4-3
「いつまでこうしてればいいんだ?」
「早くてこれから、遅くても明日にはあの女は姿を現す。実際に彼女を襲ってみてから、駄目だと感じてくれれば終わりだと考えてもいいと思う」
「我慢比べか……」
この部屋には窓が無いため、外の様子がはっきりとは分からない。腕時計を見て、既に8時を過ぎていることに驚いた。小薬君のマンションに着いた頃にはまだ、日が傾き始めたぐらいだった。それから五芒星を書いて、ろうそくに火を灯して、とそんな程度のことしかしてないのに、もうそんなに時間が経ったのか。
それからまた数時間が経っていた。他愛も無い会話をしたりスマホをいじり時間をつぶす。そして、心配してくれているのか母からメッセージが届いた。
《あんたいつまで外にいるの?遅くなるんだったらいつも連絡しなさいって言ってるじゃない?》
メッセージの下にはたぬきが怒っているスタンプが送られてきていた。それを見て、私の目から涙が一滴落ちた。『いつも言ってくれていること』が、もう『これからは言ってもらえなくなるんだ』と。厳密には『言われても私自身が認識できない』が正しいのかもしれないけど。
どうして、もっとちゃんと母の、父の言う事を聞かなかったのだろうか?私はここまで追い詰められて初めて痛感できるような愚かな人間なのかと思うと涙が次から次へと頬を伝った。
それを心配してくれたのか、部屋の端で胡座をかいていた小薬君が身を乗り出してきた。
「ちょっ、ちょっと?ど、どうしたの?」
私は首を横に振った。
「もう、お母さんにもお父さんにも会えなくなると思うと悲しくなって……」
入り口付近を陣取り腕組みをしている箕輪君の顔も、悲しそうにも申し訳無さそうにも見える表情をして言った。
「最後かもしれないし、最後では無いかもしれない。だが、親に言えることは言っておいたほうがいい」
小薬君がそれに賛同するようにしきりに首を縦に振っている。二人に言うことに素直に従うことにした。アプリを開くと母宛にメッセージを打つ。
《ごめんね。連絡できなくて。それからありがとね。今迄、育ててくれて。お母さんの料理、いつも美味しかったよ。お父さんにもありがとうって言っといて》
それだけ打った。本当は沢山言いたいことがあったが、照れ臭くて書けなかった。私は本当に最後の最後まで、しょうもない人間だと思う。もう何も言えないかもしれないのに、もう会えなくなるかもしれないのに、それでも照れくささが前に出てしまう。どうしようもない。
「お母さん宛に打てた?」
私は涙で視界が曇る中、首を縦に振った。それを聞いて小薬君は安堵した顔をした。
そして、部屋は沈黙に包まれる。私が母にメッセージを送ったのを皮切りに一気に緊張感が生まれた。
次の瞬間、ガチャっと何かが開く音がした。鍵が開いたような音だ。何処からだろう?と不思議に思ったが、私は五芒星の外へは出ることが出来ないし、何より入口付近に陣取っている2人が何かを気にする様子も無い。
入り口には箕輪君が相変わらず腕組して立っている。そこから左側に小薬君が胡座をかいている。
気のせいだと安心した瞬間。バチン!と部屋中から音がなった。えっ!?と思った。この音については2人も気になったのか身構える。
「何の音!?」
「分からん」
目の前の2人は部屋を見渡している。最初に音の原因に気付いたのは箕輪君だった。
「数珠だ!」
箕輪君の指が私の左手首を指している。それにつられ、自分の左腕に視線を移した。確かに彼から貰って着けていた数珠が無くなっている。
箕輪君は、目を細めて静かに言った。
「来た……」
先程の鍵が開く音がして、数珠が弾け飛んだ。次は……。玄関側の廊下から、赤いものが見える。あれは何度も、何度も、何度も!見ている傘だ!
傘の骨の先が見えていただけだったのが、徐々にその全体像を見せてくる。やがて、あの女の体が見え、箕輪君の真後ろにあの女が立っている状態になった。
箕輪君が横にずれるとあの女がよく見えるようになった。本来だったら入りきらないはずの傘を持ち、左手には自分の首を持ち、その首の右目で私をしっかりと見据えるあの謎の存在が。一歩一歩とあの一度見たら忘れられない妙な歩き方でこちらに近づいてくる。
壁に貼った御札が全て黒くなり、朽ちてボロボロと剥がれ落ちた。お守りも全て灰のようになり宙を舞った。何も役に立たなかった。箕輪君の言う通り。
脂汗が止まらない。私は固唾をごくりと飲むと大きな声で言った。
「あの女が来た!助けて!」
それだけ絞り出した。その声を聞いて小薬君は部屋中を見回し、
「何処にいる!?」
と言った。
私はそれで気付いた。
どうして?
どうして、『分かったの』
『あの女が真後ろに居るって』
『見えない筈なのにどうして避けられたの?』
疑惑が頭を巡る。そんな状態では無いのに!頭では考えるのをやめられない。自分の意識が無意識に現実逃避をしようとしているのか?
だが、次の瞬間に部屋全体を衝撃が覆う。小薬君も箕輪君もその衝撃を受けて、身体を壁に打ち付けられ気絶してしまったようだ。それと同時に破魔矢も折れ、箕輪君が撒いた塩も全て吹き飛ばされてしまい、その塩の礫が私を襲う。
そして、部屋の電気も消え、五芒星の頂点の蝋燭の火たちもその衝撃で5本全てが消え去ってしまった。
箕輪君に対する疑念はこれらの事態で雲散霧消した。恐怖が疑念を凌駕する。
一人、真っ暗闇の中に放り出されて、急に心細くなり恐怖で体が震えだす。脂汗が額に水玉を作っている気がする。暗くてそれさえも分からない。
あの女は何処まで来ている?あぁ!お父さん!お母さん!もっと!もっと!生きたかったよ!
涙がポロポロと流れ出る。涙出視界が曇る。歯がガチガチとなる。恐い。怖い。何の音もしない部屋で一人ぼっち。誰か助けて!誰か助けてよ!
突然、暗闇の慣れた私の目の前にあの女の顔が現れた。相変わらず左目の瞼は縦に切れ上を向き、正常な右目で私をしっかり見据えてから口が動いた。
「無駄だって言ったでしょ?」
さよ―
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