第6話 初めての下町

「うふふ、この程度の服なら商家のお嬢さんで通じるわよね?」



 アレクシアは持っている服の中で最も簡素なワンピースーーーしかし上質な物というのはひと目見ればわかる品質ーーーを着て裾の広がりを楽しむようにクルリと1回転した。



 出掛けると聞いて母のクリステルと家令のセバスチャンは渋い顔をしたものの、護衛騎士から絶対離れないという条件で許可を得た。

 ホクホク顔で侯爵家の紋章を隠した馬車に乗り込む愛らしいお嬢様の姿を、使用人達は微笑ましさ半分心配半分で見送る。



(うおぉ~、中世ヨーロッパ風の街並み! これぞファンタジーっちゅーもんや! 冒険者ギルドの前は通らんかなぁ、テンション上がるわぁ)



 初めて侯爵家の敷地から出たアレクシアは細い目を目一杯開き、頬を紅潮させて馬車の窓に張り付いた。

 そんな様子をアネットや馬車の扉の横を馬で並走しているパスカルに微笑ましげに見られている事に、本人は気付いていない。



「うふふ、お嬢様、そんな姿をカロンヌ伯爵夫人に見つかればお叱りを受けますよ?」



 言われてアレクシアは息を飲んで姿勢を正して座った。

 カロンヌ伯爵夫人はマナーの先生だ。伯爵夫人でありながら公爵家でもマナーの家庭教師としてわれるくらい美しい所作をしており、幼いアレクシアに対してもそれなりに厳しいのだ。



 前世を思い出して以来、癇癪を起こさなくなった事に対して周りは4歳になって家庭教師が付いたから成長したのだろうと思っている。

 そのお陰で以前はアレクシアを怒らせないようにと気を使っていた使用人達との距離が今は近くなったようで、時々このように揶揄からかわれたりするようになった。



 アネットと下町で人気のカフェで何を注文するかで盛り上がっていると、馬車が停車した。

 この先は基本的に馬車の乗り入れ禁止区域になるので、お忍びであるなら徒歩が良いらしい。

 パスカルの馬と馬車は、共に商店街の専用馬車置き場に預ける事にして3人で歩き出した。

 御者は馬車の見張りの為に待機という名の休憩をする。



 カフェに到着すると数メートルの列が出来ていた。

 カップルや女友達のグループがキャッキャと楽しそうにしながら並んでいる最後尾に、わくわくしながら並ぶ。



「お嬢様、並ばずとも店に言えばすぐに入れますよ?」



 そうアネットに言われたが、アレクシアはフルフルと首を振った。



「ダメよ、こうやって並んでる間に街並みを見たり、お店で食べてる人を見て何を食べようか迷ったりするのも醍醐味というものですもの。それに……横入りして席を準備させたらお忍びなのに目立つじゃない? 貴族の権力はこんな事に使うべきではないわ、待ちたく無ければ予約すればいいだけだし」



 後半は周りに聞こえないようにコッソリ囁く、アネットはクスクス笑いながらわかりましたと頷いた。

 その後ろで私服姿のパスカルが2人の会話をにこやかに聞いているが、美少女2人と強面のパスカルがカップルや女性グループしか居ないオシャレなカフェに並んでいる時点で目立ちまくっている事に3人は気付いていない。



 しかも初めての街並みに目をキラキラさせているアレクシアは女神が降臨したかのように視線を集めているのだが、侯爵家で常に使用人の視線の中で生活しているせいで注目される事に慣れ過ぎ、そしてお供の2人は可愛いアレクシアが注目されるのは当たり前だと思っている。



 そして順番になり素朴な店内に足を踏み入れると、甘い香りが漂っていた。

 店内に置かれている石板にはイラスト付きで、お勧めはヤマモモの生クリームたっぷりケーキと書かれているのが目に入った。

 平民の設定でお忍びの為、お供の2人も一緒に席に着くが妙にソワソワしている。



「2人は何にするか決めた? 私はお勧めのヤマモモのケーキとミルクティーにするわ。2人も好きな物注文してね、特にパスカルは今日を逃したらこの店には来ないんじゃない?」



 アレクシアがクスクス笑いながらそう言うと、アネットは口元を押さえて俯き、肩を震わせている。

 パスカルはうっすら頬を染めてお嬢様と同じ物にしますと小さな声で呟いた。



(乙女か! あかん、強面のパスカルがミルクティーとケーキ食べてるとこ見たらギャップで笑うかもしれん……!)



 アネットが自分のチーズケーキと紅茶と共にアレクシア達の分も注文して待つ事しばし、赤いヤマモモと生クリームの白さのコントラストが美しいケーキがアレクシアの前に置かれた。



「うわぁ、美味しそう!」



 パクリとひと口頬張ると、前世でも食べた事の無いくらい濃厚な生クリームと甘酸っぱいヤマモモ、しっとりとしたスポンジのハーモニーにうっとりしながら頬に手を当てた。



「んん~! この少し甘めの濃厚な生クリームにヤマモモが凄く合ってるわ、美味し~い」



「王都から馬車で1時間程の所に『王都の台所』と言われる村がありまして、そこの生乳から作られる為新鮮で美味しいのです」



「あ、私知ってるわ、トヤンでしょ? この前先生に習ったもの」



「さようでございます、さすがお嬢様です」



 そんな会話をしつつチラッとパスカルの方を見ると、既に皿の上からケーキが消えていた。

 そしてその口元には生クリームが付いているが、パスカルは全く気付いていない。

 アレクシアとアネットはアイコンタクトでお互いの言いたい事がわかり、同時に吹き出した。



「プフッ、パスカル……っ、口元に白いお髭が付いていてよ?」



「え? は……っ、申し訳ありません!」



 パスカルは顔を真っ赤にしながら手の甲でグイッと乱暴に拭うと、その後ハッとしてハンカチを取り出し、手についたクリームをコソコソと拭き取っていた。

 3人はカフェを出て雑貨などを見て回り、足が少し疲れたところで待たせた御者に焼き菓子を買って馬車に戻った。



 アネットがお嬢様からだと焼き菓子を渡すと、感動したように目を潤ませてアレクシアにお礼を言った。

 ラビュタン侯爵家に仕える以前に辻馬車の御者をしていた期間も含めて18年、ただの御者にこんな気遣いをして貰えたのは初めての事だったのだ。



 侯爵家に到着し、パスカルも名残惜しそうにしながらお試し護衛を終えた。

 翌日はフランソワのお試し護衛の日である。

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