1-4
翌日、ブーッ、ブーッ、ブーッという音で目が覚めた。スマホのバイブレーションの音だ。朝っぱらから誰だと悪態をつきながら、上体を起こし音の元凶を手に取る。画面には飯島と書いてある。メッセージアプリではなく、電話がかかってきている。
珍しい、どうしたんだ?と思いながら、通話ボタンを押してスマホを耳に押し当てる。
「あ、お、み、箕輪か!?て、た、大変な事になってよ!!」
電話の先ではとても慌てた様子だったので、どうしたと声をかけると思いがけない回答が帰ってきた。
「あ、こ、小林が、死んで、死んだんだよ!」
「え!?」
飯島の言葉に衝撃が走り、ついつい壁が薄いのを忘れて大きな声を出してしまう。
「ほ、本当に死んだのか!?」
「あ、ああ!今日、さっき電話かかってきた!んで、俺も今、現場に向かってんだ!」
スマホを耳から離し、時間を確認する。7時半を過ぎている。あまりこのアパートで電話をするのは近所迷惑と取られかねないので、俺は着の身着のままで財布を手に取り、部屋を出る。取られるものは何も無いが、鍵はしっかりとかけていく。二階の外に階段を下り、アパートの正面の道路に出る。
「現場ってどこだ?」
外でなら大きな声で喋っても問題ない。自然と声が大きくなる。
「大学!」
飯島はそれだけ短く言った。それを聞いて、俺は電話を切り、可能な限り全速力で走った。駅にたどり着くと、大学方向の電車が口を開けて待っている。まるで、俺を待っていてくれたかのように。ドアが閉まるアナウンスが流れたので慌てて滑り込んで、車内で息を整える。
そこそこ涼しい朝だったが、シャツは汗でぐっしょりと濡れ、肌にペタペタ張り付き気持ちが悪い。不快感の中、スマホを取り出し小薬にメッセージを飛ばす。あいつにもこの事態を連絡しておく。
《起きてるか?》
《まだ家》
家の部分は絵文字で送られてきた。相変わらず返信は早いが呑気な奴だ。これから送付されてくるメッセージがその呑気さを破壊するだろう。死者に敬意を払った表現で飯島からの報告をした。
《小林が亡くなったらしいぞ》
メッセージは既読になったが、中々返事が来ない。スマホの先で動揺しているのが見える。2、3分後にスマホが震えた。
《な、何だって?亡くなったって、死んだってことか?》
あえてオブラートに包んだのに、こいつはオブラートを取っ払いやがった。そのメッセージの次に、うさぎがビックリして「マジで!?」と言っているスタンプが送られてきた。
こいつは死者を愚弄しているのか?
《そういう事だ》
《お前、今どこにいんの!?》
《大学に向かってる》
小薬の次のメッセージは言葉ではなく、謎の生命体が「了解」と言っているスタンプだった。そんなやり取りをしているうちに、電車は大学最寄りの駅に着いたので、下りて改札を抜け大学を目指す。その間もなるべくスピードを落とさないように可能な限り走り続けた。
大学の校門が見えてきた。そこにパトカーが何台か止まっているのをみると、飯島の話は嘘ではなさそうだ。まあ、嘘を付くにしては少々悪質だが。息を切らしながら、校門を抜けると、目前に人集りができている。あそこが現場か。人集りの最後尾に位置すると飯島を探した。
こんな時、高身長なのが役に立つ。上から見下ろすかたちで左右を見渡し飯島の後ろ姿を見つけると、人垣を掻き分けてその肩を叩く。素早くこちらを向いたところみると、彼も緊張や警戒感を持っているのだろう。肩を叩いたのが俺だと分かって、飯島は安堵の表情を浮かべた。
「何だ、お前かぁ」
「どんな状況なんだ。今は」
「随分、汗かいてんな。水も滴るいい男ってか」
駅から走ってきたから、汗をかいているのは仕方ないが、今はそんな冗談を言っている場合ではなかろう。こいつも、小薬も思考プログラムに著しいバグがあるようだな。
「そんな冗談言ってる場合か」
俺が嗜めると、飯島はしょんぼりした顔になった。
「んで?どんな状況なんだよ?」
飯島は、向こうと親指で食堂を指した。あちらで説明するという事なのだろう。人垣をまたぞろ掻き分け、食堂へ向かうことにした。向かっている最中、後ろから声をかけられ、振り向くとこれまた汗まみれの小薬が走ってきたので、一緒に食堂へ向かうことにした。
朝の食堂は、朝食を出してくれる関係で朝練等を終えた部員がいて少し活気がある。その活気から離れるようにして隅の席に座るなり、俺はまた同じ質問をした。
「ここなら喋れるだろ?どんな状況なんだよ」
飯島は、後頭部をかきながら口を尖らせる。俺の横では、小薬が焼き魚定食をもぐもぐしている。今日はまだ食べてないからと場違いな匂いを漂わせ話に参戦している。そんな小薬を尻目に、
「いや、俺も実際に見たわけじゃねぇから知らねぇけどよ」
そんな前置きをして、飯島はとつとつと話し始めた。
今日の朝、ある学生が車で登校して、校舎の横を通った時、ドンと車の上に何かが降ってきた音がした。何かと思って、慌ててその学生が車を降りて確認してみると、それは人の首だった。その首は口から血を流し、左瞼が縦に切れ、上目になり、右目でその学生をしっかりと見ていたそうだ。倒れるでもなくちゃんと首の断面を下にして、正対していたらしい。首の断面は鋭利な刃物で切られたようにきれいな断面だったが血が一滴もでていなかったとのこと。
「まるで、あの女みたいじゃないか?」
先程まで楽観的に見えた飯島の声は震えている。さっきまでの冗談は恐怖を押し隠すためのものだったようだ。
「考えすぎだろう。『たまたま』似ただけじゃないか?」
あからさまに怯える飯島を落ち着かせようと、現実的な事を言った。幽霊などというから恐怖が襲ってくる。人のやったことなら注意のしようがある。しかし……
「たまたま!?口から血が出て、左目の瞼が切れてて、右目で見てくるなんて、細かいディティールまで一緒だ!全く同じじゃないか!そんなところまで再現できるか!?人間が!」
逆効果だった。飯島の顔は恐怖でひきつっている。まくしたてる彼を横目に俺が思案していると、小薬が考えすぎだと話をしている。
「ほら、だって、インターネットに同じ怪談があったんでしょ?それを模倣して…」
それは禁句だ。フォローのつもりだったのだろうが、小薬の発言は火に油を注ぐ形になってしまった。小薬はあの記事が書かれたページが無くなっているのを知らないから無理もないが、その言葉で飯島の中の恐怖の青い炎が燃え上がり、顔面の色を青く焼き尽くす。
「模倣はできない!あのウェブページは存在しなかった!」
飯島は頭を抱え始めた。小薬がそうなのか?と俺に目配せしてくる。俺は頷き、飯島の言っていることが正しいことを肯定した。
「じゃ、じゃあ、そのウェブページが消える前に…」
小薬は果敢に攻め続ける。これ以上は何一つ慰めに繋がらないことが分かってないらしい。一つ一つの可能性を律儀につぶしてやっているのだ。人の仕業では無い可能性を。
一応、飯島の耳に入らないように小薬の耳元で囁いた。
「あの怪談には『女に会うとだけ記されていた。その後がどうなるかなんて書いてなかった』」
小薬は、ハッとした後、自分が、出せるカードを全て失ったことを悟ったのか、黙りこくってしまった。かといって、俺も慰めの言葉を持っているかと問われるとそんなものはもっていない。
考えれば考えるほど『これは人には出来ない犯行』なのだと思い至る。しかし、『呪い』を受けたであろう小林が亡くなったというのであれば、気にする必要はないんじゃないのか?その事を怯える彼に伝えてみた。
「そ、そうなのかなぁ?」
「その可能性の方が高くないか?だって、あの女を轢いたのは小林くんだったんだろう?あの女だって分別を持っているかもしれん。その元凶を亡き者にした今、あの女だって満足しているさ」
おためごかしなのもいいところだし、絶対に大丈夫とは言ってあげられないのがもどかしい所だ。しかし、小林には悪いが彼が狙われる根拠を伝える事で安堵感を出してやれる。俺もしてやれることはしてやりたかった。
「それならいいんだけどよぉ」
案外この慰めは効果覿面だったようで、蒼白だった顔も赤みを帯びてきている。俺は一旦落ち着いた飯島を見て席を立った。
「もうそろそろ授業が始まるぞ。行こうじゃないか」
飯島は、首肯すると立ち上がった。小薬は、まだ魚を食べていた。
今日出るつもりだった授業をこなし、再び食堂。
「うん、今日も美味い」
小薬は、朝は魚を、昼は一味唐辛子山盛りのビーフカレーをもぐもぐしている。俺は、財布事情が苦しい関係で、素うどんを頼み、ネギを大盛りにしてもらった。一味唐辛子を一振り、二振りする。小薬の様にアホみたいにかけたりはしない。このぐらいの方が程よい辛さでうどんの味を引き立たせてくれるから。うどんを水面に見立てて、秋節を感じたりする趣味はない。
うどんをすすっていると入り口から忙しなく走ってくる足音が聞こえ、こころなしかそれが近づいてくるような気がした。いや、気がしたわけではないようだ。
机をバンと叩かれ、器からうどんの汁が零れそうになる。誰だ?と少々憤りを感じながら見上げると、そこには一ノ瀬と長谷川がいた。
「どうした?」
「わ、私の所にも来たの!れ、例の女が!」
『例の』と『霊の』をかけているんだろうか?と思いながら、カレーをもぐもぐしている彼の横に座るように勧めた。向こう側に3人座ったせいで少々バランスが悪くなったので、俺も一つ席をずれ、中心になるように座りなおした。俺の真正面は一ノ瀬だ。
「それで?あの女を見たって?」
「あんた!何でそんなに冷静なのよ!」
ヒステリックな叫びは食堂中に轟いた。そのせいで、食堂中の視線を集めることになってしまった。だがそんな事はお構いなく俺は喋る。
「当事者ではないから、かな?」
小薬が、ちょっ、と引き留めるような声を出したが後の祭りだ。
「あんたが!飯島に変な怪談、吹き込んだからでしょうが!」
今にも胸ぐらを掴まんとする程の気迫だ。
「それは…」
それはどうなのだろう?この件は誰のせいでもない筈だ。なので、謝ること等はせず、誠実さを前面に出し、話を聞いてやることにした。
「話は聞こう。いつ、何処で、あの女が出た?」
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