第1章

第1話 医者見習いの青年・クリス

「お弁当ヨシ! 水筒ヨシ! 応急セットヨシ! あとこれおやつね。靴紐はちゃんと結んでる?」

 大きなリュックにこじんまりとした荷物を詰めながら快活そうな女の子は青年に問いかける。

 細かい動作に合わせて肩の上で短く切り揃えられた黒髪がふわふわとゆらめく。


 そんな女の子を背に、青年は靴紐を結んでいた。

「子供じゃないんだから大丈夫だよ。おやつって?」

「昨日マーサおばあちゃんとクッキー作ったんだけど、作り過ぎちゃったからクリスにもあげるよ」

 クリスと呼ばれた青年は不思議そうに首を傾げる。

「エマが料理なんて珍しいね」


 クリスは背後でお節介を焼く女の子・エマと幼馴染だが、これまで彼女が料理をした姿は片手で数えるほどしか見ていなかった。

 それだけにエマが料理をするなんて意外だったし、どんな出来栄えか全く想像がつかない。


 対照的にエマは自身ありげに胸をそらしている。 

「僕も来年には一人暮らしだからさ、最近練習し始めたんだ。今回は結構うまくできたんだよ」

 将来を見据えている幼馴染の姿に、クリスは感嘆かんたんの息を漏らした。

「なるほどなぁ。ありがたくもらうよ」


 クリスが立ち上がると、エマもそれに合わせてほとんど空っぽなリュックを持ち上げた。

 彼女自身の体格と相待って、リュックは実際よりかなり大きく見える。

 それだけエマの体格は小柄で、クリスとの身長差は20cm程ある。

 一方のクリスも17歳の男としてはごく平均的な体型をしており、決して大柄なわけではない。


 エマはリュックをクリスに優しく手渡す。

「はい。帰ったら感想聞かせてよね」

「わかったよ」

 そう言いながら受け取ったリュックの中身を確認すると、可愛らしく装飾されたクッキーが入っていた。

「余り物の割には綺麗に袋詰めしてくれてるじゃん」


 からかうようなクリスの言葉にエマは赤面し、誤魔化すようにクリスの頭に手を伸ばす。

「ああ、もう。ほら、髪が変になってる」

 それを見てクリスは少し頭を下げる。

 自分と同じく黒いクリスの髪をエマは適当にいじって前髪の分け目を整える。


「だいたい、一人で山に入って大丈夫なの? 僕もついて行こうか?」

 クリスの髪を相変わらず触りながら、上の空のようで、その実しっかりと思いを込めてエマは言葉を発した。

「それこそ子供じゃないんだから。入り口近くで薬草を採るだけならもう何度も一人で行っているし大丈夫だよ」

 エマとクリスは同い年で小さい頃からずっと一緒に過ごしてきた。

 今みたいにお節介を焼かれることも多く、それを鬱陶うっとうしく思うこともあるが、反抗するのも子供っぽくて情けないので素直に聞き入れることにしている。


「でもさぁ」

「そもそもエマは道場に行くからついて来れないんだろ? 夕方には戻るからそんなに心配いらないよ」

 クリスは頭をそっとあげると、手に抱えていたままだったリュックを両肩にかけてエマに背を向ける。

「それじゃ、行ってくるよ。エマももうすぐ出なきゃだろ? 遅刻しないようにしなよ」

「わかってるってば。……いってらっしゃい」

 エマは半ばすねねた声でクリスを送り出した。



***



「おやクリスじゃないか」

 外へ出てすぐ、クリスは声をかけられた。

 声の先へ目を向けると、腰を丸めたおばあさんが手を振っていた。


 その姿を見てクリスは笑顔を浮かべると、柔らかな声で問いかける。

「マーサおばあちゃん、腰の具合はいかがですか?」

 クリスの問いかけにマーサは嬉しそうな笑顔を浮かべる。

「おかげさまでねぇ、最近はだいぶいい調子だよ」

「それはよかった。薬が切れそうになったら声かけてくださいね」

「あぁ、ありがとう。先生とクリスには本当に感謝しているよ」


 広大な大陸を二分した西側に存在する帝国の南の端にある小さな村・アルフ。

 周囲を山に囲まれており360度自然に囲まれている。

 村人の生活はお互いが寄り添い、助け合いながら、ほとんど自給自足に近い形で成り立っている。

 クリスもその例に漏れず、助け、助けられてを繰り返しながら生活をしていた。


 クリスは村に唯一存在する診療所で医者の見習いとして働いている。

 マーサも患者の1人で、1週間前に腰痛を訴えて診療所を訪れていた。

 処方した軟膏が無事に痛みを和らげたと知り、クリスは安堵する。

「この間くれた薬はクリスが考えた配分で調合してるそうじゃないか。本当に助かってるよ。クリスも立派になったもんだねえ」

「ありがとうございます」

 褒められてどこかこそばゆい気持ちになったクリスは無意識にリュックを背負い直す。


 それを見たマーサがその大きなリュックを指差した。

「これから薬草をとりに行くのかい?」

「そうですね。先生も若くはないですから、こういう仕事は俺がやらないと」

「あらあら、先生が聞いたら怒りだしそうだねぇ」

 どちらともなく笑い声を漏らすと、そのまま世間話に花が咲いた。


 談笑を続けていると勢いよく診療所の扉が開いた。

「クリスってばまだこんなところにいたの? 10分以上前に出たよね? いつまでのんびりしてるのさ。あっ、マーサおばあちゃん、おはようございます! 昨日はありがとうございました!」

 エマはマーサの元へ駆け寄ると楽しそうにマーサの両手を握った。

「はい、エマちゃん、おはようね」

 マーサもエマの手を握り返してそれに答える。


「エマちゃんは道場かい?」

「そうだよ。あぁ、遅刻しそうなんだった。僕もう行くね。それじゃあ! クリスは早く行かないと日が暮れちゃうからね!」

 エマは慌ただしく駆けていった。

「そうだねぇ、足止めして悪かったよ。それにしても山へ一人でなんて、大丈夫かい?」

 先程のエマと同様の問いかけに、そこまで自分は情けなく見えるのかとクリスは少し悲しくなった。


 一般的な体系のクリスは裏を返せば特に頼もしい雰囲気もない。

 それに加えて物腰の柔らかな親しみやすい印象から、余計にそう見えてしまうのかもしれない。

 実際のところは、こうした薬草集めのような肉体労働だったりエマの稽古に付き合ったりである程度の筋肉はあるのだが、服の上からではそう言った印象はなかった。


「僕だって今年で18になるんですから、心配しすぎないでくださいよ」

 本心からの言葉だったが、やはりクリスの気性もあってか逆に気遣いのようにしか聞こえない。

「そうだねぇ。悪かったよ。泣き虫だったクリスももう18歳になるんだねぇ」

 マーサは目を細めて懐かしむ。


 このままでは本当に日が暮れてしまいそうだ。

「それじゃあ行ってきますね」

 マーサに申し訳ないと思いながらも、少し強引に別れを告げる。

「いってらっしゃい」

 ひらひらと手を振るマーサの姿はすぐに小さくなった。

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