第5話 長い一日の終わり
「ふう」
その日の夜、不知火は自室に帰ってベッドに倒れこんでいた。
あの後、如月が置いてあった材料から見事なイタリアンのフルコースを作り出し、
如月にやられて倒れていた九十九はというと食べ終わった頃にようやく回復してやってきて、自分の分は無いと知るやその場にがっくりと膝をついて嘆いていた。九十九に対しての容赦無い如月の振る舞いに、正直同情を禁じ得ない。よくこれで今までペアを組めていたとさえ思う。とりあえず力関係は分かったので、自分は如月の言う事さえ聞いていれば大丈夫というのは良く理解した。
「でも……これからなんだ」
凄い一仕事を終えたような気になっているが、これはまだたったの一歩だ。不知火にはやらなくてはならない事がある。何を犠牲にしてでも。その覚悟をあの日、あの時にさせられた。
「絶対に私、が、まも、る……」
疲れから、不知火はまどろみに落ちていく。その夢に映るのは守りたいものの姿だった。
◇
漆黒の闇夜を黒塗りのセダンが走り過ぎていく。その中には結城と鈴森が乗っていた。結城が兎の姿なので、二人の移動手段は常にスモークガラスで覆われた車移動だった。
美麗愛はご機嫌そうに助手席の後ろで足を揺らしている。
「ふんふんふーん!」
「おや、随分とご機嫌だね美麗愛」
「だって念願の後輩ちゃんゲットですよ! とっても良い子だったし、これからの事を思うとワクワクが止まりません!」
「うん、確かに良い子だったね。感情を表に出すのは苦手そうに見えたが、あれなら末課でもやっていけるだろう」
そう言いながらも、結城は不知火について思いを巡らせていた。
不知火の境遇は結城にも届いている。正直、高校生の不知火にとってはあまりに重すぎるものだ。しかし、今日の不知火にはそれが一切感じられなかった。まるで、それが当たり前であるかのように。それが結城の中でどうしても引っかかっていた。
「先生? どうかしたんですか?」
「……いや、何でもないよ」
その時、ガガッという無線特有の雑音と共に通信が入ってきた。内容は末期の一振りによる無差別テロと負傷者の報告だ。
「先生!」
「ああ、行こう。私達の仕事の開始だ」
結城の言葉を皮切りに、セダンの運転手は急ハンドルを切って現場へと直行する。ネオン煌めく宵闇の中、結城達は命を助けるために自分達の戦場へと赴いていった。
◇
昼に不知火達と昼食を取った後、小鳥遊は警察署に戻り自分の仕事をこなし、二〇時過ぎに一通り終えて外に出た。帰路にはつかず、とある格安チェーン居酒屋に足を運ぶ。雑居ビルの三階にエレベーターを使って上がり、木製の引き戸を開けた。
「いらっしゃいませ!」
威勢のいい男性店員の声が店内に響く。小鳥遊はざっと店内を見渡すと、待ち合わせの人物を見つけた。向こうもこちらに気付いたようで、半分ほどあけたビールジョッキを上げてこちらに声をかける。
「よう、遅かったな。先にやってるぜ」
「お前と違って忙しいんだよ」
待ち合わせの主は九十九だった。大分出来上がっているようで頬に赤みが差し、タレ目がさらにだらしなく下がっている。
階級上は小鳥遊の方が二つも上なのに九十九はタメ口を聞くが、小鳥遊は気にした様子もなく、上着を脱いでハンガーに掛けた後、生中を店員に頼んで九十九の正面に座った。
「如月に蹴られたところはもう大丈夫か?」
「大丈夫なもんかよ。まだズキズキしてやがる……」
九十九はしかめっ面をしたままビールの残りを一気に開けて大きく一息を吐く。
「お待たせしました、生になります」
「あ、店員さん。生追加で」
「はいよ!」
しばらくして小鳥遊も運ばれてきたビールに口をつけて三口ほど飲む。小鳥遊は正直、ビールはあまり得意ではないが、最初の一杯の喉越しは好きだった。
「今日は不知火さんを見て少し安心したよ。お前達の報告を読んだらもっと深刻かと思ってたからな」
「結城達を呼んでおいて正解だったな。鈴森が癇癪を起こした時はどうなるかと思ったが、逆にいい方向に働いてくれたしな。全く、あれじゃどっちが年上か分かりゃしねえ」
そう言いながら九十九は苦笑した。小鳥遊も釣られて小さく笑う。
「まあお前達と一緒なら大丈夫だろう。頼んだぞ」
「分かってる。表は平気なように見えるが、あの年で憑かれるなんて平静でいられるはずがないんだ」
先ほどとは打って変わって、真剣な眼差しで九十九は語る。
「それはおま……いや、何でもない」
つい滑りそうになる口を小鳥遊は慌てて止めた。代わりに話題を変える。
「それはそうと、九月からの手配も整えておいたぞ」
「あー、あれマジでやるのか」
九十九は手に持っていた食べ終えた焼き鳥の串をぴっと小鳥遊に向ける。
「少しでも彼女の危険を減らしたい。よろしく頼む」
「おうさ、任しとけ。お上公認で仕事サボれるとなりゃ断る理由なんざないさ」
そう言って九十九はくひひと笑いながら、テーブルの刺し身をつまみに追加で運ばれてきたビールで流し込む。
それから二人は他愛のない話をしながら酒を飲み、ゆっくりと夜が更けていった。
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