第3話 清掃の依頼

 異世界召喚に巻き込まれてから一ヶ月以上が過ぎた。

 できるだけクラスメイトと接触しないようにしているが、だからといって気になっていない訳ではない。


 予定通りならば、そろそろ実戦訓練が行われるはずだ。

 王都を出て近郊の森へと入り、ゴブリンなどの比較的弱い魔物を狩るという話だが、本当に大丈夫なのだろうか。


 日本で一般的にペットして飼われている柴犬だって、マジモードで吠えてくれば殆どの人は恐怖を感じるだろう。

 ましてやゴブリンは身長百二十センチぐらいで、爪も牙も鋭く、何よりも人間に対して敵意を剥き出しにしてくる。


 首筋を噛まれたら出血多量で死ぬかもしれないし、腕や足を噛まれたり引っ掛かれたりするだけでも感染症にかかるかもしれない。

 王都近郊の森がどんな場所なのか知らないが、毒を持つ蛇や虫が生息していれば命の危険に晒される。


 一人だけ逃げ出すような格好になってしまっているが、クラスメイトのみんなにも恥や外聞に囚われずに、他の職種への転属を希望してもらいたいと本気で思っている。

 嬉々として火の魔法を練習してた川本なんかは、自ら望んで戦闘職を楽しんでいるようにも感じるが、命懸けというリスクに相応しい待遇が得られるとは思えないのだ。


 とは言え、俺は俺に与えられた仕事をこなすしか今は出来ない。

 担当を割り振られてた場所の掃除を終え、道具を片付けて雑務係の詰め所に戻ると、親方のウダイに声を掛けられた。


「ユート、お前、明日の予定を変更するから、なるべく綺麗な格好して来い」

「綺麗な格好と言われても、これと同じ服しか持ってないっすよ……」

「洗濯して、一番綺麗なのを着て来い。城の装飾係の主任、エッケルス様からの呼び出しだから失礼の無いようにしろよ」

「はぁ、分かりました」


 生返事をしたら、親方に怒鳴られた。


「お前、装飾係がどんなものだか分かってんのか!」

「城の中を飾り付ける係じゃないんですか?」

「馬鹿野郎! 城の装飾品っていうのは王族の好みに合わせて飾られてるんだ。その装飾品を扱う係ってのは、王族の近くで意向を聞き取り、要望に応えてする仕事だ。下手に逆らえば、首が飛んでもおかしくないんだぞ。失礼な真似をしてエッケルス様の不興を買ったら、ただじゃおかないから覚悟しとけよ!」

「わ、分かりました……」


 毎日を何事も無く過ごしていると忘れがちになるが、この国には厳然たる身分制度があり、城の仕事も内容に応じた階級が存在している。

 俺が所属している雑務係は、いうなれば城の仕事の最底辺だ。


 雑務係よりも厨房で働く者の方が上で、装飾係は更に上の階級だそうだ。

 俺を怒鳴りつけた後で親方は、近くに来いと手招きをしてみせた。


「ついでに教えておくから、良く聞けよ。それと、これからする話は大きな声で他人に喋るな。いいな!」

「はい……」

「今、この国では王位継承を巡って、第一王妃と第二王妃の二つの派閥が暗闘を繰り広げている……」


 親方の話によると、第一王妃、第二王妃ともに二人の子供を産んでいるらしい。

 第一王妃クラリッサは、第一王女アウレリアと第二王子ベルノルトの母親。


 第二王妃シャルレーヌは、第一王子アルベリクと第二王女ブリジットの母親だそうだ。


「何だか、ややこしいっすね」

「ややこしくても覚えておけ、でないと将来に関わるぞ」

「はい……」


 二人の王妃のうち、権力に固執してるのは第一王妃のクラリッサで、息子のベルノルトを次の王にしようと画策しているらしい。

 もう一方の第二王妃シャルレーヌは、第一王子が王位を継ぐべきだと当然考えているようだが、アルベリクには王位を継ぐのに差し障りがあるらしい。


「差し障りって?」

「痣だ。俺達なんかが直接目にする事は無いが、アルベリク様の顔には大きな痣があるらしい」


 日本では、痣を理由に家督相続の候補から外されれば、差別だと大騒ぎになるだろうが、こちらの世界では王位に相応しい容姿が求められるらしい。


「それじゃあ、第二王子が継ぐしかないっすよね?」

「大きな声で言うなよ。ベルノルト様は素行に問題がある」


 親方が言うは、第二王子は気が短く、気にいらなければ暴力を振るうらしく、女癖も悪いらしい。

 要するに、どちらの陣営も問題を抱えていて、第一王妃は子供たちが実績を残すように躍起になり、第二王妃は痣の治療法を探し回っているらしい。


「もしかして、俺達が召喚されたのも、その実績作りの一環なんすか?」

「そういう事だ」

「くっそ……ふざけやがって」

「おい滅多な事を言うんじゃねぇ。下手に第一王妃派に聞かれたらヤバい事になるぞ」

「あっ……すんません」


 親方の一言で思い出したのは、召喚直後に斬り殺された山岸の姿だ。

 手駒として召喚した者であっても、自分たちの意にそぐわなければ問答無用で斬り殺す。


 そんな連中とこの先も関わらなきゃいけないと思うと、一気に気分が憂鬱になった。


「あの、明日会うエッケルス様は、どっちの派閥なんすか?」

「第二王妃派だ。だからといって気を抜くんじゃないぞ」

「分かりました」


 実践訓練から解放されたと思っていたが、城にいる以上は派閥争いに巻き込まれずには済まされないのだろう。

 言い知れない不安を抱えながら、宿舎に戻って水浴びをしてからベッドに横になった。


「待てよ……第一王妃派の連中が実績作りに躍起になって俺達を召喚したのなら、第二王妃派を応援すればみんなを戦わせずに済むんじゃね? いや、そんなに簡単にはいかないか……」


 もし第二王妃派が優位に事を運べば、当然第一王妃は更に実績を作ろうと躍起になるだろう。

 そうなれば、クラスメイトには更に過酷な要求が突き付けられるかもしれない。


「自分の身すら満足に守れないのに、他人の心配してる場合じゃないか……でもなぁ……」


 もう召喚直後のように、自分が主役でみんなを守る……なんて気持ちは更々無いが、それでも見殺しにはしたくない。


「とりあえず、もう少し内情を知らないと、どうにもならねぇよな」


 これからの事を考えるにしても、あまりにも材料が乏しいと気付き、なるようになれと思い直して眠りについた。

 翌朝、一番綺麗そうな服を引っ張って皺を伸ばしてから着て、髪も少し濡らして手櫛で整えてから雑務係の詰所に向かった。


 親方のウダイも、普段よりも綺麗な服を着て、首元までボタンを留めていた。

 俺の服装を頭の天辺から足の爪先まで二往復して確認した後、渋々といった感じで頷いた。


「まぁ、そんなもんか、他の靴とか持ってないんだよな?」

「はい、日本の制服とかは全部取り上げられました」


 召喚された時、俺達は自分の体以外に直接肌に触れていた物が一緒にこちらに来たが、殆ど取り上げられて、替えの服と靴を与えられたのだ。

 この後、付け焼刃の礼儀作法を教わって、装飾係の作業所へと連れて行かれた。


 向かったのは城の西側の一室だった。

 城の東側が第一王妃派、西側が第二王妃派の領分らしい。


 そう言えば、クラスメイトに与えられた宿舎は城の敷地の東側にあった。


「失礼いたします、雑務のウダイです。エッケルス様はいらっしゃいますか?」

「あぁ、ウダイ。こっちだ、入ってくれ!」


 親方が腰を低くして訪問の意図を告げると、部屋の奥から返事が返ってきた。

 装飾係の作業所は、演劇の大道具や小道具を扱っている部屋のようで、大きな倉庫に隣接したスペースで鎧やドレス、壺、彫刻などの手入れが行われていた。


 ペコペコと頭を下げて進んでいく親方に続いて、俺もペコペコと頭を下げながら進むと、見上げるほどの大きさの肖像画の前に芸術家っぽい四十代ぐらいの男性が立っていた。


「やぁ、ウダイ。わざわざ呼び立ててしまって悪かったね。そちらが例の掃除人かい?」

「はい、ユートと申します。ほら、挨拶しろ……」

「は、初めまして、ユートです」


 親方に教えられた通りに、左の膝を付き右手は背中、左手は腹に添え、首を折って挨拶をした。


「あぁ、そんなに堅苦しくしなくてもいいぞ。君は、アウレリア様によって召喚されたが、思うように魔法が使えずに職種の変更を願い出た……そうだね?」

「はい、転移魔法を使えるようになったのですが、ほんの僅かな距離しか転移させらず、とても戦闘職としてやっていく自信がございませんでした」

「だが、その転移魔法を使って厨房を驚くほど綺麗にしてみせた……そうだね?」

「はい、転移魔法を使えば、こびり付いた汚れも容易に落とせると気付いたのです」

「素晴らしい! 逆境にあっても創意工夫を忘れないとは見上げた心掛けだ」

「ありがとうございます。少しでも役に立ちたい一心でした」

「それは、誰のためにだい?」


 エッケルスさんの声のトーンが急に変わり、背筋に冷たいものが走る。


「こ、この国のお役に立ちたいと思っております」

「そうか、そうか……では、この国のために、君にはこの肖像画の清掃をお願いしたい」

「えっ、こんな立派な肖像画を……」


 壮年の王族らしき人物の肖像画は、畳八畳ぐらいの大きさがありそうだ。

 立派な額縁に収められているが、かなり古い作品のようで良く見ると埃が積もっている。


「絵画の修復を専門としている者がいたのだが、体調を崩していてな。頑固な人間で、自分の技術を他の者に教えようとしなかったのだ」

「それでは、今は絵画の清掃を出来る人がいないのですか?」

「その通りだ。どうかね、出来そうか?」


 絵を見た感じでは、いわゆる油絵のように見える。

 絵具を塗り重ねた凹凸が無数にあり、そこに汚れの粒子が入り込んでしまっている。


「俺……いえ、自分の転移魔法を使った掃除方法は、壁と汚れのそれぞれを魔力で認識して、汚れだけを転移させて落としてます。厨房の壁や床は凹凸も少なく、汚れとの素材の違いも明確でした。でも、この絵画を拝見すると、絵の具は油と顔料の粒子を混ぜ合わせたもので、汚れの部分は煤などの汚れと脂が交じり合ったものみたいで……」

「なるほど、絵の具と汚れの境が曖昧なのだな?」

「はい、こちらは貴重な作品のようですし、いきなり掃除を試みて、失敗したら作品を台無しにしてしまう恐れがございます」

「それでは、我々の依頼は受けられないと……?」

「いえ、そうではなくて、何か失敗しても構わない絵画はないですか?」

「ほう、そちらで試してみようというのだな?」

「そうです、そうです」

「よかろう、適当な絵を準備するから、それを使って掃除方法を確立し、この絵画の清掃をしてくれ」

「かしこまりました」


 こうして俺は、肖像画の清掃が終わるまで、一時的に装飾係へ出向となった。

 出向期間中も、十日に一度の厨房の掃除は続ける予定だ。

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