1-3
あれからすぐに日は沈み、大学構内の灯りがあたりを照らすほどに暗くなり、空には今日の一番星が既に輝いている。
「サークル、もう出れないな」
小薬は少し残念そうに言った。サークル活動ができないから残念がっているわけではない。サークルに彼が好意を寄せている女性がいるのだ。その彼女を一目見れないがゆえに残念がっている。俺が無理言って来てもらったのだから、一応謝っておく。
「すまん。今度、竹屋を奢るよ」
竹屋は全国展開している牛丼チェーン店だ。バイトをしているわけでもない俺にはそれを奢るので精いっぱいだ。
「いや、いいよ。お前だってカツカツだろ」
小薬は何となく俺のお財布事情を把握している。構内を出て、駅を目指す。時刻は18時30分になろうとしている。
「何だったんだろうな?今日の話」
他愛もない話をしていた小薬が急に食堂での話をしだした。
「『あいつが来る』か。ホラー映画みたいだな」
俺は苦笑した。民俗学を専攻しているからといって根っこからオカルトを信じているわけではない。むしろ、オカルトを否定したい気持ちもあるから民俗学を専攻している部分もある。都市伝説や幽霊、妖怪などは『人々が作り出した存在』ということを認識したいと脳では考えているから。
「そうだよな!ホラー映画みたいだよな!なんか前見た映画にも同じような展開があったよ」
小薬は俺の言葉にオウム返しで同意した。小薬の言う通り、呪われたり、祟られたりするとその元凶に付きまとわれるなんて話は、古今東西、小説やホラー映画、ドラマでもよくある展開だ。
そんな話をしながら駅までの大通りを歩く。時間が時間だけに帰宅を急ぐ車のヘッドライトが列をなしている。
「そういや箕輪は、何処で怪談の話を仕入れたんだよ?」
「インターネットに転がってた。だからオカルトマニアはよく知ってるんじゃないかな?」
「ふーん。今日聞いたようなことは書いてあったのか?実際にその女に会ったら憑りつかれる、みたいな」
そう聞かれて顎に右手を置いてしまう。
「書いてあったな。だけど、そんなものは読んでるこちらを怖がらせる常套句みたいなものだから、気にしなかった」
「ま、そんなもんだよな。心霊スポットも全国いくつもあって似たような話はあちこちにあるもんな。そこだけ本当に憑りつかれるなんて馬鹿な話だよな」
そんな話をしていると駅に着いた。定期券でホームに入ると、
「じゃあな。また、明日」
と言って、反対側のホームに行ってしまった。俺と小薬の住む場所は反対の場所にあるため、電車は別になる。手を挙げて小薬に別れを言う。丁度電車が滑り込んできたからそれに乗り込み、帰路についた。
家に着いたのはそれから20分後だ。一人暮らしのボロアパートの外付け階段手前の集合ポストを覗いて、何も入っていない事を確認し、胸をなでおろす。
そのまま2階へ上る。俺が借りているのは2階の真ん中に当たる部屋で、そこまで外のコンクリートの通路を歩いていく。自分の部屋のボロい木のドアノブの鍵穴に鍵を差しこみ開ける。
ドアの入り口横のスイッチを押し、これまたボロい電灯をつける。古いせいか、いつも2度ほど点滅を繰り返した後に電気がつく。ショルダーバッグを畳に下ろす。この築52年のボロアパートは6畳一間しかなく、トイレと風呂が別なのが唯一の救いだ。
いつ崩れるかという恐怖と常に戦い、日々を暮らしている。こんななりだから家賃は格安で、苦学生にはありがたい話だ。その為か、1階と2階を合わせた全8部屋は全て借りられている。ただし壁が薄いから両サイドの生活音は聞こえてくる。こちらもかなり気を使いながら生活しているが、その苦労はちゃんと報われているだろうか。
「ふぅ」
部屋の真ん中に備え付けた丸いちゃぶ台に、ジーンズのポケットに入れておいた財布やスマホを放り出す。狭い6畳に鎮座する冷蔵庫に向かい麦茶を取り出す。これまた狭い6畳をことさら狭くするために置いたとしか思えないシンクから100円均一で買ったガラスのコップに麦茶を汲み、一気に飲み干す。
一息ついたとき、ちゃぶ台の上のスマホがバイブレーションした。スマホをちゃぶ台から取り上げ、スリープモードになっていた画面のロックを解き、通知を確認する。メッセージアプリが新しいメッセージが届いていることを知らせてくれている。
「何だ?」
独り言ち、メッセージアプリを立ち上げる。メッセージの送り主は、どうやら飯島のようだった。
《今家か?ちょっと話したい事があんだけどいいか?》
飯島は、俺がアパートで電話をしたがらない事を知っていてくれて、こうしてメッセージを送ってきてくれている。
《大丈夫だ。どうした?》
《今日言いそびれた話のことなんだけど》
《ああ》
《今日、お前に相談しようと思ってたのは小林の事なんだよ》
《様子が変だった彼か?》
《あいつさ、生首女が来るって言ってんじゃん?あの日、あの女に会ってからその日からもう同じこと言っててさ》
《そうなのか。そういえば、その女に会ったのっていつだ?》
《もう、3日前ぐらいじゃねぇ?》
《その時から、女がいるって言ってた?》
《言ってた。それで、どうすればいいのかね?小林の事》
心配しているのかしてないのか判断に困るメッセージがくる。
《そういえば、やっぱり肝試しに行ったのか?あの山。M山》
M山というのは怪談の舞台になっている山だ。夕方飯島が言っていた通り、大学から車を1時間も走らせると行ける距離にある。
《お前に教えてもらって、行ってみようってなった》
《ふーん》
M山には民家はおろかレジャー施設や心霊スポットになりそうな廃墟なども無く、いたって普通の道で、他県に出る以外は特に行く用事もないような場所だ。そんな場所が何故心霊スポットになったのかは不明だが。
《盛り上がっちゃってさ。心霊スポットに行ってみようってなってさ》
《へぇ。運転してたのは?》
《小林》
小林はドライバーだったのか。彼は女を轢いてしまったらしいから、一番最初に目をつけられて付け回されているという可能性はある。しかし、幽霊相手の考えなど推し量る意味があるのか?そもそも、そんな人間じみたことを考えているかどうかも怪しい。幽霊ならどうするかなんて幽霊の立場になって思案していると、また、スマホがなった。
《お前が話してくれた怪談にはそんな話は無かったのか?》
《インターネットから拾ってきたんだが、女に出会うまでしか書いてなかったな》
小薬と同じことを聞いてくるので、同様の回答した。
《それ、どこのページだ?》
そう聞かれた、厳密には書いてあったので、ウェブページのアドレスをメッセージに貼り付けて送った。先程とは違い、すぐには返事がこない。おそらくウェブページを確認しているのだろうと予想し、こちらからも特段メッセージを入れるような事はせず、ちゃぶ台の上にスマホを置いておいた。
手持ち無沙汰になったので畳の上に乱雑に置いてあった先月号のマーを読んでいると、スマホのバイブレーションが鳴ったので、取り上げて確認する。
俺には俄には信じがたい返事が来ていた。
《そんなページ無かったぞ?》
《そんなことないだろ?》
《見てみ》
そう言われて、スマホにブックマークしてある、該当のページヘと飛ぶ。スマホの画面には、黒いバックに「身近な怪奇譚」とおどろおどろしいフォントでタイトルが書かれ、そのタイトルの下には白色のフォントで関東圏内の怪談が書かれているページが表示された。
なんだちゃんと表示されるじゃないか。飯島が嘘を言っているのか?と疑ったが、簡単には決めつけず、もっとしっかり見てみようと思い、M山の怪談の記事を探した。
この身近な怪奇譚というページは管理人が自らの足で収集した怪談と読者からの募集で成り立っている。写真を効果的に使って、その場所で何が起こるのかという記事が書かれている。結構頻繁に更新されるため、暇つぶしに愛読しているサイトだ。
「確か…、一週間ぐらい前に更新された記事だったな」
サイトのトップページには既に該当の記事は無くなっており、アーカイブ化されているようだ。なので、サイトの右側の、記事が記載された年月毎にまとめられリンクが貼られているところから該当の月に記事に移動し、そこから更に一週間ぐらい前の記事を探す。だが。
「無い」
何度もページを、スクロールする。しかし、何度見ても、しっかり見ても例の怪談の記事が無いのだ。
「削除されてる」
何故だ?この手の怪談話はあまり読者や関係者から削除依頼はこない。何かしらの法に触れることが少ないからだ。不法侵入にはふれるかもしれないが。で、あれば管理人が自ら削除したとしか考えられない。確かに飯島は嘘をついていなかった。
飯島にメッセージを送る。
《ホントだ。ページ、無くなってる》
《だろ?これじゃ調べようが無いよな》
《一応、こっちから聞いてみるよ》
《何を?どうやって?》
どうやってって、メールとかしか無いだろ。
《どうして削除したんですかって?》
《何かよく分かんねぇけど、聞けるんだったら、聞いてくれ》
《分かった。何か分かったら、こっちから言うよ》
《また、明日な》
《おう》
それでメッセージのやり取りは終わった。俺としても気になるので、先程のページの管理人にメールを出そうと考え、もう一度、身近な怪奇譚のサイトを表示させた。ページの下の方に、情報収集用のメールアドレスが書いてあった。本来の使い方とは違うので、申し訳ない気持ちになりながら、メールを送った。
メールアプリを閉じるついでにスマホのディスプレイの時計を確認する。その時点で既に帰宅してから一時間が経過していた。
「うわっ、飯食ってねえ」
夕飯を食べていないことに気が付いたが、別段空腹は感じないので、今日は食べない事にした。ちゃぶ台の上に再びスマホを放り出し、狭い畳に体を大の字に横たえボロい天井をぼんやりと眺める。天井の何気ないシミが段々と人の顔に見えてくる。よく言う『シミュラクラ現象』とかいうやつだ。3つ点があると人の顔に見えてしまうという、人体のバグなのか、はたまた生存に適応した結果なのかどうかはよく分からない現象で、心霊写真などの怪異はこれでだいたい説明がつく。
一つ人の顔に見え始めると、あれもこれも人の顔に見え始める。そんな無意味な事を考えているといつの間にか窓の外は真っ暗になっており、慌ててスマホを見てみると0時手前になっていた。本当に無為に過ごしてしまった。
ふと、ディスプレイ上部の通知領域にメールが届いていることを証明するマークがついているのに気付いた。さっきの返事か、と思いスマホを操作する。案の定、メールは管理人からで、メールにはこう書いてあった。
『いつもご愛読ありがとうございます。
あの記事を読んで下さったのですね。確かにあの記事は削除いたしました。といいますのも、あの記事をネットにアップした数日後、本当に女性を見た、そして、とんでもない目に合ったから、これ以上被害が広がらないように削除してほしい、という旨のメールを複数いただいたからです。
それともう一つの質問ですが、あの記事はそもそも、投稿されてきた怪談でした。なので、私も詳しくは分かりません。女性に会った人たちがその後どうなるか迄は伝え聞いてはいないのです。
お力になれず、すみません。』
「削除依頼…」
明日、飯島にこの件を伝えよう。そう決意して雑魚寝を選んだ。
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