4-1

「由紀、聞いた?」

「えっ?」


大学の廊下を1人で歩いていると後ろから急に声をかけられたので、私は驚いて振り返った。そこには、同じサークルの里奈が立っていた。ビックリしたのを悟られないように精一杯、平常であることに努めた。


「な、何が?」


鼓動のスピードが早くなっている。里奈も人が悪い。急に声をかけて来るなんて、そう思いながら質問する。


「あぁ、やっぱり聞いてないんだ。飯島君のこと……」


たださえ鼓動のスピードが上がっているのに、その名前が出た途端に更にドキリとした。里奈が、何を言いたいのかはもう分かってるけど、分かってないふりをして聞いてみる。


「う、うん。飯島君がどうかした?」


里奈は、内緒話をするかの如く、左右を見回し誰もいない事を確認すると小声で回答をくれた。


「彼、亡くなっちゃったらしいよ」


分かっていた、分かっていたけど改めて言われると、雷で心臓を貫かれたかのような衝撃を受ける。やはり、彼も死んでしまった。残るは私1人だけ。私の態度を変に思ったのか、里奈は首を傾げて、


「大丈夫?」


と聞いてきた。私は精一杯の強がりで


「大丈夫」


とだけ言って、足早に里奈から離れ、大学の出口を目指す。後から里奈の


「今日、サークルどうするのー?」


という声が聞こえたが、聞こえないふりをした。


「どうしたらいいんだろう」


一人で考え事をしたくて、階段の踊り場の窓から外を見ていた。外には夕暮れをバックに楽しそうに男女混合で和気あいあいとしている姿が見える。こんな事さえにならなければ、私達もああいう風には構内を歩いていただろう。何故こうなってしまったのか?


あの時、ドライブに行ったから?

あの時、飯島君が怪談話をしたから?


そもそも飯島君があの箕輪君とかいう人に怪談話を教えてもらわなかったら?

いくらでもタラレバが出てくる。でも、そのいずれも、もう取り返しがつかない。いくら過去を責めたって今が良くなるわけじゃない。分かっていても、そう分かっていても何かに縋り付きたくなる。


私には何が残っているだろう?たかだか20年の人生では、自身が頼れるものを得ることはできなかったのだろうか。何も思い浮かばない。


せめて、両親に挨拶するぐらいの時間は欲しい。待ってくれるだろうか?両親の事を思い出すと涙が流れてきた。一粒流すと止めどなく溢れてきた。そんな時、


「長谷川さん?」


聞いたことある声で名前を呼ばれた。後ろを振り返るとあの2人が立っていた。小薬君と箕輪君だ。小薬君は照れ臭そうに小さく手を振ってきた。


放課後の食堂。


いつもこの2人と話をする度にここにいる気がする。私達は相対するように、2対1に別れ、テーブルを挟んで椅子に腰を下ろした。私が口火を切り、先程、里奈に聞かされた通り、飯島君が亡くなった事を二人に伝える。


「そうか。やはり俺の予想は当たったのだな」


箕輪君が腕を組みながら憮然とした態度で言った。彼自身の中でもこうなる事は分かりきっていたと言わんばかりに。


「もう、何も打つ手は無いんでしょうか?」


藁にもすがる思いで口にしたが、二人は消沈した顔で黙ったままだ。それが意図するところは『何の手立ても無い』だ。私は、殺されるのをただただ待つだけの子羊なのだろう。


窓の外では運動部が元気に運動していて、その掛け声が聞こえてくる。彼らの未来が輝かしく感じられて疎ましく思う。


何故、私だけ?どうして私だけこんな目に会うの?何度反芻しても答えは出ない。他の3人も同じだったのかな?一ノ瀬さんと話をする機会があったのに、まともに取り合わなかった。またもや一粒涙が出てきた。


「…」


視界が涙で見えないが、前方から何かが差し出されてきた。これは、ティッシュ?


「すまない。ハンカチなどは持ってなくて」


ティッシュは、駅前で配っていたであろうパチンコ屋のポケットティッシュだったが、それを箕輪君がくれたのが意外だった。


「あ、ありがとう……」

「慰めにはならないかもしれないが……」


そんなことはない。優しくしてもらえるだけで気持ちが和む。すがる者が無い今の私にとってはこの2人は最後の砦ともいえる。お言葉に甘えてティッシュを一枚もらい、涙を拭かせてもらった。箕輪君が、私が落ち着くのを待って口を開いた。


「本当にすまない」

「どうして箕輪君が謝るの?」


彼が謝ってもどうにもならないし、元々彼のせいでもないと分かっている。これはさっき自問自答した結果、そう結論付けたばかりだ。そうやって謝られると責めていいんだと自分に甘えを与えてしまう。謝らないでほしいとさえ思っている。


「……」


語る言葉が見つからないから、私たちは沈黙している。だからなのか、私達以外にも生徒はたくさん食堂に居るのに、私達以外には誰もいないかの如く、シンと静まり返っているように感じる。しばらくした時、ふと視線を感じた。


え?赤い傘?それに気づくとその者の輪郭がはっきりしてきた。何故、今まで気づかなかったんだろう?音も無く、それは箕輪君のすぐ後ろに立っていた。いつの間に?箕輪君が私の戦慄く視線に気づき、その視線の先を追った。しかし、


「?…何かいるのか?」


何も見えないのかそう言った。


「い、いるよ……。あの、あの女!」


震える指先で、箕輪君の左後ろの空中を指さすと、小薬君も箕輪君もそちらを振り向いた。しかし、あの女が見えていないのか、キョロキョロするばかりだ。あの女も、2人の事は無視し、確実に私に照準を合わせている。この差は一体何なの?彼らと私にはどんな違いがあるの?


私は逃げようと思い、椅子から転げ落ち尻を強打した。転げ落ちた時に、椅子が倒れ盛大に音を鳴ったせいで視線が私達に集中する。私が怯える姿を見て、食堂内もざわめき始める。


「小薬!彼女を連れて逃げろ!」

「え!?ど、どこに!?」

「どこでもいい!」


箕輪君は後ろを振り向き、見えない何かと対峙してくれているように見える。しかし、あの女は箕輪君を歯牙にもかけない様子でそこに静かに立っている。その静かに佇むさまは私のみを狙い続けるという一種の意思表示のようにも感じられた。


「長谷川さん行こう」


小薬君と足をもつれさせながら食堂を出ていった。中庭のベンチに二人並んで腰掛け、気分を落ち着かせた。事情を知っている小薬君が隣りにいる事が心を落ち着かせるのに一役買ってくれた。

落ち着いてきたところで、さっき感じた疑問を投げかけてみる。


「さっき、あの女は見えなかった?」


小薬君は、横に首を振った。見えなかった、ということだろう。


「本当にいたの?」


私は信用してもらえず思わずムッとしてしまったが、直後にこの人達には見えないのだから信用して貰えなくても仕方ないという気持ちが芽生え、怒りを抑える事ができた。食堂にいたこの2人以外の皆も見えていなさそうだった。


「うん。いたよ……」

「そっか……」


小薬君は悲しいんだか、困ってるんだか、よく分からない、複数の感情が入り乱れたような顔になっている。


「……」


あの女があんなに近くに来るまで、私は気付けなかった。このタイミングで姿を表すのはどういう意味だろう?いつでも私を殺せるアピール?そんな思考を巡らせていると……


「ここにいたのか。探したぞ」


後からヌッと箕輪君が現れ、私と小薬君の顔を交互に見ている。


「あの女はどうした?」


箕輪君は力なく首を振った。


「そもそも俺には見えないんだ。何処かに行ったのかも、まだあそこにいるのかも分からない」


そんな状態でよく私を逃したなと言いたいところだったが、結果的にあの女は出てこないのは、箕輪君の奮闘のおかげとしておこう。彼らと仲違いしても得るものはなにもないし。


「箕輪。これからどうするんだ?俺達に見えないものをどう対処するんだ?」


箕輪君は右手を顎にあて、うーんと唸っている。その姿が彫刻のようで美しい。ロダンの考える人のようだと思った。


「可能な限りの防御をするか?」

「え?何だよそれ」

「塩とか、数珠とか」


小薬君は少し蔑みの眼差しで箕輪君を見ている。


「お前、この前塩とか役に立たないって言ってたじゃん?どういう事だ?」


箕輪君はやれやれといった形で喋り始めた。


「確かにあの時はそう言った。でも、もうなりふり構ってられないだろ?塩でも何でも効きそうなものは片っ端から使うしかない。実際に彼女が怯えるのを見てそう思った」

「ふーん……。じゃあ、これからどうすんだ?」

「お前のマンションの一室を貸してくれ」

「えー!」

「すまん。この通りだ」


箕輪君は小薬君に頼み倒している。


「俺の為じゃない。彼女の為だ」


ビシッと指をさされる。それと同時に小薬君と目がバッチリ合ってしまった。それで観念したのか、肩を落とし


「いいよ……」


そう呟いた。もしかしたら、過去同じようなことがあって、彼の部屋が滅茶苦茶になるとか実害があったのかもしれない。でも、もしそうだとしても私にとっては命がかかっている。部屋の汚れ程度で四の五の言われても困る。


「じゃあ、早く行動しよう。どのくらい時間が残されているか分からない。もう、彼女の近くまできているのであれば、時間はあまり残されてはいないのかもしれない」


箕輪君がそういうと、私達は荷物を持って大学の入り口に集まることにした。

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