第9話 トワの過去③ ー業火ー

 数週間後、ユリウスの見立てではトワの不老不死化はほぼ完璧と言って良いレベルにたどり着いていた。


「空腹も感じなくなるといいんだがねぇ」

 所長はユリウスに、残る課題の整理も兼ねて話をしていた。

「もともとこの研究の目的は2つで、1つ目が皇帝の不老不死化。2つ目が死なない兵士の量産。今のトワは2つ目の目標を達成したと言っていい水準にあるね。痛みは感じるようだが、痛みがないと従わせるのが困難になるからここはあえて残している。ただ、その弊害として空腹感も感じるのだよ。できれば腹4〜5分くらいでキープできれば、飲まず食わずで動き続ける兵士の誕生なのだが、この調整が難しい。皇帝の不老不死化に当たっては痛みも感じないようにするから満腹感の問題は解決できるがね」

 その他細々とした課題を所長は連ねていった。


 ユリウスは話を聞きながら一つ嫌な予想を立てた。

 それはトワへの更に過酷な実験がおこなわれることだ。

 これまで所長は、唯一の成功例となりつつあるトワに対して、大々的に怪我をさせることは避けていた。

 しかし不老不死化したことに対する確信が芽生えた今、兵士が戦場で負うであろう傷の治癒に対するデータの採取に乗り出すことは確実だった。


「トワの実験を次のフェーズに移そうと思う。3日後から開始だ。準備を進めるぞ」

 ユリウスの予想は的中した。

 そしてこれは、ユリウスが所長に協力する理由がなくなったことを意味する。

 その夜、ユリウスはトワに会いに行った。



 ***



「お兄ちゃん、話って何?」

 部屋に入るとトワがトコトコと駆け寄ってきてユリウスの腰にしがみつく。

 ユリウスはそんなトワの頭を優しく撫でた。

 今日もトワは経過観察のために髪の毛をショートカットに切られていた。

 どうせ翌日には元通りとはいえ、乱雑に切り付けられて整えられていない髪型は見ていて心が痛む。


「トワはここが何の研究をしていたか覚えてる?」

「不老不死だよね? 私、最近そんな感じなの」

「トワは賢いね」

 ユリウスはトワの頭を再び撫でる。

 えへへ、とトワも満面の笑みを浮かべる。


「でも、不老不死って周りのみんなが死んじゃっても自分だけ死ねないっていう悲しいものなんだよ」

「それってどういうこと?」

「たとえば、僕やリサ、エリックがいつか死んじゃってもトワは死なないから、一人ぼっちになっちゃうんだ」

「そんなの嫌!」

 トワは腰に回した手に力を入れてユリウスを目一杯抱きしめる。


「だよね。だから、僕がトワを治してあげる」

「ほんと? お兄ちゃんすごい!」

 ユリウスに抱きついたままトワはぴょんぴょんと足を上げて飛び跳ねる。


「うん。でもね、あの意地悪な所長が、3日後にトワに意地悪する計画をしてるんだ。だから、3日後にここから逃げよう」

「えっ? そんなことできるの?」

「最近所長の近くにいたのはそれができるようにするためだったのさ。トワには寂しい思いをさせてごめんね」

「ううん、大丈夫! 私、お兄ちゃんが所長と仲良くなったのかと思って悲しかったけど、私たちのためだったんだね! みんなで逃げるんだよね?」

「あぁ、もちろんだよ! 3日後、僕が合図をしたらまずトワが逃げてね。そしたら、他の子達も連れて僕が後から追いかけるから。それでトワの不老不死を治す薬を僕がまた研究してあげる」

「すごい! すごい! じゃあここを出たらみんなで海に行こう! 私、海大好きなの!」

「海いいね! 僕も好きなんだ。みんなで泳ごう」

「わーい。楽しみだなぁ」


「所長にバレたらダメだから、ギリギリまで誰にも話しちゃダメだよ。盗み聞きされるといけないから、リサやエリックとも話しちゃダメだからね」

「はーい」

 トワは右手を大きく上げた。

 それを見てユリウスは改めて、トワの頭を撫でた。

 何度も何度も、慈しむように撫で続けた。



 ***



 3日後、ユリウスは所長の指示に従い、トワを実験施設へ連れて行こうとしていた。

「いいかい、ここの通路をまっすぐ進むんだ。そしたら、ベルが鳴り出して慌ただしくなるから職員の人たちにバレないように隠れながら、突き当たりを左に進む。そうすると小さな窓が足元にあるからそこから外に出る。わかった?」

「わかった! 外に出たらお兄ちゃんたちを待ってたらいい?」

「この施設の近くにいるとバレちゃうから、とにかく遠くへ走り続けて。必ず僕が追いつくから」

「うん! 約束!」

 トワとユリウスは小指を繋いだ。


「それじゃあまた後で会おう」

 トワが通路を進む背中を確認し、ユリウスは研究データが保管された部屋へと向かった。

 そして密かに作成していた発火装置で、部屋に火をつけた。



 ***



「所長! 大変です、研究データが燃えています!」

 ユリウスは実験施設で待っていた所長にわざとらしく話しかける。

「なんだと! 本当か?」

 所長は椅子を倒しながら慌てて立ち上がる。


「はい、トワを連れてくる途中、焦げ臭い匂いがしたので立ち寄ったら燃えていて」

「それで私のところへ? 貴様馬鹿か! 私に報告する前に火を消そうとしないのか!」

 足元に倒れている椅子を蹴り飛ばすと、所長は保管部屋へ駆け出した。

 2人が辿り着いた頃には火の手は拡大しており、もはや手が出せない状態となっていた。


「馬鹿な! くそ、おい、手が空いてる奴ら全員来い! 消火だ、馬鹿者どもが!」

 所長はわめき散らす。

「トワとはぐれてしまったので、探してきます」

 ユリウスは形ばかりの報告をして、所長の返事を聞かないまま保管部屋を後にした。

 そして、火災を告げるベルが鳴る中、子どもたちの部屋や実験施設を巡り、子どもたちを施設から逃した。


「所長、子どもたちが逃げております!」

 異変を察知した警備兵が報告に訪れた。

「やかましい! あんなものどうなろうと知ったことか! それよりもデータだ! とにかく火を消せ!」

 所長は汗だくになりながら、自らの手で消火活動に勤しんでいたが、火の手は先程よりも一層大きくなっている。

「データさえ残っていれば、何度でもやり直せる。私の悲願が……貴様ら! ここの資料が消えた暁には全員データ再取得の実験台にしてくれるわ! 嫌なら死んでも火を消さんか!」


「もう付き合ってられるか!」

 所長の横柄な態度に耐えかねて、警備兵の1人が叫んだ。

「俺も耐えられません」

 職員たちは次々に賛同し、消火活動を放棄し施設から出て行こうとした。


「ふざけるな! 愚か者ども! この高尚な研究の価値もわからぬものどもめ。貴様らの命よりもこの研究は重いのだぞ! おい! 聞いているのか! おい!」

 やがて所長の周りから人はいなくなり、火の手はさらに加速していった。

 もはや施設全体に火が渡った中で、それでも所長は研究データを保護しようとしていた。


「やはり、ここに残っていたんですね」

「ユリウス、貴様の仕業だな」

 子ども達を全員にがしたユリウスは、所長の元へ戻ってきた。


「えぇ。あなたなら、自分の命を投げ打ってでもここに残ると思っていたので、確認しに来ました」

「一体何の目的でこんな馬鹿げた真似を!」

「それはこちらのセリフです。罪のない人々を実験台にして痛めつけて、殺してどうしてそんな馬鹿げた真似をしたんだ」


「私はただ、不老不死という人類の悲願を叶えたかったのだ。そのために援助してくれるというから皇帝に頭を下げた。そしてそれがもうすぐ叶うはずだったんだぞ!」

「そんなお前の欲望に他人を巻き込むな!」

 2人の周囲は完全に炎に包まれていた。


「ええい、貴様なんぞの説教を聞きたいわけではないわ! まあ良い、お前は子どもたちを逃して勝ち誇った気になっているようだが教えてやろう、ここの周辺には村も何も存在しない。当たり前だよなぁ。人体実験をしているような施設だ、人目につかないような場所に建てられてるんだよ! 子どもも、職員たちもみんな村にたどり着く前にのたれ死んでしまうわ」

 燃え盛る炎の中、所長は叫び続ける。


 ユリウスは一瞬狼狽うろたえた。

「だとしても、ここで行われ続ける実験から俺は解放したいと思った。こんな研究が世界に知れて悪用されることが耐えられなかった」


 2人を包む炎は建物全体を飲み込み、火はさらに激しく燃えていた。

「私も貴様も、この研究も全てが、ここでこうして燃え尽きて失われる。なんと嘆かわしい」

 所長は項垂うなだれ下を向く。

「本当に私の人生というものは価値もわからん愚か者どもに足を引っ張られ続けて終ぞ成就されなかった。せめてテメェだけでも道連れにしてやるよ!」

 奥底から湧き上がる怒りを糧に、所長はユリウスに飛びかかった。


 ユリウスはかろうじてそれを避けて逃げ出す。

「俺もあんたの研究のせいで人並み以上には再生力があるんで、道連れにはなりませんよ。大人しく1人で死んでください」

 炎の壁もユリウスであれば生きて抜けることができる。

 所長をこの場で確実にほおむり、その後で子どもたちのところへ向かう算段をユリウスは立てていた。

 それでも所長は右に左に飛びかかり、ユリウスの邪魔をした。


「往生際が悪いですよ。諦めてください」

 ユリウスは余裕の表情で告げる。

 所長は疲労困憊といった顔で、肩で息をしていた。

 全身を取り巻く灼熱が所長の痩せ細った体から水分をさらに奪い、今にも干からびそうだった。

 それでも所長はいつもの狡猾で下卑げびた笑顔をユリウスに向けた。


「ユリウス、君は賢いと思っていたのに残念だ。ここで一緒にくたばろう」

 所長が言い終わると同時に、ユリウスの頭上の屋根が崩れ落ち、ユリウスは下敷きになった。

「なんだと。くそ、動けない……」

「この私が何の当てもなく闇雲に飛び回るわけがないでしょうに。結局、君も有象無象と変わらなかったということですね」

 所長は満足そうな笑みを浮かべながら炎の中に消えた。

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