愛するあなたの殺し方

@yoguru2

プロローグ

プロローグ 闇をかける少女

「っはぁ、はぁ」

 息を切らしながら少女は暗い山を走っていた。

 山の中では松明たいまつの炎がぽつぽつと揺らめいており、少女はそのまばらなあかりから遠ざかるように駆けている。


 草木が少女の小さな体を引っ掻き、大小無数の切り傷を作っていく。

 身にまとう質素しっそな服は汚れて、破けて、ほつれて、ただでさえ洒落っ気しゃれっけが無くふるぼけているのに、進むたびにどんどんとみすぼらしくなっていく。

 傷口からは血が滲み、大粒の汗がそれを洗い流すように流れていく。

 身体中の水分が全身から失われていき、口の中までカラカラだった。


 それでも少女は無心で走る。

 辛い現実から逃れるように思い出したのは、今と同じように辛い過去だった。

(あの時も今みたいに1人で逃げたっけ……)

 少女が思い出すのは遠い遠い日の記憶。


 その日も今と同じように遠くに燃え盛る炎から逃げるように走っていた。

(待っててねお兄ちゃん……私必ず……)

 かつて交わした、もはや果たされることのない約束を少女は思い出す。


 現実逃避が過ぎたのか、進行方向でゆらめく松明の炎に気付くのがほんの一瞬だけ遅れた。

「そこで何か動いたぞ!」

 1人の男の声に、周囲に灯っていた炎が集まる。

 

 少女は慌てて木の影に身を隠し、荒くなった呼吸に気付かれないよう、ゆっくりと深呼吸をする。

「どこだ!」

「くまなく探せよ!」

 松明の灯りと男たちの低い声が少しずつ少女に迫ってくる。


 男たちは徐々に距離を詰めていき、あと少しで灯りが少女の影を見つけてしまうところまで迫っていた。

 少女は身を細めて木の影に必死に寄り添いながら、少しでも呼吸を落ち着けようと深く、されど静かに呼吸を繰り返す。

 そしてこれ以上近づかれると逃げきれないというギリギリまで男たちが迫ったところで、少女は意を決してより暗い方へと一目散に駆け出した。 

(ここで見つかるわけにはいかないんだ。この山にあるという万能の花を手に入れるまでは……)


 当然、男たちはその音を聞き逃さなかった。

「いたぞ! こっちだ!」

 音を追うようにいくつもの松明が少女がいた場所と、進んでいった道を照らす。

 そして灯りの先でわずかにとらえた影に向けて幾つもの矢が放たれた。


 暗闇を切り裂くように無数の矢がでたらめに飛んでいく。

 矢は見当違いな方向に消えるものもあったが、数本が少女の頬や足元をかすめ、遂にはそのうちの1本が少女の背中を捉えた。

「ぎゃあっ」

 矢が刺さった衝撃と痛みから、少女はつまづき転がった。


 しかし決して捕まるわけにはいかない少女は、すぐさま立ち上がると再び走り出す。

 追っ手との差は縮まりはしないものの開くこともできないでいた。

 このままではらちがあかない。少女がそう思っていた矢先に足元が緩やかな上りから急な下り坂に変わった。

 道は進むごとに傾斜はキツくなっていき、やがてまともに下ることさえ困難な角度になっていった。

 

 追っ手の男たちがこの急勾配を転げ落ちないよう慎重に進む中、少女は一切の躊躇ちゅうちょなく転がり落ちるように坂を駆け降りる。

 それまで変わることのなかった少女と男たちの距離はみるみるうちに離れていき、そのうち男たちは少女を完全に見失った。


 追っ手をいたことを確認した少女は力尽きたように勢いよくその場に尻もちをつく。

「早く花を見つけなくては……」

 少女は背中に手を回すと、刺さったままだった矢を引き抜く。

「っつ……」

 傷口からはドクドクと血が溢れ出すが、少女は全く意に介さない。


 矢を怒りに任せて半分に折ると、適当にポイッと捨てる。

 そしてポケットからしわくちゃに丸められたの紙を取り出す。

 汗と血が染み込み、ボロボロになったその紙には、真紅の花が一輪だけ描かれていた。


 花びらには『血のように濃い紅』と注釈が書かれているが、紙に染み込んだ血が花の絵にリアルな色を与えていた。

 色以外にも形や大きさが細かく記載され、葉や茎にもそれぞれの特徴が細かくまとめられていた。


 少女は澄んだ真紅しんくひとみで血塗られた花の絵を見つめる。

 腰の辺りまで長く伸びた銀色の髪の毛が顔にかかる。

 それを鬱陶うっとうしそうに払いのける手はとても小さく、幼さにあふれていた。

 手だけではなく、身長も体格も幼い少女のものだった。

 ただ、花の情報を焼き付けるように見つめる少女の複雑な表情だけはとても大人びていてどこかアンバランス差が感じられる。


「この近くにあるはずなのに……」

 紙をポケットにしまうと、少女は改めて周囲を警戒する。

 そして近くに誰もいないことを確認すると、浅い眠りについた。

 背中の出血はすでに収まっており、無数の傷口もほとんどが傷であったこともわからないほどに塞がっていた。

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