」

「絵画の清掃作業は初めてなんですが、こういう細かい作業は性に合ってるみたいです」

「鎧のような金属製の物でも清掃出来るのかい?」

「いきなりは無理ですが、何度か練習を重ねれば出来ると思います」

「金属の腐食した部分だけ取り除く……みたいな作業も可能かな?」

「それも練習次第……ですかね」

「それじゃあ、そちらの作業の目途が立った頃にでも試してもらおうか」


 午前と午後にお茶の時間、更には昼に軽食まで出るのは贅沢だと思っていたが、回りで作業している人達も俺と同様に根気のいる作業なので息抜きの時間が必要なのだ。

 朝、雑務係の宿舎から直接装飾係の作業場に出向き、一日の作業を終えたら雑務係の詰所に報告に行くパターンの繰り返し。


 十日に一度の厨房の掃除に出向いたら、料理長に歓迎されてデカい肉の煮込みを食わせてもらったので、レベルアップした掃除テクで入念に掃除をしたら更に喜ばれた。

 充実した毎日を送っていたせいか、朝食の席でタリクに話題を振られるまでクラスメイトの事が頭から抜け落ちていた。


「遠征に行ったユートの仲間が帰ってきたらしいぞ」

「えっ、どうだったって?」

「おぉ、一人の犠牲も出さずに、結構な成果を上げたらしいぞ」

「結構な成果って?」

「結構な成果は……結構な成果だよ。詳しい内容まで分からないが、上官連中の機嫌が良かったから問題ねぇだろう」

「そっか……犠牲ゼロで成果を上げられたのか、良かった」


 クラスメイトたちは、また暫く城で訓練を重ねた後、別の森に遠征に出るらしい。


「別の森って……?」

「たぶん、ネーファの森だろうな。時々オークが出るらしいが、繁殖するのは森の奥の奥らしい」

「人里に近い場所には群れはいないってこと?」

「たぶんな……」


 オークの実物は見たことがないから分からないが、大型の魔物の討伐は更に危険を伴うだろう。

 ただ、俺が不安を覚えているよりも、クラスメイトの実力は上かもしれない。


 ちょっと宿舎を訪ねてみようかと考えたが、あれだけ手酷く追い出されたのを思い出して途中で戻ってきた。

 お互いに上手くやっているならば、わざわざ訪ねていって不愉快な思いをする必要はない。


 クラスメイト達が二度目の遠征を終えて帰ってくる頃には、俺も肖像画の清掃作業を終えられているだろうか。

 作業を重ねるごとに手順にも慣れ、魔力を使った見極めの精度も上がり、一ヶ所あたりの作業時間は当初の半分ぐらいで終わらせられるようになった。


 ただし、万が一失敗したら取り返しの付かないことになるので、速度よりも仕上がり重視で作業を進めた。

 そして、作業開始から四十五日目、ようやく肖像画の清掃作業を終わらせられた。


 離れて見ても、近付いて見ても、汚れは感じられないし、ムラも見えない。

 エッケルスさんに仕上がりをチェックしてもらった。


「どうでしょう、エッケルス様」

「素晴らしい、実に素晴らしい。あれほど絵を曇らせていた汚れは微塵も感じられず、それでいて繊細なタッチは失われていない。ユート、君に依頼したのは正解だったよ」

「ありがとうございます。期待に応えられてホッとしました」

「ユート、これだけの仕事をしてくれたのだから、何か褒美を取らせたい。望みはあるかい?」


 褒美、その一言がエッケルスさんの口から出るのを密かに期待していた。


「出来ましたら、戦場に出なくても良い確約のようなものを貰えないかと……」

「そうか、ユートはアウレリア様によって戦力となるべく召喚されたのだったな?」

「はい、一緒に召喚された者達は、既に実戦を経験しておりますが、自分の魔法では戦うのは無理そうなので……」

「うむ、うむ、確かにユートの転移魔法は戦いには向かぬな。だが、こうして素晴らしい仕事を成し遂げた。これほどの仕事が出来る者は、国中を探しても見つからぬだろう。ユート、君にはこれを授けよう」


 エッケルスさんが差し出したのは、五センチ角で厚さは五ミリほどの金属製のプレートで革のストラップが付けられている。

 表面には王家の紋章、裏には文字が刻まれていた。


「特殊技能者認定証……これは?」

「この国には、優れた技能を持つ者を保護する仕組みがある。卓抜した技能が絶えてしまっては国にとって大きな損失になるからな。この認定証を持つ者は、戦時においては優先的に保護される。つまりユート、君はもう戦場に行かなくて良いと国が認めたのだよ」


 認定証を用意していたのだから、最初から与える予定だったのだろうが、国からのお墨付きとは有難い。


「ありがとうございます!」

「私としては当然の事をしたまでだ。君の清掃能力は、城の各部にも役立てて欲しいと思っているから、一応所属は雑務係とするが、清掃場所はウダイを通じて指示するので、それに従ってくれたまえ」

「かしこまりました」

「なぁに、ユートの仲間も前回の遠征では良好な戦果を上げたと聞いている。君が連れ戻される心配は無いとは思うが、万に一つでも、そのような事が起こっては困るからな。安心して働いてくれたまえ」

「はい、ありがとうございます!」


 所属については変則的な形になるようだが、これで身の安全は確保出来た。

 ただし、現状では第一王妃派に恩を売られている形になってしまった。

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